七、パイプ椅子とヴィネット(5)
「……ひょっとしてあなたたち、「模型のかとう」のお客さんだったりする?」
先生が私たちのカードを確認しながら、そう訊いてきた。
「はい、そうですけど」
「やっぱり! 見覚えのある名前だと思ったわ」
なんと先生は、「模型のかとう」のショーケースに飾られている私たちの作品を見てくれていたらしい。
知らない人にも見られているんだ、というのを実感して、私は汗顔の至りだったが、ショーケース常連の航ちゃんは「なあんだ、見られていたんですね」とニコニコ笑うばかりで、平然とした様子だった。
仲良く遊ぶようになってからはあまり気にならなくなっていたけど、やはり航ちゃんは私なんかよりはるかに上手い。格の違いを感じる。
「なら、お店の前とかで大河内先生とすれ違ってたかもしれないですね」
「そうかしらねえ。こんなかわいい女の子たちが居たなら忘れてないと思うんだけど」
「実はボクたち、今年の夏休みの最初の頃に初めて会ったんですよ。それまでは別々でお店に行ってたから、わからないかも」
私たちは、夏の初めのあの出会いのあらましを先生に話した。
「それは素敵な出会いだったわね」
先生は自分のことのように嬉しそうだ。
「あなたたち、来年は中学校でしょ」
「そうです。東中です」
「東中には模型部も模型同好会もないんだけど、工作部っていうのがあってね。さっきの沼田君――会議室にいたメガネのお兄さんも、そこの出身なのよ。無理強いはしないけど、仲良しなら、そこで活動してみるのはどうかしらね」
工作部、か。面白そうだ。
中学校に入ったあとの、学校に通う自分のイメージは皆無だったのだけど、そういう部活があるなら、放課後にも航ちゃんと一緒にいられる。まだ入ると決めたわけではないけど、心が浮き立った。
「航ちゃん、工作部だって」
「うん、いいこと聞いたね」
来年の夏、セーラー服を着て、中学校で航ちゃんと肩を並べてプラモデルを作っている自分を想像するのは、思いのほか楽しいものだった。
「ね、もっと楽しみなこと言っていい?」
舞い上がったような気分のまま、私は航ちゃんに向き直った。
「中学卒業した後は、笠高の模型同好会に入るのよ。そしてまた大河内先生と一緒に作って、今度は展示会で会議室の方に塗装した完成品を展示するの。カードには、小学生の時にも友達と一緒に展示しました、って書いて!」
「あら、いいわね。大歓迎よ」
大河内先生は、かなり突っ走った私の妄想に、笑顔で同意してくれた。
しかし、航ちゃんはそこで少し寂しそうな顔になって言った。
「それはできないなあ」
「え?」
「ボク、高校にはいかないから」
展示会の見学が終わり、夕暮れ空の中を、私と孝美は自転車を並べて帰途についていた。
二人とも、ずっと何も言わない。
航ちゃんの一言は、それだけの衝撃があった。
――ボク、高校にはいかないから。
いけない、ではなく、いかない、とハッキリ言った。つまり、航ちゃん自身がもう決めてしまっているのだ。
「朔子ちゃん、大丈夫?」
孝美がようやく口を開いた。私は首を横に振る。
「だよね。……びっくりしたよね、結婚なんて」
そう。あまり趣味のこと以外のプライベートな事情に突っ込むのは遠慮すべきだと頭のどこかでは解っていたけど、私は彼女が高校に行かない理由を問いたださずにはいられなかった。
そして航ちゃんは告げたのだ。
「中学卒業したら、信介さんのところにお嫁に行くことになってるんだよね。ほら、今朝紹介した」
「およ……」
「め?」
私と孝美は口をあんぐりあけて、何を言っていいかわからず、ただにこやかに話す航ちゃんの顔を見ていた。
大河内先生も驚いた顔をしていた。
「おうちの事情なのかしら? 立ち入ったことを訊いてごめんなさいだけど」
「はい。ボクが生まれた時に、母方の実家と許嫁の約束してたらしいんです」
先生に問われて、航ちゃんはかしこまって答えた。
「すぐじゃないんだけど、あっちの養子に入って、花嫁修業して、親戚筋にご挨拶をしたら折を見て吉日に、って感じっすね」
「ちょ、ちょっと待って。それ冗談じゃなくて?」
別世界の出来事を語られているようで、思わず黙って聞いてしまったけど、航ちゃん自身の話なら看過できない。
「本当だよ、心外だなあ」
「そんなの、おかしくない? まだ小六だよ?」
「来年から中学生ってさっき言ってたじゃん。三年は長いようで短いよ。将来のことを決めるなら早い方がいいし。悪いけど、家同士でもう決まってることだから」
「今時めずらしいとは思いますけど、無い話じゃないわね……でも、ちょっと残念だわ」
大河内先生は拍子抜けしたように肩を落とした。
「プラモデルは一生続けられる趣味だけど、家庭に入ったらなかなか時間も取れないでしょうし。――今の時間を大事にしないとね。仲良く頑張るのよ」
先生は私たちを元気づけるようにそう言い残し、私たちと入れ替わりで入ってきた次の製作体験希望者のところに説明に行った。
見学を終え、三人で公民館を出てきたところに、時間ぴったりで銀色のシティが車を寄せてきた。
「じゃ、また今度ね!」
航ちゃんは笑顔のまま、いつもの調子で手を振って挨拶し、助手席のドアをあけて乗り込んだ。
予定通りに従兄が車で迎えに来ただけなのに、私は彼女が連れ去られていくような感覚にとらわれたのを思い出す。
……そして今、孝美と二人で朝に来た堤防道路を逆にたどって家路についている。
来た時よりもずっと長い道を往くようで、いたたまれずに途中、自転車をとめた。
自分でも整理できない感情が、頭の中を渦巻いている。
「孝美、いま私、どんな顔してる?」
「うーん」
私の顔を覗き込み、少しの間だけ首をかしげてから、孝美は答えた。
「怒ってるね。たぶん。イライラしてる」
「そう」
怒ってる。何に対して?
航ちゃんの態度に対して?
彼女を連れて行った、よく知らない男に対して?
それとも――何も言えなかった自分の無力さに対して?




