六、ウォーゲームとプラスチック物差し(1)
「恐怖の大王が降りてくるのって、ボクたちが二十七歳の時かぁ」
片目をつむって、零式艦上戦闘機五二丙型の翼の歪みを確認していた航ちゃんは、ぽつりと言った。
「航ちゃん何月生まれ?」
M4E3シャーマン後期型の砲塔旋回面に物差しをあてて平滑を確かめながら、私は訊いた。
「五月だよ。五月五日」
「へえ、こどもの日だなんだ」
覚えやすくていい。祝日なのもいいな。毎年当日にお祝いできそう。
「朔子ちゃんは?」
「七月一日」
「おお、ついこないだじゃん。おめでとう」
「ひと月以上前だよ、もう」
本山朔子の朔の字は「ついたち」生まれだからだ。一日前だったらミソ子だったかもしれないと思うと、朔でよかったのかもしれない。
今日は何度目かの、私たちプラモ女子の製作会だ。場所は航ちゃんの部屋で、孝美はこども会のリーダ―会議があって不参加。
私と航ちゃん二人だけの製作会は初めてかもしれない。
向かい合って、同じ卓袱台の上で製作作業に没頭していると、時々どちらかがどうでもいい話題を振って沈黙を破る。そこからしばらくやり取りをして、また静かになる、というのを断続的に繰り返している。孝美がいないとこんな感じになるのか、という新鮮な驚きがあった。
キットは違っても、こうして同じ空間で二人、手を動かしてプラモデルを作っている時間は、黙っていてもおしゃべりしていても、高揚感というか一体感というか、そういうものに包まれたいい空気の中で過ぎていった。
「恐怖の大王は七月に来るらしいから、二人とも二十七歳だね」
予言を信じているわけじゃないけど、もし来るなら延期をお願いしたいところだ。
「……やっぱり米ソ核戦争って起こるのかな」
航ちゃんが一瞬手を止めて言った。私もちょっと考える素振りを見せながら、
「ずっと前から、毎年この時期になると「起こる」って言ってるよね、テレビで」
と、昨日の夜に見たばかりの特集番組を思い出しながら言った。
私たちが物心つく前に、ベトナム戦争が終わった。
ソ連のアフガン侵攻は小学校に上がった頃だ。
オリンピックも、四年前のモスクワ大会は西側がボイコット、今年のロサンゼルス大会は東側がボイコット。
レーガン大統領はスターウォーズを構想し、中曽根首相は日本を不沈空母にすると言い出す。
ソ連の書記長は今誰だっけ?ってくらいコロコロ変わる。
第二次大戦の終戦の後も、冷戦なんて言われる中で、地球のあちこちで東西両陣営の衝突が実際に起きていた。けれど、しかしそういうのは来るべき第三次世界大戦=米ソ全面核戦争の予兆に過ぎない、とテレビには教えられてきた。
最終戦争。それは一瞬で終わるものらしい。
東西両陣営が保有する核兵器は地球を何回も破滅させるほどの破壊力を有していて、ひとたび一方が核のボタンをぽちっと押せば、自動的に他方の陣営の報復が行われ、勝者なき「相互確証破壊」の後で、地球全土が「核の冬」を迎える。
熱核兵器の直接的な効力での死者に加え、残留放射能の影響と核の冬による飢餓が、人類という生物種の終末をもたらす――。
毎年、原爆記念日や終戦記念日の前後になると、NHKでも民放でも特集番組が組まれ、最悪の予測に基づいたそんなストーリーが、精巧に再現された特撮ドラマで紹介される。そしてきまって「核のない平和が大切」という結論で締めくくられるのだ。
胡散臭い「ノストラダムスの大予言」――一九九九年七の月、恐怖の大王が降りて来て人類を滅ぼす! という荒唐無稽な終末論が、ある程度の信憑性をおびて巷に流布しているのは、そういうのっぴきならない現実的な危機感が背景にあるからだろう。
絵空事ではなく、私たちが暮らすこの現実世界は明日最後の日を迎えてもおかしくない。
私もかつては本気で、いつ起こるとも知れない人類の滅亡に、心のどこかで怯えながら生活していたように思う。
しかし去年、そうならない可能性が大々的に提示されたことで、その恐怖は少し薄らいだ。
「だが、人類は死滅してはいなかった! ってなるなら、ちょっと救われるけどね」
同じことを思っていたのか、航ちゃんが冒頭の一節を引用してそう言った。
週刊少年ジャンプに去年から連載されているマンガ『北斗の拳』は、全面核戦争後に生き残った人々の物語だった。
主人公のケンシロウは、作中では世紀末の救世主として描かれる。実際、人類が核戦争によって滅亡しはしない可能性を見せてくれたことは、現実に生きる私たちにとっても本当に救いだった。
「ちょっと怖いけど、面白いよねー、北斗の拳」
「うん。男子が夢中になるのもわかるわ」
「経絡秘孔ってホントにあるのかな」
「ツボみたいなもんじゃないの? せんねん灸を据えるとこ」
「そういえばさ、一話で悪党がばらまいてたお札、聖徳太子だったね」
一万円札の肖像は今年から福沢諭吉に替わっている。
「一九九X年になる前に、また戻るのかな」
「まさか」
延々とそういう愚にもつかない話をしながら、二人とも手の方は進めていて、作品は一応の組みあがりが見えてきていた。




