第3話 私は全て見てました。
「魔王様に献上したいものがございます」
……あぁ、またかと思いましたよ。世界を征服なさってからと言うものの、魔王陛下に媚を売ろうとする馬鹿も逆に首を狙う阿呆も増えましたからね。
かつては世界には様々な『王』がいましたが、今や1人ですから。
陛下ただ1人を倒せたら覇者になれちゃうんだから楽でしょうよ。
ま、倒せたならば、の話ですが。
え?お前は誰だって?
あぁ、これはこれは失礼致しました。
ワタクシ、偉大なる魔王陛下の執事でございます。世間では側近だとか魔王配下四天王の1人だとか言われておりますが、それはおいおい説明すると致しまして。
ワタクシ、執事でありますから訪問者についても勿論陛下に報告致します。それがどれだけ阿呆であってもね。
「陛下に献上したいものがあるという人間が参っております」
またか、とは陛下はおっしゃられませんでしたが、玉座に座って肘をついて、明らかにめんどくさそうです。
ま、この方が面倒に思わないようなことなんてこの世に早々ありはしませんけど。
「『貴方様の欲っするものを必ずや献上いたしましょう』と、言っておりましたよ」
どうします?と見やると、至高の赤の瞳とかちあいました。
何の感情も映さない、ただ赤い宝石を埋め込んだだけのような瞳。どこまでも赤いその瞳を恐れて目を逸らす者は多いのですが……なんともったいない。
薄すぎず濃すぎず、更にどす黒く乾くこともない永遠に赤く輝き続ける血のようで、なんと美しいことか。更に陛下の御髪と御衣装は常闇の黒。肌は残念ながら白いものの、瞳が暗闇の中で月光を浴びて浮かび上がる血のように映えてこれもまた素敵でございます。
まぁ、ともあれ。
瞳がかち合ったということは、陛下が少し興味をもたれた、ということ。
言葉の少ない主の意を汲んで迅速な対応をすることこそ、執事の務めでございます。
いつものように謁見の間にて、壁沿いに兵士を並べ、人間に術を使うことを許可します。
これには側近の1人が難色を示しましたが、陛下の希望ですので。
しかし、実際会った人間の様子に陛下は少し落胆なさったようです。
そうですね。薄ら笑いを浮かべて陛下の赤い瞳を直視する人間なんてよからぬことを企んでいるに決まっていますよね。己の方が優れていると過信して優越感にひたっているからこそ、あの瞳を見つめることができるのです。あぁ、なんと愚かな。後で赤い瞳に射すくめられて、恐怖で顔をあげることもできず、されど夢にまであの瞳がついていくるほど忘れられなくなるというのに。……後で夢をみることができるかは分かりませんが。
敬愛なる陛下のためにもつまらない術はしてほしくなかったのですが……おや、あの術式はなんだか見覚えがありますねぇ。ちらっと見上げると陛下もつまらなさそうなお顔。また肘をついてしまいました。分かりました、術が起動できず真実を知ったこの人間が絶望に満ちた顔をした後で、ちゃんと消しておきましょう。
おぉ、術が完成したようですね。同僚や兵士の諸君、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。あれが発動するはずが……おや?青白く光りましたね?いったいどういう……
「出でよ、異界の王『サターン』よ!!目の前の悪を打ち滅ぼすがいい!!」
勇者気取りですか。そうですか。
随分、邪悪なものを呼び出そうとする勇者もいたようです。
呆れている間に光は強くなり、私は目を閉じます。光はね、得意ではないのですよ。
「「「ひゃっ?!」」」
そうして目を開けた時、現れたのは3人の少女。
明度の差はあるものの、陛下と同じ黒い髪を持ち、一風変わった服を揃って着ております。
え?何か喚びだされておりますよ?
「これは……」
おぉ、こういう場で魔王様が声を発するとは珍しい。
少し感動してしまいましたので、まだ動くのはやめておきましょう。
あの少女たちに敵意も殺意も感じられませんし…むしろ、何が起こったか理解できぬように呆然としております。
「さ、さすが異界の王!敵を油断させるための仮の姿をとるとは油断ならない!!」
馬鹿ですか。どこが仮の姿ですか。まだ己のしたことに気がついていないとは……。
あれが見覚えのあるあの術式でなければ、献上物=娘たちと思ったところです。
なかなかに美味しそうだったので。
兵士たちまでなんですか。人間の言葉を信じてあんな少女たちに警戒を――
「うるさいっ!ちょっと黙ってなさいよ!!」
……吹っ飛びましたね。軽々と。
華奢な人間の娘の力とは思えないそれに、武器に手を伸ばす者たちが増えました。
私は……そうですね。珍しく陛下が愉快そうにされていたので、放置です。
「……物騒なところじゃのぅ」
え?聞き間違いでしょうか?
3人の娘の中でも美しい派手な顔立ちをした娘がそう言って立ち上がります。
娘……ですよね?娘の外見をしてその実老婆、なんて者は結構いますが、ただの人間にはいないはずです。
しかし娘(?)は我らが親愛なる魔王陛下の赤い瞳を真っ直ぐに見つめて警戒姿勢をとるではないですか!
ただの人間の小娘にそんなことができるものですか。どの種族かは分かりませんが、人間ではないようですね。
……同僚と兵士諸君、武器に手をかけるのはお辞めなさい。見えないのですか、あの陛下の愉快そうなご様子!!珍しくお気に召したようなので、これは城のメイドとして雇うしかありませんね。
「き、貴様ぁっ!!」
ワタクシ感動してあれやこれやと策を練っておりましたら、盛大に吹っ飛ばされた人間(存在を忘れておりました)がなにやら吠えております。耳障りですね、退場させましょうか。
「サターンよ!!召喚の定義、貴様に思い知らせて……!!」
「サターンとは……懐かしいのぅ」
おや、有難くも我らが陛下からお言葉を賜るようですね。
先刻の勇者気分はどこにいったのか、ガタガタ震えて杖に縋りついておりますが。ほうら、やっぱりあの至玉の瞳を見返すことはできぬようですね。もったいない。
「それは、余のかつての異名だ。」
いつかは覚えていませんが、はるか昔にご活躍された時のお名前ですね。
退屈しのぎに召喚術式なども作成して召喚されては破壊の限りをつくしておりました頃の。確かあれで世界の地形はだいぶ変わったように覚えております。すぐに飽きられたようでしたが、その術式が未だどこかに残っていたんでしょうね。
あぁ、しかし、陛下のお声はなんと重圧感に包まれて美しいことでしょう。
「な、なに……?!」
……やはり、この術者の声は耳障りですね。醜い顔が絶望に包まれてきたのでそろそろ消したいのですが、いいでしょうか?
「成功するはずもない術式だったが……何故か、異界の扉は開けたようだな。」
陛下の関心は3人の娘たちへ。
ふむ、いいようですね。兵士たちを促して阿呆な人間には退場していただきます。
醜い悲鳴で陛下の御耳を汚したくはありませんし。
「見たところ人間のようだが、貴様らは何故ここへ喚ばれた?」
え?人間なのですか?
不思議なことに、どうにも彼女たちの気配ははっきり分かりませんので。
おかしいですよね、誰しもその種族ならではの気配を持っているはずなのですが。
いや、しかし。人間なのでしたら、陛下の瞳を見つめたうえに……
「「「ない」」」
陛下の言葉をすんなりスルーできるはずがありません。
それなのに彼女たちは陛下なんてまるで目に入っていない様子ですごい顔で騒ぎ出し……年頃の娘さんがそのような顔をなさるものではありませんよ。
「狐さんが、狐さんがやってきちゃうよぉっ!!」
「さっき喚んだんじゃから、もうきとるわ!」
「早く帰ってもらわないと、呪われてしまうわ!!」
狐に呪われるより陛下の不興をかう方が無限大にマズイと思うのですが。
この状況を全く理解できていないのでしょうか。あぁ、そうですね、理解できてないからこそこんな大胆なことができるんですね。どんな馬鹿でも本能で陛下の危険性を感じ取るのだと思っていましたが、ここに今までに類を見ない真性のおバカさんが……やめときましょう。
もしそうなら、呆気にとられて口を開けてる兵士たちと、娘たちに興味をお持ちになっている陛下はどうなんだ、という話になってしまいますね。
「……あぁ、紙っ!!」
つれつれ考えておりますと、少女たちはまた騒ぎ出しました。
辺りを見渡し……って、どうして部下たちもきょろきょろしだすんでしょうね。
おい待てコラ、堅物な我が同僚まで周囲に紙を探さないで下さいよ。
「この際よ!!この紙でいいわ!!」
おや、持っていたみたいですね。小さな手帳のようなものからひきちぎっています。
…紙片が舞い散りましたね。あとで掃除を指示しなければ。いえ、この娘たちがメイドになるならば、初仕事にさせればいいですかね。初仕事が謁見の間の掃除とは優遇しすぎでしょうか。
「あたしも、あたしも何かするっ!!」
一番小さな娘がぴょんぴょんと跳ねております。親の真似をしたい子供のようで随分と愛らしいですね。
「「「10円玉!!」」」
……え?今度は何をお探しですって?
ジュウエンダマ……って、陛下……?
突如、陛下から力の波動を感じてかの方を仰ぎ見ます。って……同じ空間におりますのに、力の波動を感じるまで陛下を視界の中にいれていなかったとは。
驚きました、こんなことは初めてでございます。
そして私は更に失態を犯してしまいました。驚きすぎて、陛下の力が対象……娘たちに効いていないことに気が付かなかったのです。
ただ、娘たちに思考をもっていかれてしまった自分を恥じ、陛下のご意志を確認しようとしたのですが……
「じゅうたんの裏に案外落ちているもんじゃ!!」
「分かったわ!片っ端からめくるわよ!!」
パタパタと赤い絨毯をめくり始めるではありませんか!!掃除をするのは構いませんが、陛下の御前でするものではございません!!というか、あなた方はまだメイドではないですし!!そんな強引にめくろうとしたら皺がよりますし、って貴女、ひきちぎろうとしないで下さい!!人間の力では無理でしょうが、貴女ならできてしまいそうです!!
側近のもう1人と目を合わせて部下たちに指示をだし、さぁ止めるために足を一歩踏み出し……
「へ、へへへ陛下?!」
い、今、力がびびっときましたが!?
足が!!足が動きませんが!!え、ご機嫌が麗しくないのですか!?我々に向けられた力がだんだん大きくなり、謁見の間全体に広がっておりますよ?!足どころか、上半身も頭も動きませんが!?ちょ、ちょ、陛下!?ワタクシ、この態勢で固まりたくはないのですが!?
驚いて陛下を仰ぎみると、かの方は不思議そうにご自身の右手を見つめておりました。不思議そうに!あの方が不思議がっているとは!!なんですか、一体何が起こっているのですか!?
……困りました。声がでません。へーいーかー、助けてくださーいー、というか気付いてくださーいー。
って、そこの娘!!許可もなく玉座に近づいてはなりません!!
寛大な魔王陛下が許しても、この側近のワタクシは許すわけには……こーけーまーしーたー!!
幼子とはいえ、陛下の前で陛下に向かって転ぶとは何事ですか?!段差は普通に上っていたのに、何故何もないところで転ぶのですか?!わざとですか?!どさくさに紛れて陛下に近づこうというわけですか?!
「絨毯の毛につまずきました!!」
「「そんなわけあるか!」」
全くもって同感です。です、が。
他の2人に張り手をくらって幼子は本当に陛下に向かって転びそうになったのです!!
このまま陛下のお膝に顔面衝突して死んでしまうのでしょうか。それはそれでなんて幸せな死に様なのかと思っていると……陛下が手を差し伸べたー!!!?
もう一度言いましょう。
あの、魔王陛下が、幼子を助けるために、手を差し伸べて、支えてやった、のです!!
もちろん、何か考えがあってのことでしょう。敵を欺くためにはまず味方から、とも申しますが私はそれはそれは衝撃を受けてしまいまして。例え陛下に動きを止められていなくとも、身動き1つとれなくなっていた自信がございます。しかし、ただ息をのみ目を見開いている場合ではありませんでした。
「おじさんっ、10円玉持ってない?」
おーじーさーん?!
あろうことか!!あの幼子め、親愛なる我らが魔王陛下に対して「おじさん」とのたまったのです!
あの幼子には陛下の類まれなる美しさ、時を感じさせない若々しさ、見る者を魅了する禍々しさが目に入らないというのでしょうか?!そのへんの中年の男に問いかけるようになんて気軽に「おじさん」だなどと!陛下と中年男を同類に扱う小娘なんて即刻抹消あるのみ!!
「ジュウエンダマ?」
……ですよねー陛下?どうして、怒らないのですかー?
「もう!持ってるの?持ってないの?はっきりしなさいよ!!」
「ジュウエンダマとはなんだ?」
「10円玉も知らんのか?!お主、馬鹿じゃのぅ」
困ったことになりました。
幼子だけではなく、他の2人の娘も陛下を侮辱するようなことを言い募ります。
ですのに、当の陛下は全く不快そうではなく、むしろ愉快そうに彼女らとの対話を楽しんでいるのです。
それを証拠に、邪魔するなというのか単に興味なく忘れているのか、我ら配下たちの呪縛を解いて下さる気配がございません。
いくら3人の小娘たちにとっておきの処刑を与えたくとも、今の我らにはこの状況を見守るしかないのです。
せめて、小娘たちの無礼な振る舞いを全部記憶しておこうとも思いましたが……私、疲れてしまいました。陛下の御顔を窺っていると、どの辺りが無礼でどの辺りが許容範囲なのか判断しかねるのです。
「死霊が配下?!趣味悪っ!!」
と言われたときはさすがに不快そうな顔をされましたが、
(兵士の中に混ざる死霊たちは少し落ち込んでいました)
「お前たちが『欲するもの』は『ジュウエンダマ』か?それとも狐の死霊から身を守る手段か?」
「「「どっちも!!」」」
強欲にも示されたもの2つを欲する娘たちには愉快そうな顔をされました。
(『欲するもの』は1つだけであるという理が我らにはあるのです)
「だが、身を守る手段なら余が与えても良いぞ」
しまいには、陛下自ら娘たちの後ろ盾を申し出るではないですか!!
陛下が完全に娘らの後ろ盾になってしまえば、私は勿論、なんびとたりとも彼女らに手も足も出せなくなるでしょう。
「偉そうにっ!あなた、何様なわけ?」
あなたこそ何様のつもりですか!!
……とも、この怪力少女に申し上げにくくなるわけです。
陛下が何かに興味をもたれるということは大歓迎ではありますが……。
果たして、この娘たちにその価値があるというのでしょうか?
「おじさん、王様なの?」
陛下はご自分を恐れない娘たちに興味をお持ちになったようですが、もし娘たちが陛下の正体を知れば……
「「「魔王!?」」」
そう、この広い世界を征服した史上初の王。
かつて魔王と呼ばれ恐れられていたこの方こそが、現在の世界の覇者であらせられる。それを知ればいかなる馬鹿でも飛び上がって震えるはずです。
「魔王って、あれ?世界征服を企んでいる……」
「世界征服ならもう終わった。」
「「「えええええええ?!」」」
ほらやっぱり、飛び上がって驚いて震え……おかしいな、怯えて震えてはいませんね。
むしろ例の怪力少女、歓喜にうち震えているように見えるのですが。なんでしょう?『ニジゲン』って?
仲間割れのように1人だけ喜び、後の2人はしらけたような目をしているのですが、これは陛下の恐ろしさが伝わったと思っても……駄目のようですね。なんだか、『だばだば』と歌いだしましたし。
そして。
「あのねあのね、魔王様。あたしは美里っていいます。よろしく~」
「わしは翠じゃ。じじぃと呼んでくれて構わん。で、このオタクは……」
「いったぁ~。ちょっとぉ、2人とも!あとで覚えてなさいよ!あ、魔王様。千秋です、よろしくお願いします」
彼女たちは何も態度を変えず、陛下に名乗りだしたのです。
まるで新しく出会った友人に対するかのように。まだ、最高の後ろ盾を約束されたわけではないのに、です。
そんなことができるのは、とんでもない馬鹿か、陛下の威を借りようと演技してみせるちょっと頭の切れる者くらいです。どちらにせよ、陛下のお傍においておけるような者ではありません。いい加減魔王様に提言して小娘たちを捕らえなければ……
「娘らよ」
「魔王様、名前で呼んでほしいの」
「そうじゃ。なんのために名前を教えたと思ってるんじゃ」
「私たちは貴方の娘ではないもの。ねぇ?」
そして私は再び陛下を仰ぎ見、心の底からしまった、と思ったのです。
「そうか。では、美里、翠、千秋よ」
陛下は何かに興味を持つ、ということが極端に少ない方です。興味を少し見せてもそれが継続することなど皆無といっていいほどです。ですが、このとき。あの至高の赤い瞳がそれはそれは楽しそうに嬉しそうに類まれなる美しい光を放っていたのです。
「余が恐ろしくはないのか?」
「「「なんで?」」」
これだけの陛下の覇気に当てられて、「なんで」と言える娘らこそ末恐ろしい。
陛下がいかにご自身の素晴らしさを訴えても彼女らには届きもしないのです。
とんだ無礼者……しかし
「娘らよ、気に入った!」
この言葉に、陛下から溢れ出る力に、私は本当に為す術を失ったのです。
動きを封じられているだけではなく、未来永劫に。
ただ、世界がまた動き出すのを感じながら、私はただ様子の変わった陛下を見上げておりました。
「余の娘となるがよい」
そうして、あの運命の言葉を聴いたのです。