表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/61

四、紙飛行機とジャガイモ(4)

 考え始めたところで、茶の間の方から下手なギターの音が聞こえてきた。

 兄が歌い始めたのはチューリップの『虹とスニーカーの頃』だ。


 私の部屋と茶の間はコンクリートの壁一枚で隔てられている。普段は茶の間の音などほとんど聞こえないが、しかし今はどちらの部屋も窓が開いており、崇一郎の騒々しい家庭内リサイタルは丸きこえだった。


 崇一郎は高校のフォークソング研究会に所属している。

 フォーク研という割には、歌っているのはニューミュージックばかりで、最近はチェッカーズやら女性アイドル歌手の曲なんかもレパートリーにしている。歌は上手くて、去年の文化祭の舞台は私も見に行ったけど、堂々としたものだった。

 だけどギターがてんでダメだった。名曲が台無しだ。そもそもチューニングが合ってないのではないか。

 しばらくは我慢できていたけれど、いいかげん頭が痛くなってきた。このままだとM4(シャーマン)の車体が歪んでしまいそうだ。

 私は作業の手をとめ、茶の間に踏み入って「うるさい!」と兄を一喝した。


「そういうのは駅前とかでやんなさいよ!」

「練習やん。家でやるしかないやろ?」

「何年団地に住んでんのよ。野中のなかの一軒家ちゃうねんで! 近所迷惑!」

「近所て、将人くんは俺のファンやぞ?」

「ファン一人やんか。近所に何件あるおもてんの?」

 私の猛抗議に折れて、崇一郎は不承不承、ギターをケースに仕舞った。

「あーあ、赤間さんの誕生日までに何とかしたいんやけどなあ……」

 誕生日プレゼントに歌うつもりだったのか。せめてオリジナルにしろ。


「そういえばさ、崇一郎と赤間さんて、どっちから告白したの?」

 ふと気になってそう訊ねると、兄はにやりと笑みをこちらに向け、すぐに口をすぼめて「ひゅー」と鳴らした。

「とうとう朔子も、そういうお年頃か?」

 ノーコメントだよバカ兄貴が。

「そういうのええから。どっち?」

「うーん、俺だったかなあ。よく覚えてないけど」

「覚えてないもんなの?」

「人によるやろ」

 あまり参考にならなかった。


「で? お年頃の朔子ちゃんは、気になる男でもできたんか?」

 兄はまじめな口調になって訊いてきた。

「いや、そんなんじゃなくて。人づてにね、昔の同級生で、私のこと好きだった奴がいるって、今頃きいてさ――うん。いろいろ気になったというか」

 もやもやしている心の内実をできるだけ正確に、論理的に説明しようとしたけど、どうにも行き届いたものにならない。しゃべり方もおぼつかなくなっていく。

「それだけじゃなくて……なんて言えばいいのか」

「ほーん」

 にやけたような、とぼけたような相槌を返した後、兄はまたすっと真顔に戻った。

「ほんで、朔子の方は正味しょうみどうなん? そいつのこと好きなんか?」

 ストレートに訊かれ、一瞬言葉に詰まった。


 ――自分の気持ち、か。


 浅野くんと実際に友達付き合いをしていたのは二年も前の話だ。友達だったんだから、その時点で嫌いじゃなかったとは思うけど、それが男の子への特別な好意だったかというと、何とも言えない。

 私も浅野くんも子供すぎた。

 でも彼の方では、私のことが密かに「好き」だったらしい。

 その知るはずのなかった好意を、今日たまたま時間差で知ってしまった。

 知った時、少し嬉しかったのは確かだけど――

 今の私が浅野くんをそういう意味で「好き」かと問われると。


「――よくわかんないや」

 小さな声で、私はそう答えた。



 午後三時を過ぎたところで、ドアチャイムが高い音で響いた。

 M4A3(シャーマン)の車体の箱組(はこぐみ)が終わって、砲塔に手を付けようかという頃合いだ。

 玄関に出てドアスコープを覗くと、魚眼レンズの視界の中で、孝美たかみ将人まさとが二人並んでいるのが見えた。

「はーい、なに?」

 チェーンを外して鉄扉を開けると、孝美はあきれたような目で私を見ながら、

「今日、うちで花火大会の打ち合わせするって言ったじゃん」

 と言って、ため息をついた。


「ああ、忘れてた」

 そういえば、こども会の行事でやる花火大会の段取りについて、今日の午後から話し合うことになっていたのだ。

「ほらな。来てよかっただろ?」

 将人は孝美にしたり顔を向けた。

 すこしイラっとしたが、忘れていたのは事実なので言い返せない。


「しっかりしてよね」

 孝美はなんだかカリカリしている。虫の居所が悪い感じだ。いつもなら文句をたれつつも許してくれるのだけど。

「朔子ちゃんも一応、副リーダーなんだから」

「へーい」

 気のない返事をすると、孝美は「もう!」と頬をふくらせた。


 公務員団地のこども会は、棟ごとにグループ分けされている。私たちのグループのリーダーは孝美。副リーダーが私と将人ということになっていた。

 好んで立候補したわけではなく、この棟の六年生が三人だけなので、必然的にそうなってしまった。

 偉そうな肩書だけど、ほとんどの場合、町内会のこども会担当者から来る通知を、棟の小学生たちに周知するだけの役割だ。

 花火大会もこども会主催ということになってはいたが、大枠は出来上がっていて、私たちでやることと言えば、当日の役割分担を決めるぐらいだろう。

「孝美ん()だっけ?」

「そうだよ。筆記用具持ってきてね」

 私は急ぎ足で部屋に戻り、ペンケースとメモ帳をポシェットに突っ込むと、崇一郎にひと声を掛けてから玄関を出た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ