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第22話 sideウィルフレッド

「しつこいな、君も……」


 げんなりとウィルフレッドは嘆息する。

 こういう目をしている人間を、ウィルフレッドは戦場で何人も見てきた。


 どんな逆境にも諦めないで、最後まで戦い抜く。

 むしろ逆境の時ほどとんでもない馬力を発揮する。

 そういう奴らばかりだった。

 味方の時は頼もしいが、敵に回すとこれほど厄介な連中もいなかった。


「しつこくもなります。見ていられませんから!」


 腰に両手を当て、アリシアはふんっと鼻息荒く言う。


「見ていられない? だから同情ごっこなら……」

「だって陛下、つらそうじゃないですか」

「俺のどこがつらそうだと?」


 どうせまた勝手な決めつけだろうと眉をひそめつつ、ウィルフレッドは問う。

 仕事はいつも通りこなしていたし、ミスもなかった。

 付き合いの長いセドリックからも、何も指摘はされもしなかった。

 仕事も終え、今は優雅に月見酒を楽しんでいたぐらいだ。

 これのいったいどこがつらそうだと言うのだろうか?


「全部ですよ、全部!」

「ちっ、はあああ……せめてもっと具体的なものをあげてくれないか?」


 思わず舌打ちと呆れ切った溜息が漏れる。

 これが部下ならば、氷のごとく冷たい視線で詰問していたところである。

 まあ、そういう時は得てして、しどろもどろになってふわっとした抽象的なことしか答えられなくなるのが常なのだが。


「ではまず、つらそうなお顔をされてます」

「君の思い込みがそう見せているだけだろう」

「そんなことありません! いつもより辛気臭いです」

「元々俺は辛気臭い男だ」

「背中に哀愁が漂ってます!」

「さっきから印象論すぎてやはり具体性がないな」

「~~っ! なら、珍しく酒なんか呑んでます!」

「ふむ、少しマシにはなったが、俺だってたまには酒ぐらい呑む」

「普段呑まないじゃないですか」

「今夜は満月だったからな。月見酒もたまにはいいと思っただけだ」

「むぅう~」


 思った通り、大したことはなかった。

 あっさり論破していくと、アリシアが不満そうに唇を尖らせ唸る。


「なんだ、それだけか?」

「まだあります! いつもより明らかに不機嫌です!」

「それは自覚はあるが、君が変な事を言ってくるからだろう?」

「変な事?」

「つらくもないのにつらいという事にされ、しかもそれを押し付けられる。さすがに鬱陶うっとうしくもなる」


 これでイラつかない人間がいたら、見てみたいものである。

 そいつはきっと人間ではなく、背中に羽でも生えているに違いない。


「それは絶対嘘です!」

「また決めつけか。さすがにいい加減に……」

「だって陛下いつも、わたしのそういうの、どこか楽しそうにしてるじゃないですか!」

「む……」


 言われて、ウィルフレッドは思わずハッとなる。

 確かに、そう言えばそうであった。

 何度も何度も彼女には「優しい人間」扱いされ、そのたびに否定してきた。

 不快さもあるにはあったが、一方でどこか心地良さを感じていたのも確かだった。


「声を荒げるのだって変です。陛下は何かに怒っている時、熱くなるより、むしろ冷ややかになるじゃないですか」

「な、に?」


 これまた予想外の、完全に意表を突かれた一言だった。

 普通、人と言うものは怒った時には感情を激高させ、冷静さを欠くものである。


 一方のウィルフレッドは、誰かが何か問題を起こした時、期待や信頼を裏切った時、心がすうっと急速に冷えていき、頭がむしろ冴えていく感じさえあった。

 どこまでも冷徹に、非情に、客観的に、現実的に、起きた問題への対処法ばかりが次々と浮かんでくるのだ。

 こんな冷たく計算高いものが、果たして怒っているというのか?

 怒りとは熱く激しいものではないのか?


「自覚なかったんですか? 仕事の書簡を読んでいる時とか、たまにそういう空気出してましたよ」

「……それは記憶にあるが、あくまで失望であって怒っているわけでは……」

「失望も怒りも、相手に対してマイナスの感情を感じているのは一緒でしょう?」

「ふむ……」


 言われてみれば、その通りではある。

 ただその熱のベクトルが真反対なだけで、確かにマイナスであることには変わりはない。


「わかりますか? 普段の陛下はそういう風に静かに冷たく突き放すように怒るんです。なのに今日は感情剥き出しなんです。おかしいでしょう?」

「……俺だって人間だ。たまにはそういう日もある」

「たまには? そういう日? ほら、つまり今日は機嫌が悪いってことじゃないですか。なぜですか?」

「…………」


 ついにはぐうの音も出ず、ウィルフレッドは押し黙ることしか出来なかった。

 ボロが出るとはまさにこの事である。

 人生初、と言えるかもしれない。

 だが、それを屈辱や恥と思うより、はるかに別の事に驚いていた。


「そうか……俺は機嫌が悪かったのか」


 半ば呆然とつぶやく。

 実に間抜けな話ではあるが、まったく自覚が出来ていなかったのだ。


 自分で自分の事がわからない。

 他人からはよく聞く話ではあったが、ウィルフレッドにはまったくピンとこない感覚だった。

 こういうことか、と雷に打たれたような気持ちである。


「ですよ。やぁぁっと自覚できましたか?」


 アリシアはやれやれといった感じの声で言う。

 途端、ウィルフレッドは申し訳なくなった。


「すまん、どうやら君の方が正しかったようだ」


 素直にウィルフレッドは頭を下げる。

 君子豹変す。

 間違いがあればすぐ認め改めるのが彼の流儀だった。


「可愛がってた弟さんに裏切られて、しかも自らの手で殺して、つらくないはずがないんですよ」

「そう……なんだろうか。未だにあまりピンとはこないが」


 世間一般では、そうらしいと言うのは、わかる。

 自分も様々な言動から、どうやらつらくはあるらしいと自覚はできた。


 だが、実感が追い付いてこないのだ。

 自覚してもなお、つらいも苦しいもどこか他人事でしかない。


「まあ、大したことはない。所詮、涙の一つも出ない程度だ」


 そう結論づけざるを得なかったが、


「泣いてる人がつらくて、泣いてない人がつらくない、なんてそんな事ないです!」


 またもやアリシアに強い調子で否定される。

 その顔には必死さがにじんでいた。

 なんで他人の事にここまで必死になれるんだろう? と場違いではあるが不思議に思うぐらいである。


「昔お母さんが言ってました。一時期、自分は心が麻痺していたって」

「麻痺、か」


 ウィルフレッドはアリシアの言葉をオウム返しする。

 何も感じず、動かない。

 なるほど確かに自分の心は麻痺した状態に似ているな、と改めて思う。


「はい、若い頃、とてもつらいことが重なって、気が付くと心が麻痺して、いろんなものに鈍感になっていたそうです」

「……ふむ」


 自分ではそうでもないとは思うが、他人から見るとウィルフレッドの人生は壮絶の一言に尽きるらしい。

 その壮絶さが、自分の心を麻痺させた。

 そう考えると、確かに辻褄は合った。


「でもそれは、痩せ我慢をしているだけ、なんだそうです。自覚できないだけで、心はしっかりとダメージを負っているんだって」

「ダメージ……」


 そんなものは特にはない。

 と自分の感覚では言い切れるが、つい先程、不覚を晒したばかりである。

 自覚できないものだという話だし、安易に否定はできなかった。


「でも自覚はできないから、他人の優しい言葉も、自分はそんなに弱くない! これぐらい問題ない! って突っぱねるようになります」

「…………」


 ウィルフレッドにも、覚えはあった。

 だいたいいつも、そういう反応をしていた気がする。


「そういうのを繰り返してると、だんだん誰からも心配されなくなるそうです」

「……そうだな」


 これまた覚えがあった。

 セドリックなども、最初はウィルフレッドの体調を心配していた。

 が、本当に問題ないんだとそのうち何も言わなくなった。


「はい。そうやってどんどん孤独になっていって、ダメージは少しずつ少しずつ蓄積していって、ある日突然、ぷつんって何かが切れるような、そんな音が頭の中に響き……途端、世界の全てが色をなくした、と」

「色を、なくす?」


 いまいち想像がつかない感覚だった。

 おそらくは比喩で、色盲になるということでもなさそうだが……。


「全てが色あせて、何も感じられなくなるそうです。ご飯の味もしない。人と話していても何も響かず遠い感じになり、好きな事をしていても何一つ楽しめないどころか、感じることさえできない。心がピクリとも動かない。そんな無味乾燥とした世界だそうです」

「それはなかなかゾッとする話だな」


 他人からは心がない、情がないなどとよく評されるウィルフレッドではあるが、彼なりに喜怒哀楽はあるし、感情もあるし、事象に応じて心が動いている感覚もある。

 それが全てなくなるというのは、いったいどういう感覚なのか想像すらつかない。

 つかないが、それが相当ろくでもない世界であろうことは、容易に想像がついた。


「母君は、どうやってその麻痺を治したんだ?」


 興味を惹かれ、問わずにはいられなかった。

 明らかにアリシアの母の症状と、自分のそれは似ている。

 だがアリシアは、「昔」と言っていた。

 つまり、一時期そういう頃はあっても、ちゃんと治しているっぽいのだ。


「ん~~~……こうするんですよ」


 アリシアは顔を赤らめ少しだけ考え込んだ後、ウィルフレッドに歩み寄り、そっとハグする。

 女性特有の柔らかな感触とぬくもりが、伝わってくる。


「……これが治療法なのか?」


 ウィルフレッドはいぶかしげに問い返す。

 なんらかの妙薬やら休養ならを想像していただけに、完全に意表を突かれ、わずかだが反応が遅れた。


「そ、そうですよ! あ、あたしだって恥ずかしいんですからね!」

「それはすまない。だがこれにいったいどういう……」


 効果があるのか、と続けようとして、言葉が止まる。

 心の奥の奥に、じぃぃぃんと仄かに温かさを生まれたのだ。

 まるで彼女から感じる物理的なぬくもりが、心にまで浸透したかのように。


「つらい時や苦しい時は、誰だって人のぬくもりが欲しいものですよ」


 言葉を失ったウィルフレッドに、アリシアが教え諭すように優しく言う。

 これまた世間一般ではよく聞く言葉ではあった。


 頭では、そういうものだと見知ってはいた。

 だが、ウィルフレッドはこれまで体感したことがなかったのだ。

 人の、ぬくもりというものを。

 こうして抱き締められているだけで、心まで温かくなることを。

 心の芯からぽわぁっと温かさがにじみ出てきて心を震わせるということを。


「なるほど……悪くないな」


 たとえるなら、冬の寒空から家に帰り温かいシチューを食べた時だろうか。

 食べ物の温かさが五臓六腑に染み渡るあの感覚。

 それの心版といったところか。


『ありがとう。もう十分だ』


 そう口にしようとしたが、なぜか言葉にできなかった。

 本当の伴侶ならともかく、契約に過ぎない自分たちの関係では、少々これはライン越えだろうと頭では思う。

 傷の舐め合いなどしていても、物事は好転しない。

 そんな一時の気休めより、問題の抜本的解決を図ったほうが、結果的に心を軽く安らかにできる。


 これまでそう信じて疑わなかったが、今はこのぬくもりがどうしても手放し難かった。

 不思議だった。

 ウィルフレッドもいい年をした男である。

 他の女と肌を重ねた事はこれまで幾度かあった。


 しかし、こんな感覚を覚えたことはかつてなかった。

 身体は触れ合っていても、心は触れ合えていない。

 ずっとそんな感覚だった。

 なぜアリシアからのぬくもりだけは、素直に受け取ることができるのだろうか。


(彼女に裏表がないから、だな)


 すぐに答えは見つかった。

 アリシアは外面を取り繕うということが、とにかくへたくそだ。

 考えてることがすぐ表情や声にぽろっと出る。隠しきれない。

 貴族令嬢としては、はっきり言って失格だ。


 だがそれが、ウィルフレッドにとっては有難かった。

 少なくともその優しさに、あるかどうかもわからぬを探らなくていい。疑わなくていい。

 本心からのものだと心から信じられる。

 それがスッと受け入れることが出来、心に沁みたのだろう。


「っ!?」


 不意に胸に締めつけられるような痛みが疾る。

 ついで目がしらが熱くなった。

 ザハクの毒の後遺症か!? と一瞬思ったが、違った。

 気が付くと、ウィルフレッドの双眸から、ぽろぽろっと涙が零れ落ちていた。


「……俺にも涙なんて流せたのか」


 自分で自分に驚く。

 涙など、物心ついた頃にはもう失っていた。

 自分にもそんな人並みに泣ける情緒があった事が意外だった。


「そうか……君の言う通り、俺は悲しかったんだな」


 遅ればせながら、ようやくウィルフレッドは実感する。

 実感とともに、ドッと何とも言えない感情の波がどっとウィルフレッドの心に押し寄せてきた。


 ウィルフレッドの心は普段、波風一つ立たない静かな湖面のようなものだった。

 何かあったところで、せいぜいその湖面に波紋が広がる。その程度だった。


 だが、今回のは違う。

 これまたかつて経験したことのない、まさに嵐のような荒波だった。


 たった一人の弟だ。

 裏切りなどしてほしくなかった。

 殺したくもなかった。

 できれば幸せになってほしかった。

 だが、国の為に殺さざるを得なかった。

 その事がつらく、悲しかった。

 仕方のないことだと心の奥底に押し込めてきた事が、今まさにその堤防が決壊し、心の中にあふれかえり、荒れ狂っていた。


 そしてだからこそ――

 アリシアから伝わるぬくもりが、ただただ有難かった。

 刺々しくウィルフレッドの心に痛みを疾らせるマイナス感情が、彼女の温かさによって和らいでいく。

 ウィルフレッドの心を包み、じんわりと癒していく。


 だから今は、今だけは――

 そのぬくもりにすがるしかなかった。

誤字の指摘・報告など、いつもありがとうございます!

たすかります!!

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