五、クーラーボックスとスケッチブック(1)
無言の時間が二人の間を通り抜ける。
断言されてしまった。
今日の心の動きをできるだけ整理して、簡潔に孝美に伝えようとするうちに、自分の感情の輪郭が次第にハッキリしてくるのを自覚してはいたが。
「恋……なのかな。やっぱり」
うっすらと、そんな気はしていた。
私はそういう乙女チックなのとは無縁の人生を送るものだと思っていたけれど、そうでもないのだろうか。
我知らず頬が熱くなる。
「ほんとにそう思う?」
「うん。ズバ恋」
略すな。
「だってね、今日の朝に沢口くんのお話を聞いてから、今のいままで、ずーっとそれが気になってたんでしょ?」
「まあ、そうなるかな」
「どんな大事なことも、興味が無ければ三歩あるいて忘れちゃう朔子ちゃんが!」
「おい、言いすぎだぞ」
忘れっぽいのは否めない。けど三歩はさすがに誇張が過ぎる。……五歩目くらいだろうか。
私がまぜっかえしたのを無視して、孝美は話をつづけた。
「それって、朔子ちゃんが浅野くんに想われていたことを知って、まんざらでもなくて、彼に強く興味が湧いたってことじゃない?」
「うーん……どうだろ?」
「そうなの! それはもう、恋でいいと思うの」
「…………」
私は俯いたまま黙ってしまった。
孝美の言いようはいささか強引だが、正鵠を射ている。
ただ、なんとなく「恋する自分」というものを認めたくない、という意地のようなものが、ここにきて強く自分の心の中で主張を始めてもいた。
自覚してしまったら、認めてしまったら、何かに負けた気がする。
私が唇をかむと、孝美はにやにや笑って、
「認めちゃいなよ。その方が楽だよ」
と、私の心の中をなにもかも見透かしたように、取調室の刑事みたいなことを言う。
「大げさに考えなくてもいいの。小学生の恋なんてどうせ麻疹みたいなもの、って言うじゃない?」
「確かによく聞くけど、小学生が自分で言ってるのは初めて聞いたかも」
「麻疹なら、免疫つけなきゃ」
「拗らせて重症化してるやつに言われてもなあ」
「えー、朔子ちゃんからはそう見えてるのかぁ」
ふざけた調子でそう返した孝美の顔は、なぜか少し寂し気に見えた。
「感染してあげられたらよかったんだけど」
「いらんいらん」
「あたしのことはともかく、朔子ちゃんはまず意地を張らずに、自分の心に素直に向き合うべきよね」
孝美はまた腕組みをして、一人合点したようにうなずいた。
そこでちょうど、孝美のお母さんが仁美ちゃんを連れて帰ってきた。
「あ、さっこちゃんだ!」
玄関からあがってきた仁美ちゃんが嬉しそうに近寄ってきた。お母さん――近藤のおばさんも部屋を覗いて微笑んでいる。
「おじゃましてます」
挨拶すると、近藤のおばさんはいつも通りの調子で気安く「いらっしゃい」と言ってくれた。
「朔子ちゃん、晩御飯一緒に食べてく?」
「いえ、長居してしまってすみません」
「あら、いいのよ」
引き留められたけど、ご挨拶をして、私はすぐに暇を告げた。
帰り際、玄関先まで見送りに来てくれた孝美は、急にいいことを思いついたかのように提案してきた。
「そうだ! ねえ、明日の将人くんの朝練、いっしょに見に行かない?」
「いいけど、なんで?」
「ふふ、恋の初心者講習」
なんだそりゃ。
「ふわーぁあ」
翌朝、私は大あくびをかいて、寝ぼけ眼をこすりつつ、学校までの長い坂を孝美と並んで歩いた。
朝練は七時からだけど、チームメンバー、特にレギュラーは、そのずっと前に校庭に来て自主練をしているのだという。
それに間に合うように家を出るとなると、かなり早起きしないといけない。ラジオ体操もキャンセルだ。
手ぶらでいいと言われたが、孝美は幅広のストラップを肩から斜にかけて、四角いクーラーボックスを重そうに脇に抱えていた。
あまりに大変そうだったので、途中から交代で持ってあげたけど、到底小学生女子が一人で運んでいい重さじゃなかった。
「これ、何が入ってるの?」
「飲み物とか、冷やしたタオルとか。あと氷と保冷剤かな」
そりゃ重いわ。
孝美はそのクーラーボックス以外にも、いろいろ入った口の広い手提げも持ってきている。
「こんなの、お父さんに車出してもらいなよ」
「起こしちゃわるいよ、今日お休みなのに」
娘を溺愛しているおじさんなら、喜んで送ってくれそうだけど。せめて台車でも使えばいいのに。
学校につくと、校庭の周囲には見学者が集まっていた。
第三小学校の四年生から六年生児童で構成される「三小パンサーズ」は、全国的な組織の傘下にある正式な少年軟式野球チームだ。市の定めるスポーツ少年団の一つでもある。
歴代のチーム戦績は、それは輝かしいもので、全国大会で優勝したことさえあった。
今年はエースピッチャーに六年・高尾将人選手を擁し、つい先日、夏季大会で地区予選突破を果たしていた。
そして、そのエースピッチャー様の向かいの家にたまたま住んでて幼馴染というだけで、野球にもまったく興味がないサブカルマイナーインドア趣味のネクラ女子が私だ。
なんでここにいるんだろ。場違いも甚だしい。朝から暑いし。
七時のチャイムが鳴ると、監督の笛が響き、選手たちは駆け足で校庭の中央に集まって整列した。
どの子も背筋をぴんと伸ばして、「気を付け」の号令で足をそろえる。
そして「休め」の号令で、手を後ろに回し、片足を前に出した姿勢になる。
とても休んでいるようには見えないのに、なんでこれが「休め」なのか以前から疑問なのだけれど、ひとまずそれはどうでもいい。
将人はいつもの悪ガキっぷりを微塵も漏らさずに、お行儀よく号令に従っている。すっかり野球選手の顔つきだった。




