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第6話 side アリシア

 その後、セレモニーは滞りなく進んだ。


 セレモニーの目的は、教会での結婚の誓いと、新たな正妃となるアリシアのお披露目である。

 つまりアリシアの仕事としては、基本国王の隣を歩き、笑顔で周囲に手を振ることだ。

 正直、人前に出るのはあまり好きではないが、過去のトラウマと向き合うことに比べたら、大したプレッシャーではない。


 なんとか無難にこなし、一件落着。

 不安に思っていたセレモニーのクライマックスの誓いのキスも、国王が気を遣ってくれたのかオデコにだった。

 ちょっと申し訳なくも思ったが、おかげで変にパニックになることもなく、大任を果たすこともでき、ほっと一息つく。


 ……とはいかなかった。

 今までの物はほんの序の口、まだ最大最強の難関が待ち構えていた。

 新婚夫婦に必ず訪れるもの。

 そうすなわち、初夜である。


(ひぃぃぃっ、やっぱりするのよね!? しなくちゃいけないのよね!? そういうこと!?)


 目の前でデンッと存在感と圧をこれでもかと発している天蓋付きの豪奢なベッドを前に、アリシアは思いっきり顔を引き攣らせる。

 当然ながら、アリシアにはそういう経験はない。

 恋人がいたこともない。

 それでいきなりこれか!? と不安に慄いていた。


「アリシア殿」

「ひゃ、ひゃいっ!?」


 背後から声をかけられ、思わず声が裏返る。

 おそるおそる振り返るとそこにいるのは当然、このたび自分の夫となったウィンザー王国国王ウィルフレッドである。

 正装から寝間着と思しきガウンを羽織っている。胸元からは鍛えられた胸板が覗き、なんとも言えない色気があった。

 いやがおうにもこれからのことを意識せざるを得ない。

 思わずごくりと唾を呑み込み――


「そう怯えるな。何もするつもりはない」


 国王は苦笑とともに、近くにあったソファーにどさっと腰を掛ける。


(あっ、またあの笑い方だ)


 小さく鼻を鳴らし、皮肉げな、好かれるのを諦めきったような、そして怖がられることをどこか当然と受け入れてもいる、そんな笑みだ。

 チクリと罪悪感で、胸が痛む。

 こんな顔をさせているのは、他でもない自分なのだ。


「あ、あの、何もするつもりはないって、い、いいんですか?」


 間抜けな質問だと、我ながら思うアリシア。

 状況から普通に考えて、自分が怯えた姿を見せたからなのは明らかである。


「そ、その、た、確かにちょ、ちょっと怖いですけど、頑張ります! し、しないといけないことなんだから、耐えてみせます!」


 なけなしの勇気を振り絞って、アリシアは気丈に言う。


 宰相の話によれば、明け方、女官長を始めとした複数の人間が、ベッドに付いた血を確認しにくるという。

 処女であるということで、花嫁の貞操観念の確認し、その後、生まれた子供が夫の血を引いていることを確信するために。

 デリカシーのかけらもない! 狂ってる! 

 と、アリシアは憤然としたものだが、なにより血統を重んじる貴族階級においては、ごくごく一般的なしきたりらしい。


 ここで無作法をしようものなら、家族にバロワ王の魔の手が伸びる。

 それだけは、何をおいても避けねばならない。

 たとえこの身がどうなろうとも、だ。

 いやさすがに、死にたくまではないが。


「無理しなくていい」

「む、無理なんて!」

「そもそも、元から俺にそういうつもりはない」

「えっ、あ、そ、それはやっぱり、わたしが怯えすぎたから、ですか?」

「いや、それは関係ない」

「じゃ、じゃあ好みではないと」


 アリシアはそこまで自分をブサイクだとまでは思ったことはないが、バロワ王国の宮廷や今日のセレモニーで見た着飾った華やかな美女たちと比べると、自分はやっぱり地味で垢抜けていないと思う。

 相手はなにせ一国の王である。

 しかも向かうところ敵なしの一代の英雄でもある。

 きっと女なんて選り取り見取りのはずで、自分などではきっと物足りないのだろう。

 そう思ったのだが、国王は首を振る。


「そうでもない。君はまあ、そこそこ綺麗なほうだと思うぞ。さすがに絶世の美女とも思わないが」


 女性に対して『そこそこ』なんて、わざわざそんな断りをいれるのはいかがなものかとちょっと思ったが、一方でだからこそその無粋な言葉に嘘はないのだろうとも思った。

 今の、国も違えば色々状況もわからない中で、アリシアもお世辞なんてかけらも求めてない。

 むしろありがたくさえあった。


「ではあの、どうして、ですか?」

「最初にまず、それを君には話さねばならないと思っていた」


 おそるおそる続きを促すと、国王はじっとアリシアを見据え、真剣な顔付きで言う。

 いや、この王はいつも険しい表情しか浮かべていないのだが。


 セレモニーの間に多少は慣れたとはいえ、やはり怖いものは怖い。

 さらに、なんだろう。

 雰囲気がというしかないが、とても深刻そうに感じた。


「な、なんです、か?」


 ドキドキと緊張に詰まりながら、アリシアは問う。

 いったいどんな難題を切り出されるのか、戦々恐々である。

 国王がゆっくりと口を開き、


「俺はこの先、君との間に子を儲けるつもりはない。だから、そういうことをする気もない。夫失格といっていいだろう。申し訳ない」


 ガバッと深々と頭を下げる。

 アリシアのほうが思わずギョッとなる。


「そ、そんな! へ、陛下、あ、頭をお上げください」


 あわあわおろおろ動転しながら、アリシアは言う。

 相手は国王、この口で最も至尊の存在である。

 そんな存在が頭を下げてくるなど、夢にも思うわけないではないか!

 しかし、国王は頭を上げることなく、


「いや、本来ならこんなことは結婚する前に伝えるべきことだ。結婚してから伝えるのは、重大な契約違反と言える。だが、バロワとの同盟は我が国の生命線だ。この結婚は、なんとしても成約させねばならなかった」

「はい! わかりました! 許します、許しますから頭をお上げください!」

「ん? 許すといっても、まだ理由を説明しきっていない。それを聞いてからでも……」

「そんなの聞かなくても許します! だから頭を上げてください!」


 もう勘弁してほしい、とアリシアは涙目で思う。

 こっちはつい先日まで庶民だった身である。

 この状態はもうただただ恐縮するしかなく、心臓に悪いことこの上ないのだ。


「ふむ、そうか。君は随分と心が広いな」


 微妙にズレたことを言いつつ、ようやく国王が顔をあげてくれる。

 アリシアは内心でほっと一息つきつつ、


(でも、随分と律儀な王様よね)


 そんなことを思う。

 セレモニーからこれまで、さんざんアリシアは怯えに怯えていたのだ。

 正直、失礼この上なかったと我ながら思う。

 それを理由にすれば手を出さないのは、人間として至極当然のことではある。

 全部こっちの落ち度にできるだろうに、それをするつもりはないらしい。


「こちらとしては有り難いが、少々、早計にも思う。正妃となれば、その子は世継ぎだ。懐妊の兆しがなければ、周囲からは冷たい目で見られるだろう」

「あ~……」


 そういえばそういうものがあった、とアリシアは頬を軽く引きらせる。

 知人の女性が、跡取りを産めないことで夫側の親戚から圧力が強くてきつい! と嘆いていたものだが、王宮のそれはおそらくその人の比ではあるまい。

 かなりの数の視線、圧力に晒されるに違いない。


 考えるだけで少し気が滅入った。

 確かに国王の言うとおり、少し早計だったかもしれない。


「あの、やっぱり理由を説明して頂いてもよろしいですか? 誰か、他に想い人がおられる、とか?」


 さすがにこれからずっと、そういう視線や圧力に耐え続けるのはせめて理由ぐらいはわからないときつそうだった。


「いや、そもそも王でいる限り、俺は誰とも子を儲けるつもりはない」


 きっぱりと言い切られ、アリシアはキョトンとなる。

 言葉の意味を咀嚼そしゃくしてから、おずおずと問う。


「……あの、王様というのは、子供を作らないといけないんじゃないのですか?」


 それが貴族や王族の最大の義務だったはずだ。

 家と血統を存続させるには、子孫の存在が必要不可欠だから。

 実際、アリシアはバロワ王国のいろんな人たちから、そう圧力をかけられたものだ。

 とにかく男子を産め、と。


「くそくらえだな」


 だが国王はそれを一言の下に切り捨てる。

 しかも国王とは思えぬ言葉遣いで、である。


「俺から言わせれば、我が子を王にしたいなど、とてもまっとうな神経ではないな」


 吐き捨てるように、国王は言い切る。

 その言葉には、抑えきれない嫌悪が滲んでいた。


「そ、そういうものなのですか? できるものならしたい人、いっぱいいそうですけど」


 事実、この短い間でも、いっぱい見てきた。

 地位や権力、財産、欲しい物は思うがまま。

 そういうイメージがあったのだが……?


「ああ、吐いて捨てるほどいるな、そういうのは。そのためには親兄弟さえ殺すほどに欲しいらしい」


 冷めきった声で、ウィルフレッドは言う。

 それでアリシアもハッとなる。

 宰相によれば、この人は、親兄弟から何度も刺客を放たれ、ついには自分も腹違いとは言え兄をその手にかけ玉座を奪ったという話だ。

 そのあたりで、色々想うところがあるのだろう。


「だが少なくとも俺は、自分の子が王座を巡って殺し合う様など、心底勘弁願いたいな」

「……なるほど」


 アリシアも重々しくうなずく。

 彼女自身、半分しか血が繋がっていないとは言え、弟妹たちを心から可愛く思っている。

 そんな彼らと殺し合うなど、絶対にしたくない。

 想像さえしたくなかった。


「だから……子供は作らない、と?」

「そうだ。君には申し訳ないと思うし、大変な思いもさせると思うが、なんとか受け入れてほしいと思っている。その分、俺にできる限りのことはしよう。だから、この通りだ」


 言って、国王は再び深々と頭を下げる。

 少々、極端な気がしないでもないが、それだけ、権力というものの怖さを思い知っているのだろう。

 そして、自らの子をそんな目に遭わせたくはない、と。

 その生い立ちを考えると、彼の気持ちもわからないでもなかった。


「ま、まあ、わたしは別にそれで、全然構いませんけども……」


 アリシアとしても、その申し出は正直、願ってもないことであった。

 この王のことはもう嫌いではないが、やはりそういうこと(・・・・・・)は、好きなひととすることだとアリシアは思う。

 それに、純粋に怖くもある。

 しないで済むのなら万々歳であった。


「そうか。助かる!」


 国王が顔をあげ、ふ~~っと安堵の吐息をつく。

 彼なりにかなり気を揉む案件であったらしい。

 おそらくは自分ではなく、自分の後ろにいるバロアの動向を気にして、だろうが。


「でも、次の王はどうするのです? 絶対いろんなところからせっつかれますよね?」

「弟がいる。少々頼りなくはあるが、まあ、セドリックあたりが補佐すればなんとかなるだろう」


 あっさりとそんなことを言う。

 玉座というものにまったく未練がないらしい。

 簒奪という話だから、自分から王位に就いたはずなのに。


「……あの、陛下はなんでこの国の王様をやろうって思われたんですか? すっごく嫌そうなのに。あっ、もちろん、仰りたくないことならいいんですけど」


 聞いていいのか迷ったが、もうその場の空気に乗っかって率直に聞いてみることにした。

 もう結婚してしまったんだし、自分にも関わりのあることだ。

 聞けそうなときに聞いておいたほうがいいだろうと思った。


「この国は、腐っていた。千年という長い伝統としがらみで雁字搦めになり、大鉈も振るえず不正も横行し、斜陽の一途を辿っていた」


 回顧するように虚空を見上げ、ぽつりと国王が口を開く。


「……はい」


 その辺の話も、宰相から聞いていた通りである。

 現国王ウィルフレッドが台頭してくるまでは、歴史が長いだけで、かつての栄光などはるか昔、落ちぶれた三流国家だった、と。


「先々代も、先代も、ろくなことをせず贅沢三昧、国を傾かせ続けるだけだった。皆が緩やかな衰退を感じていた。皆がそれをどうにかしたいと願っていた。皆が俺に期待を寄せているのがわかった。他に誰もいなかった。それだけの話だ」


 とてもそれだけとは言えないようなことを、国王は淡々と言う。

 どこか他人事のようにも聞こえた。

 きっとこの二年間だって、大変だったはずなのに。


 決してやりたくてやっているわけではないことは、言動の端々から感じる。

 ただ、やらなくちゃいけないからやっている。

 そしてそれを、仕方ないこととも思っている。

 たとえ大勢に嫌われても、それがこの国に住む皆の幸せのためになるのなら、と。


 なかなかできることではないと思った。

 少なくとも、自分なら絶対すぐに潰れている。


「陛下って噂に反して、実はかなり優しい人、ですよね?」


 お母さんの言う通りだ、と思った。

 まだ出会って半日も経っていないが、これはもう確信があった。

 確かに噂通り、大のために小を切り捨てることをいとわない、そういう苛烈な厳しさを持ってはいるのだろう。

 でも、それだけじゃない。

 本当のこの人はきっと、生真面目で、誠実で、大勢のために献身的に尽くそうとする、すっごく優しいひとだと思った。

 ただ、見た目と雰囲気に圧があってめちゃくちゃ怖いだけで。

 しゃべる言葉も無骨すぎて不器用すぎて、わかりにくいだけで。


「……は?」


 何を言われたのかわからないとばかりに、国王が目を瞬かせる。

 しばらく呆然とし、ついで――


「ぷっ」


 国王の口から変な声が吹き出す。

 なんだ? とアリシアがいぶかった瞬間、


「くくくっ」


 たまりかねたように、国王が口元を押さえる。

 よほどツボにはまったのか、身体を振るわせてまでいた。


「へ? ~~っ!」


 最初はポカンとしたアリシアであったが、だんだんとその顔が羞恥に染まっていく。

 庶民育ちのアリシアには、宮廷の常識がわからない。

 何か自分がとんちんかんなことを言ってしまったのかもしれないが、でもそこまで笑うことはないではないか。


 普段であれば、アリシアも猛然と食って掛かったであろうが、相手は曲がりなりにも国王、下手に口答えするわけにもいかない。

 しかし面白いはずもなく、その唇がどんどん尖っていく。


「ああ、すまんすまん。くくくっ、まさか優しい人扱いされるとは夢にも思っていなくてな」


 実に三〇秒近くも笑い続けてから、ようやく国王が謝罪してくる。


「むぅっ、陛下、普通に優しい人じゃないですか。何もおかしなこと言ってません」


 内心の恥ずかしさや怒りを抑え、なんとか丁寧に言葉を返すアリシア。

 もっとも根が素直なたちなので、その表情や声にはありありと不満がこもっていたが。

 また一人称も素の「あたし」に戻っているが、本人は気づいていない。


「いや、おかしいな。生まれてこの方、そんな風に言われたのは初めてだ。冷たいだの心がないだのとはよく言われるがな」


 先程までとは違う、くつくつと自らを嘲るような笑みを国王は零す。

 戻ってしまった、とアリシアは内心ちょっと残念に思う。

 笑われるのは嫌だったが、それでも、こんな顔よりもさっきの楽しげに笑っていた時の顔のほうが全然良かったと思う。


「それは周りの人の見る目がないんですよ」


 だからきっぱりと言ってやる。

 皆のために頑張ってるのに、わかってもらえないなんて、怖がられているだけなんて、そんなのあまりに悲しすぎるじゃないか。寂しすぎるじゃないか。


 他の人がわからないのなら、せめて自分だけでもわかってあげようと思った。

 この人の、不器用すぎてわかりにくい優しさを。

 愛している、なんて口が裂けても言えない。

 愛されている、ともまったく思わない。

 あんなに一方的に怖がった自分には、今更そのどちらの資格もないと思う。


 それでも――

 たとえ国同士の思惑しかなかったとしても――

 まだ出会ったばかりだとしても――

 もう自分はこの人の妻なのだから。


 そして自分はどうもこの人が、嫌いではないから。

 異性としてはともかく、人間としてはとても好ましいと思ってしまったから。


「そうか? やはり君の目のほうがおかしいと思うがな」

「別にそれならそれでいいです。あたしが個人的にそう思っておくだけですから」

「なるほど、それならば仕方ないな。しかし、最初はどうなるかと思ったが、今では結婚相手が君で良かったと心底思う」

「えっ!?」


 思わずドキンッとアリシアの胸が脈打つ。

 いきなりそんなことを言われるとは思っても見なかったから。


「そ、それって……」

「否が応でも、これから長い付き合いになるのだ。好感を持ってもらえるに越したことはない」


 うむっと国王が満足げにうなずく。

 がくんっとアリシアの肩から力が抜ける。


 つくづく、そうつくづく実務的なことしか考えていないひとだと思う。

 それに、女心もわかっていない。


 なんだ、よりにもよって否が応でもって。

 仕方なしでも付き合うしかない、と言っているみたいではないか。


 本人にそのつもりがないのはわかっている。

 おそらくむしろ、アリシアのほうに配慮しての言葉だろう、ということも。

 それでももう少し、もう少し言い方(・・・)というものがあるのではなかろうか?


 とにもかくにも、後にウィンザー王国一のおしどり夫婦と言われることになる二人の結婚生活は、こうして幕を開けたのだった。


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