三、夕焼けとゆびきり(2)
昨日もそうだったけれど、この季節は本当に、夕方になったのかどうかが分かりにくい。
日没までは今しばらくの猶予がありそうだが、東の空の地平線近くは、すでに暗くなり始めていた。
幼馴染との友情が終わるかもしれないという懸念とは、別の不安が胸をよぎる。
こんな時間に女の子が一人で出歩いていたら――
私は悪い考えを追い出すように、かぶりを振った。
住宅地から広い坂道に出たところで、
「おーい」
と、後ろから声がかかった。
航ちゃんだ。後から出たはずなのに、すぐに追いついてきた。
乗ってるのは二十インチの真っ赤なBMXだ。彼女の活動的な雰囲気にぴったりだった。
「急ごう!」
「うん」
この時刻、このあたりを通る車は少なく、自転車を飛ばすには都合がいい。
下り坂はブレーキを掛けずに行く。
曇り空のせいもあって、行く手の道はうす暗い。
ママチャリのダイナモ式ランプを点灯させると、すこしだけペダルが重くなった。
ひょっとしたら、明日になれば仲直りできるかもしれない。
いつも通り、何事も無かったかのように。
孝美との口げんかなんて、今まで何遍やったか覚えていないほどだ。小さい頃は殴り合いの喧嘩だってやった。
それでも次の日には、お互いけろりとして「昨日はごめんね」と仲直りしていた。
でも――
なんとなく、今回ばかりはそうしてはいけない気がした。
いま追いかけなければ、二人の関係は二度と元通りにはなれない。
そんな予感めいたものがあった。
――あの約束を、なんで私は忘れていたんだろう。
この状況は、きっとその報いだ。
自転車をこぎ進めながら、私は唇をかんだ。
坂を下って三叉路を右折し、昨日航ちゃんとお話をした公園に差し掛かったところで、耳がぴくりと動く。
蜩の音に交じって、誰かが言い争うような声がする。
直後、夕闇をひき裂くような悲鳴が聞こえた。
この声――
「孝美ちゃん?」
「孝美!」
不安が現実のものになろうとしている。
薄暮の公園、遊具の陰の暗がりで、高校生ぐらいの男に、孝美は腕をつかまれていた。
男は夏だというのに長袖の短い学生服を羽織っている。頭髪はリーゼント。「なめ猫」みたいな恰好の不良生徒だ。
ナンパなのか痴漢なのか恐喝なのか、それとも孝美の方から何かちょっかいを掛けてしまったのか。
そんなことは考える余裕も無かった。その必要もなかった。
私はその様子が視界に入るや否や、頭の中で何かがバチンとはじけて、奇声を発しながら突進を開始した。
「うぉおおおおおおおおおおおりゃあああああああ!」
立ちこぎでフルスピードに乗せ、勢いのままに自転車ごと不良生徒に突っ込んでいく。
不良はこちらに気づいて孝美から手を放したが、それで私の勢いが止まるわけでもない。止めるわけがない。
普段なら不良なんて徹底的に避けて通りたい輩だ。けど、いま私の足にペダルを踏ませているのはただ、孝美を傷つけようとする者への殺意だった。
衝突の直前で前輪を跳ね上げる。加速したスチール製フレームのママチャリの質量はすべからく不良の鳩尾付近に集中し、相応の打撃を与えた。
不良は一瞬苦悶の表情を浮かべて安定を崩し、衝突の勢いでひっくり返ってその場に仰向けに倒れた。
私は地べたに伸された胴体の正中線上を顔まで轢き切ってから、急ハンドルで土煙をあげつつ後輪を滑らせ、自転車を百八十度回頭した。
「乗って!」
私は呆気にとられた表情の孝美の目を見ながら、それだけを言った。
「……いいの?」
「早く!」
孝美は口を結んで強くうなずき、横座りで私の自転車の荷台に乗って、両腕を私の腰にまわし、強く抱いた。
それを確認してその場を離脱しようとしたところで、倒れていた不良が上体をもたげ、その手で孝美の足に縋ってきた。
「させるか!」
追いついた航ちゃんのBMXが跳びあがり、硬質ゴムのブロックタイヤが、不良の腕の上から断頭台の刃よろしく容赦ない一撃を加えた。
まるでスポットライトのような街灯の光に照らされて、航ちゃんの汗が光る。
「いくよ!」
「うん!」
私たちは公園を立ち去り、元来た道へと引き返して先を急いだ。




