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第8話

 図書館までの道のりは、ちょうど半分といったところ。危険を避けるため昼間だけ歩き続けて数日、本国から技術資料を収集してくるように言われた彼らはここまでやってきた。昼間は食料を確保しながら休み休み歩いて、夜は火守番を決めて廃墟の近くで眠り、日が昇れば再び歩き続ける。その生活を三日かけてやってきた折り返し地点となるこの場所。つい三日前までいた場所よりも南にあり、アーシャが住まいとしている家を通り過ぎたその先にある。

「ここ数日は良く晴れているわね」

「そうですね。雲がなくて心地よい晴れです」

 隣を歩くリリーは空を見上げながら言う。

 冬の空を象徴する重く厚い雲は燦々と照らす太陽に雪解けのように散らされ、少し高く伸びた雲が、まばらに空に浮いていた。景色のよい高台に上がれば、平原のいたるところに影を落としており、模様を作っていることもしばしばあった。

 この空を見て、誰も想像することはないだろう。遥か北東の地では、血で血を洗う様な殺し合いが行われていることを。今日の空は、そのことを微塵も語るつもりもない、突き抜けるような清々しい水色だった。

 前を歩く兵士たちがアーシャの家にあった古地図を頼りに、歩みを進めていく。草原を超え、森を超え、沼を超え、襲い掛かってくる野生動物はアーシャが俊敏な足を生かして毎食のメインディッシュにした。もちろん、包丁などの調理器具はあるはずもなく、アーシャの持つ鋭利な短剣で皮を剥ぎ、人数分に切り分けた。

 歩き始めて五日目の夜。森林の中にある少し開けた場所に布を敷き、鉄の棒を組み合わせて篝火台を組み立てて火を炊く。図書館への到着が明日に迫る中、兵士たちは作戦を練っていた。

「アーシャ様。図書館の中の構造は記憶にございませんか」

「ええと……。確か、正面玄関の両隣にも入り口があって、中央書庫は五階建て、地下書庫を含めれば六階建てになっていたはずよ」

「それぞれの階の構造を覚えてる範囲で構いませんのでお教えいただければ……」

 アーシャが水一滴にも満たないような僅かな記憶を頼りに、頭の中で図書館を歩き回る。それを言葉にして、それを聞いた兵士は白紙の紙におおよその見取り図と各階の構造を書き留めた。

 向かう図書館は敵国と国境を接しているわけではないが、古くからこの周辺一帯の知見が集まっていた場所のため、ルブエール共和国にも施設を知られている可能性が非常に高く、万が一敵が占拠していた時に備え、作戦を練る必要があった。

 兵士たちが篝火の明かりを頼りにしながら書かれた図を使って作戦を立てる中、ユラはいじけたように風で揺れる地面の草を見ていた。

「どうしたの」

「……使えない」

「え?」

 ぽつりとつぶやかれた断片的な言葉に、アーシャは隣に座って聞き返す。

「火、使っちゃダメなんでしょ。だったら私が来た意味なくない?」

「火……? 火?」

「そう。火。使えないんでしょ」

 アーシャは図書館と火を結び付けようと顎に手を当てて、頭を抱え込む。しかし、関連づくような情報は彼女の頭にはなかった。

 しびれを切らしたユラは、答えを口にする。

「戦闘で火が使えないんでしょって」

「ああ。そういうこと。……まぁ、貴重な資料があるもの、燃やすわけにはいかないわ」

「火がないと敵が燃えないよ」

「別に燃やして殺せって言われてるわけじゃないし……資料の収集に専念してくれたらいいから」

「……はいはい」

 アーシャは立ち上がってユラの傍を離れる。彼女は残念そうな顔をしながら篝火台で橙色に揺らぐ炎を見つめていた。

 カタン。コロン。篝火台の上で組んだ木が崩れる音がする。がさっと大きく崩れると、あたりには赤い星のようにも見える火の粉がふわりと飛び散って、夜空に消えていった。散りゆく火の粉を追いかけていたアーシャは、釣られて空を見上げる。

 夜空に煌めく星々は、東の空に浮かぶ黒い雲に、輝きに陰りを見せていた。

 野生動物による襲撃は何度かあったものの、人による襲撃はないまま翌朝を迎えた。夜中に燃え尽きた木々は、まだほんのりと赤みを帯びて、まだ燃えていない場所を少しずつ燃やしている。

 山の向こうの雲行きが怪しかったため、少し早めに拠点を撤収して、図書館へ向けて歩き始めた。

 道中は歩けば歩くほど森が深くなり、樹海となった。しかしある点から、風雨によって壊されたであろう小さな篝火台が等間隔で現れるようになり、雑草が生える隙間もないほどに丁寧に敷き詰められた石畳の道が彼女らを出迎えた。

 そしてそこからさらに歩くこと数時間、誰一人として欠けることなく目的地である図書館に到着した。

 手のひらよりも大きいサイズで、規則的に精密に加工された石が大量に組まれて一つの柱となり、その柱が集まって青銅色の重厚な屋根を支え、その柱の間を、壁が繋いでいた。壁にも同じ石材が使われており、木枠や他の石が使われている部分は風化していてもおかしくないようなこの環境で、建築当時にも等しいほどの威圧感と洗練された雰囲気を放っていた。

 他国でも例を見ないようなこの巨大な建築物は、かつて存在したレルカーリア国の繁栄とその技術力を彷彿とさせるものだった。

 来館者を迎えずとも拒まないような出入り口は、最初の大きな扉だけが出窓のように出っ張っており、大きな一軒家のように屋根がついている。利用されていたのはこの出入り口だけだったのか、左右にある出入り口は石が乱雑に積まれていて通るのは難しい。

「ここが図書館のようですね」

「そのようね。少しだけ見覚えがあるわ」

 引き連れた兵士が先回りして罠がないかどうかを調べた後、アーシャは扉の前に足を運ぶ。

 彼女が重厚な扉に手を触れたその時、彼女の手に水が滴った。

 空を見上げてみれば、灰色の雲が水色だったはずの空を覆い、あちこちに水を降らせて耳ざわりの良い音を立てていた。やがてそれは雨となり、そして石畳から跳ね返る小さな水滴が霧となり、この樹海と図書館の周辺を包み隠すように広がった。

 自身を守るかのように白霧を身に纏った図書館の扉を、アーシャは押し開ける。

 森が扉を開ける音を吸い、音は響かないが、図書館の中には、図書館に来訪者が来たことを本に知らせるようにこれでもかというほど反響した。その音の響き方の差にアーシャは不安げにいったん後ろを振り返り、後に兵士が続いていることを確認すると、腰の鞘に手を掛けながら、内廊下に足を踏み入れた。

 幅の広い内廊下に入ると、そこだけで一つの建物として完成されているような出来栄えだった。今でこそ光を失っているものの、床、壁面、天井に施された装飾は時代を超えて今もなお、剝がれ落ちることなく残っており、堆積した煤は、もはやその建物の味をより一層引き出すためのものになっていた。

 入ってまず目に入るのは、受付のような場所。バーカウンターのようなものが入口の両脇にあった柱と同じ幅まで伸びている。受付の机の上にも大量の本が積み上げられており、後ろに控える図書館の大きさを考えれば、これらの本は大海原の海水一滴に過ぎなかった。

 建物が堅牢な構造のため、扉を閉めてしまえば雨音も耳を澄ませなければ聞こえないほどになる。建物を包む白霧と微かに聞こえる雨音が、静かながらも不気味な雰囲気を漂わせていた。

 弱くも太陽光が斜めに差し込んでいるため、時刻は昼を少し過ぎたあたり。

 アーシャとリリーにユラ、そして引き連れた兵士は、早速作業に取り掛かった。

 膨大な蔵書の中から必要な文献を探し出すと途方もない時間がかかるため、ある程度場所を絞って文献を探すことになった。受付を片付けて、流れた時を体現するように積もった埃を散らす。

「ありました!」

 とある兵士が埃をかぶって受付の奥の部屋から、一枚の紙を持って飛び出してきた。身体の周りにオーラという名の埃を纏う兵士は、その紙をアーシャに渡す。

 その紙には細い直線が大量に引かれて、事細かに館内にある蔵書について書かれていた。一階のこの部分については、この本が。二階のこの部分には、この本がというように、ある程度の区分けがされており、役に立ちそうな本がありそうな部分に、それぞれ分かれて向かうことになった。

 警備と調査のために数人の兵士を受付周辺と巡回を担当させ、他の兵士とユラ、そしてリリーとアーシャの二つに分かれて少しずつこの図書館の全容解明と、参考文献の探索を行うことにした。ルーメイからは十二分なほどに調査期間を与えられている。

「さて、この図書館に来るのも随分と久々ね」

「何度かいらしたことがあるのですか?」

「小さいころはよくここに連れてこられていたわ」

 かつて存在したレルカーリア国唯一の貴族、リエイユ家。その家の長女であり一人娘として生まれたアーシャ。そんな彼女の親はこの図書館を積極的に利用し、彼女に徹底的に教養を叩きこんだ。例え幼き彼女が教えられることをどれほど嫌っても。もちろん教養はこの図書館の大きさを体現するかのように抜かりなく教え込まれ、才能と環境に恵まれていたアーシャは幼くして一般の人々の群を抜く知識と教養を手に入れた。

「素晴らしいご家庭にお生まれになったのですね」

「国の中でも唯一の貴族だもの。私が恥をかけば、国が恥をかくことになる。だから、抜け目が合ってはいけないの」

「なるほど……。国政に強く関与されていたのでしょうか?」

「それはわからないわ……私が親から家を引き継ぐ前に、国がなくなってしまったから」

 そんな裏話をしながら、身長の何倍にもなるような高さの本棚から一冊選び、内容に軽く目を通す。そんな作業を数十回数百回と続けた。

 たとえ昼間であっても、窓がどれほど透明であろうと、建物の中は暗かった。当時から書物が日に当たり劣化するのを防止するため、書架の並ぶ部屋の中は暗く保たれている。もう一枚壁を隔てた建物の中では、容器の中に入ったランタンを携帯して、足元と本棚を照らしながら書物を探すしか方法はなかった。時には移動できる階段のようなものを持ってきて高い場所にある本を取り、下にいるリリーに手渡す、なんてことも行われた。

 そうして日が暮れるまで参考になりそうな本を片っ端から探していく。気の遠くなるような作業ではあったが、現地で戦う兵士たちのことを想えば、このような作業など苦にもならない。そのような勢いで探していると、やがてすぐに日は暮れた。

 集めてきた本は受付にある棚に並べ、夜の間にユラが目を通して必要な文献かどうかを判別する。

 徹夜することに何の躊躇もないユラは、面倒くさそうな顔をしながらも、ものすごい速度で文献の仕分けを行った。

 日が昇って、廊下に微かな朝日が差し込み始めた頃、アーシャは横たわっていた床に手をついて起き上がり、あたりを見回す。昨日の不気味な雰囲気はそのままに、単に朝が来たことを、光が告げていた。指先でつまんだだけでほつれてしまうカーペット。踏みどころによっては音の鳴る床。埃や蜘蛛の巣がたまった手つかずの天井。それでいても、館内の温度差はわずかであり住むには思いの外、快適な環境だった。

「ユラ……朝よ」

「えぇ……。いいじゃん……。昨日一夜にして百冊以上を読んだ私にそんな酷いこと言わないで」

「酷いも何も、明るいのは分かっているでしょう?」

「そうだけど……!」

 ユラは朝を受け入れようとせず、面倒見をリリーに任せて、朝食を調理している兵士たちの元へ、リリーとユラの分の朝食を受け取りに向かった。

 朝食を口に詰め込んでからは、再び本探しが始まる。昨日集めた本は確かに必要とする技術が記載されていたが、それに至るまでの基礎的な技術についての知見が不足しているとユラが寝言をつぶやいていたとのリリーの言葉があり、今日はより基本的なものを探すことになった。

 ユラは昼過ぎに起床し、当時最先端とされていた技術について書かれている読む気の失せそうな本を書架から取り出し、夜になるまでそれに読みふけっていた。

 そしてまた夜がやってくると、ユラは本をふるいにかける。

 寝ずに警備と探索を続ける兵士が図書館の中を歩き回り、大きな用紙を広げて新たに書き込んでいく。そして朝が来る頃には、その地図が一部分だけ埋められていた。

 アーシャはその地図を参考にして、まだ何も書かれていない空白の部分の探索に日が昇り始める少し前から出かけた。三分の一しか埋まっていない地図を埋めるには、途方もない時間がかかることは見るまでもなく明らか。物音を立てないようにアーシャは寝床を後にして、小さなころの記憶を頼りに、更に図書館の奥へと足を踏み入れた。

 踏み入れたのは、分厚い壁と扉を二枚隔てた先にある、正面から見て建物の右半分の場所。アーシャや関係者が眠っている場所が中央の受付の前で、そこから廊下がその右半分の入り口まで続いている。その先の廊下の終端に一枚扉があり、それを開けて廊下から建物に入る際にも、大きく重い扉があった。

 内部構造はほぼほぼ同じであるように見えて、全くそのようなことはない。入り口に掲げられた「東館」という看板。

 この建物は一度に建築されたわけではなく、三度、厳密には四度にわたって建設が行われた。一期目には中央書庫と地下書庫が完成し、二期目で東館が、三期目で西館が、四期目で東館と西館をつなぐ連絡書庫が完成した。国内外の文献を保存する役割を担っていたこともあり、蔵書数は年々増大し、それに伴って建物も巨大化した。

「迷宮、と言われるのも、これだけ広ければ無理もないわね」

 中央書庫とはまた違ったデザインの本棚の縁を撫でて、埃を払う。最初に竣工した中央書庫よりもきめの細かい木材で作られた書架が、この部屋に眠るすべての蔵書、そして文化を守り、育ててきた。

 アーシャは手に持ったペンと紙で各列、各棚にある本を分類し、小さな紙に小さな文字で書きとめる。

 日の当たらない書庫の中を一通り歩き回って外廊下に出ると、眩い昼の日差しが彼女の瞳に突き刺さる。反射的に手を持ってきて影を作り、アーシャは指の隙間から煌々と輝き、差し込む太陽を覗いた。

「昨日とは打って変わって、今日は晴れのようね」

 地面からは一段高いところにある外廊下からは、ほぼ同じ高さに地面、その先には木々の生い茂る樹海が視界を埋める。

 木々がそれぞれの屋根を作る中、その隙間から影の中に光が落とされ、零れ落ちた陽光のある所には、一輪の花が芽吹いていた。

 アーシャは窓から見える狭くも奥深い景色を見ながら、ほっとひとつ息を落とした。


「……寝ていたかしら……。いや、そんなことはないはず。図書館の東側を探索してその後……」

 そうして小さな声で自問自答しながら、直前までの自身の記憶を探る。ある程度自問自答に結論がつけられたところで、身をよじってみる。すると、腰の鞘に入った短剣が床とこすれて、金属音を立てた。

しかし、感覚を通して伝わってきたのは、手首のあたり、もっと詳しく言うとするなら、背中から聞こえる縄の軋む音。そして頭を動かすと、髪と布が擦れる音が耳を包む。

足先も自由に動かすことができない。

「そこに、誰かいるのでしょう……?」

 自分の置かれている状況からどこからともなく人の気配を感じ取ったアーシャは、誰もいないはずの空間に、人の所在を問うた。

 その質問に対して、返されたのは、沈黙。誰もおらず、何もない。ただ空気が沈み、話してはいけないことがあるかのように周囲の空気は黙っていた。そう思って、アーシャがため息をついたその時。

 彼女の耳に、ある一つの音が飛び込む。

 その音は、何かを打ち付けて響く音で、とても自然に発生した音とは考えにくいほどには調律され、聞き心地の良い音だった。一音、そして二音。やがて集まり始めた音は互いに互いの音を惹き立てあうように一つのメロディーとなり、アーシャに情報を与える。何かを考察するには情報量が不足していたが、アーシャは取り乱すことなくその音に聞き入っていた。

 軽やかに、滑らかに、そして美しく。数分にわたり奏でられ続けたその音は、星の輝きのように輝きを伴った高い音で締めくくられ、最後の一音が余韻を引き連れ、この部屋の中に留まる。

 演奏者が椅子から立ち上がり、椅子を引きずる音が堅く響く。石を削るようなその堅い音は、大きな石の扉を開けた時のような音だった。

「どうだい? 私の演奏は」

 聞き覚えのない女性の声が、石室に響く。煙の香りを身に纏い近づいてきたその女性は、壁にもたれて暗闇を見続ける彼女の前にしゃがみ込み、こう囁く。

「とてもよかったとは、思わないかね?」

 アーシャが沈黙を貫いていると、その演奏者はアーシャの足を蹴った。

 コツン、と堅い革靴がぶつかり合う音が響く。

「拘束を解いてくれたら、ね」

 アーシャがそう言うと、演奏者は無言でアーシャの目隠しを外し、手足の拘束を解いた。固く結ばれ、時間が経てば癒着しそうなほど密着していた彼女の両手は、綱の模様を示すように赤みを帯びていた。

 拘束が外されると、アーシャは演奏者のことを見上げることもなく立ち上がり、先ほどまで音が奏でられていた方向に目を向けた。依然として暗闇が立ち込めており、足元を見ることはおろか、手先さえも見えないほどの暗さだった。

「石鉱打楽器。我が国にしかないもの、もっと言えば、作ってから動かされていないものよ。音は荒いけれど、共鳴を操るように演奏する、あなたのような人は初めて見たわ。私も最初は音を鳴らすのに苦戦していたのを、思い出す。……ここは長らく手付かずだったはずよ。どこで学んだの?」

 この石鉱打楽器と呼ばれるものは、振動の伝わり方の違う鉱石を並べ、それを同じ鉱石で叩くことによって音を鳴らす楽器。非常に精巧な作りをしており、演奏された時々によって音色が異なることが最大の特徴だ。

 アーシャは平然を装ってそう聞くと、演奏者はかっこつけたように答える。

「ここで学んだに決まっているだろう? 世界に一つしかない楽器を、ここ以外のどこで学ぶというのか?」

 諭すような口調で演奏者は言う。そして、さもその演奏者がここにいるのが当たり前かのように。

「ずっと前から……いたのね」

「そりゃぁもちろん。こんな技術書の宝庫、目を付けないはずがない。焼かなかったのは感謝してほしい所だ」

 演奏者はマッチを擦って火をおこす。

 アーシャは暗闇に浮かぶその明かりの行く先をまじまじと追いかけ、その明かりで照らされた先を見やる。音を立てないように鞘に手をかけ、火の明かりによって浮かび上がる演奏者のシルエットを見定めていた。

「明るくなったな」

 マッチの行く先はランタンの中で、小さな硝子の窓からは眩い光が放たれる。ランタンのフックを天井から吊り下げられたもう一方のフックに引っ掛けると、ランタンは部屋の中に大きな影を作りながら中を照らした。

 アーシャの右前には、石鉱打楽器。その奥には乱雑に本が積み上げられて山が形成されている。左前には、木製の書架がいくつか並び、本がぎっしりと詰まっている。天井も、壁も床も石で造られており、窓がなかった。

 そして、演奏者が経っている後ろには、朽ちた木のテーブルにどこからか持ってきたであろう椅子、そして栞の挟まった厚い本が置かれていた。

 アーシャが一通り周囲を見回し終わるのを待って、演奏者は口を開く。

「今頃、貴様の同盟国は戦火に焼かれていることだろうな」

 その状況を楽しむような邪悪な笑顔を浮かべながら、コツコツと音を鳴らして歩き、机の上に置かれている本に触れる。

「それは……」

「分からないか? 貴様の同盟国はすでに窮地に立たされているのだと言っている」

「…………」

 最後に戦況の情報を知ったのは数日前。演奏者はさらに付け加えて具体的な都市の名前を述べた。挙がったのは地図上で国の中央に位置する小さな都市の名前。前回伝えられた際に見た前線と、その年の距離を考えれば、昼夜休まず走り続けても厳しい距離だった。

 伝えられる情報の信ぴょう性も定かではなく、アーシャは反応に困りながらも演奏者の意思を抜き取るような黒々とした瞳に双眸を向けていた。

「まぁ、驚くのも無理はない。私でも驚いているほどだ。……だがこれは事実だ。一国の長は、この事実から目を背けるようなことはしないだろう? アルトゥーシャ・イロハ・リエイユ」

「……そうね。決して同盟を解消したり、目を背けるようなことは誓ってしないわ。与えられた任務、与えられた使命を全うするだけよ」

 アーシャは揺るぎない自信と信頼の下に、そう言い放った。

「君は生真面目で、優しくて、誠実で、強い人間だな」

 ふん、と先ほど並べた性格を表す言葉たちを軽々しく一蹴するように鼻で笑う。暫し床を見つめた後、急に上を向いた。

「おっと、自己紹介を忘れていた。ルブエール共和国軍の第二師団所属、第二十七連隊長、サンタリア・イル・マーレだ。イルとでも呼んでくれ」

「私はご存知の通り、アルトゥーシャ・イロハ・リエイユよ。……それで、何の用事なの? 私に時間はないのだけど」

 しばらくの沈黙の後、アーシャは本題に足を踏み込む。

 仮にも目の前にいるのは敵軍の将校。そして相対するアーシャは仮にも一国のトップ。何も起きないはずがなかった。敵からすればアーシャを殺害することのできる絶好のチャンス。アーシャは短剣の入った鞘に手を掛けながら、話を聞いていた。

「そうだなぁ。用事と言ったらいろいろあるが、単刀直入に言おう」

 短く息を吸うと、イルは短くこう言い切った。

「君を殺しに来た」

 イルは本の山に突き刺さっていた自らの所有物であろう剣を抜き取る。支えが亡くなった山はどさりと音を立てて崩れ落ち、周囲一帯には塵が舞う。身長に比して長いその剣は、アーシャの持つツヴァイヘンダーにも匹敵するものがあった。

 イルは長い剣を持つ手にもう片方の手を添え、持ち上げる。一歩一歩とイルが間合いを詰めようとする度、アーシャは一歩一歩と後ずさりした。

 そして、履いた革靴の踵がコツンと壁に当たる。

「さぁ、どうする? いや、どうしてほしい?」

 はははと高らかに笑い声をあげながら、湧き出る黒い感情と共に口角を上げるイル。ランタンが照らして作り出す彼女の影は、殺意に満ち溢れ、今にもアーシャを包み込もうとしていた。

 アーシャがこれ以上下がれずに壁に張り付くように立ち止まると、イルも立ち止まった。

 イルはそのまま剣を持ち上げ、剣先でアーシャを指すように持つ。

 手でも剣でも抗ってみろ。そう言いたげな顔だった。

 無言の殺意を放つその剣一本程の間合いが二人の間に保たれていたが、アーシャの持つ短剣では到底勝てそうになかった。

 これ以上後ろにも下がれず、左右に動こうにも左には書架、右には壁。十分な場所がなく、ランタンの明かりが足りずに足元はぼんやりとしか見ることができないため、瞬発力を生かした移動もできそうにない。

 壁と身体の間にわずかに残った隙間を埋めるようにアーシャが半歩下がると、背中と壁が密着せずに間に何か挟まるような感覚を彼女は覚えた。

 横目に背中を見ると、肩のあたりから棒状のものが飛び出していた。

 アーシャはそれに気を取られていた視線をすぐに目の前のイルに戻しながら、背中の鞘に身を潜めていたツヴァイヘンダーの持ち手に手をかける。

「ふん。やっと気づいたか。不利すぎる条件で決闘を申し込むわけがないだろう」

「対等な戦いをする精神は、残っていたのね」

「精神『も』だ」

「……そう」

 イルはそのことに気づかせるために追い詰めたかのように、詰めた間合いを少しずつ取り始め、書架の並ぶ角とは反対の角に誘導した。

 ランタンの近くを通り過ぎる時に明暗をつけて浮かんだイルの顔は鋭い目鼻立ちで、確かな揺るぎない目線でアーシャを見つめていた。片方の口角を苦笑いするように上げて白い歯をちらつかせ、反応を伺う。

 それに呼応するようにアーシャが持ち手を強く握った頃には、イルの顔は陰に覆い隠され、表情が読めなくなっていた。

 剣に手を掛けながら誘導されたその場所はツヴァイヘンダーが十分振るえるくらいに広い。足元は石畳のため凹凸があるが、それでも場所が広くなった分アーシャのリーチは広がった。

 そんな場所に二人。間にツヴァイヘンダーと同じくらいの間合いを取り、どっちが先に手を出すかを伺っていたその時。

「そういえば君には、連れがいたな」

「ええ」

 アーシャはたじろぐこともなく答える。

「どうしているかな?」

 嘲笑的に笑い、挑発的な表情を作りながらそう話すイル。

「おそらく、私を探しているでしょうね」

「そうか。なら、見つかる前に事を終わらせないとな」

 イルが剣先を地面に二回コンコンと打ち付ける。それの反発を利用して重厚感のある剣を持ち上げ、息を吐きながら目を閉じ、先をアーシャの首元に向けた。そして、目を開く。

 アーシャはその目線をグッとつかむように睨み返し、手に持った短剣を、イルに向ける。

 沈黙という何の刺激もない純粋な空気を通して、相手の心を読むことのできる時間。互いに相手の一挙手一投足を探り、相手の一手を待っていた。

 先に動いたのは、イルだった。

 手と腕に力を入れて、ほぼゼロ距離から首元に向けて剣を振るおうとする。アーシャは軽く取り回しの良い短剣で素早く剣に力を伝え、自らの首元の近くで向かってくる剣を振り払った。

 その重量にバランスを崩した隙をついて、大きく一歩を踏み出して、短剣の先をイルの首元まで伸ばして切り裂こうとしたその刹那。

 立て直したイルが剣を横に薙ぎ、横腹に叩き付けるように剣がアーシャの体に大きな衝撃を与える。

「っぐ……」

 軽々とアーシャの身体は吹き飛ばされ、数メートル横にあった壁に体、そして頭を強く打ち付ける。二度衝撃を受けたアーシャは視界が揺らぎ、自らが持っていたはずの短剣も気づけば遠くに吹き飛ばされていた。

 とどめを刺そうと言わんばかりにイルはアーシャの持っていた短剣を床から拾い上げ、立ち上がれないアーシャに一歩一歩と歩み寄る。靄のかかった視界の中、アーシャは生暖かい血の滴る頭を手で支えながら、生き残る術を探した。

 あと二歩、三歩ほど近づけば確実に命はない。そんな状況で、アーシャが見まわした視界の隅に、鏡のように鮮明にランタンの光を反射している細長いものがあった。

 残った右目で見つけたその輝きにその瞳は輝きを同じくして、手負いのアーシャにゆっくり手を伸ばさせる。

 あと一歩、そしてもう一歩踏み出して、イルが剣を首元に向けて振りかざそうとしたその時。

 アーシャは不安定な形の床を利用して、引きずりながら手元に手繰り寄せていた剣の先端を床の段差に突き立て、自らを守る盾とした。

 イルの振りかざしたアーシャの短剣は鋭い金属音を立ててツヴァイヘンダーとぶつかる。

「チッ……」

 アーシャを蔑むような目をしながら小さく舌打ちをすると、イルは短剣をその場に投げ捨てて距離を置いた。

アーシャは体をよじって赤く染まった左手で短剣を拾い上げ、ツヴァイヘンダーを支えにしながら自らの身体を持ち上げる。

「ふん。これだけでそんなに動けなくなるもんか? 頭から血を流して、みっともない姿だ」

 ツヴァイヘンダーを支えにして立つアーシャに対して、舐めた態度を取るイル。アーシャは焦点の合わない瞳をしたまま、その後も数々の罵声を浴びせられた。その間にも、白いワンピースはぽつりぽつりと赤く染まっていった。

 アーシャは深く息を吸い、目の焦点を目の前の人物に合わせる。視界を上から下に赤黒い液体が通過していく中、アーシャは痛みに顔を歪めながら口を開いた。

「それと同じ言葉を……前線の兵士たちに……かけられるとでも?」

「はっ。面白い話だ。そんなわけないだろう。これは君にだけ送る、『特別』な言葉――」

 話をする途中によそ見と手振りをしたその隙を狙ってアーシャは、一歩、二歩、三歩、四歩と地面を蹴って勢いをつける。そしてイルが駆け寄るアーシャを捉え、剣を振ったその瞬間に足に力を入れて止まり、余った勢いを剣に乗せ、身を強く引いた。

 ランタンの優しい明かりを乗せながらツヴァイヘンダーが綺麗な弧を描き、アーシャはイルの攻撃をかわす。

 その風で顔を滴る血は飛沫となってアーシャの後ろに飛び、ツヴァイヘンダーは見事にイルの横腹を叩いた。

 しかし、鎧とまでは言わずとも装備を身に着け、アーシャより体格の良いイルは、それだけで吹き飛ぶことはなく、強い衝撃を与えるにとどまった。

 硬い鎧を身につけていれば衝撃で脳震盪を起こすほどに衝撃を与えられるものの、革と薄い鉄板を組み合わせた防具は衝撃を吸収し、アーシャの思うような効果を出すことはできない。では槍のように使って刺突攻撃をしようかとアーシャは戦いながら試行錯誤したが、革が柔軟なため貫通できるほどの力を与えることはできなかった。

 時間経過とともに削られる体力と、その一方で増える傷。

 怪我を負う前のアーシャなら確実に最後の一撃を加えられたような隙の大きい場面でも攻撃に出るほどの力はなく、体格、体力ともに劣る彼女が防戦一方になるのも時間の問題だった。技量こそあれど、戦いは物量と力によって制される。アーシャはそれを理解していながらも、懸命に剣を振り回す。

 頻繁に金属音と稀に混ざる人体の内臓を握りつぶすような鈍い音。出入り口の方向すらわからないこの石棺で、勝者のいない戦いが繰り広げられていた。

 そして何度目か剣を振った際に、イルが敢えて剣を途中で手放し、アーシャの方向に剣を飛ばした。手放された剣は槍となってアーシャの首元をかすめ、鋭利な刃は陶器のように白くきめ細かな皮膚を切り裂く。

 アーシャが力なく握りしめていたツヴァイヘンダーは、その痛みに気を取られ、力なく地面に落ちる。

 声を出せずにいるアーシャは首元を抑え、地面にうずくまった。

「はぁ……ああ……くっそ。こんなにしぶといなんて聞いてないぞ……」

 イルは赤く塗れた剣を再び持ち上げ、地面にうずくまるアーシャを見下す。

 石畳の隙間に沿って血が溢れ、首元からワンピースは次第に赤く染まり、飛沫が飛散してできた赤い小さな点をつなぐように染みを広げていった。

「……何とか言ってみろよ」

「うっ……かはっ」

 声を出そうとするものの、息が詰まり、痛みをこらえることを本能的に優先している。とても何かが話せた状況ではなかった。白い肌は次第に青ざめ、血色を失ってゆく。

 その時。

 出入り口の見当たらなかったはずの部屋が明るく揺らめく光源によって照らされ、激しい轟音が地下室を揺らす。その光源の先には何があるかはわからないが、自然によってもたらされる光源でないことは明らかだった。

 傷口を抑える手の力も次第に抜け、アーシャの瞳は焦点を失いうつろになり始める。横目で明るい光に照らされているであろうイルを見ることも叶わず、アーシャの意識は深い深淵に引きずり込まれるようにして途切れた。


「どうか目を覚まして頂けないでしょうか……」

「これ以上この薬をあげるのはなぁ……」

 リリーはアーシャの手を握り、ベッドに力なく横たわるアーシャに目線を送る。首元は深く抉れており、覆っている布を取り除けば、人体の内部を観察することができた。

 アーシャが意識を取り戻すことを切に願うリリーの隣で、ユラは手に持った薬品を見ながら頭を抱えていた。

 現地で調合できる薬は限られており、これ以上の治療には新たな薬品を必要とするため専用の設備が必要であり、自然に治癒するのを助けることしかできない。そんな状況下で数日、リリーはアーシャの傍で寝泊まりしていた。

 意識を取り戻さなければ栄養の摂取ができず、やがては衰弱し、飢えるか病に侵されて死に至る。それを防ぐためにも、一刻も早く意識を取り戻してもらう必要があった。

 ユラはあの一件のあった後に書庫の中の必要な場所にある文献はほぼ全て調べつくし、現地で調合できる薬は少し足を伸ばして材料を現地で採集したりするなど、尽くせる手はほぼ尽くした。この不安定な状態のまま自宅に戻すことはできないため、脈の触れる間はここで様子を見ようと、集めた文献は兵士に持ち帰らせ、ユラとリリーだけがこの書庫に残った。

 こう見えても盟友の長であるため、死亡したという事実が広まることは、盟友を守り切れなかったとして後世に恥として語り継がれてしまう。そのような政治的な理由も相まって、二人は彼女の傍で見守る決断をした。

「……薬草もなかなかに美味しいね」

「香りづけには丁度良いと訓練の時に教わりましたので」

「さすが、エリート部隊」

「ありがとうございます」

 リリーは建物の外にいた動物を適当に狩って解体し、篝火台にあった火を借りて新しく火をおこし、昼食とした。その際に、建物の傍に自生していた薬草も併せて焼くことで、独特の臭みを打ち消し、下手な肉料理よりも美味しく出来上がった。

 軍隊における食事の美味しさというのは士気を維持するためにも重要な要素で、快楽を求めてきた文化的背景から、軍で提供される食料には良い味付けがされている。

「そういえば、資料の方は――」

 リリーが資料の収集状況について聞こうとすると、図書館と外を隔てる扉の開く音がした。先の一件があってからリリーが素早くナイフを取り出して構えると、そこには半身が赤黒く染まったワンピース姿のアーシャが扉につかまって立っている。

 半開きの瞳の中からも薄らと光を感じることができ、刺激的な薬草の香りにつられて自ら歩いてきたようだった。一時は水気を感じなかった瞳も、透き通るように潤い、金網の上に乗せられている肉を映している。

「あ、アーシャ様!」

「お。お嬢様のお目覚めだ」

 小ぶりな骨付き肉にかぶりついていたリリーは、皿代わりの大きな葉の上に肉を戻し、アーシャの元に駆け寄る。

「お元気……ではないと思いますが、体調はいかがですか?」

「節々は痛むけど……生きているようね」

 四肢が残っていることを不思議そうに見つめ、自らの手足を触って、手を握ったり開いたりする。強い打撲の痕や、動かす際に少々顔を歪めることもあったが、基本的な生活動作には問題がないようだった。

 ほぼ不自由なく体を動かすことのできるアーシャのその姿を見て、ユラは遠くから自信ありげな目を向けていた。

「お水はあるかしら……それと、軽く何か食べておきたいわね」

「すぐにご用意いたします!」

 リリーはアーシャを簡易的な木組みの椅子の上に座らせ、残っていた具材で、調理に取り掛かる。残っていた骨付きの肉から骨を取り除き、その中に例の薬草と食べることのできる野草を詰めて、葉に包み、火にかけた。

 そうして出来上がった手のひらサイズ程の野菜詰めの肉は、肉の焼けた刺激的な香りと、薬草の目を覚まさせるような爽快感のある香りが混ざり、アーシャの瞳にはとても魅力的に映った。

 リリーから葉の上にのせられた軽食を受け取り、挟むようにして手で持つ。

「さて、私がなぜ生きているのかを聞かせてもらおうかしら?」

 そう言うと、アーシャはその肉に小さくかぶりついた。


 アーシャが見当たらないことを知ったのは、日が昇ってリリーが起床した直後のこと。その件を眠っているユラや兵士たちにも伝えて、一通り探してみたものの見つからず、まだ行ったことのない場所に行っているのではないかという説が濃厚になった。

 その時点でまだ手を付けていなかったのは、東側書庫の端。それ以外はおおざっぱではあるもののほぼすべて踏破していた。

 この点に目を付けた一行は、今まで通り文献を探す班とアーシャの所在を探る班の二手に分かれて捜索を始めた。

 その日のうちに、東側書庫の隅の通路の先に崩落している場所があるのが見つかり、その突破方法を考えるためにその日の捜索はその時点で中断された。地面を支えていた石がすべて崩落しており、堅牢な構造をしているため一つの石が非常に重く、簡単には通れそうになかった。

 そこでユラは、その構造物の性質調査に一夜をかけて乗り出した。

 手前に転がっていた破片からその構造物の特徴を見出し、当たり前だが重く頑丈な素材であることが分かった。この破片自体も非常に高い硬度であり、並大抵の方法で割ることはほぼ不可能に近い。人為的に崩落を起こさなければこの崩落度合いは考えられないというほどに。

 そこでユラがとった手法が、爆発である。

 破片が重いのであれば、爆発を起こしたところで周囲に大きな損害は出ないと考え、崩落した構造物の隙間をさらに崩すように爆発させることで、辛うじて人一人が通ることができるくらいの空間を天井近くに確保できると予測した。

 幸いなことに、図書館の中には資料とともに現物が保存されており、ユラはその現物を取り出して、慣れた手つきで爆発物を完成させた。

「本当に大丈夫なんでしょうか……それ」

 リリーが心配そうな目つきで見つめる先には、図書館の中にあった木彫りの箱の中に詰められた大量の爆発物。素材自体が不安定なため、常にちりちりと火花を散らしている。一見して火花から木箱が燃えてしまいそうであるが、ユラは何食わぬ顔でそれを持ち運び、瓦礫の前に置いた。

「なんとかなるって」

「私たちごと巻き込まれたりしないですよね……?」

「まさか。まぁ見てなよ」

 ユラはリリーを下がらせて、ポケットから鋭い投げナイフのようなものを取り出す。そして、木箱の中に投げ入れた。

 そのナイフのようなものが爆発物に突き刺さった瞬間、何かを吹き出すような薄い音を立てた後、鋭い閃光と轟音を響かせて崩れた構造物をさらに崩した。その衝撃は建物中を反響し、建物の中には不気味な残響が残っていた。

 砂埃が少し落ち着き、ふさがれたその先が微かに覗ける。案の定瓦礫の先は暗かったが、僅かながら光が漏れている箇所があった。

「アーシャ様……?」

 リリーは名前を呼び、瓦礫を避けながら、通路のその先へと進んでいく。

 近接戦闘用のナイフを構えながら、光が漏れている場所へと足を進めた。

 その場所は普段は閉ざされている場所のようで、人がいた痕跡は全くと言っていいほどない。加えて、石の目がより細かくなっており、他の場所よりもより頑丈に作られているようだった。

 ユラが瓦礫をもう少し片付けて十分なスペースを確保すると、先に向かったリリーの後に続いた。しかし、リリーは壁に張り付くようにして小さな隙間を覗いており、まるで見えないものに動きを止められているかのようだった。

 ユラが様子を伺うように近づくと、リリーは口の前に人差し指を立て、ジェスチャーで話すように隙間のその先を指さした。

 その隙間の先には、眩い光源があり、立った人が一人、床に伏せている人が一人確認できる。そして瞬時に、着用しているワンピースからその人がアーシャであることが分かった。

「どうしましょうか……」

 ユラの肩に手をかけて、肩越しに隙間を同じく覗くリリーは、耳元で囁いた。

 傍に立つ人はアーシャの身体を足で小突いてみたり、傷のついた場所を眺めたりしている。そしてなにやら、西方で話されている言葉を話しているようだった。しかし、リリーは身体つきを見極める。

「あれは……東側の人間、女性ですね。鋭い瞳の形、筋肉質で骨格がいいのは東側の人間ならではの特徴です。最も、軍服が東側のものです」

「そんなことまでわかるんだ? それじゃぁ……」

 淡々と立っている人物の特徴からその確実性を高めていくリリーの傍で、何やら手元で着々と準備を進めるユラ。先程、瓦礫を片付けるのに用いた爆薬を再び手に握り、様子を伺う。

「どうしましょう――」

「あらよっと」

 リリーが一旦隙間から目を離し、今後の策を練ろうとしたその瞬間に、ユラは手元に握っていたものを室内に投げ入れ、すぐに隙間とは反対側を向いた。投げ入れたものは粘性のあるものに包まれており、床に落ちても音が鳴らなかった。

「目をふさいで、口を開けて、耳をふさいで」

「えっ、ええ?」

 リリーは困惑しながら言われたとおりに行動する。

「なんだ、そこに誰か――」

 立っている女性が中から声を響かせてこちらの方を向いたであろうその時。

 投げ入れた者は目が火傷するのではないかというほどの強い光を放ち、同時に鼓膜が破れるような高く強い音を立てて爆発した。

 ユラはポンとリリーの肩を叩き、隙間、その扉をこじ開けて中へ入る。この数秒でユラの計画を知った彼女は、片手にナイフを数本、もう片手には布を携えてユラに続いた。

 ユラは部屋に入るなり短剣を取り出して強く握り、爆音とともに現れた煙の壁を破るようにして彼女の眼前に現れて首元を掴み、短剣の先をあてがった。アーシャの手当てを行うリリーには、顎をくいと上げて彼女ごと連れ出すように指示を出す。

 そして、再び目を合わせた。

「どうも」

「…………」

「挨拶は基本でしょ。私はユラ。なんか言ってよ」

 手の力を一層強めながら、アーシャを蹴った張本人に問いかける。

「イル。とでも呼んでくれ。……手を放してくれないか」

 少し血の気の引いていた顔に、すうっと血の色が戻る。ユラが首から手を離すと、イルは地に足をつけて、乱れた服を払って整えた。

「もう助からないだろう」

「いいや、絶対に助ける。我が国の医学と彼女の技術を下に見てもらっては困るなあ」

「ほほう? 火砲の一門も作れないような貴様らにあの痛手を負った少女を助けることができるというのか?」

「数に任せて傷のついた兵士を治療しないあんたらに言われたかないね」

 イルはユラを見下し、ユラはイルを見上げる。互いに剣を手に握りながら言い合う。

「戦いは数と火力が正義だ。この犠牲も、我々が勝利を掴んだ日には無駄ではなかったと言えるだろう」

「もし負けたら?」

「ありえないな」

「ふうん」

 ユラは服の内側からもう一つ手のひらサイズの玉を取り出し、手元で遊び始めた。その玉は黒くて丸く、ランタンの灯を柔らかに反射し、敷かれたレールの上を走るように安定的に転がり続けている。

「……私はね。有り得ない。不可能。っていうのは絶対にないと考えてる」

「何をやっても超えられない壁は――」

「だから今から超えるよ。その壁をね」

 ユラはそう言い放つと、ランタンを手に取り、蠟燭の根元を掴んで籠から取り出すと、手元に遊んでいた玉に近づけた。

 火が明確な境界を持たずに揺らぐ中、先端がその玉に触れた瞬間。

 その玉は溶け始め、液体を垂らし始めた。ユラはその液体に動じることもなく二人の間に玉ごと床に落とす。玉だった跡形もなく液体となって溶けきると、液体の広がった箇所からは勢いよく火の手が上がった。

「離せ!」

 イルは靴の先から次第に服に火の手が回り始め、熱せられた焼き鏝を当てられたような苦痛から逃げようとする。

 しかし、ユラは一時たりともその手を緩めようとしないどころか、自身の足元にも及んでいたその火には全く動じることがなかった。

「さぁ。燃え尽きるまでの間に遺言を」

「くそっ! こんなはずでは……!」

 やがて服が焼き切れると、火は姿を現した皮膚に手を伸ばす。

 ユラはイルが苦しくないように首を持ち、彼女を取り巻く炎をわが子のようにいとおしい目で見つめていた。

 イルの足のほぼすべてを火が覆った頃、彼女は苦痛から逃げるようにして意識を落とした。彼女の瞳に動きがなくなったことを確認したユラは、自身が羽織っていた布をかぶせて火を消し、彼女の傷の状態を確認する。

 赤黒く焼け爛れた皮膚は、液体をぽたぽたと垂らしており、血と溶けた皮膚が混ざり合った粘性の高い液体が、石畳の上にとどまった。

 ユラはポケットから異なる容器に入った三種類の薬を取り出し、一つは焼け爛れた箇所に、残りの二つは口の中に滴下した。

 腕を引っ張って動かないイルを背中に背負うと、部屋を出て瓦礫の山を登り、リリーがアーシャを連れて行った部屋の隣にある部屋の書架に背をもたれさせる。傍に水と乾いた食料を置く。音を立てて息をするイルは、ユラが扉に鍵をかけてその部屋を去った後も、静かな書庫の中で眠り続けた。

「調子よさそう?」

「出血の量は減りましたが完全な止血が難しく……」

「変わろう」

「はい」

 リリーの白と黒のメイド服は血に濡れ、エプロンの部分には滴った血がじわりと染みを広げていた。

 ユラはリリーと場所を変わると、首元に布をあてがって一通り血を染み込ませてから布を離した。傷口は深く、すでに多量の出血があったためか出血箇所は判然としない。そんな中でも彼女は可能な限りの手を尽くし、凝固しかけた血の方向と場所から出血箇所を突き止め、リリーが用意していた薬草をすりつぶして固めたものをその場所に押し込んだ。

 そして過去にあったように傷口の修復を促す薬品を滴下し、薬品を染み込ませた布をさらに上からかぶせる。そして上体を起こして安静にさせることにより、ほぼ出血は止まった。

「大事に至らなくてよかった」

 柔らかな椅子に身体を預けているアーシャを見ながら言う。意識を失ってはいるが自発呼吸はできており、残された問題はいつ目を覚ますかということだけになった。

「背負っている時もとめどなく血が出てきたものですから、一時はどうなることかと……」

「この応急処置は軍医でも難しい。よくやってくれた」

「ありがとうございます」

 二人は後に、そのことを同伴していた兵士たちに伝え、ユラは先に本国に文献を持ち帰るように指示をした。

 やがてその日の夕方になり、文献を手にした兵士たちは帰路をたどり始め、一日も早い戦況の改善を願いながら、リリーとユラは手を振って見送った。


「……そんなことがあったのね」

「大変だったよー。まったくもう」

 ユラは柔らかな日差しに溶けるように、芯のない声でそう言う。

「その言い草を聞くと、ユラからすればそうでもなかったようね。……とにもかくにも、お礼をしなくちゃね」

「私たちのことは、お気遣いなく」

 エプロンに残る血痕を上品に手で覆い隠しながら、リリーはそう言う。

「……先に、戦争を終わらせないとね」


 昼食を食べ終わった後、もう二日待ってから戻ることに決め、それまではアーシャは休養に、ユラは実験に、リリーはアーシャの支えとなり、出発前と変わらない生活を短い間、ここですることになった。

 その日の夜、アーシャがリリーと共に図書館の外の空気を吸おうと、青白い夜空に覆われた外に出てくると、遠くに月光ではない何かしらの輝きをリリーが見つけた。

 その輝きは橙色で、木々の葉の隙間から差し込んでくる。やがてその輝きが木陰から出てくると、人が掲げる大きな松明であることがわかった。

「……誰でしょうか」

「戻ってきたのかしら。とりあえず出迎えてみましょう」

「そうですね」

 アーシャは足早にツヴァイヘンダーを取りに戻り、リリーはその場で投げナイフを構える。だんだんとその松明に照らされた人々が近づいてくると、重厚な鉄の鎧を全身に被ったゲルテハルト国の兵士でも、東側の兵士でもない装いであることが分かった。

「……あれは、リーリエ王国の兵士のようね」

「何の用事があって……」

 松明を掲げていた兵士が足を止め、松明の少し下あたりで白い旗を振る。松明に照らされて橙色をしていたが、それが白い旗であることは明らかだ。

「敵意はないようね。行きましょう」

「はい」

 アーシャとリリーもそれに呼応するように武器をその場に置き、松明を掲げる兵士たちの下へと向かう。段々と明瞭になる彼らの容姿を確認すると、アーシャの予測通り、リーリエ王国の兵士だった。

「夜分遅くにもかかわらずお出迎えいただきありがとうございます。私はリーリエ王国、王立陸軍第四師団所属のカラル・ローと申します。失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「ええ。私は今は亡きレルカーリア国のアルトゥーシャ・イロハ・リエイユ。こちらは私の専属メイドのリリーよ」

「ありがとうございます」

 ローは丁寧にお辞儀をすると、この書庫に足を運んだその目的とそれに至るまでの経緯を説明し始めた。

「まず、我々はゲルテハルト国からの参戦要請を受けて、つい昨日未明に、騎士団国シュマイジと共に、正式に参戦を表明いたしました。聞く限り戦況は芳しくなく、首都陥落が目前に迫っていると連絡を受けました」

「……え?」

 衝撃の事実に言葉遣いを飛ばされてしまい、変な声と共にアーシャは反応する。少なくとも、出発する前までは戦況は劣勢ではあったが大幅な後退はしておらず、膠着していた。その情報がこの短い時間で逆転されたというのだから無理もない。

 隣のリリーは無言でひたすらにこの状況を受け止めようとしていたが、パッと目を開いて驚きを隠せずにいた。

「驚くのも無理もありません……。我々は全力で対応に当たっています。そして、我々がここに派遣されたのは、ゲルテハルト国の参謀の一人からの情報で、ここに人がいるから偵察に行ってほしいと要請がありました」

「そういうことね。大体理解できたわ」

 恐らく兵士が先に本国に帰国したのに合わせ、政府が参戦を要請し、同時にルーメイがこの書庫に人を派遣するように要請したのだろう。アーシャはそう独自の見解を付け加え、ローと共に今後の作戦について考えた。

 まず、この書庫は後に来る警備隊に一任して本国付近に戻る必要があること。部屋で捕えているイルは、その警備隊に引継ぎ、戦後に処分を行うこと。この書庫にある技術書や資源は無制限に利用できること。

 そのほか政治的にも多くの決め事を行い、アーシャはローの持ってきた紙に自らの名前を記した。

 帰路に就く日程はずらさず、明後日とした。

 兵士たちが持参した道具を使ってリリーが腕を鳴らし、人数分の夕食を調理した。久々の充実した食事にユラも目を輝かせ、人目もくれずに骨付き肉にかじりついていた。

 その間に兵士たちは、潤沢な資機材を生かして簡易的な陣地を作り、監視体制を敷いた。

「かの感染症が流行してから数年。今、レルカーリア国に残っているのはアーシャ様だけなのでしょうか?」

「恐らくそうね」

 夕食を食べ終えたローとアーシャは、当時のことについて振り返る。

 致死性の高い感染症に国民の大多数が感染し、小さいながらも繁栄していたレルカーリア国は成すすべもなく見えない力によって崩壊した。そして、アーシャがまだ未熟だった頃に、父親と母親、親戚を亡くした。

 後に、その原因が動物がもたらす感染症だったことが国外の研究者によって判明し、周辺国の衛生事情はそれを機に大きく改善された。上水道、下水道の概念が生まれたのもこの頃であり、リーリエ王国においては都市部ではほぼ整備されているという。

「ゲルテハルト国が国として認めたという知らせを聞き、まだ国民が残っていることに驚きました。それがアーシャ様だったのですね」

「そうね。私がこの国唯一の生き残りよ」

「他国に身を寄せた方が、色々と楽だったとは思いますが、なぜそのような選択をなさったのでしょうか?」

 アーシャは父親と母親を亡くし、使用人には自ら他国へ逃げるように促した。そして、一人になったアーシャは、清潔感があり広々とした自宅を離れ、国内の小さな廃墟に荷物を運び入れ、そこで新しく生活を始めた。

「この素晴らしい国の歴史を絶やしたくない。そういう単なる私の願望に他ならないのだけどね」

 アーシャは自身の経緯を辿りながら、そう言う。その表情には、絶対的な何かが感じて取れた。

遠くに煌めく星々は、何かの暗号と言わんばかりに、あちこちで瞬く。図書館の外は近くの森林を超えた風が優しく吹き、深く奥ゆかしい木々の香りに包まれながら、アーシャは空を見上げていた。

「それでは、私はこれにて失礼します」

 スッと立ち上がり、夜空を背にして一礼をする。

 ローもすぐに礼を返す。

「お休みなさいませ」

「ええ。おやすみなさい」

 月明かりにも負けず劣らずの光を放つ星々は、深い青色が覆う夜空に浮かぶ。

 強く輝く眩い星は、一際強い存在感を放ち、街中を走って遊びまわる子供のように。

 思わず見惚れてしまいそうな星々は、安定感のある大人のように美しく。

 背景にある夜空よりもほんの僅かに明るい程度の、目を離せば見失いそうなほどに暗い星は、病、或は別の何かによってその存在が脅かされているようにか細く弱弱しく輝く。

 アーシャはそんな空をひとたび瞳に収めると、書庫の一室のベッドで横になり、眠りについた。


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