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第二話 はじまり

 五時間前——


「かなたー!」


 学校帰り。

 奏太が川沿いの道を歩いていると、向こう岸にいるガタイの良い男が大きく手を振った。彼は制服のまま走りだし、先にある橋を渡って奏太のもとまでやってくる。サッカー部で鍛えられているせいか、息切れすることもなく奏太を笑顔で見つめた。


 海野夏希うみのなつき


 彼は奏太の幼なじみだった。背の高さは奏太と変わらないが、肩幅が広く肉体も引きしまっている。いかにもスポーツマンというその身体に、日に焼けた人懐っこい顔がついている。


「おつかれ、いまかえり?」

「そうだけど。……なつき今日部活は?」

「やすみー。顧問が働き方改革とか言って、週の練習が一日へった。放課後フリーなのはうれしいけど、なんか複雑」

「ぼくだったら大喜びするけどな」

「ま、勝ちたいからね。今日も自主練はするよ。あ、かなたも一緒にやる?」


 やらない、と奏太は苦笑する。

 毎日のように走りこんでいる夏希の練習に、ついていける気がしなかった。それに家に帰ったら、家事と勉強をしないといけない。また母に殴られるのはめんどうだ。


 帰り道を歩いていると、涼しい風がふいて、枯れ葉と夏希の黒髪を揺らした。季節は秋で、二人は高校二年生だった。


「最近、どう?」


 すこしの沈黙のあと、夏希が言った。


「学校とか、お母さんのこととか。その頬の傷って——」


 その歯切れの悪さに、夏希の気遣いを感じる。奏太はできるだけ明るい声で言った。


「大丈夫だよ。変わんないし、いつもどおり。それよりこのあいだの試験で学年一位とった」

「まじか! スゲーじゃん! 奏太の高校めっちゃ頭いいのに、やるじゃん」


 夏希が白い歯をこぼして笑う。その笑顔にほっとして、奏太も笑った。


 やがて分かれ道について、二人は手を振って別れた。奏太はなんとなく振り返って、反対側に歩いていく夏希の後ろ姿を、ぼうっと眺めた。



 家についたのは夕方だった。

 『人殺し』とスプレーで書かれたドアを開け、投函された『人殺しの父宛て』の手紙を持って、部屋の扉を開ける。窓から夕日がさしていた。床に落ちていた陽光は、血だまりのように赤かった。


 その日の夜。

 奏太は血のついた包丁をもったまま、アパートの屋上にあがった。その刃先には母親の血がべったりとついていた。


 最上階は六階。へりに立って下を見下ろすと、街頭の光が落ちた地面が見えた。

 死ねるだろうか。

 奏太は足を一歩、踏み出した。

 最後に思いだしたのは、両親とそろって祝った、妹の誕生日のことだった。恥ずかしがりながら嬉しそうに笑う妹の顔が、地面に落ちるその瞬間まで、奏太の頭のなかを点滅していた。

 

 * * *


 痛みがなかった。

 一瞬で死ねたせいだろうか。


 だけど、意識がある。どうして? まさか本当に天国が——?


 そう思いながら、奏太を目を開いた。木目調の床が視界に入る。

 ここは——

 重い身体を起こしてあたりをみわたす。

 広い空間、両端のバスケットゴール、前方にある舞台。

 どうやらここはどこかの体育館らしい。


 体育館には百人ほど人がいて、奏太は周囲の人たちを観察した。

 年齢や性別もばらばら。中学生くらいの子から、六十代ほどのおじいさんもいる。みんな挙動不審にあたりを見渡して、なにごとか戸惑っている様子だった。


「あのっ!」


 背後から女の声がした。

 振り返ると制服の女子が目に入った。


「だいじょうぶですか?」


 なんなんだろう、この子。

 顔立ちは整っているが、どこか傷つきやすそうな繊細さがあった。雪のような白い肌に、遠慮がちにこちらを見るまん丸な瞳。同い年、くらいだと思う。背が低く華奢な身体で、制服の袖から細い腕が出ていた。


「えっと……」


 急にあらわれた彼女に、奏太はどう返事をすればいいか分からなかった。


 ——大体だいじょうぶってなにが? 今の状況についていけてないの僕だけってこと?


 考えているうちに彼女は涙目になっていく。それを見て奏太はあわてて答えた。


「だいじょうぶ、だと思う」


 泣かないでくれよ、と思った。

 彼女が、奏太のおなかあたりに指をさす。


「でも、血が」

「え?」


 確認するために下をむく。

 そしてすぐに納得した。奏太の着ている白いパーカーには、赤い血のあとがあった。

 彼女はどうやらそれが僕から出たものだと思っているらしい。


「ちがうよ。これは——」


 説明しようとしたその瞬間、「ハハッ!」という鼻にかかる笑い声がした。

 声のほうを見ると、舞台上にネズミのキャラクターが立っていた。

 これからデスゲームが始まるとは、奏太も——もちろん彼女も、想像すらしていなかった。

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