表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/61

三、夕焼けとゆびきり(3)

 しばらくの間、お互い言葉を交わす余裕さえなく、三人を乗せた二台の自転車は縦列を組んでひた走りに走った。

 孝美にも航ちゃんにも言いたいことはたくさんあるけど、まずは逃げ切ってからだ。


 坂道は丘のてっぺんを過ぎて、下りにかわっている。昼間に来た時と同じように途中で左折して、住宅地に続く、白い手すりが張られた崖沿いの道をゆく。

「もう大丈夫そうだね」

 航ちゃんが後方を確認し、不良がもう追ってきていないのを見て一息()いた。

「いやー、危なかったねー。ちょっとスリルだったよ」

 彼女はおどけた調子で笑ったけれど、もし一歩遅かったらと思うと本当にぞっとする。

 孝美は、私の背中で半べそをかいていた。

 私との喧嘩を思い出しているのか、不良が怖かったのか、そこまではわからない。


「今日はさ、二人ともボクんちに泊っていきなよ」

 航ちゃんは自分の自転車を私たちの横に並走させつつ、右手の親指を立てた。

「いいの?」

「遅くなっちゃったし。帰り道にまたあの不良みたいなのにうかもだし。――それにさ、まだ二人と話したいこと、いーっぱいあるしさ!」

 航ちゃんは、一瞬だけハンドルから手を離して両手を広げて見せた。

「それじゃ、お言葉に甘えようかな」

「朔子ちゃんがいいなら」

「よし、決まりだね!」

 そう言うと、彼女はペダルを強く踏んで私たちを追い越した。

「じゃあ、先に帰ってお母さんに伝えてくるから。二人とも気をつけて来てね!」

 赤いBXMはそこからまた急加速して、たちまち私たちを引き離し、先へ行ってしまった。

 たぶん、いつでもそうすることが出来たに違いなく、不良が追って来ないことを確認するまで、私たちの速度に合わせてくれていたのだろう。


わたるちゃん、いい子だね」

 人心地がついたのか、泣き止んだ孝美がぽつりと言った。

「――気を使ってくれたんだよね」

「そうだね」

 二人には二人だけの、仲直りの時間が必要だった。航ちゃんはその時間をくれたのだ。

 ペダルに足をかけたまま、時折踏み込んで、傾斜に任せてゆっくりと進む。

 道路の右手の崖下には、住宅地のいらかが幾重にもつらなって見える。


 ふいに、雲の下から低く沈みゆく夕日がのぞいて、強い光で視界がオレンジ色に染まった。

 孝美が顔をあげ、呆けたような声で「きれい」とつぶやいた。


 自転車のスピードを落として路肩に寄せて停め、私はサドルを降りて、手すりの向こうの西の空を見た。

 孝美も荷台から降りて、私の隣に立つ。


「これで貸し借り無しだから」

 私は孝美にだけようやく聞こえるような小声でそう言った。

「え?」

「秘密基地の時の借り。覚えてるでしょ?」

「覚えてるけど……朔子ちゃんの方は、忘れてると思ってた」

「今朝思い出したんだよ。変な夢見て」

「……そっか」

 孝美はふふっとほほ笑んだ。

 そして、少し目を伏せてつぶやいた。


「実はね。もう追いかけて来てくれないじゃないかって、ちょっとだけ思った」

「ごめん」

 私はあらためて孝美に向き直り、頭を下げた。

「さっきはごめんね、孝美」

 孝美はあわてたようにかぶりを振った。

「ううん。こっちこそ。嫌味なこと言っちゃってごめんね」

「それは私もだよ――あと、昨日のことも。一緒に帰れなくて、ごめん」

「いつものことじゃない」

「違うよ――「いつも」は、違う」

「え?」

 私がきっぱりと否定したので、孝美はやや当惑したようだった。


「どこかで気が付くべきだったよ。将人まさとの練習が遅くなる日も、ファンクラブの他の二人は練習が終わるまで出待ちしてたのに、孝美は私と一緒に帰ってくれてたよね」

「それは……うん」

「私が図書室に入り浸って帰りが遅くなった日も、ずっと待っててくれてたし」

「うん」

「他の女子グループとの付き合いもあるのに、孝美はいつも私の時間に合わせて、帰ろうって言ってきてさ。――正直ちょっと鬱陶しかったんだけど」

「…………」

「でもさっき、あの約束のことを思い出した。――絶対一緒に帰ろう、って、約束してたんだ、あの時」

 昨日は気づけなかった。

 そうなんだ。

 一緒に家に帰れなかった日は、たいてい私の方が「約束」を破った日だった。孝美はいつ何時(なんどき)も、「一緒に帰ろう」と言ってくれた。


 ――朔子ちゃん、ひとりだと危ないから、これからは絶対いっしょに帰ろうね。やくそくだよ?


 わかってしまえば、なんと幼く、なんとも小さな、他愛のない約束だろうか。

 あいまいで、おぼつかなくて、壊れやすくて。

 切り出したばかりのパーツみたいに不完全な。

 そんなものを何年も大切に、可能な限り守り続けようとしてくれていた孝美は、他の女友達が離れていった私にとって、大袈裟かもしれないけど、この世に命をつなぎとめてくれる、かけがえのない幼馴染だった。


 あの時、あのゆびきりを交わした日と同じような夕焼け空を、また二人で見上げている。

「バカだよ、孝美は」

 私なんかのために。

「ほんと、そうだよね」

 孝美は、私の背中から肩に飛びつくように両腕を回してきた。

 二人で足を止めて、沈む夕日を見る。

「朔子ちゃんは絶対忘れてるってわかってたし。――でもね、帰り道は一緒にいたかったんだぁ」

「…………」

「学校から帰る時も、一緒に遊んで帰る時も。今日は楽しかったね、って言いあって。朔子ちゃんと一緒の帰り道を歩きたかったの」

「そう」

「うん。――約束だからってだけじゃなくて」

 孝美は私の耳に口を寄せた。


「朔子ちゃんが、大好きだから」


 私はそのささやきで、微熱とともに頬があかくなっていくのを自覚した。

 その紅潮が、朱に染まっていく夕焼け空にまぎれて、孝美にわからなくなってしまえばいいのにと思った。

 絶対にわかられてしまうだろうことを確信しながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ