六、ウォーゲームとプラスチック物差し(2)
「よっし、もう士の字にしちゃおう」
航ちゃんが接着剤の瓶に手を掛けた。
士の字、というのは、主に直線翼のレシプロ機を作る時に、機体と主翼、尾翼をすべて接着し終えた状態を言う。その状態を上から見ると漢字の「士」という字に似ているからそう呼ばれる。紙飛行機に凝っていた頃にお父さんもそう言っていたから、プラモに限らず模型飛行機界隈では古くからある言葉のようだ。
飛行機プラモデルでは、翼にしても機体にしても、プレス成型段階で歪みがでやすい大ぶりなパーツが多く、その合わせが悪ければ最終的に出来上がる模型も歪になるため、本組みの前に根気強く微調整を繰り返すことになる。
その後ようやく「士の字」になるので、それは完成までの過程において、一つの峠を越えることを意味していた。
「こっちも砲塔載せられそうだよ」
旋回砲塔を持つ戦車の製作においては、同様に進捗の目安になるのが、砲塔を乗せるという手順だ。
特に専門的な名前はついていないと思うけど、製作の進捗における一種の通過儀礼のようなものだというのは「士の字」と似たようなものだろう。
ただ、すべての戦車モデラ―の共通認識というわけではないと思う。
私の場合、斧やスコップ、ジャッキなどの戦車装備品は車体に仮どめした状態で行うことが多いけど、全接着してから載せる人もいるかもしれない。ひょっとしたら「塗装が終わるまでは載せない!」と頑なに誓っている人もいるかもしれない。
その場合は、進捗の峠というよりも、ほとんど最後の一仕事だ。
ともかく、二人ともほとんど同時に、作業が一段落ついたことになる。
時計の針は十二時四十分を指していた。今日は朝の十時前からお邪魔しているので、かれこれ三時間近く、与太話を交わしながら作業していたわけだ。
「お昼にしようか」
航ちゃんは主翼の接着が終わった機体を慎重に箱の中に納めて、勉強机の上に移動させると、私を誘って一階に移動した。
航ちゃんのお母さんは少し前に出かけていたが、その前に冷やし中華の出前をとってくれていたらしい。インスタントではなく、ちゃんとした中華料理店の冷やし中華をいただくのは久しぶりだ。
「麺のコシがちがうね」
出前元の中華料理店は私も知っている市内の名店で、中華麺は手打ちのものだ。
「からし大丈夫?」
「うん」
夏場はどうしても冷やし麺が多くなる。そうめんもお蕎麦も悪くないけど、冷やし中華は具だくさんで野菜や玉子も載ってるのが良い。
食べ終わって食器を下げ、部屋に戻ったが、この短時間ではまだ接着剤も生乾きだった。
「ねえ、よかったら乾くまでこれで遊ばない?」
と航ちゃんが押し入れから取り出してきたのは、天面に大きく、
<バルジ大作戦>
と書かれた箱だった。
「何それ?」
「ボードゲームだよ。エポック社のウォーゲーム・エレクトロニクス」
「ああ、聞いたことある」
テレビのコマーシャルで見たことがあった。キャッチコピーは「歴史は変わる」だったか。
私の浅い認識だと、将棋のような対戦ゲームで、実際の歴史上の戦闘や合戦を題材にとっていて、シリーズで何本か出ていたはずだ。
だが実物を見るのは初めてだった。
箱から出されたゲーム盤は厚みがあって、大人用の弁当箱より二回りほど大きいくらいだ。上の面には蜂の巣のような六角形の網がかかった、アルデンヌ地方の地図が描かれている。
この上に、付属している小さなコマを初期位置に並べ、あとは手番を交代しながらそのコマを動かしていくようだ。
コマにはマグネットが埋め込まれていて、ゲーム盤にくっつくようになっていた。
「ほら、『プラモ狂四郎』の蔵井がやってた、シミュレーションゲームってやつだよ」
「あれって、プラモを使って何かするんじゃないの?」
「さあ、どうなんだろうね。本式ではもっとゲーム盤が大きくて、コマじゃなくてミニチュアを使うんじゃないかな。想像だけど」
「へえ」
私も航ちゃんもボードゲーム畑の知識はあまり無いので、実際のところはよくわからない。
エポック社のウォーゲーム・エレクトロニクスのコマは、私の小指の先ほどの大きさで、円筒形をしており、上面に戦車や歩兵用ヘルメットの記号が描いてあるだけのものだ。本山家にあったら間違いなく、崇一郎か篤志がひっ散らかして、三つか四つは失くしていることだろう。
ともあれ、ミリタリーミニチュアをこよなく愛する女子としては、食指が動かないわけではなかった。畑違いとはいえ、ミリタリー街道を挟んだ向かいの家の畑ぐらいの近さだろうし。
「やってみようかな」
私が言うと、それを待ちかねていたように、航ちゃんがスイッチを入れた。
盤外に仕込まれた発光ダイオードが、しばらくの間点いたり消えたりする。
「このピコピコは何?」
「簡単に言うとサイコロだね。コマが隣り合うと戦闘になるんだけど、乱数でどっちのコマを残すか公平に判定されて、ここに結果が出るんだ」
隣り合うコマの組み合わせや、隣接するコマの数によって、出る判定が違うようだ。
「軍人将棋でいう審判をやってくれるわけね」
「そうそう」
ルールを読むと、将棋と違って、自分の手番に動かせるコマは全部動かしていいらしい。
航ちゃんの持ち物なので、彼女の方はルールに詳しいのかと思ったけど、そうでもない様子だった。
今年の正月に買ってもらったばかりで、航ちゃん自身もその時に、買ってくれた従兄のお兄さんと二回ほど対戦したきりなのだという。
まあ、どうせ製作の合間の暇つぶしだ。難しいルールは読み飛ばして、見切り発車で私たちは対戦を開始した。




