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九、名刺と黒電話(1)

 家に帰りついたのは午後の三時すぎだった。


 私は水泳バッグの中身を引っ張り出して洗濯機に放り込み、バッグ自体は裏返しにして水洗いし、ベランダの物干し竿に洗濯ばさみでぶら下げた。


 部屋に戻り、ひとりロフトベッドの上に寝転がる。その姿勢のまま信介しんすけさんの名刺をポケットから出して、目の前にかざすようにして、連絡先や住所を確認した。

 信介さんとの同盟成立の後、しばらくの間二人で話し合って、(わたる)ちゃんを翻意させるための大まかな方策を練った。

 ファミレスから出た後、別れ際に彼と駐車場で交わした会話が忘れられなかった。


「本当に送っていかなくていいのかい?」

「ええ。ここからなら歩いて帰れますから」

 遠慮したわけではなく、店内のエアコンですっかり体が冷えてしまっていたので、暑い中を歩いて帰るのもいいかと思ったのだ。

「そうだ。そういえば昨日ね、「かとう」に飾ってある君の四号戦車、見たよ」

 ふいに思い出したように、信介さんが言った。

「え? 恥ずかしいな。どうでした?」

「上手いもんだね。航と同い年であそこまで作れる子はなかなかいないよ? あの子が君に入れ込むのもわかる」

「ありがとうございます」


 シティが停めてある場所まで一緒に歩きながら、私はそこでふと、航ちゃんの話を思い返した。

「信介さんは、どうしてプラモデル作らなくなっちゃったんですか?」

「ああ、その話か。まあね――」

 信介さんは苦笑いして頭を掻いた。

「僕はさ、大学行くのに一浪してて。現役で志望校に受からなかったんだ――それで浪人中、勉強に集中できないのをプラモデルのせいにしてね。今まで作った作品をひとつ残らず、段ボールにつめて燃えないゴミに出しちまった」

「え、全部ですか?」

 私は思わず大声を出して驚いた。

 モデラ―としてはかなり衝撃的な話だった。作品一つにかける手間や時間のことを思えば、にわかには信じがたい。

「そう。全部だよ。苦労してコンパウンドで表面仕上げたカウンタックも、丁寧に張り線した長門も、お気に入りだった最高傑作の隼も、懐かしのタマゴローも、狂ったように作ってたガンプラも、なにもかも全部だ。その時は、それが正しい、それしかないって思い詰めてた」

「…………」

「で、おかげさまで結果として次の年には大学に受かったんだけどね。後になって、そこでプラモを捨てたことを死ぬほど後悔した。泣いたよ」

 それは私でも泣くかもしれない。


 駐車場の端まで歩いて、シティのある場所に着いた後も、二人で車を挟んで立ち話をする形になった。

「まあ、大学に行けたのは嬉しかったし、学生生活もそれなりに楽しくて充実しているから、間違った選択じゃなかったと思い込みたいんだけどね。どうしても――あんなバカなことをしなくたって受かってたんじゃないか、って」

 信介さんは自嘲気味におどけた顔を見せたが、それでも捨てられたプラモデルのことを思うと、どこかかなしげに見えてしまう。

「何かを諦めて成功したってさ、諦めたことへの後悔自体はずっと残るんだって知ったよ。たぶん一生、この後悔を背負い続けて生きていくんだろうね」

 そういえば、信介さんはさっき言っていた。航ちゃんには後悔のない人生を送ってほしい、と。

 あれはその経験から来た言葉だったのだろうか。


「朔子ちゃんは、この先もプラモデルを続けていくつもりかい?」

「はい、できれば一生」

「いい答えだ――なら言っとくが、プラモデルってのはさ、完全に趣味だけの世界だ」

 信介さんはハーフ丈のチノパンのポケットをまさぐって、車の鍵をひっぱり出しながら、思いを漏らすようにそう言った。

「モデラ―ってのは、漫画家や小説家みたいに作品そのものを売って稼げるわけじゃない。野球や将棋みたいに競技性があって、それで稼げるプロシーンがあるわけでもない。絵画や彫刻みたいに、作品に公共性があって税金で保護してもらえるほどのものでもない。プロモデラ―を名乗ってる人は確かにいるけど、モデラ―人口のほんの一握りだし、誤解を恐れずに言うなら、あの人たちはプラモデルの記事を書けるライターだ、ってのはわかるだろ?」

「そうですね」

 その理屈はわかる。模型そのものじゃなく、言ってしまえば模型記事でお金をもらっているわけだから。

「あえて言うなら、自動車なんかの工業製品のモックアップを作ってる人なんかは模型で稼いでるって言えるかもしれないけど、そこまで行くと趣味のプラモデルとはだいぶおもむきが違う」

「要するに信介さんは、プラモデルは時間の無駄で非生産的な趣味だ、って言いたいんですか?」

にらむなよ。そういう見方もできるってことさ」


 信介さんはサングラスをかけなおして、ドアに鍵を挿したまま顔をあげ、遠く空を仰ぐように見た。

「プラモを続けてれば、いずれ必ず誰かから言われることさ――でも僕はね、だからこそ、趣味としてプラモは純粋だと思ってるんだ」

 そして私に「ごめん、一本だけな」と断って、ポロシャツの胸ポケットから取り出したタバコに火をつけた。

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