四、紙飛行機とジャガイモ(3)
「懐かしいね。元気かなぁ」
久しぶりに浅野くんの名前をきいて、いろいろ思い出し、つい感慨が口に出る。
「元気そうだったよ」
沢口くんは事もなげに言った。
「昨日、久しぶりに会ってさ」
「会ったの? え、どこで?」
思わず振り返って沢口くんを問いただした。
「下馬駅のホームでばったりね。電車の絵を描いてた。スケッチブック持ってさ。今は鉄道に興味があるんだと」
鉄道趣味は意外だったが、それはそれで浅野くんらしい。ホームで絵を描く彼の姿がありありと想像できた。
「相変わらず描いてんのね」
「うん。相変わらず上手かった」
そこからぽつりぽつりと懐かしい話を重ねているうちに、なんとか今週の観察記録のノルマは達成され、沢口君とのジャガイモ当番はその場で解散することになった。
去り際に、沢口くんは言った。
「さっきの浅野の話に戻るけどさ」
「ん?」
「本山どうしてる?って訊かれたから、相変わらずだよって答えといた」
「なんで私?」
「お前のこと好きだったらしいよ、浅野」
その帰り道のことは、ぼんやりしていてよく覚えていない。
今日も外は倦むような暑さだ。
家に帰るとすぐに、買い置いてあったインスタントの冷やし中華を作って食べた。
今この時間、家にいるのは私のほかには上の兄の崇一郎だけだ。今日は父も母も仕事の関係で夕方まで留守。篤志は友人宅。理博はまた、近所の電気店のパソコンコーナーに入り浸っているらしい。
長電話中の崇一郎の背後をそっと抜けて、自室に戻る。
今日の午後は、航ちゃんの家で作りかけだったシャーマン戦車の続きに手をつける予定だった。
戦車模型の作り方の手順にはいくつか流派があるが、私の場合、一通り本組を終えてから塗装に入る。パーツごとに塗ってから組むよりも、その方が全体的な印象のまとまりが出るような気がしていた。
換気のためと暑気の軽減のため、窓を開け放して扇風機を回す。
先日の家族会議では、私の入れ知恵もあって篤志がファミコンを勝ち取っていたが、こうも暑いと、エアコンに一票入れておくべきだったのかもしれない、と後悔の念がよぎる。
それにしても、沢口くんの爆弾発言はなんだったんだ。
――お前のこと、好きだったらしいよ。
好き、って。
アレか? 普通が無くてデリケートにするやつ? そういう好き?
要は、孝美が将人を「好き」っていうのと同じ感じなのか?
たしかに、同じクラスだった時分はフレンドリーに接してくれてはいた。ただ、どの女子に対してもそうだったような気がする。
沢口くんが勘違いしただけで、そもそも友達として好きって言ったのかも。
わからん。
沢口君はあのあと、
「あ、言っちゃダメなんだった。すまん。聞かなかったことにしてくれ」
と慌てていたけど、いや、できるわけないだろ!
男の子向けの趣味に興じてはいても、孝美が薦めてくる流行りの少女漫画は読んでいたし、この世に恋愛感情なるものが存在していることは、もちろん知識として知っている。それで孝美を茶化したりもしている。
けれど、いざ自分が当事者になったとたん、その好意をどう受け取っていいものか、皆目わからなくなっていた。しかも厳密には、かつて好意を向けられていたらしい、というなんともぼんやりした状況だ。
悶々としつつ、ボギー式サスペンションの合わせ目を丁寧に消す作業をしていると、部屋のふすまを叩く音がした。
「入っていいよ」
「お、作業中か。わるいな」
崇一郎は、ちっとも悪びれていない口調でそう言いながら、柱に手をかけて部屋を覗いた。
派手な柄のアロハシャツと白い綿パンというろくでなしを絵にかいたみたいな恰好で、右手に持った団扇で顔を仰ぎながらのご登場だ。
つるりと剃り上げたスキンヘッドは甚だガラが悪い印象だが、この季節涼しそうではある。
私は手を止めて、座ったまま椅子をくるりと回転させ、兄の方を向いた。
「いいってば。何の用?」
「昔持ってた紙飛行機の本あったやろ? 切り抜きの」
「『よく飛ぶ紙飛行機』ね」
今日はなにかとあの本に縁のある日のようだ。
「それそれ。お前の部屋にない?」
「いや、無いと思うけど。お父さんの部屋ちゃう?」
「そうか……」
「なんで今頃?」
「いや、赤間さんがさ。知らない、見たいって言うから。見せたろ思て」
赤間さんは、去年から崇一郎とお付き合いしている彼女さんだ。確か一学年下で、理博とは中学校の時の同級生だったはずだ。
さっきの長電話の相手も彼女だった。
私は赤間さんと直接の面識はないが、理博が言うには「崇一郎にはもったいないほどのいい子」らしい。
「それなら、新しいのを本屋で買った方がよくない? 私らのはもうスカスカじゃん」
「そやな。――うん、そうするか」
崇一郎は一人納得して、ふすまを閉めて戻っていった。
そういえば、こないだのお泊り会の時に、航ちゃんとも『よく飛ぶ紙飛行機』の話をしたな、と思い出す。
彼女は小学校に入ってから熱中したと言っていた。
時期の後先はあるけれど、共通点には違いない。
出会った日から一週間も経っていないが、その後も航ちゃんとは何度か一緒に遊んだり話をしたりした。彼女と私との共通点が見つかるたびに、ドキドキ胸が高鳴った。
男の子をちゃんと好きになったことはなかったけど、航ちゃんを好きだと思う感情とは、なにか違うのだろうか。




