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Epilogue sideウィルフレッド

「ありがとう。ずいぶんと楽になった」


 ぐっと涙をぬぐってから、ウィルフレッドはそっとアリシアを引き離す。

 正直なところを言えば、もう少しこのぬくもりに浸っていたい気持ちもなくはなかったが、これ以上はさすがに甘え過ぎだろうと思った。

 あくまで彼女は本当の伴侶ではなく、契約を交わした仮の妻でしかないのだから。


「えっ、もういいんですか? まだ五分程度ですよ?」

「十分すぎる」


 その五分もの間、彼女はただ何も言わず黙って抱き締めてくれていた。

 何もすることがなく退屈だったはずだ。

 大の男が涙するところに居合わせるのも、居心地悪かろう。

 これ以上はさすがに申し訳なかった。


「う~ん、やっぱり陛下はタフですね。女の子なら二時間、三時間は当たり前なのに」

「世の女たちはよくそんなに付き合っていられるな。退屈じゃないのか?」


 退屈は人が感じる最大の苦痛だと言う話もある。

 それを二時間も三時間も、というのは感服を通り越して呆れさえ覚える。


「退屈と言えば退屈な時や、一緒につらくなる時もあると言えばありますけど」

「だろうな」


 ないほうがおかしいと思った。


「でも、わたしもつらい時は、お母さんによくハグしてもらったものです。それだけで気持ちが凄く楽になりました。自分がされて嬉しかったことって、他人にもしたくなりませんか?」

「なるほど」


 普通の人間は多分、母親からそういう慈しみをもらえるのだろう。

 だから他人にも与える。

 そんな子供でも知っている当たり前のことを、自分は全く知らなかったわけだ。


「それに別にただ黙って抱き締めてるわけでもないですから。愚痴とかも聞いたりもしますし。あっ、陛下も何かあるなら聞きますよ?」

「特にないな」

「ほんとですか? 陛下、けっこう無意識に貯め込んでそうなんですけどね。そういうの人に話すだけで気持ちが楽になることってありますよ」

「ふむ、そういうものか」


 これまでなら、人にただ話を聞いてもらったところで、何の問題解決にもならないと一笑に付していたかもしれない。

 だが今は、本当につらい時、苦しい時には、人の優しさこそが心を温かく包み安らかにしてくれるということを身をもって知ったばかりだ。


「まあ、君が言うのなら、きっとそうなんだろうな」


 今ならわかる。

 これまでの自分に足りなかったのは、そういう体感・・だ。


 知識として知ってはいても体感として知らないから、そういうものを欲しがる気持ちがまるでわからなかった。

 同調してもらったからと言って何になる?

 それで何か現実が変わるわけでもない。

 問題が解決するわけでもない。

 そうやって、優しさを欲しがる気持ちを自分は無遠慮に踏みにじり、切り捨ててきたのだと思う。


「……君のように他人に寄り添える優しさが俺にもあれば、もしかしたら違う未来もあったんだろうか?」


 今さらながらに、そんなことを思う。

 リチャードが自分を信用せず、結果あんな凶行に及んだのも、本人の性根の問題はもちろんではあるが、おそらくは自分のそういうところに原因があったのではなかろうか、と。


「陛下は十分お優しい方ですよ!」

「そう言ってくれるのは君ぐらいのものだ。俺は……近くにいる人間を不幸にすることしかできない」

「不幸、ですか?」

「ああ、狂死した母、道をたがえたまま復縁する機会を永遠に逸した恩師、自ら手にかけた兄のジョンに弟のリチャード、ここまで重なるとそう思わざるを得ない」


 偶然と言えば、ただの偶然だったのかもしれない。

 だが、自分に少しでもアリシアのような心の弱さに寄り添う優しさがあり、それを周りに向けていれば、救えた命もあったのではないか。

 彼らと幸せそうに笑っていられる未来もあったのではないか。

 そう思わずにはいられなかった。


「俺のそばにいれば、君もいずれそうなるかもしれない」


 気持ちに寄り添うことも大事。

 そうわかったところで、ではいざ実際にどう寄り添えばいいのかなど、ウィルフレッドには皆目見当もつかない。


「自分の気持ちに気づけたのも、優しさが心を救うことを知れたのも、君のおかげだ。本当に感謝している。だからこそ、ここらで君とは距離を置くべきな気がする」


 今は幸運にもうまくかみ合い、円満に付き合うことができている。

 だが、それがいつまで続けられるのか、正直、自信がなかった。

 何かの拍子に自分はアリシアを傷つけ、憎悪されるようになるのではないか。


 それだけなら、まだいい。

 自分が嫌われるだけなら、いくらでも我慢はできる。

 だが兄や弟のように、アリシアまで自らの手で殺めることになったら?


 それが怖かった。

 そうなる前に一刻も早く自分のそばから離すべき。

 そう思った。


「愚痴かと思って聞いてたら、なんでそうなるんですか」


 呆れたように、アリシアはやれやれと嘆息する。


「君を想えばこその当然の帰結だ」


 至極真面目にウィルフレッドは返したが、アリシアはますます呆れた顔になる。

 だが思い直したように、むうっと唇を尖らせ、


「まあ、そういう経験が重なると、そういう考えになっちゃうのもわからないでもないですけどね……」


 う~んと考え込む。

 首を傾げ、なんとも難しい顔で唸っていたが、


「あっ、そう言えば!」


 はたと思いついたように、アリシアはパンッと手を打つ。

 何かいい案でも思いついたのだろうか。


「陛下って一〇年前ぐらいに、バロワにいませんでした?」

「いきなり何の話だ?」


 問いつつ、ウィルフレッドは苦笑する。

 なんとも唐突に話が変わったが、それはそれで彼女らしいと思った。

 こういう予想外の言動も、むしろ愛嬌と感じ、どこか楽しんでしまっている自分がいるが。


「大事な話なんですよ。答えてください」


 妙に真剣な顔つきで、アリシアが問うてくる。

 有無を言わさぬ雰囲気があり、これは答えないわけにはいかなかった。


「一〇年前か……そうだな、いたと思うぞ」


 その頃の自分は、暗殺されかかったこともあり、身を隠す為、ついでに見聞も広める為、各国を巡り武者修行の旅をしていたはずだ。

 その中の一つには、ウインザー王国にとって重要な隣国であるバロワも、当然ながら含まれていた。


「その時、山賊に襲われてる親子を助けたりしませんでした?」

「山賊……」


 治安のいい場所ばかりを巡っていたわけではない。

 そういう輩に襲われることも、数え切れないほどあった。

 そのいちいちを覚えてはいなかったが、


「もしかして、母と娘の二人連れか? 子供はまだ五~六歳ぐらいだったと思うが」


 そういう母娘を助けた記憶はあった。

 母親には随分と感謝されたものだが、子供には随分と怯えられたものだ。

 そのギャップが印象的で、覚えていた。


「そうです! それです。ああ、やっぱり! 似てるなって思ってたんです! 黒髪黒眼の人だってそんなにいないし!」


 アリシアが嬉しそうに顔をほこらばせる。

 この手のことには疎いウィルフレッドであるが、さすがにピンとくる。


「もしかして、あの時の子どもが君か?」

「はい! あの時は助けてくださり、ありがとうございます!」


 興奮気味にそうまくしたてて、アリシアは深々と頭を下げる。


「鍛錬のついでだ。感謝されるほどの事ではない」

「ふふっ、お母さんにもそういうこと言ってたそうですね」

「そうだったか?」


 まあ、自分が言いそうなことだとは思った。

 あの時の自分は、身を守るためにも強くならなければならなかった。

 その為には、実戦経験が何より必要だった。


 民を襲う山賊ならば、殺しても問題はない。

 助けなくてはという気持ちもないわけではなかったが、あくまで自分の為にやったことだというのが、ウィルフレッドの認識だった。


「ええ。ふふっ、やっぱり陛下だったんですね」

「みたいだな」


 ここまで一致するとなると、さすがに他人の空似ということはなさそうである。

 それにしても、奇妙な縁である。

 助けた少女が、一〇年の時を経て自分の嫁になる。

 まるで貴族令嬢たちの間で流行っている恋愛小説のようだった。

 現実は色気のない契約上の仮面夫婦だとしても。


「ほら、陛下は不幸をもたらす存在ではないですよ」

「え?」

「だってあの時、陛下がいなかったらきっと、あたしとお母さんは酷い目に遭ってました」

「だろうな」


 そうなっていたことは、あの状況ではほぼ確実と言える。

 山賊たちの慰み者にされて殺されるか、どこかに奴隷として売られるか。

 どちらにしろろくな未来ではなかったはずだ。


「陛下のおかげで、あたしとお母さんはその後、幸せに生きることが出来ました」

「……だが、母君はもう亡くなったのだろう?」

「ええ、でも、一〇年も後です。その幸せな一〇年は、陛下が下さったものですよ」

「……そうか」


 自分にも、誰かを幸せにすることができた。

 普通の、ごくごく当たり前の事ではあるのだが、意外感があった。

 どこか自分の事を疫病神だと思っていたから。


「他にもきっと、そういう人たちがいっぱいいますよ」

「いる……か?」

「ええ。陛下は自分を戦場の死神のように仰っていましたが」

「ああ、俺ほど人を殺した人間もそうはいないだろう」

「でもその分、多くの命を救ったはずですわ」

「…………そうだな」


 しばしの間の後、ウィルフレッドは瞑目して天井を見上げる。

 国を守るため、民を守るため。

 そう言い聞かせていたのは事実だ。


 自分が助けた命も多くある。

 そんな当たり前の事に気づかぬほどに、ただ罪だけに目を奪われていたのもまた事実だった。

 奪った命のあまりの多さと、罪の大きさゆえに。

 それしか目に映っていなかった。


「もう一度、改めて言います。陛下は決して、不幸をもたらすだけの存在ではないですよ」


 ウィルフレッドの目を見据え、アリシアはきっぱりと断言する。

 彼女の瞳には、初めて会った時と同じ、強い断固とした意志の光が宿っていた。

 同時に、柔らかく優しい光だ。


「……陛下?」

「ああ、すまん。ちょっとぼうっとしていた」


 思わず見惚れてしまっていた。

 彼女の容姿はそこそこ整ってはいるが、ウィルフレッドが出会ってきた絶世の美女たちに比べ、見劣りする部分があるのは否めない。

 それでも――


 宮廷に咲くどんな花々よりも、彼女を美しいと感じたのだ。


「もうっ! 人が真面目に話しているのに!」


 ぷくっとアリシアが目を吊り上げ、その頬を膨らませる。

 そんな顔さえ可愛いと感じてしまう。


「降参だ。返す言葉が思い浮かばない」


 両手を上げ、ウィルフレッドは肩をすくめる。

 だがその口元には、小さく笑みが浮かんでいる。

 言い負かされたと言うのに、なぜか心は春の空のように晴れ晴れと澄み渡っていた。


「わかってくださったのならいいです」


 うむっと満足気にアリシアは頷く。

 その姿に、ウィルフレッドはある種の確信を覚える。


 彼女にはこの先もずっと、口喧嘩では絶対に勝てないんだろうな、と。

 だがそれも悪くない。

 楽しそうな日々に思えるのが不思議なウィルフレッドであった。

ここまで読了ありがとうございました!!

web版はここで完結、二人は末永く仲良く暮らしましたということで。

少しでも面白いと思ってくださった方は、ブックマーク、☆評価いただければ助かります。

よろしくお願いいたします。


もう少し二人のやりとりが見たいという方は書籍2巻をご購入いただければ幸いです。

ここはまだはじまり。

2巻は作者の感覚では糖度300%増しです(笑)



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