一、麦藁帽とサンバイザー(5)
「……どうしたの?」
急に黙った私に気づいて、航ちゃんがこちらに顔を向けた。目と目が合う。
早くなる鼓動を自覚する。
「な、何でもないよ!――それよりさ」
話題を変えよう。このままではヤバい。勢いあまって変なことを口走りそうだ。
「F―4買ってたけど、ジェット機好きなの?――その……五月にショーケース見た時もF―5だったし、今月はバルキリーだけどファイターだし」
「うーん、そこまでこだわってるわけじゃないけど、確かに航空機モデルは好きだなあ。出来上がりがカッコいいし、達成感があるから」
「そ、そうなんだ」
「朔子ちゃんは作ったことある? 飛行機」
「ええと、ビッグワンガムのおまけのP―51くらいかなあ……」
「あはは、大戦機もいいよね! でもビッグワンガムは樹脂がなあ」
「スチロールじゃないからねえ」
「ポリプロピレンだっけ」
「水溶きで直塗りしたら撥かれちゃったよ」
カバヤ食品のビッグワンガムは、箱の内容物のほとんどがプラモデルのキットで、申し訳程度に小さなガムが入っているというお菓子だ。食玩でありながら造りごたえもあって、出来上がりのフォルムも良いだけに、モデラ―的には材質の件がちょっともったいないなあと思ってしまう。お菓子として流通するから、輸送中の破損を考慮してのことだろうとは理解できるけど。
「ボクはハセガワの紫電改を作ったことがあるよ――でもさ、最近はもうジェット機を作りたくなるきっかけが多くってさ」
「きっかけ? マクロスとか?」
「それもあるけど――新谷かおる先生の『ファントム無頼』とか、今連載中の『エリア88』とか読んだことない? マンガの」
「聞いたことあるけど、読んだことないなあ」
「今度貸すよ! ジェット戦闘機がこれでもかってくらいに活躍するんだよ!」
「う、うん」
好きなことを話してるとグイグイ来るこの感じ、自分もときたまやっちゃうけど、今の季節、ちょっとだけ暑苦しいかも。
「ああいうの読んでるとさ、ブンドドしたくなるよねー」
「ブンドド?」
聞き慣れない言葉だった。
「そう。ブーン、どどどどど! ってプラモ手に持って動かしながら戦わせるの!」
航ちゃんは言いながら、両手を動かしてインメルマン・ターンぽい軌跡を虚空に描いて見せた。
そうだったのか。
ガンプラで似たようなことをしたことあるけど、あれ「ブンドド」って言うのか。
それにしても、楽しそうにブンドドを語る彼女は、先ほどの横顔の艶っぽさとはうって変わって、年下のいたずらっ子のようだ。
「あ、今ガキみたいって思ったでしょ?」
「……思ってないけど?」
「いーや、思ったね。ボクも言いながらちょっと思ったもん」
自覚あるんかい。
「でも、最終的に機体をどの角度で見せたらカッコいいか、みたいなのを確かめる意味もあるし、完成させる意欲もわいてくるから、あながち無駄な遊びって訳じゃないんだよ」
「たしかに航ちゃんの作品、絵みたいに構図がしっかりしてるよね」
その秘訣はブンドドだったのか。
「私、部屋狭いからブンドドするとぶつけて壊しちゃいそう」
「ピトー管とか壊れやすい部品を付ける前にやるのがコツだよ」
「折れやすい部品てあるよねえ。ソ連戦車の取っ手とか、絶対真ん中で折れるもん」
「戦車も大変ですなあ」
「いやいや、飛行機ほどでは」
お互いに越後屋と悪代官みたいな芝居がかった口調でそう言ってから、急に可笑しくなって、二人は同時にプッと吹き出した。そして堰を切ったように笑い転げた。息ができなくなるほど、笑い続けた。
その後もずっと、私と航ちゃんのとりとめのないプラモ談義は続いた。
それは今までにない体験だった。
気を使われているわけでもない。わかったフリをされているわけでもない。作り笑顔で聞き流されているわけでもない。
この街に、たった二人だけ。
同い年の女の子と、同じレベルの知識で、プラモデルについて語り合い、理解し、笑いあっているんだ。
もう何年もため込んでいたものが、解き放たれていくような感覚だった。
「あれ、もう四時じゃん!」
公園の中央にある丸い時計を見て、航ちゃんは驚いた口調で言った。
夏なのでまだ日は高いが、これ以上遅くなると親が心配する頃合いだった。
談笑している間は時間が止まっているかのようだったのに。
「だいぶ話し込んじゃったね。楽しかったけど」
私はゆっくりベンチから立ち上がって、水泳バッグを肩にかけ、模型店の紙袋を持ち直す。
「帰らなきゃ」
「そうだね」
名残惜しそうに、航ちゃんもベンチを立つ。
「ねえ、電話番号、交換しよっ」
航ちゃんが意を決したように言ってきたので、私は「いいよ」と軽く応じた。
今日購入したキットの箱を交換し、箱の裏にお互いにボールペンで電話番号を書き入れてから返す。
「じゃあ、またね」
二人は反対の方向に歩き出す。公園を出て、国道までの短い道を歩く間、三回振り返って手を振りあう。
四回目はもう見えなくなっていた。
国道をまたぐ長い横断歩道の手前で信号が変わるのを待つ間、さっきの航ちゃんの横顔を反芻するように何度も思い出していた。ドキドキした。
やがて車の流れが止まる。
――こんな夏なら、悪くないかも。
うっすらと、そんな予感がよぎる。
私は全力で駆けだした。
十二歳の夏がはじまる。私の中の何かが、確かに変わり始めた。