第1話
両手で持つ、鋭い鉄の塊。その塊は、敵を切り裂くことも、叩き潰すことも、いとも簡単にできてしまう。重厚感のある銀色から放たれる輝きは、見る者を恐怖のどん底に陥れた。全体に対して長くとられた持ち手、リカッソと呼ばれる柄と敵を切り裂く部位の間にあるもう一つの持ち手。右側にも左側にも湾曲しているこの持ち手を握り、振り回すように使うこともできる。その剣が。
「今日もよろしく。ツヴァイヘンダー」
彼女はそうつぶやいてその剣身を白く細い指先で撫でる。くすんだ窓から差し込む陽の光は、ツヴァイヘンダーが纏うように舞っている埃を輝かせた。
白いワンピースを風になびかせながら、彼女はその剣を鞘に入れて持ち歩く。蔓が壁を補強するように繫茂している家の扉を押し込むように閉める。建付けの悪い扉は、彼女が体重をかけてもう一度体をぶつけると、あるべき枠にはまった。
「何とかしないといけないのだけど……」
彼女は革靴でドアの隅を蹴る。
もともとだれが住んでいたのか、どんな人が住んでいたのかも分からない家を背中に、彼女は見渡す限りの草原をただ歩く。気温とすれば鳥肌が立つ程度に寒いが、コートに身を包むほどではない。何より、彼女が持つ重厚な鉄が、熱を生んでいた。
動物と彼女と以前の住人が作ったあぜ道を歩く。太陽の光を鋭く反射するツヴァイヘンダーは、森と山、青空、木々を小さく映していた。
草に足を取られながら、昨日の雨でできた水溜りを避けて歩く。
丘を越えたその先には、一面見渡す限りの湖があった。彼女は革製の肩掛けカバンから茶色くなった本を取り出す。表紙の文字も既につぶれてしまっており、まともに読めるものではない。彼女が時間をかけて修復し、穴の開いたところにはクリーム色の紙が当てられて、文字が書かれていた。
遥か昔、天が与えし光の布は、地を揺らした。暫くの雨の後、湖あり。
「ふうん……」
彼女はため息交じりにそう呟くと、鞘に納められていたツヴァイヘンダーを抜き取り、柔らかい土に突き刺した。その土は、その重量を何とか支え、傾いたまま陽の光に輝く剣を地面にとどめている。
「確かここら辺にあったわよね。今日はやってるかしら……」
彼女はカバンだけを肩からかけて、その場を離れた。
湖岸を離れ、見渡す限り誰も来ていない馬車道をまたぎ、獣道をたどる。湖から吹く風は、彼女の腕や肩に浮いた汗を跡形もなくふき取り去った。
林が日傘の役目を果たし始めたころ、遠くに揺れる木漏れ日に照らされている小屋があった。小さなログハウスで、その前には丸太を切っただけの椅子とテーブルが置かれている。彼女は手先をテーブルに触れ、濡れ具合を確認する。手を振り払い水気を飛ばすと、水滴が滴る手でカウンターの上にある小窓をノックした。
しばらくして小窓が開く。
彼女は開いた小窓の先にいた人間と目を合わせる。すると、窓の向こうの人間は、ひょいと手を挙げて再び奥の方に消えていった。彼女はカウンターに枝を編んでできた箱を置いた。
彼女は大きな日傘の下から、日向を眺める。風が吹くたびに長く生えた草が波を作る。そしてその波は、目で追いかけるうちに散ってゆく。まるで、砂浜に水が吸われて波が消えたように。
静かな草の音と、木々が奏でる音を聞いて時間とともに揺られる。彼女のワンピースも、風に弄ばれていた。
固く湿った木の音が二回ほど聞こえると、彼女は遠くに向けていた目線を戻す。風に揺れる髪を耳にかけて、店の人間から中身入りの箱を受け取った。静かに会釈をして彼女はその店を後にした。
彼女が地面に突き刺したツヴァイヘンダーは、目印のように太陽の光を強く反射している。遠くからでも視認できるその光をめがけて歩き、彼女は再び風の吹く湖岸に戻ってきた。
ツヴァイヘンダーを地面から引き抜き、少し引きずるように持ち運ぶと、湖岸に伸びる大きな木に立てかけた。
そして、彼女は傾斜のついた地面に布を敷いて、その上に腰を下ろす。
受け取った箱を開けると、折りたたまれた白いナプキンの上に、茶色いパンを使ったサンドイッチが入っていた。みずみずしい野菜も形を崩さずにパンにはさまれており、野菜とベーコンやチーズが交互にはさまれている。
彼女は下に敷いてあるナプキンで挟むようにしてサンドイッチを箱から取り出し、隅の方にかじりついた。新鮮な野菜に包丁を入れたときのような爽快でみずみずしい音が彼女の口元から響く。
一口分を口に入れると、彼女はサンドイッチを再び箱の中に戻した。ゆっくり咀嚼するたび、爽やかな音が響く。近寄ってきた小鳥にパンをちぎって分けてやると、小鳥はそれをつまみ、飛び去った。
サンドイッチの最後の一口を口に入れる。彼女はカバンから再び本を取り出す。その間に挟まれたこの周辺一帯を示した地図を草の上に広げた。
「今いるのが……ここ、ね」
彼女は空に高く上がる太陽の位置を頼りにしながら自分の居場所を特定し、日没までの計画を練る。地図も茶色く時を吸っており、汚損して見えない所もある。
彼女は風で飛びたそうにしている地図に膝をのせて抑え、指先で地図に示された道のようなものをなぞる。地図の右上あたりまで来た時、彼女の指は動きを止めた。なぞったその先に道であろうものが描かれておらず、途切れた先に建物があるような表記もなされていなかった。ただ、木々がまばらに生えていることしか書かれていない。
彼女は地図のその場所をしばらく見つめてから、今見ている景色と現在の位置をもう一度照らし合わせる。
「先に何があるのかしら……。見に行ってみる価値はありそうね」
位置を確認し終えると、彼女はその場を去る準備を始めた。空になりかけていた水筒に湖の水を汲み、手で水をすくって飲んだ。サンドイッチの入っていた箱は肩掛けカバンの紐に通して括り付け、手で持ってきたツヴァイヘンダーは硬い鞘の中に納める。
力を入れるように息を吐くと、彼女は馬車道に沿って歩き始めた。
湖に注ぐ川に沿って作られた馬車道は、基本的に上り坂になっていた。彼女はたまに強く息を吐きながら坂を上がっていく。先ほどまで湖からの湿度の高く冷たい風が坂を駆け上がっていたが、次は駆け下りてくる、乾いた涼しい風が吹き始めた。
風を浴びながらしばらく緩やかな坂を上ると、坂と坂の間にある踊り場のような場所が彼女の眼前に広がった。先ほどから彼女の左側を沿うように流れていた川は、小さな滝が連続して大きな階段のようになっており、かなりの水量があるのか、ごうごうと音を立てて水が駆け下りている。その中にも小さな川のせせらぎのような優しい音が混じり、彼女は川の音と瞳に映る景色を頼りに道をたどった。
そしてたどり着いた坂の先には、平原が広がっていた。彼女が家を出て湖まで歩んだ道は比較的傾斜が多かったのに対して、彼女の前に広がる平原は、見渡す限りの平らで、遠くには鋭い山が連なっていた。
彼女はカバンから先ほどの地図を再び取り出す。地図の上の隅に描かれた鋭い山々は、彼女がみている景色と一致した。そして、親指を湖岸の先ほどまでいた場所に、人差し指を現在地に置く。彼女は距離を測るようにそのまま手をスライドさせた。
「半分くらいかしら……?」
場所の確認が終わると彼女はすぐに地図をしまい、馬車道から延びる細い道に足を踏み入れた。柔らかくひらひらとしたワンピースは、少し硬い草木に引っ掛かりながら、道を進む彼女の後をついていく。
この道は長らく誰も通っていないことがうかがえた。左右から道の中央に向けて伸びる草は、まばらに道に影と落としている。また、人通りの多い道なら自然と短い雑草以外生えなくなるが、この道は長い雑草が根を張って、道を埋めていた。
少しだけ木々の影が伸びてきたころ、彼女は曲がりくねった細い道の先に、小さな天幕を捉えた。青い布がかぶさっており、薄らと煙が空の雲に向かって伸びている。
彼女はかなり離れたところで足を止め、煙の揺れ方や、微かな動く影がないかどうかを探そうと目を細めた。
細い枝でつくられた柵のようなもの。たまに大きく揺れる煙。そして、馬こそいないものの、馬車の荷車が近くに放置されている。そこに積載されているいくつかの木箱の上には布がかぶせられており、中身はわからない。しかし同時に、隣に置かれている空になった木箱も彼女は捉えた。
そして、風向きが変わったその時、証拠が彼女の顔を撫でた。
「人のにおい……」
彼女は顔を上げて、大きく息を吸う。そして、確証を得た彼女は、ツヴァイヘンダーを静かに鞘から抜いた。
彼女は近くにあった細い木に、枝木を揺らさないように自身の荷物を括り付ける。括り付けたカバンの中から、手のひら程の大きさの短剣を取り出す。鞘ごと取り出し、彼女の腰に巻いている革のベルトに取り付けた。
彼女はその木に手を触れ、跪くようにして呼吸を整える。震える右手を左手で抑えて、ツヴァイヘンダーを力強く握った。
ワンピースに付着する汚れなど気にかけることなく、彼女は草木に紛れてしゃがみながら荷車の裏まで近づく。荷車の近くに誰もいないことを確認すると、木の板の隙間からその場所を見やった。
その細い隙間の先には、風に揺れる火があった。そして、その奥にはこれから燃やすであろう薪がピラミッド型に積み上げられている。少し右に目をずらせば、青い天幕の中のいくつかの樽が目に留まった。一見して人はいないように思われた。
しかし、動こうとしなかった。直感が彼女の行動を制止しているように。
少し時間が経つと、遠くから馬のリズミカルな足音が聞こえてきた。その馬には兵士と思われる人間が乗っており、後ろには荷車を引いている。
「物資の補充……? もしかして……」
彼女は草木が揺れて建てる音よりも小さな声でそうつぶやいた。彼女の隣には荷車や空になった木箱がある。
彼女は様々な憶測が口から出ていくのを止めるように口に手を当てて、音をたてないよう、深い茂みと天幕の影が重なった場所にしゃがんで移動した。
彼女の予想は的中し、やってきた兵士は、彼女が先ほどまで遮蔽物としていた荷車を動かし、空箱を載せ替えて去っていった。そして、荷車に一人の兵士が乗っていたのも、彼女は見逃さなかった。
彼女はしゃがみながら足早に拠点をぐるりと回って確認する。
「今は一人なのかしら……? 今しかないわね」
彼女は茂みに隠れることをやめ、彼女は静かに立ち上がりながら周辺にあった小石を手に握る。そして、敢えて音が鳴るように、天幕を支える木の棒をめがけて投げた。
こつん、と音が鳴り、柔らかい音と共に草の上に小石が落ちる。反射的に敵が音のする方向を視る。
しかし、兵士はすぐに罠だと気づき、石が飛んできた方を向く。そして、鎧をまとった兵士と彼女の目が合った。兵士は鞘から剣を引き抜き、彼女の方に向けて斬りかかろうとした。それに呼応するように、彼女は身を引きながら遠心力を利用して剣を振り回す。
鈍い音を立てて、鎧にツヴァイヘンダーがぶつかった。その衝撃によろめく兵士。彼女は急いでツヴァイヘンダーを持ち直す。先端を相手の胴鎧のくぼみに引っかけ、体重を乗せて押し込んだ。
兵士は呻き声と共に地面に倒れこむ。
兵士は反撃を試みて、片手で剣を振りかざす。しかし、彼女が鎧の上に突き立てたツヴァイヘンダーが、甲高い金属音を立ててそれを弾き飛ばした。兵士が気付くころには、剣は草むらの中に飛ばされていた。
彼女はもう一つの鞘から細く鋭利な短剣を取り出す。両手で握り、胴体と頭の鎧の隙間に振り下ろした。
「……ここは、私の場所よ」
冷たく優しい声でそう呟くと、彼女は突き刺した短剣を勢いよく引き抜いた。
彼女はしばらくの間、命が消えた兵士を眺める。兜に開けられた小さな穴から覗ける兵士の瞳は、色を失っていた。胴鎧の横腹の部分には、えぐられたような痕跡がついており、ツヴァイヘンダーの衝撃の強さを物語る。
彼女は二つの剣を鞘にしまいながら、兵士が去っていった方向を見やって、人の気配がないことを確認する。そして、持ち主のいないこの場所の探索を始めた。
青い天幕が焚き火を並ぶように配置されており、それぞれの天幕の中には違うものが置かれていた。彼女は一つずつ天幕の布をめくって中に入り、置かれているものを調べていく。
「ここは……食糧置き場のようね」
三つ目の天幕を覗く。同じ形をした木箱の蓋をずらすと、いくつかの果物と、干された魚。そして、何かに包まれた食べ物が一つだけ残っていた。彼女が短剣の先を器用に使い包装を開けてみると、粉末状の香辛料がまぶされた干し肉が入っていた。食欲をそそる刺激的な香りが天幕の中に充満する。
隣の天幕には、劣化した金属素材や、折れてしまった短剣、使わなくなった不用品と思われる物品が置かれていた。
最後の天幕を覗く。樽が縦に置かれており、彼女が力を入れても動かない。内容物が気になる彼女は、扉をノックするように樽の板をたたいた。すると、中で音が響かず、変わった反響を示した。
中身が気になり、手を添えながらその樽を調べてみるが、開けられた痕跡はない。そのうえ、開けるための道具も見当たらなかった。
「何かいいものはないかしら……」
暫く樽の前で立ち止まった後、何かに引っ張られるように彼女はその天幕を後にする。そして隣の天幕から折れた剣の先端を持ってきて、板の隙間に差し込む。そして、てこの原理で隙間を広げてこじ開けた。手であおぎ、樽の中の空気を鼻に呼び寄せる。
「……お酒のようね」
最初は鼻を衝くようなにおいに彼女は体を少しのけぞらせた。少し距離を置いて手で仰ぐように匂いを嗅ぐと、ほんのりと甘く、喉に熱を持たせるような匂いが広がった。彼女は隙間を広げて、持ち合わせていた小さな空の瓶に掬い取り、光に照らす。
そのお酒は深みのある黄色で、透明で優しい輝きを放つ黄金色をしていた。彼女は瓶を揺らして粘性を確認したり、指をつけて味を感じたりと、慎重にお酒であると思われる液体の確認を進めた。
慎重に確認してお酒であると判断した彼女は瓶いっぱいにお酒を詰めて、出入り口に覆いかぶさる青い布を手でよけながら外に出た。
途端に、彼女は認知する間もなく頭に衝撃を受けた。
「うぐっ……!」
彼女は反射的に籠った声を上げる。彼女に斬りかかる兵士の攻撃を相手の懐に潜り込んで回避した。彼女は赤く染まった短剣を鞘から抜く。ダンスのステップを踏むように滑らかに、俊敏に動きつつ、相手と間合いを取る。相手の斬り方は独特で、芯を持っておらず、揺らめくような軌道を描いた。
互いに大陽に剣を輝かせながら、軌跡を描いては、その軌跡を斬る。剣先がぶつかることこそあったが、彼女は断固として力勝負に持ち込もうとしなかった。
相手がいったん距離を取り、斬りかかろうと重たい鎧を揺らしながら走りかかってくる。彼女は本能的な恐怖から目をつむるが、それが瞬きと感じられるような速さで再び目を開けて、敵を瞳に映した。
そして彼女は距離を取ることなく、ツヴァイヘンダーを鞘から抜く。敵に向けて走りながら勢いをつけ、止まって足を踏ん張り、腹部めがけて遠心力を剣に乗せた。
天幕の支えとしていた太い枝に足を引っかけた兵士は、直後に腹部に強い衝撃を受け、眠ったように地面に横たわっている。彼女の振りかざしたツヴァイヘンダーは、兵士が倒れこむ方向と逆の方向に向けて振りかざされ、鎧を通して強い衝撃が中に伝わった。
彼女は荒ぶる息と震える腕を胸に手を当てて落ち着かせながら、足元に捨てていた短剣を再び手にする。
そして、言葉なく剣を刺し、抜いた。
兵士に馬乗りになった彼女は、眩しく輝く鉄製の鎧についた赤い斑点に触れる。震える手で触れた手のひらを自分の瞳に向けたとき、その斑点はもう一つ増えた。
彼女は血のついていない左手で、自らの額に触れる。すると、手首と腕を鮮血が伝った。
彼女は額から滴る赤い雫を手で受け止めながら、落ちた瓶を拾い、括り付けたカバンを回収し、二つの剣を鞘にしまう。
最後に近くの水たまりで濡らしてきた天幕の布を火元にかぶせて、火を消す。最後の煙が天に散るまで追いかけて、彼女はその場所を去った。
先ほどまでほぼ真上にあった太陽は、少し傾き先ほどよりも影を伸ばしている。後ろから彼女を追いかける風も乾いていて冷たい。すぐそばを流れる川も、その先の湖も、風の流れる方向を示すように、水紋を描いていた。
彼女は、その川辺に立つ。
静かなせせらぎから彼女は揺らめく水の一部を掬い取る。そして、押さえ続けた手をずらして、水をかけた。ぽたぽたと地面に滴る水は、ほんのり赤くなっていた。そして、ワンピースの裾にこぼれた水は、白い生地の上に薄く赤色を残した。血を洗い流すと、短剣に付着した血も同様に洗い流した。
川に揺らめく赤色は、時間とともに薄れ、やがては押し流されて見えなくなった。
彼女はその場に腰をおろし、流れゆく川面と、遠くの草原を見つめる。風が作る草の波は、丘を一つ、二つと超えていき、気づけば散っていた。彼女の瞳の中に動くものは動物、草木、空、そして光と影だった。
彼女は意味もなくツヴァイヘンダーを鞘から抜き取り、自らの膝の上に乗せる。ゆらりと川面のように輝くその剣は、空の色を映した。剣の持ち手は淡い茜色に、剣先の方は水色の色紙に白い粉を振りかけたような色を映している。
彼女は、そんな美しい色の階層を纏う剣に触れる。さっと表面で指を滑らせるように手を動かと、左手で剣先についた草の破片を取り払った。
そして彼女は、触れた手をそのままに、遠くを見つめる。注目するものなどは何もない。彼女の瞳にはただ、豊かな景色と地形、空の色だけが映っていた。
「…………」
彼女は空気に紛れ込むような、小さなため息を鼻から吐いた。
少し強まった風に、ワンピースの裾と、彼女の艶やかな髪が揺れる。靡く髪を耳にかけ直して、再び同じ方向に目を向けた。
刻々と変わりゆく空の色。同じ瞬間など一時もないというように、景色は変わり続けた。
周りにある雑草に触れる。地面から生える葉の一つ一つがみずみずしく、毛並みの整った動物に触れているような、細やかな雑草が無数に生えていた。それはまるで、緑の絨毯のように豊かで、心地の良いものだった。彼女はその触感を楽しむように、何度も手を動かした。
彼女は空の大半が淡い茜色に染まるまで、その場で景色を眺めた。
冷たい風は、夜の訪れとともにやってきた。
「さすがに寒いわね。帰りましょう」
無意識に撫でていたツヴァイヘンダーを鞘に収め、再び荷物をまとめる。彼女がその場所を後にしたときに吹いた風は、丘から駆け下りるような風で、ひんやりとしていた。
太陽が完全に地平線の向こうに沈み、月明りが道行く人々を導く。太陽の明かりで色鮮やかに彩られていた昼の景色。夜になれば、白い月明りが、世界を柔らかな白色に染めた。
「ただいま」
建付けの悪い玄関の扉は、森に響く大きな音を立てて開く。そして扉を閉める時も、ドアがきいと鳴いた。
彼女は数本分並んだ剣立てに、鞘から抜いたツヴァイヘンダーを立てかける。重厚感のある音が振動とともに響く。立てかけられたその剣は、柔らかな月光を浴びて、室内の一部を照らしていた。
「あちっ……」
彼女は石を素早くこすって火花を散らせる。火花は支え合う薪の上を跳ねた後、下の灰に落ちていった。何度か試すと、細い枝木の上に多数の火の粉が落ち、小さな火が薪を照らした。
暖炉の火は少しすると薪に燃え移り、部屋をぼんやりと照らす。乾いた音を立てながら薪は赤く燃え上がり、飛び散った火の粉は火に巻かれて煙突へと消えていった。
彼女は本棚の前に立つ。火と窓から差し込む月明かりを頼りに、目的の本を上から順に探る。本棚の淵に触れながら彼女は本を探す。真ん中あたりで彼女の手の動きは止まり、本の隙間に指を差し込んで、目的の本を取り出した。
そして、彼女が今日持ち出していた地図と本をカバンから取り出す。白く照らされた窓際の椅子に腰かけて、横書きの文字を追いかけた。
「……じゃぁこれが? いやでも……」
彼女は右手で地図のとある場所を指さしながら、左手で勝手に閉じていく本を押さえる。
「でもこっちには……」
次は左手で地図を指さしながら、右手で本を抑えた。
結局、彼女は求めていた結果を導き出すことはできず、本をもとの場所に戻した。
火のかかる距離に置かれた鉄鍋を手に取る彼女。暖炉に火をつけた際に、具材と水を入れて煮込んでいた。
彼女は火から離した鉄鍋を平らな石の上に置き、冷ましている間に外で干していた干し肉を一つ取って戻る。少々ゆがんだ食器にスープをくみ取る。黄色く暖かい色をしているスープからは、食欲をそそる湯気が揺らいでいた。彼女はそんなスープを口に含む。
「……悪くない。かなり甘くなったようね」
お酒特有の酔うような鋭い香りは煮込んでいる間に飛んだが、それ自体の甘い味は依然として強く残った。塩味のするはずだったスープは一転して甘くなり、非常にまろやかな味わいになっている。
彼女は食事を終えると、寝る前の身支度を済ませて、ベッドに横たわる。ベッドは音もなく沈み、預けた身体を静かに受け止めた。サイドテーブルに置いてあった本を少しだけ読み進める。
ページをめくる紙の音と、薪の音だけが響く彼女の家。一つ一つの星が輝くような時間になって彼女は本をサイドテーブルに戻し、瞼を下ろした。