八、アイスコーヒーとチョコレートサンデー(3)
プールの帰り道に、また「模型のかとう」に寄ることにした。いつもの寄り道コースだ。
一人で考える時間が欲しくて、例の約束を律儀に守ろうとする孝美に頭を下げ、先に帰ってもらった。
ほんの少しだけ、また模型屋で航ちゃんに偶然出くわすことを期待していたのだが、店内を見渡しても彼女の姿は無いようだ。
いつも通りおじさんに挨拶してから、ミリタリー・ミニチュアのコーナーに向かう。
お小遣いの残りはそんなに無いので、いま買える値段のものは少ないが、箱の匂いを嗅ぎ、入荷した商品をチェックするだけで少し気持ちが落ち着いてきた。
私以外には、前にもいた一小の男子たちがまたアニメモデルの棚の前にたむろしているだけだった。私が入店したときに一瞬声をひそめてこちらを見てきたが、そのうちまた男の子同士で話し始めて、今はバイファムのキットのポリキャップの良さについて語りあっていた。
ほどなくその子たちも店を出て、店内には私一人になった。
「おじさん」
思い立って、私は店主に声をかけた。
「なんだい?」
「今日、航ちゃ――佐浦さんて、お店に来てましたか?」
「ああ、あの子。今朝は開店の前からきてて、表のケースの前で君の作品をぼーっと眺めてたんだよ。暑いから店に入ったら?って中に入れたんだけど、その後もぼんやりした様子でね。今の君と同じように、その棚をしばらく眺めて帰ってったよ。一時間くらい前だったかな」
「そうですか……」
どうやら入れ違いだったらしい。会う約束をしていたわけじゃないのだから、そういう事だってあるだろう。分ってはいても、少し寂しかった。運命が私たちを遠ざけ始めているような気がした。
結局そのまま何も買わずに、私も店外に出た。
とぼとぼ歩いて三叉路に差し掛かったところで、急に「おい」と横から声を掛けられた。先ほどまで「かとう」の店内にいた、一小の男子たちだ。私を待っていたらしい。
そのうちの一人で、少し背の高いいがぐり頭の少年が私の腕をつかんできた。
「おまえ、あのオトコオンナの友達だろ?」
その男子の不躾な物言いに、私はむすっとして手を振り払った。
「オトコオンナなんて名前の友達はいないわよ」
「めんどくせえな、佐浦だよ」
「プラモが上手なかわいい女の子の佐浦航ちゃんならお友達ですけど?」
「かわいい? 佐浦が?」
他の男子たちが苦笑しながら騒ぎ立て始めるのを、いがぐり君が「静かにしろ」と言って鎮めた。こいつがガキ大将ということだろう。
「用がないならもう行くわよ」
「ちょっと待てよ――あいつ、昨日なんかあったのか? お前、何か知らね?」
いがぐり君の声のトーンが少し落ちて切迫した口調になり、表情も真剣なものに変わった。
「なんでそんな事訊くの?」
「いや、今朝あいつ店にいてさ、でもずっと上の空なんだ。オレらが声かけてもいつも通りの反応してこねえし。とにかく様子がおかしかった」
囃されても反応しないのは前にもあったと思うけど、私がいないときはこのガキたちの相手をしてやっていたのかもしれない。
何にせよ、航ちゃんの様子がおかしいというのは気になった。
思い当たることは一つしかない。きっと航ちゃんも昨日のことを気にしているのだ。帰り際はカラッとして見えたけど、もしそうなら、やっぱりもう一度会って話したい――。
ただ、このまま男子たちに付きまとわれるのは勘弁願いたいところだ。
「知らないわよ」
私はすげなく言った。
「そうか……」
いがぐり君は少し寂しそうにつぶやいた。これはひょっとすると、よくある「好きな子はからかいたくなる」という小学生男子伝統のアレだろうか。ご愁傷様。彼女には許嫁がいるんだ。
「もうあの子は、あんたみたいなのを相手にしてらんないのよ」
「……なあ、やっぱりお前何か知ってるだろ」
「知らない」
「嘘だ」
歩きながら道路の真ん中でそんな話をしていたら、背後からクラクションが鳴った。坂道を降りてきた車が一台、徐行で近寄ってきて、私たちの横にとめた。
運転手は助手席側の窓を開けて注意した。
「おい君たち、車道にはみ出しちゃダメだよ。スクールゾーンでも許されないぞ」
「はい、ごめんな……」
反射的に謝って、路側帯にとび退いたが、その車には見覚えがあった。
銀色のシティ。
間違いない。運転手は、昨日とは違う色のポロシャツを着たサングラスの男だった。
「信介さん?」
「おや、君は昨日の」
向こうも私の顔を覚えていてくれたようだった。
それが分かったあとの私の行動は素早かった。
開いた窓から内側に手を入れてロックを外し、ドアを開けて、有無を言わさず助手席に乗り込んだ。
「お、おい、君……?」
「出してください。あの男子に付きまとわれて困ってたんです」
「そういう事か――わかった。シートベルトちゃんと締めてな」
男子たちの騒ぐ声を尻目に、シティは徐行で走り出した。
なんでこんなことをしてしまったのか、自分でもうまく説明できなかった。
知らない人に声を掛けられてもついて行ってはいけません、と終業式の時にしつこく注意されていたけど、声をかけたのはこっちだし、昨日会ったばかりとはいえ、一応知らない人ではないからセーフだろう。
自分で自分にそう言い訳しつつ、運転席の信介さんの横顔を見る。
運転の時はサングラスを外して、ストラップで首にかけているようだ。素顔はちょっと朴訥な印象だが、ぎりぎりハンサムで通る面相だろうか。
品定め、という言葉が頭をよぎった。
私は、いずれ航ちゃんを攫っていく予定のこの人と、一対一で対峙して、いろいろ見定めたいのかもしれない。
「どこまで行けばいい?」
信介さんはタバコの箱を胸ポケットから出しながらそう訊いてきた。
「ごめんなさい、男子から逃げるためっていうのは嘘です」
「ええ?」
「航ちゃんのことで、すこしお話させてもらいたくて。あと、私タバコ苦手です」
「ああ、ごめん。――じゃなくて、航の話?」
信介さんは取り出したタバコをまたポケットに戻した。
「ははん、ひょっとして昨日のことかな」
信介さんは顔を進行方向に向けたまま、ちらりと横目で私を見て訳知り顔でそういった。
「そうですけど、なんで?」
彼は航ちゃんの送迎をしただけで、私たちと何か話したわけではない。事情を知っているとしたら、航ちゃんが話したのだろうか。
「昨日の帰り道にさ。航が助手席で泣いちゃってさ」
泣いた? どういう事だろう。
「朔子ちゃんをがっかりさせちゃった、って。いつも能天気なあいつが、めそめそ泣くんだよ。びっくりした」
「そんなことが……」
「君がその朔子ちゃんなんだろ? 話の流れで許嫁の話をしちゃったんだって?」
「はい……」
やっぱり、航ちゃんも気にしてたんだ。
しかも泣くほどに。
私の前では涙なんて見せたことがなかった。
信介さんがハンドルを大きく回して、車は国道に出る道に入った。
「国道沿いに、ファミレスがあるのは知ってるかい?」
「はい?」
チェーン店のファミリーレストランがあるのは、このすぐ近くだ。入ったことはなかったが。
「よかったら、そこでゆっくり話さないか? 昼飯まだだろ? おごるよ」




