四、紙飛行機とジャガイモ(2)
浅野くんと二人だけで遊んだこともあった。
彼は学校の授業が終わったあと、すぐに家には帰らず、学校近くの児童館ですごしている子だった。
この街はベッドタウンという性質上、転勤族も多い。
浅野君も二年生の時に、お父さんの仕事の都合で転校してきた。彼には、私にとっての孝美や将人のような近所の幼馴染というのはいない。一人っ子で兄弟姉妹もいなかったらしい。
詳しいことまでは知らないけれど、両親も共働きで、お母さんがパートの仕事から帰ってくる時間まで、児童館で同じような境遇の子たちと遊んでから帰宅するのが常だったようだ。
もちろん児童館は、特にそういった事情のある児童じゃなくても、小学生なら午後四時以降は誰でも利用できる。児童書や知育玩具、屋外の遊具、体育館もあって、退屈しない時間を過ごせる場所だった。私も低学年の頃に通い詰めていた時期がある。
四年生の時の、ある日の放課後。
私は教室に忘れ物をしたことに気づき、帰宅途中で孝美に断ってひとり学校に戻った。
教室には、浅野くんがまだ一人で残っていた。
彼はランドセルを自分の机の上に置いたまま、窓辺に立って外を見ながら、自由帳に何かスケッチしているようだった。その横顔は真剣で、どこか物憂げで、大人びていて。普段の休み時間に私たちと騒いでいる時とは、まるで違う表情だった。
「帰ってなかったんだ」
声を掛けると、浅野くんは驚いたように振り向いて、「うん」と答えた。
「でも、そろそろ帰ろうかな」
と机の上の黒いランドセルを背負った。
「誰か待ってたの?」
「今日は児童館が四時半からだから」
「ああ」
児童館はたまに開放時間が遅い日がある。終業後すぐに行くとまだ開館していないので、教室で少し待っていたということだろう。
くだんの『よく飛ぶ紙飛行機』のことをふいに思い出したのはその時だった。
「児童館か。私も久しぶりに行ってみようかな」
最後に児童館に顔を出したのは一年以上も前だったが、その時、施設の書棚に我が家と同じく『よく飛ぶ紙飛行機』が収まっているのを確認していた。
久しぶりに作ってみたくなったのだ。児童館には自由に使える工作道具もある。
ただ、長らく行っていなかったので、詳しい道順を忘れてしまっていた。
「ねえ、一緒に行っていい?」
そう言うと、浅野くんはまた少しびっくりした顔になった。
「……いいけど、遅くなって大丈夫?」
「おうちに電話して迎えに来てもらうから大丈夫!」
そしてそのまま二人で児童館に向かい、それぞれ時間を過ごすことになった。
私のお目当てだった『よく飛ぶ紙飛行機』はまだ書架にあった。
表紙の色はやや褪せていたが、家のものと違ってページは切り取られておらず、本の形を保ってる。公共施設の備品なので、当然切り取り禁止なのだ。
作るとすればそのまま切り取るのではなくて、トレーシングペーパーに図面を写し取ったうえで、画用紙などに再転写する、という作業が必要だった。
一番難しいのは、原本のパーツを正確に転写する作業だ。ここでミスがあると、機体の均整も空力特性も崩れ、よく飛ばなくなってしまう。
「……手伝おうか?」
他の本を読みながら、私がトレスに四苦八苦しているのを横目で見ていた浅野くんが、見かねて声を掛けてきた。
「できる?」
「たぶん」
浅野君はトレーシングペーパーを原本のページに乗せると、迷いのない手つきで鉛筆を滑らせた。正確に翼や胴の部品の外縁線をなぞり、たちまち図面が転写されていく。
「すごい」
私は思わず歓声をあげた。
「絵は上手いと思ってたけど、こういうのもできるんだ」
「まあね」
ちょっと照れたように、浅野君は微笑んだ。
その後、画用紙への転写までも浅野くんにやってもらい、切り抜きと組み立ては私がやった。
思いのほか早くしっかりした機体ができたので、飛ばしてもみたかったけれど、糊が完全に乾く前に浅野くんのお母さんが迎えに来てしまった。
「あとで一緒に飛ばそう」
そう約束を交わし、紙飛行機はそのまま浅野くんにプレゼントして、その日は終わった。
しかしその約束は果たされないまま、浅野くんは五年生にあがると同時に、他の学校へ行ってしまった。
転校ではない。
去年新しく市立第六小学校が開校し、小学校区が再編されたのだ。その結果、彼は五年生からその六小に通うことになった。
四年生の三月に、六小に行く子たちとのお別れ会が開かれ、そこで浅野くんが人目をはばからず、目を腫らして大泣きしていたのは覚えている。
あの放課後に見せたクールな表情が印象に残っていたので、こんなに熱いやつだったのか、と意外に思ったものだ。
浅野くんという求心力を失い、残ったメンバーもクラスが分かれてしまったことで、私たちの趣味のグループは自然消滅してしまった。




