八、アイスコーヒーとチョコレートサンデー(4)
「まずは自己紹介かな」
席に着くなり、信介さんはそう言った。
「本山朔子です。航ちゃんのプラモ友達です」
先手を取って、私は改めて名乗った。
車の中もエアコンが効いていたが、ファミレスの店内はさらに涼しくて、ノースリーブを着てきたことを後悔するぐらいだった。
注文を取りに来たウェイトレスさんに、私は夏野菜のスパゲティとデザートのチョコレートサンデーを、信介さんはピラフとアイスコーヒーを注文した。
ウェイトレスさんが去ったところを見計らって、信介さんは私の前に名刺を置いた。
「僕は、かなはらほしんすけ」
名刺には、
金原穂 信介
と横書きで書いてある。肩書には「(有)マルカネ不動産 常務取締役」と書いてあった。
「横書きの名刺って珍しいですね」
私は名刺を手に取って、裏表を確かめた。連絡先や住所まで書いてある。
「そうかい? 最近多くなってるよ」
「大学生って聞いてましたけど、常務さんなんですか?」
「大学は今年で卒業予定だよ。気の早い親父が勝手に名刺を作っちゃったんだ。うちは家族経営の不動産屋でさ。親父が社長で、おふくろが専務。姉貴の旦那が営業部長。いい加減なもんだよ。家族以外で雇ってるのは監査役の会計士さんだけで、それも身内の紹介。あとは必要に応じてアルバイトとか募集してるけど、長く続けてる人はいないね」
「実家に就職ですか」
「金原穂、って、珍しい苗字だろ? 今の僕の家は仙台にあるんだけど、元をたどれば県南の大地主の家柄だったらしい。あっちには大きなお屋敷があってね。曾祖父さんは在地地主として地元の人たちの信望も厚くて、農地改革のあとも農協の監事になったり、国会議員の後援会長をやったり。いわゆる地元の名士ってやつさ」
「はあ」
「ピンと来てないところをみると、航からは詳しい話を聞いていないね?」
「航ちゃんと関係がある話なんですか?」
「例の許嫁云々を決めたのが、その曾祖父さんなんだよ」
身構えていたつもりだったが、ちょっと油断していたところに、死角から狙撃された感じだった。
お父さんがずっと船の上にいて、お母さんと航ちゃんだけのこじんまりした佐浦家しか見ていなかったから、許嫁がどうのという話を聞いてからも、そんなお大尽の家柄とのしがらみがあるとは、まったく思ってもみなかった。
「想像してたよりちょっと大事でびっくりしました」
「だろ? そしてその決めた張本人は、僕が十五の時にあの世に行っちまった。九十歳の大往生。決定を覆そうと談判しようにも、もう当人がいないときてる。親戚一同にとって、僕と航の婚約は大旦那様の遺志ってことになっちまっててね」
おや? と、信介さんの物言いに少し引っ掛かるところを感じて、私は首を傾げた。
「信介さんて、ひょっとして航ちゃんと結婚したくないんですか?」
「当たり前だろ!」
すこし語気を強めて、信介さんは言った。
「許嫁なんて時代遅れだ。ナンセンスだ。しかも十一も年下なんだぞ。生まれたばっかりの頃におしめを換えてやったことだってあるんだ。親子とまでは言わないけど、歳の離れた兄妹みたいなもんでな。あんな子供を嫁にもらうなんて常識的に考えてダメだろ」
「……と思っていたけど、それが今やすっかり成長して女らしくなってきて」
「そうなんだよ、ちょっと見ないうちにこう……いや、問題はそこじゃなくてだな」
信介さんはブンブンとかぶりを振った。
そこにスパゲティとピラフが届いて、会話は一時中断された。ウェイトレスさんが水を注ぎなおすと、透明なコップの中で氷がゆれて涼しい音を立てる。
「で、どこに問題が?」
私はスパゲティをフォークに巻きながら訊ねた。
「歳の差結婚なんてよくある話ですし、航ちゃんは信介さんを慕ってて、許嫁の件も納得して受け入れてるようですけど」
「それは違うな」
信介さんはピラフを一口食べてから言った。
「少なくとも、航が自分の意志で決めたことじゃない。僕だってそうだ。航が受け入れているのは納得してるんじゃなくて、生まれた時から選択肢が一つしか与えられていなかったからだ」
信介さんはピラフを食べながら、自分の生い立ちの話をしてくれた。
彼自身は、許嫁の話を曾祖父から申し渡された時、激しく反発したのだという。その頃小学生だった彼はクラスメイトに好きな女の子がいて、諦めることができなかったのだそうだ。
しかし最終的には子供の身で曾祖父の言葉に逆らうことができず、また航ちゃんが素直に自分を慕ってくれるので、いずれ航が自分の意志で拒否してくるまでは、許嫁として受け入れようと決めたらしい。
「ガキの頃はガキなりにさ、航に対して責任を感じてて。でも許嫁って関係にはずっと違和感があったよ」
信介さんの手はそこで無意識に胸元のタバコの箱に伸びたが、「おっと」と言って吸うのをやめた。タバコ嫌いの私に配慮してくれているようだった。




