第21話 sideウィルフレッド
窓からは月明りが優しく差し込み、暗い部屋を仄かに照らしていた。
手にしたグラスの水面に、満月を映し込んでから、くいっとあおる。
アルコールの熱さが、喉、胸、胃と順々に焼いていく。
「こういう日は酒に限るな」
噛み締めるように、小さく笑みを漏らす。
ウインザー王国の北方、ジーナス地方産のウイスキーである。
まだ辺境にいた頃から時々、愛飲している馴染みの酒だった。
「陛下……」
ちびちび月見酒を嗜んでいると、不意に背後からアリシアの呼ぶ声が響いた。
その声には、悲しそうな響きがある。
どうやらリチャードの事を耳にしたらしい。
「えっと、なんと言っていいのかわからないですけど、その、大丈夫、ですか?」
おそるおそるといった様子で、問いかけてくる。
なるほど、自分の事を心配してくれているらしい。
やはり優しい子である。
仮初とは言え、自分みたいな人間の妻にはもったいないぐらいに。
「問題ない。いつもの事だ」
法に従い、罪を犯した者を処罰する。
そう、いつものことであった。
今回はただそれが、半分とは言え血を分けた弟だった。
それだけの事である。
「っ! いつもの事って……じ、実の弟さんじゃないですか!?」
アリシアが声を荒げる。
確かに、世間一般では家族と言うものは大事なものらしい。
手にかけることに、躊躇を覚えるのが普通らしい。
だが――
「別に兄弟に手をかけるのは初めてというわけでもない」
淡々と言って、ウィルフレッドはウイスキーを口に運ぶ。
やはり酒はいい。
特にこの、喉を焼き尽くすような熱さが。
「初めてじゃないから問題ないって、そんなはずないじゃないですか……」
そんなアリシアの声に、ウィルフレッドはようやく彼女の方を振り返る。
言葉の内容は特に響かなかった。
せいぜい、そんなはずないと決めつけられたのが少し不快だったぐらいだろうか。
だが、世間では決めつけとは不快なものらしいので、それも気にするほどものではない。
彼が気になったのは――
「なぜ君が泣く?」
いぶかしげに、ウィルフレッドが問う。
親しい人が死んだらつらい。
それぐらいはいくらウィルフレッドとてわかる。
だが、アリシアとリチャードは挨拶回りの時に一度会ったきりで、その後、特に交流もなかったはずだ。
意味がわからなかった。
「す、すみません。陛下のお心を思うとどうしても涙が……」
「はああ……そういうことか」
疲れたような溜息が、思わず漏れた。
今の一言で、だいたいの事は察せた。
つまりは――
「女と言う生き物は、他人が泣いているとよくもらい泣きをすると聞くが、お門違いもいいところだ」
ひらひらと手を振って、ウィルフレッドは否定する。
慰めの言葉ぐらいなら社交辞令と聞き流すが、同情の涙までは勘弁願いたかった。
実際、つらくも痛くも苦しくもないのだから。
そんな辛気臭いものを見せられても、酒が不味くなるだけである。
せっかく今宵は満月だというのに、興覚めもいいところだった。
「お門違い、ですか?」
「ああ、俺は別につらくもないし、泣いてもいない」
「そんなっ! つらくないわけないじゃないですか!」
「そう言われてもな、ないものはないからな」
「でもっ! たった一人の弟さんに裏切られ、しかも死んだんですよ。それで傷つかないはずな……」
「人の心を勝手に推し量り、決めつけないでもらおうかっ!」
少しだけ、語気が荒くなった。
さすがにこの押し問答が、鬱陶しかったのだ。
確かに世間一般では、そういうものなのだろう。
だが、それを押し付けないでほしかった。
「同情ごっこがしたいのなら、すまないが他でやってくれないか?」
もうこの話は終わりだとばかりに冷たく突き放し、ウィルフレッドは窓に視線を移し、グラスを傾ける。
先程は心地よかった熱さが、今は不快極まりない。
やれやれ、これではもう酔えそうになかった。
「……も、申し訳ございません。出しゃばった口を聞きました」
ウィルフレッドの剣幕に、アリシアが慌てたように謝罪の言葉を述べてくる。
そんな簡単に引っ込むのなら、ズカズカと人の心に踏み込んでくるなと思う。
苛立ちはむしろ増したが、一応は謝ったのだ。
こちらも矛を収めるべきだろう。
「いや、こちらも口が過……」
「でも!」
ウィルフレッドが謝ろうとした矢先、アリシアが声を張り上げる。
ようやく話が終わったと思ったのに、今度はなんだ!?
「絶対にこれだけは譲りません! つらくないはずないんです!」
キッとウィルフレッドの目を見据え、頑として言い張る。
その瞳には、強い意志がほとばしっている。
デジャヴがあった。
結婚式の時に見て、思わず目を惹かれたあの光だった。




