六、ウォーゲームとプラスチック物差し(6)
改めて、ケースの中の紫電改をじっくり鑑賞する。とても六歳児の手が加わっているとは思えない。
「で、そこからずっと飛行機?」
「ううん、それ以外にも、いろいろ。低学年の頃よく作ってたのはロボダッチとカーモデルで、これも従兄の影響だね。三年生の頃はダグラムにちょっとハマってて、ガンプラは四年になってからようやく追いついたかなぁ」
ブームにすぐ乗っていかないところはちょっと硬派な感じだ。
「へえ。実はけっこう雑食派なんだね。飛行機一筋ってわけじゃないのか」
「うん。多趣味な人でさ。ボクがプラモ始める前には艦船模型とかもやってたみたい」
いや航ちゃんのことを言ったんだけど。従兄さんの話になってしまった。
よっぽど慕っているのだろう。航ちゃんは普段、家族や親戚筋の話はなかなかしないのに、その従兄さんのことは嬉しそうに話してくれる。いつぞやの航ちゃんじゃないけど、少し妬けるな。
「その師匠は、今はどこで何してるの?」
「上京して大学生やってる」
大学生なんだ。お兄さんというからもっと近い年齢かと思っていた。
先日、私の初恋がらみのあれやこれがとりあえず片付いた後、孝美と一緒にさんざん茶化してきたから、もし初恋の人とかいう話なら、やり返すチャンスだったのだけど。
「でも大学に行ってから、その人全然プラモ作んなくなっちゃってさ。ちょっと寂しいんだよね」
航ちゃんは卓袱台の上のカッターマットに顎先を乗せ、上体を伏せるようにして、紫電改の翼をじっと見つめた。その目は、遠い過去を懐かしむように見ているように思えた。
「また一緒に作りたいな……」
「今は私がいるじゃない」
私はやおら、さっき航ちゃんが持っていた物差しをとりあげて、彼女の頬をつつくふりをした。
「た、たわばっ!」
航ちゃんがわざとらしくのけぞってそう言った後、二人でぷっと吹き出して、しばらくの間笑い転げた。
「――ねえ、ところで朔子ちゃんが初めて作ったキットって何?」
ひとしきり笑ったあとで、紫電改を棚に仕舞いつつ、航ちゃんがまた訊ねてきた。
「ガンプラって言ってたけど……」
「ララァ」
「え? エルメ――ララァ専用アーマーってこと?」
「ううん、ララァ・スン。ほら、フィギュアモデルの。二十分の一の」
「ああ! あれか! あんなの持ってたんだ」
あんなの、とはご挨拶だが、今思えばほんとにあんなのがガンプラのラインナップの中にあったというのは、ブーム当時の熱気の高さを如実に示していて面白い。
ララァ・スンは『機動戦士ガンダム』の登場人物の名前で、物語の終盤で重要な役割を果たす少女だ。彼女を含む劇中の主要登場人物のうち何人かが、二十分の一スケールの組み立て式フィギュアモデルのキットとして売られていたのだ。
「ブームの時って、スーパーとか文房具屋にも置いてあったじゃん? ガンプラ」
「あったねえ。ぬりえとかと並べて置いてあった」
「で、男の子たちの間でブームだったから、ガンプラってどんなものかと思って、近所のスーパーのワゴンで安売りになってた二十分の一ララァ・スンを買ったのが最初」
「最初がそれなのって結構、入り口としては――」
航ちゃんの微妙な感想も良くわかる。私は深くうなずいた。
「ハードル高かったよね。私、工作は得意だったけどプラモの作り方はまったく知らなくてさ。接着剤もプラモデル用じゃなくて工作用の接着剤使ってたから、くっつけたはずの左腕のパーツがすぐ落ちてきて。また接着剤盛りなおして――ほんとあの時はひどかった」
私はしみじみと思い返した。ララァの腕はフリフリの袖がついてて、それがプラの塊でパーツになっているものだから、乾燥するまでの間に重力に負けて落ちてくるのだ。
今ならプラモデル用接着剤の特性も知っているし、もっと作りようがあると思うけど、その当時はどうしようもなかった。
戦車模型との出会いがあったとはいえ、よくもまああそこから一端のモデラ―として趣味を続けてこられたものよ、と我ながら思う。
「私には師匠とかいなかったからね。同じくらいにプラモ始めた兄貴たちもすぐ別の趣味に行っちゃったし。あえて言うなら「かとう」のおじさんぐらいかなあ」
「あのオヤジさんにはボクも世話になったよ。いい人だよね」
「ねえ」
私はコップの中に半分残っていた、氷の溶けきったぬるい麦茶を飲みほした。
そんな話をしている間に、二人の作品はもうほとんど組みあがっていた。
あとは塗装だけだが、それは自宅で集中して塗りたいところだ。自分の作り置きの混色を使いたいのもある。
「そろそろ、いい頃合だね」
卓袱台の上に並んだ戦闘機と戦車を座って眺めながら、航ちゃんが言った。
「うん、帰ろうかな」
私も腰をあげた。外はまだ明るいけど、時刻としてはもう夕方だ。
製作会は、そこでお開きになった。
細いパーツが折れないように、ティッシュでスペースを埋めながら、組みあがったM4A3を箱に仕舞う。
「じゃあね」
「またね」
挨拶を交わし、部屋の戸を閉める。
今日で、小学生生活最後の夏休みもおよそ半分が過ぎてしまっていた。
初めてこの部屋で製作会をやった日、孝美が飛び出していったあと、航ちゃんは「ボクらはまだプラモデルしかつながりがない」みたいなことを口にした。
それから二週間足らず。
いろいろと忘れがたい事件があったとはいえ、こんなに急速に、物差しでつつき合ってふざけ合えるぐらいの仲になるなんて、思いもしていなかった。
共通の趣味を通じて、お互いのことがどんどんわかっていく。
見えてる世界が広がっていく。
宝物のようにきらめく大切な時間を、これからも紡いでいく。
おしゃべりしている時間も。
集中して黙り込んでいる時間も
そんな時間がずっと、何年も経って二人がおばさんになるまで、おばあちゃんになるまで、続くといいな。
願わくば、続きますように。
それまで世界が滅亡しませんように。




