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ぼくらのアトモスフィア  作者: わた雨
Ⅰ章 Shangri-La
3/6

成海シオンの場合〜変化喪失〜

 大空は蒼く澄み渡り、大海は碧く煌めき、森林は青く茂る。

 あらゆる『アオ』が一番の色を放つ季節。


 夏。


 の始め、初夏。まだ蝉の声は少ない。

 幼かった頃は、毎年待ち遠しかった季節だったのに。今ではもう、何も特別な感情は湧いてこない。

 ただ暑くて、長くて、面倒な季節だ。そんな考え方になっている。

 すっかり自分も、変わってしまったな。

 そんなことを、椅子に座り机に頬杖をついて校舎の窓から外を眺めながら、成海シオンは考えていた。

 現在地、中学校の校舎の自分の教室。ちなみに二階。窓側の一番前の席。

 周囲の状況、自分一人。他の生徒は皆、帰ったか、またはクラブ活動だ。

 楽しそうな声が、窓の真下に広がるグラウンドや、廊下でつながっている他の教室から聞こえてくる。

 そんな中に自分は一人。独り。

 シオンはため息を()く。

 なぜ自分はこんなにも、寂しい人間なんだろう。

 いつからかなんて、知らない。知らないうちに、だ。いや、最初からかもしれない。

 だとしても、自分がこんな人間だとは思わなかった。気づかなかった。知らなかった。

 あの頃は、こんなことになるとは考えもしていなかったのに。

 あの頃の自分は、仲間に囲まれていて、毎日が輝いていたというのに。

 シオンは、数年前の、もっとも毎日が楽しかったころの景色を思い浮かべた。

 みんなで、野山をひたすら駆け回ったり、海岸ではしゃいだり。鬼ごっこやかくれんぼ、虫取りに魚釣り、喧嘩をしては仲直り……。

 一日一日が、とても短く感じたものだ。

 みんな、いつまでも変わらず、いつでも一緒だと思っていた。信じていた。

 あの空に、誓っていた。


 しかし、現実は。


 未来は。


 こんなにも、(むな)しかった。


 みんな、変わってしまった。


 自分も、変わってしまった。


 一緒ではなくなった。


 信じられなくなった。


 それも自然に。何も特別な出来事は無く。


 ただただ時が過ぎただけで。


 あの輝きは。


 くすんでしまったのだ。


 あの頃と何も変わらない空を視界に入れた状態から、シオンは目を瞑った。


――――――――――――


 気配を、感じる。

 眠っていたシオンは、ゆっくりと目を開いた。

 すると―――顔のどアップが視界いっぱいに広がった。

「おわあああ!!」

 突然の光景に、思わず声を上げて身を一気に引いてしまった。その勢いたるや、椅子ごと床に転倒してしまうほどだった。背中を強く、後頭部を軽く打った。

「驚きすぎだよ〜。失礼だなぁ」

 痛みに悶絶しながら見上げると、どアップの顔の主が苦笑しながら、倒れたシオンを上から覗き込んでいた。少女だった。

「いくらなんでも近すぎだろ。今のは……」

「まさに目と鼻の先ってやつ? あはは♪」

 そう言う少女の笑顔は、見た人をたちまち元気にしてしまえるほど眩しくて麗らかだった。

 ナチュラルに伸ばされたブラウンのセミロングヘアは、窓から廊下へと流れる風でさらさらとなびく。飾り気のない雰囲気と人懐っ子さを感じる顔が、いかにも人を惹きつけそうだ。

「いつもやることすることがオーバーなんだよ、ハルは」

「それがシリアスブレイカーのモットーですから〜」

 自らのことをシリアスブレイカーと言い表した少女の名は、近江ハル。

 シオンとの関係は幼馴染み。まぁ、土地柄、幼馴染みなどシオンには沢山いるのだが。

 そして、最もあの頃と変わらずみんなと繋がっている唯一の人物でもある。

 ……いや、性格は変わってはいないが、やはり彼女もまた、一人一人との関係は変わってきているのかもしれない。

 勿論、自分とも。シオンは立ち上がりながら、そう思った。

「ねぇ、シオンくん」

 と、ハルはシオンを呼ぶ。これがその理由。あの頃、シオンは呼び捨てにされていた。いつからかハルは、すっかり男子を呼び捨てにしなくなった。彼女の中で、何か心境の変化があったというのは、言うまでもないことだ。それが何か、分からないにしても。

「今日は、生徒会室に来るの?」

 ハルは明るい声色で、シオンに尋ねる。しかしその質問は、シオンにとっては胸にズキンと痛みを与えられる刃物の一つだった。

 つい目線が俯いて、シオンは返答する。

「今日は……ごめん」

 ハルはそれを受けると、残念そうに肩を落とした。

「今日も……でしょ」

 そう言うと、歩き出してシオンの横を通り過ぎ、背を向ける。そして開けっ放しの戸の前まで行くと、振り返ってシオンに言った。

「ぼくも、今日は買い物しなきゃいけないから。一緒に帰ろ」

 その眼は、とても優しく穏やかで―――シオンの胸はまた痛む。

「わかった。いいよ」

 そう言う他に、シオンに選択肢はなかった。


――――――――――――


 ここは蒼空島。本土から隔絶していて、見渡す限り透き通った碧い海に囲まれている。島の中心には名も無き低い山があり、なだらかな山肌に沿って住宅が建てられている。そのため、坂や階段が非常に多い。うっそうと茂る森は、珍しい生き物や植物も沢山生息している。盛んなのは漁業一択だ。

 文化も、本土からとても遠い所為(せい)か古く、新しい物も情報もほとんど入ってこない。テレビすら珍しく、あったとしても映りはしないし、唯一の娯楽のラジオなんかは島のローカルなものしか流れない。書籍類も新刊なんてものはあまりなく、数年に一度いっぺんに船で入荷されてくるだけ。

 そんな中で子供達は、自然に触れる遊びとメジャーなスポーツしか知らず、とても逞しく育つ。特に泳ぎに関しては、皆自信がある。十代ともなればきっと泳げない子なんか一人もいない。むしろ、誰もが本土の人間の遊泳速度の比ではないレベルに達しているだろう。

 とにかく平和で、どこまでも自然。

 そんな島だ。


 ひときわ小高い場所に建てられた学校から、校門を出て階段を下りるシオン。進行方向に対して右斜め後ろにはハルがいる。

 小気味よいリズムを刻みつつ、下段(した)下段(した)へと進む。ハルはわざとなのか、シオンに足音をそろえて下りている。時々、他愛もない会話を交えながら、二人は帰路を辿った。

 ハルの存在がまだ日常の中の一部だと感じられるこの時間が、シオンはなんだか嬉しく、心地よかった。

 やがて、幅の広い階段にさしかかったとき、ふと、シオンは足を止めた。目線を下段から正面に向ける。どの階段からでも、空の蒼と海の碧が望めるのだ。いくら見慣れた景色だとはいえ、その壮大さには未だに息を呑んでしまう。己の小ささをひしひしと感じながら、シオンは再び下段へと足を伸ばした。その時だった。

「……!」

 階段の下の方に、とある人物がいるのに目が留まった。あれは……!

「あっ! シズルくんだ!!」

 ハルがわっと声を上げ、そして下方の人物の傍に駆け下りていった。

 そこにいたのは、一人の少年だった。いや、訂正する。美少年だった。

 特徴である栗色のロングヘアは、光沢を帯びてさらさらと揺れていた。顔つきは、中性的でありながら幼さを持たないため、大人な雰囲気を醸し出しており、無愛想な表情もそれを手伝っている。体格は華奢で、身長はこの年齢の男子の平均並だろう。

 そんな美少年が、シオンを見上げ、見詰めていた。

 名は、出雲シズル、といった。

 シオンは、思わず身を(すく)ませた。幾度か体験したことのある緊張感に、身体が襲われている。

 シズルは、シオンを見詰めるのをやめると、駆け寄ってきたハルに視線を移した。無愛想な表情をある程度和らげ、唇を開く。

「久しぶりだな、近江。シオンも」

 そう言って、シズルはまたシオンを見上げる。さっきまでの無愛想な顔ではなかった分、緊張の糸が緩み(たる)んだ。少しほっとしてしまう。そんなシオンに対して、ハルはいつものとびっきりの笑顔でシズルの言葉に応える。

「うんっ! お久ぁ〜♪ 帰ってきてたんだね〜」

「ああ、さっき到着した。家を経由して、今は学校の先生に報告に行くところだ」

 相変わらず言葉が固いと、シオンは思った。学者の一人息子で、勉学に秀でているが、真面目なのが長所であり短所でもある。まぁ、あの頃はまだ比較的柔軟だったが。

「ほらっ! シオンも何か言ってあげなよ」

 ハルに催促されて、シオンは仕方無しに階段を下りた。シズルのいる段に着くと、シオンはシズルを見て、言った。

「元気そうでなによりだよ。本土はどうだった?」

 一応微笑みは入れたつもりだが、上手くいっているだろうか?

 そんなことを考える暇もなく、シオンの言葉に対する返答が、シズルの口から放たれた。

「最悪だった」

「え……?」

 シオンの表情が凍りついた。シズルの口調が、あまりにも凄惨だっだ為だ。ハルも、驚いたような表情を浮かべている。

 シズルが言葉を続けた。

「この島がどれだけ楽園なのかを改めて思い知ったよ」

 ああ、そういうことか。シオンは納得した。今のは、郷土―――島はやはりいい所だということを強調したかっただけらしい。

 それもそうだ。島育ちのシズルにとって都会、特に東京の、人ごみや車による排気ガス、並び立つ摩天楼は、あまりにも環境がかけ離れていて不快だったに違いない。想像するだけで嫌気が生じてくる。

「それじゃあ、俺はもう失礼するよ」

「ああ、じゃあな」

「また明日からね〜♪」

 階段を上って去っていくシズルは、右手を肘を曲げて上げ、ひらひらと振っていた。

 その背中は、本土で何を知ったのか、とても重いものを背負っているように見えた。


 シオンはその背中を最後まで見届けることはせず、背を向けてまた階段を下り始めた。ハルも、それに気がつくと、すぐに付いてきた。少し口を尖らせて、文句を言ってくる。

「もうちょっと会話弾ませて欲しかったなぁ〜」

「まったくだな」

「シオンもっ!! 本当に二人がかつての一番の親友同士だなんて思えないっ」

 ハルは拗ねたように、先に階段をどんどん降りていった。しかしシオンは追わない。どうせハルはある程度下ったら待ってくれているだろう。

 一番の親友同士だなんて思えない、か。とシオンは思案を巡らせる。無理もない。今の二人は……親友などではないのだから。

 シズルとは、自然に関係が無くなった訳ではない。

――――――あの『声』を聞いた日に、失った絆だ。

――――――それ以外の絆は、自然に、時間と共に消えていった。


 そしてそれまでは、シオンの絆はかつての幼馴染みたちとのだけだった。

 つまりだ。

 シオンは今、ハル以外の、すべての絆を。

 失ってしまっているのだった。


 

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