十一、朔子と航(5)
航ちゃんの人生を選ぶ権利は航ちゃんにある。誰が何と言おうと、決定権は彼女自身にある。だけど、私にはそこに異議を唱える権利があるはずだ。どうして、と問う権利があるはずなのだ。
友達だもの。
安っぽく聞こえるかもしれないけど、同じ時代、同じ世界にいる何百何千万の子供の中で、奇跡的にめぐりあって、この先も関わり合っていく友達なんだもの。一人で生きていくわけじゃないんだもの。
航ちゃんは一瞬、私の目を真正面から見据えて、まるでにらめっこのようになった。
私の心のどこかにはいつも冷たい部分があって、自分の有様を客観的に上から眺めてる。その冷たい私は、子供っぽい遊びに興じた挙句にその流れのまま友達を問い詰める自分の滑稽さに薄笑いを浮かべていた。
だけど、それにつられてここで笑ったら私の負けだ。航ちゃんにはぐらかされしまうだろう。
友達に変わってほしいとまで願うなら、自分を嘲いながら話すべきではない。
「朔子ちゃんはさ、ボクのことをかわいそうだって思う?」
しばしのにらみ合いの末、航ちゃんは逆に訊ねてきた。
「かわいそう?」
「そう。――ボクね、実は朔子ちゃんと孝美ちゃん以外にも、先生とか、友達の何人かに許嫁のお話をしたことがあってさ。みんな言うんだ。「かわいそう」って。子供のうちから結婚相手が決まってるなんて残念ね、って。それで信介さんを悪く言う人もいた」
「どこがよ」
私は少し腹を立てて、まくしたてるように言った。
「信介さんはいい人だし、御曹司で将来も安泰だし。何よりプラモ趣味に理解があるじゃない? もし航ちゃんのことも浅野くんのこともなかったら、私がお婿に欲しいくらいよ。あんな人と将来を約束してるなんて、羨ましいならわかるけど「かわいそう」は無いわ」
正直偽らざる感想をぶっちゃけすぎて、場の真剣さが少しそがれた気もするが、もう口に出してしまったからしょうがない。
航ちゃんはそれを聞いて、少し驚いた顔を見せた。そして、突然声を立てて大笑いしだした。
「航ちゃん?」
「いや、笑ってごめん。そうか……朔子ちゃんは、そうなんだよね」
「わるい?」
「ううん、悪くない。すっごくいいよ」
そして、笑いが落ち着いた後、航ちゃんは真顔に戻って言った。
「ボクはね、昔から「かわいそう」って言われるのが嫌だったんだ。お父さんが家にいなくてかわいそう、とか、一人っ子でかわいそう、男みたいな名前でかわいそう。――他にもいろいろ言われたけど、勝手に人を「かわいそう」って決めつけて、憐れまれたり悲しまれたりするのが、正直いって気に食わなかった」
「あー、それなんとなくわかるわ」
私の場合、それは「かわいそう」ではなかったが、「教授の娘」とか「PTA会長の娘」とか「あの本山兄弟の妹」とか、自分の手の及ばないところで変なレッテルを貼りつけられて、地域や学校での立ち位置を決められるのがずっとプレッシャーだった。
「ボクは自分が「かわいそう」じゃないってことを知ってるし、全世界に向けて大声でそれを叫びたいくらいだった。――許嫁の相手がどんな人かも知ろうとしないで、ボクがどんな思いでいるのか知りもしないで、なんでそんなこと言うの? って」
「それを証明するために、決められた将来にこだわってた、ってこと?」
「それが理由の全部じゃないけど、そうだね……信介さんのことは好きだけどさ、それは恋とは違うのかなって思う。ボクは信介さんと一緒になるのが当然で、それこそが幸せって思ってるだけ。信介さんが迷惑がってるのは知ってるけど、ボクの心が変わらなければいつかわかってくれると思ってる」
航ちゃんは少しだけ照れたように頬を染めた。
信介さんの心情は迷惑がってるのとはすこし違う気もするが、航ちゃんからはそう見えるのだろう。ラムちゃんばりの押しかけ女房だ。
「朔子ちゃんはさっき、自分の望みをわがままって言ったよね。そうするとこれも、ボクのわがままなのかなって思う。わがままを通すことが、ボクは「かわいそう」なんかじゃない、幸せな人生を歩んでるんだってことの、何よりの証になると思ってるんだ。それでこそ、ボクのことを憐れみの目でみた人たちに対して、ざまあみろって言い返すことができるんだ、って」
ここまでの話で、航ちゃんの想いはわかりすぎるくらいよくわかった。航ちゃんの周囲には、事情をよく知らないまま彼女を犠牲の羊のような目で見る人たちがいて、それは誇り高い航ちゃんにとって「敵」なのだ。
納得するしかないものだった。
が、納得したからと言って、もちろん私はここで引き下がるつもりはない。
「幸せな人生って、航ちゃんにとってはその一つだけ?」
「ボクが決めた道だよ」
「信介さんは、航ちゃんは選んでそれを決めたわけじゃなくて、最初から一つの選択肢しか与えられていなかった、って言ってた」
「それは正しいね。選択の余地なんて元からないし、他の選択肢が欲しいと思ったことも、選びたいと思ったこともないんだから」
「一度も?」
「うん。いまだかつて、ただの一度も」
「嘘ね」
私はあえて断言した。
「ならどうして、展示会の帰りの車の中で泣いたの? 日曜日の朝、「かとう」のショーウィンドウの前でずっと私たちの作品を見てたの?――なんで今日、私の目論見を知ってたのに、「ルールのあるブンドド」の勝負を受けてつづけてくれたの?」
それは傲慢な物言いだったかもしれない。
ただ、彼女が無自覚であるのなら、あるいはそう装うのなら、こちらから主張していくしかない。
「分かっちゃったんでしょ? 他の選択肢があるって」
航ちゃんは即座にそれを否定したりはせずに、じっと考えるように押し黙った。
「私は航ちゃんに、その選択肢の方を選べとまでは言わないつもり。でも、頭の片隅に少しでもその可能性を置いといてほしいの」
私は、大きく息を吸った。
「あらためて訊くわ。航ちゃんは、私と一緒に高校生になる未来は嫌? 想像もしたくない?」
私は昂然としたまま、彼女の答えを待った。
「それは……」
航ちゃんの逡巡の時間は思ったより長かったが、私はいつまでも待つ気でいた。
彼女は困ったような顔で何かを言いあぐねて、一度目をつむって顔を伏せてから、やがて貼り付けたような笑顔をこちらに向けた。
「恐怖の大王って、一九九九年に来るよね」
「は?」
「命短し恋せよ乙女じゃないけど、二十七歳で人生が終わるなら、早送りで生きた方がいいと思うんだよね。十三歳十四歳でもう半分だよ。だったら十六歳で結婚できるならした方が――」
私は航ちゃんの言葉を最後まで聞くことができず、頭が真っ白になるのを自覚した。
「朔子ちゃん!」
孝美の叫び声で我に返った時にはすでに、私は卓袱台に乗りかかるように体を前に出して、右手で航ちゃんの左頬をひっぱたいた後だった。




