二、自転車と卓袱台(1)
今よりもっと幼い頃、私と孝美ともう一人の男の子とで一緒に作った秘密基地があった。
基地と言っても、空き地にあった大きなアーチ形の廃墟の下に、畳表の茣蓙を敷いただけの場所だった。そこにおもちゃや絵本を持ち込んで、三人で楽しい時間を過ごした。
秘密はほどなく、私の兄弟や近所の子供たちの知るところとなるが、それでも私たちはそこを「秘密基地」と称し続けた。
本山家には門限なるものが特に無く、よっぽど遅くならない限りは親が迎えにきたりはしなかった。しかし孝美はそうではなく、夕方の五時を過ぎるころには必ず母親が迎えに来ることになっていた。
私は孝美たちが帰ったあと、少しだけ独りの時間を過ごしてから帰宅するのが常だった。
ところがある日の夕暮れ時、いつものように私一人で秘密基地で絵本を読んでいると、ふと人の気配を感じた。目をあげて、絵本のページの陰から気配のする方をちらりと見ると、コートを着てマフラーで口元を覆った知らないおじさんが、アーチの入り口からこちらをじっと見ていた。
私は怖くなって、おじさんがいるのと反対側の入り口からあわてて逃げ出そうとした。
知らないおじさんはそれを見て、ニコニコ笑いながら追いかけてきた。
やんぬるかな、子供の駆け足ではすぐに追いつかれ、おじさんの手が私に伸びた。
私は無我夢中で足元の砂をつかんで、その怪しいおじさんの顔にぶつけるようにかけた。おじさんが怯んだ隙に身を地面に転がしたが、隙はその一瞬だけで、彼はしつこく私を追ってきた。
「だれかー! きて!」
そこで、とっくに帰ったはずの孝美が叫ぶ声が、あたりに響き渡った。
ほどなく、近くにいた孝美のお母さんと、近くの工事現場にいた警備員さんが駆けつけてきて、逃げようとした不審者を容赦なく取り押さえる。
警察も来て、事情を訊くから孝美と一緒に待っているようにと指示された。
「だいじょうぶ?」
声も出ないほど怯えていた私に、孝美は声を掛けてきた。
彼女は秘密基地に忘れ物をしたことに気づいて、母親とともに戻ってきたところで、私の危機に気づいて大声をあげたのだという。
家に帰り、親にも事情を話すと、母はすぐに孝美の家に訪ねて行って深く礼を述べ、私を放置した件について平謝りした。
そして後日、親同士の話し合いがもたれた。
今回は運よく難を逃れたけど、この先のことを考えると、五時すぎに秘密基地に居残るのはやめた方がいいね、ということになった。秘密基地そのものを撤収することも検討されたけど、それについては子供たちが三人とも泣き喚いて反対したため、妥協案が採択された形だ。
ただ、私の両親は相変わらず二人とも忙しくて、定時に迎えに行くことなどできない。
だからその次の日から、私は孝美の母親が迎えに来たら一緒に帰宅するということになった。
「さくこちゃん――」
幼い孝美はそこで何か大事なことを私に告げた。
孝美のその言葉は、もやがかかったようになって思い出せない。
「――やくそくだよ」
言い終えると、夕焼け空の下、孝美は小指を差し出した。
「ゆびきりげんまん」
言われるままに、私は自分の小指をそこに絡め、一緒に「ゆびきった」までを詠唱した。
あれ?
本当に私、あのとき孝美と何を約束したんだっけ。
一生懸命思い出して、答えが出る寸前のところで、私は目を覚ました。