二、自転車と卓袱台(3)
思案した結果、持って行くキットはタミヤMMの三十五分の一「M4A3シャーマン」にした。
第二次世界大戦中の米軍が運用していた中戦車だ。
比較的短時間で製作を進めやすそうなのと、部品紛失の可能性がやや低そうということでの選定だった。あと、しょうもないこだわりではあるけど、こないだドイツ戦車を作ったんだから次は連合国側、という変なバランス感覚もはたらいた。
玄関の鉄扉を押し開けて、五階層を貫く折り返し式階段の最上階の踊り場に出たところで、ちょうど時を同じくして向かいの扉も開いた。
「お、久しぶり」
私の顔を見るなり声を掛けてきたのは、向かいの家に住む同級生の高尾将人だった。
学校指定の体操服を着ているが、上半身には「三小パンサーズ」のユニフォームを羽織り、頭にはチームのエンブレムが入った野球帽をあみだにかぶっていた。肩からスポーツバッグを提げ、バットケースを担いでいる。
「ほんと久しぶりね。今日も練習?」
「まあな。昼練。お前は?」
「これから友達ん家いくの」
「近藤のとこ?」
近藤は孝美の苗字だ。彼女の家はこの棟の同じ階段の三階にある。
「ううん。違う友達。一小の子なんだ。だから伝上山で待ち合わせ」
「へえ、遠いな。自転車貸そうか?」
「いいよ。お母さんのを借りたから」
私はポケットから自転車の鍵を取り出して、将人に見せた。
将人の変速機付きの自転車は、カゴが後輪の横にあって、走行中に荷物が見えないのが不安だ。お母さんのママチャリなら前カゴがついている。
「そうか。じゃあがんばれよ」
将人は片手を振って、颯爽と階段を下っていった。
私と将人と孝美の三人は、幼稚園にあがる前から一緒に遊ぶ仲だった。今朝の夢に出てきた、秘密基地をつくった三人目が彼だ。
以前は三人連れだって学校に通っていたのだが、四年生になり、将人が少年野球のチームに入ると、行きも帰りも時間が合わなくなった。
仲が悪くなったわけではないけれど、ここ二年ばかりはこども会の行事以外ではめっきり顔を合わせなくなっていた。
それでも孝美は、将人の練習スケジュールを把握し、早起きして彼の見送りをしたり、休日の練習ではお弁当を作って持って行ったりと、何とか接点を保とうとしている。
これはまあ、なんというか、幼馴染の友誼以上の何かがあってこそだ。私には真似できないし、する気もない。
ちなみに、六年生になって、チームのエースピッチャーを張っている将人は、今やけっこう女子の人気が高い。孝美には「がんばれ」と言うほかない。
そんなことを考えながら階段を降り切って、出入り口の引き戸を出たところで、当の孝美と出くわした。
「おはよー」
と声を掛けると、孝美はちょっとびっくりして、「あ、おはよ」と小声で返してきた。
今日のいでたちは、彼女のお気に入りの白いワンピースだ。
ははーん。
「将人の見送りでしょ。さっき上で会ったよ」
「あ……えっと。ごめん」
「なんで謝るの?」
「そ、そうだよね。ごめんは変か。ええと。そういうんじゃなくて」
「他の子ならともかく、私に言い訳しなくてもいいじゃん。バレてんだから」
私はあきれ顔で言った。孝美は顔色を変えて、あからさまに狼狽えた。
「!――それ、将人くんに言ってないよね?」
「当たり前でしょ」
孝美は文字通りほっと胸をなでおろした。
「ところで、朔子ちゃんもおでかけ?」
「うん。昨日知り合った航ちゃん、いたでしょ? 遊ぶ約束しちゃった」
「あの子か……ねえ、あたしも行っていい?」
孝美は遠慮がちに申し出た。
「いいけど、プラモデル一緒に作るんだよ? 大丈夫?」
「あ、だったら!――ちょっと待ってて!」
と、孝美は急に何か思いついたように、駆けだして階段を上っていった。足音が遠ざかって、ほどなく鉄扉の開く音が響いた。
たぶん自分の家にいったん戻ったのだろう。出かける準備かな。
そう思ってしばらく待っていると、また扉が開く音がして、足音が近づき、すぐに孝美が降りてきた。
「じゃーん、これ!」
と、孝美は手に持った箱を私に見せた。
「おお、ガンプラじゃん」
百四十四分の一、水陸両用モビルスーツ「アッガイ」のキットだ。
「そんなの持ってたんだ」
そう言うと、
「えー、昨日朔子ちゃんと航ちゃんと一緒に買ったじゃん。覚えてないの?」
と、孝美は頬を膨らませ、憤然と抗議した。
そうだったかな。孝美がプラモ買うとか、そんな椿事を覚えてないことがあるか?
「とにかく、これ持って行ったら一緒に作れるんでしょ?」
「あー、まあ、たぶん」
道具はほとんど航ちゃんのを貸してもらうことになってるし、キットだけあれば何とかなるかな。
私の行く先に孝美がついて来たがるのはいつものことだ。
それほど深く考えずに、私は孝美の同行を承知した。