プロローグ
桜の舞う季節、出会いと別れはやってくる。
20XX年、4月現在。
昨今の異常気象でサクラサク入学式、とはなかなかいかずサツキサク入学式となりそうな今日この頃。
…まぁ、なんというか、入学式なのだ。
「ふむ。千秋さん、一覧表はこれでいいかのぅ?」
「あら!おじーちゃん、やっぱり達筆ね。サイコーよ!」
とある高校のとある教室にその少女たちはいた。
体育館で入学式が開催されている今、この教室には誰もいない。
「ふふ、これで準備はだいたい整ったわね。」
日本人形や大和撫子という言葉を彷彿させる美しい少女−−千秋が、怪しい魔方陣の描かれた紙を片手に微笑む。
「美里さんがまだじゃがのぅ。」
千秋よりも少し色素の薄い髪を頭上で1つにまとめ、抜群のプロポーションを制服の下に隠した背の高い少女−−翠が筆と硯を片付けながら言う。……こんな話し方だが、見た目はモデル体型の将来有望な高校生なのだ。
「……やっぱり、1人でおつかいはまだ早かったかしら。」
「誰かに会えればいけるじゃろう。入学式が終わるのを待っている生徒は他にもおるじゃろうし。」
主に部活動勧誘の生徒たちだが。
入学式には教師陣と生徒会と吹奏楽部と合唱部は絶対参加だが、他の生徒は基本休みだ。それでも、式後にでてくる新入生の勧誘合戦のために部室棟は騒がしい。
「美里、新入生に間違われてないかしら。」
「大丈夫じゃろ。美里さん、有名じゃもん。」
千秋の描いた魔方陣の上に翠が書いた『一覧表』を乗せる。一見、五十音図のようだが紙の上部に描かれた模様がそれだけではないことを匂わせている。横には火のついていない蝋燭が1本。その机の周りに椅子3脚を残し、半径1~2m以内には何もない。儀式中に何かにぶつかると危ないからだ。南向きの窓もカーテンは閉まっている。北向きの廊下側の窓はカーテンがないが、代わりにすりガラスだ。朝は晴天だったのが、少しずつ厚い雲がでてきて昼前だというのに薄気味悪さを演出できている。
準備は完璧だ。あと足りないものは1人と1枚だけ。
「私としたことが失念してたわ。まさか、あれがないなんて。」
「わしも持ってると思ったんじゃがのぅ。」
意識していないときは溢れかえるほどあるのに、必要な時に限って1枚もなかったりするのだ。
ああいうものは。
「ん?戻って来たんじゃないかの?」
2人揃って溜息をついていると、てってってと軽やかな足音が廊下の向こうから聞こえてきた。
これは間違いなく、待ち人の小走りの音!!
……通常の人の歩く速度と変わらなくても、だ。
思わず2人顔を見合わせて、教室の扉に自然と視線を移す。
その足音は同じリズムでこの教室へと近づき……通り過ぎた。
「「かむばーーーぁっく!!」」
ここでも息ぴったりな叫びに軽やかな足音はぴたりと止まる。
そしてまた、てってってと足音は大きくなり、そろ~りと扉が開けられた。
「なんだぁ、こっちにいたんだー。」
「「最初っからこっちにいましたー。」」
のほほんとした声に、再び2人の声が揃う。
千秋と翠、普段の話し方は全く違うのにこういうときは揃うらしい。
「へぇー、そうだったの?」
「何故他人事!?朝、おぬしも一緒に此処に来たじゃろうに。」
呆れ返った友人の言葉におろろ?と目を丸くする。
もこもこした大きなリュックを背負い、ふわふわした髪をゆるくおさげにした少女――美里は翠たちと同じ制服を着ているというのに、小学生にしか見えない。千秋の顔立ちを『和風美人』、翠を目鼻のはっきりした『美女候補生』とするならば、彼女はたれ目がちの大きな瞳がチャームポイントの――『童顔』だ。
「もう。美里ったら相変わらずポケポケねぇ。」
千秋が苦笑しながら美里の頭を撫でる。
ちなみに、翠、千秋、美里の順に背が高い。というよりも千秋が標準で後の2人が高すぎたり低すぎるのである。
「で、美里さん。例のブツは入手できたかの?」
よって翠が美里を見下ろせば、それなりの迫力がある。
少し凄味を加えて笑えば益々……だが、美里は気付いているのか気付いていないのか自信満々の笑みで頷き返した。
「あったりまえなの!!ほら!!」
小さな少女の掲げた小さなソレはカーテンの隙間から入る僅かな光を受けて鈍く銅色に輝いた。
――10円玉である。
「すぐそこの自販機でお金くずしてくるだけにどんだけかかるんじゃ。」
「まぁまぁ、いいじゃない。よくやったわね、美里。」
フンと鼻を鳴らす翠に、穏やかにとりなす千秋。
会話だけ聞いたら夫婦のそれである。
「?自販機じゃないよ?」
千秋に頭を撫でてもらいながら、美里は小さな子供のようにきょとんとした。
「え?じゃぁ、この10円玉どうしたの?」
「しぎかいぎーんのおじさんがくれたの。」
にこにこという美里に解読能力が追いつかず顔を見合わせる千秋と翠。
しぎかいぎーん……ぎーん…しぎかい……。
「「市議会議員?!」」
「いたいの~!!!」
声が揃った瞬間、美里が悲鳴をあげる。
真下から聞こえた悲鳴に我に返った千秋がパッと手を放す。
撫でていた手で鷲掴みをしてしまっていた。
「あっ、ごめんなさい。驚きすぎてつい、力が入っちゃったわ。」
「割れるかと思ったの~!!」
「ふふふ、まさか。」
美しい笑顔で否定するが、千秋の細い指は確実に美里の頭に食い込んでいた。
無意識なのに、だ。
「いや、千秋さんの馬鹿力にかかったら美里さんのちっさい頭の1つや2つ……」
「なんだっていうのかしら?おじーちゃん?」
「ぎゃーー!!顔面!顔面はやめてー!!」
翠の言葉を証明するかのように、千秋がかる~く掴んだ翠の将来有望な顔はひしゃげて大変なことになっている。彼女の(馬鹿)力にかかればプチ整形はお手の物である。
「ちーちゃんちーちゃん!お菓子あげるからやめたげてー!」
友人の危機に美里が背負っていたリュックからごそごそと何かを取り出した。
必死に背と手を伸ばして、千秋の顔の前でそれを振る。
「ほらー!ちーちゃんの大好きな……」
「ミカゲ君のカードつき?!」
視界に入ったソレにパッと……むしろポイッと手を放して飛びつく。
解放された翠は死にそうな目で自分の顔を抑えているが、千秋は恍惚とした表情でソレを眺めていた。
ソレ――今流行りのアニメのキャラクターカードつきチョコを。いや、むしろチョコこそオマケなのだろう。小さな子供よりもオタクやら腐女子やらが買い占めるそのチョコはコンビニのロングセラー商品となるかもしれない。そして、千秋もカード目当てにチョコを買い占める1人なのである。
「あぁ、ミカゲ君……」
「……ミ、ミカゲ君が入ってるといいねっ!!」
そう、どのカードが入ってるかは開けてからのお楽しみ、というやつだ。
千秋の意識を逸らすことには成功したが、お目当ての彼が入っているとは限らないのである。
「美里さん、どこでアレ手に入れたんじゃ?」
「しぎかいぎーんの運転手のおじさんがくれたの。」
それでも恍惚と魅入っている千秋(パッケージに描かれている絵でも充分らしい)に隠れてコソコソと翠が聞く。
「ん?運転手殿もオタクなんかの?」
「うーん、お孫さんに頼まれたーって言ってたよー?」
「……それ、横取りしたんかい。」
「ちがうもん!『今持ってるお菓子これしかないんだ、ごめんね』って言ってくれたもん!」
「……オジサマキラーめ。」
高校生とは到底思えない外見と中身をした少女はオジサマ受けがとてつもなく良いのであった。
「千秋さーん。別世界に旅立っとるとこ悪いんじゃがの。そろそろ始めんか?」
「え?私とミカゲくんがいつ結婚できるかについて占うの?」
「「・・・・・・まぁ、それはおいといて。」」
できないからね。
とは、自分の身の安全のために言わずに目線を逸らして。
2人はススーと中央の椅子に腰掛けた。翠がライターを取り出して素早く蝋燭に火をつけ、美里も彼女なりに素早く10円玉を定位置に置く。2人ともその行動に一寸の乱れも迷いもない。
「「さ、早く。」」
友人2人にさも当然のように促されて、千秋も渋々と残った椅子に腰掛けた。
勿論、まだ封をきっていないチョコは大切に胸ポケットに入れてある。
メインはカードだから、チョコが溶ける可能性なんてこれっぽっちも考えていない。
「さ、準備は整ったかの?」
「えぇ――完璧。あとは、呪文を間違えず絶対に指を離さないでいること。美里、大丈夫ね?」
「どーんとこいっ!」
「「・・・・・・。」」
両手で拳を作って胸を張る少女に一抹の不安がよぎる。
「……まぁ、大丈夫じゃろ。美里さん、これで頭いーし。」
「……そうね。指離しそうになったら、私が上から抑え付けるわ。」
「痛いのイヤなので、とてもとても頑張ります!!」
千秋の(馬鹿)力はさっき味わったばかりだ。
先ほどよりも顔を引き締めて(元々緩いので限界はあるが)美里も中央に向き直った。
それを確かめて翠がスッと10円玉に人差し指を乗せる。美里、千秋の順でそれに続いた。3人目配せをして、息を大きく吸って吐いて――タイミングは同じだった。
「「「こっくりさん、こっくりさん――」」」
3人の少女の声が調和され、1つの音となって他に誰もいない教室に響く。
彼女たちは目を閉じて、意識は人差し指の先の10円玉にただ真っ直ぐに向けられて。
だから、気がつかなかった。
窓は締め切っているのに、カーテンが僅かに揺れ、蝋燭の炎も青く輝いて揺れていた。
五十音図の上に「はい」と「いいえ」、そして鳥居の描かれた『一覧表』の下に敷いた魔方陣も呼応するように青白く光り……
「「「おいでください。」」」
朱で描かれた鳥居までもが青白い閃光を放ち、そこを中心に突風が巻き起こる。
締め切ったカーテンがバサバサと揺れ、蝋燭の火が、消えた。
机の上の紙は舞い、抑える主のいなくなった10円玉はコツンと音を立てて落ちた。
突風に驚いた3人の少女が指を離したから、ではない。
蝋燭の火と共に、彼女たちも消えたから、だ。
呼び出したはずの彼女たちが喚ばれたから、だ。
それは、この世界では誰も知らないことだったけれど。
カーテンの締め切られた教室には、ただ静寂だけがあった。