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一、麦藁帽とサンバイザー(1)

 七月のある晴れた暑い日で、時計の針は十三時を指していた。 

 重い回転扉を押して市民プールの建物から出ると、蒸すような熱気が正面から身体にまとわりついてくる。

()っつ!」

 プール施設内はエアコンが効いていて、水から上がったばかりの身体にはむしろ寒いくらいだった。それが、一歩出た途端にこれだ。体中から玉の汗が噴き出してきた。

 着替えたばかりの半袖の白ブラウスも、裾の広い麻地のキュロットスカートも、通気性は悪くなかった。それでも、この猛暑は耐えがたい。やっぱり異常気象じゃないの? と心の中で悪態をつく。

 腹いせに、というわけでもないけど、左手指からぶら下げていた臙脂えんじ色のナイロン製プールバッグの底を、脛でぽんと軽く蹴った。

 バッグの白い帯には、母の字で大きく「本山朔子」と書かれている。


 今月の朔日ついたちが私の誕生日だった。

 だから朔子さくこ

 親がつけてくれた名前に文句を言いたくないけど、昭和四十七年当時のセンスにしたって安直すぎやしないだろうか。

 ともかく、私はもう十二歳になった。

 はたして十一歳の時と、何か変わっただろうか。


 夏生まれだけど、昔から夏は嫌いだった。そもそも外に出て活動するのには向いてない季節だと思う。

 プールだって、体育の課題じゃなかったら毎週通ったりはしない。 

 今朝発表された予想最高気温は二十八度だけど、アスファルトに覆われたこの施設の一帯はゆうに三十度を超えているだろう。

 暑さにうんざりしながら、出口前の階段をてくてく下りる。

 見上げれば、宇宙が透けて見えるような、いちめんの青――。

 中天高く上った白い太陽が目を焦がす。

 右手に持っていた麦わら帽子をおかっぱ頭にのせると、眩しさが少し和らいだ。


 プールの敷地の外縁、道路に面した一帯は、広い駐車場になっている。

 東北地方の中枢都市に隣接する人口五万人のベッドタウンで、市民の足といえば大抵マイカーだ。私も今日来るときはお父さんの車で送ってもらった。

 その駐車場を抜けて、施設の名前が書かれた大きな看板を横目に、道路へ出ようとした時。

「朔子ちゃん、まって~」

 と、背後から大声で名前を呼ばれた。

 立ち止まって振り向くと、孝美(たかみ)が階段を駆け降りてくるのが見えた。

 涼しげな若草色のワンピースは、裾がひざ下まであって、大股で走るのにはあまり向いていなさそうだ。

「走ると危ないって!」

 駐車場からは、ひっきりなしに車が出入りしている。夏休みに入って二度目の日曜日ということもあってか、いつもより利用者が多いようだ。

 孝美はそこを、脇目もふらずにまっすぐ走りぬけようとした。

 普段はしっかり者なのに、慌てると見境がなくなるきらいが彼女にはあった。

 案の定、孝美が飛び出してくるのを見て一台の車がブレーキをかけ、けたたましくクラクションを鳴らした。「ひゃあ」と弱々しい悲鳴を上げて孝美は立ち止まり、数歩下がってその車の運転手に平謝りしている。

 なんだか危なっかしい小動物の動きを観察しているような気分だ。


「ねー、一緒に帰ろうって言ったじゃん!」

 慎重に周囲を確かめつつ、私の待っている場所にようやくたどり着いた孝美は、開口一番そう言って、口を尖らせた。

「そうだったっけ? ごめん」

「もう」

 来るときには別々だったし、プールで会ったあともそんな話はしなかったように思うけど。でもまあ、孝美が約束したと言うならそうなのだろう。たいていの場合彼女の方が正しくて、私の方が忘れているのだ。

 孝美とは物心ついた時から一緒に遊んできた仲だった。私以上に私のことを知っていると言っても過言ではないだろう。

 ついて来るのを拒む理由はない。

 でもなあ。

「私、このあと寄るところがあるんだけど、孝美はおうち大丈夫?」

「いいよ」

 孝美は笑顔でうなずいた。

「付き合うよ。どこいくの?」

 私は少し目をそらしながら、小声で答えた。

「かとう」

「かとう?」

「ええと……模型屋さん」


 市民プール前の広くゆるい坂道を下って、突きあたりの丁字路に出る。

 ここを右に曲がれば、国道を渡って我らが第三小学校の学区、ひいては戻るべき自宅に至る道に出ることになる。

 だけど今日はどうしても、左に曲がって寄り道しなければならなかった。

 アスファルトの路面からは陽炎かげろうが立っている。

 側溝の金網から少しだけ漏れる涼気と、まだ高い日差しが落とす申し訳程度の日陰を選んで、早歩きで先をゆく。

 蝉のが聴覚を埋め尽くす中、ビーチサンダルが時折ぺたんぺたんと間抜けな音を立てた。

「朔子ちゃんも好きよね」

 と、孝美があきれ顔でつぶやいた。

 彼女はなんだかんだ言いながらも、しっかり私のあとをついてきてくれる。

 ふんわりと伸ばした巻き毛を揺らしながら、私の三歩あとぐらいを、しっかり同じペースで追いついてくる。

「男子みたいな趣味ばっかりだと、友達できないよ?」

 私の「趣味」に孝美が文句をつけてくるのは毎度のことで、もう反駁するのも面倒くさい。


 言われなくても、「プラモデル製作」が小学六年生(しょうろく)の女子としてはあまりふさわしくない趣味だ、という自覚はある。というか、否応なく自覚させられてきた。

 実際、クラスのどの女子グループにも馴染めていないのは彼女の指摘の通りで、かといって同じ趣味の男子に声をかけられるわけもなく、今や教室で普通に話しかけてくれるのは、本当に孝美ぐらいだった。


 四年生までは、ちゃんと孝美以外の女子の友達もいたし、同じ趣味の男子とも仲良く話をしていた気がする。

 それが高学年に上がったとたん、明確に男女間の壁ができた。あらかじめ決まっていたことのように、誰に言われたわけでもないのに、いつの間にかそうなった。

 そして私は、どこにも混じれないまま、小学校生活最後の夏休みを迎えていた。


 趣味の話ができる、同性の友達が欲しい。

 切にそう願ってやまないが、心の冷めた部分では、半ば諦めてもいた。

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