第19話 sideウィルフレッド
「陛下!!」
夜間だというのにけたたましい声とともに駆け込んできたのはセドリックである。
すでにアリシアは隣室で休ませている。
これからするのは、どう考えても血生臭いものである。
彼女に聞かせたくはなかった。
「……とりあえずご無事なようで何よりです」
ウィルフレッドの顔を見るなり、セドリックはほうっと安堵の吐息をつく。
その顔には随分と疲労の色が濃い。
なんでもウィルフレッドは実に三日も昏睡状態だったと言う。
その間、色々不安と戦い、仕事の穴を埋めてもいたのだろう。
「ああ、今回もなんとか生き残れたらしい」
死線を越えるのは、初めてではない。
幼少期には天然痘で死にかけたし、毒殺されかかった事は幾度もある。
刺客に襲われたことも数知れずだ。
戦場でも一か八かの賭けに出た事は少なくない。
ウィルフレッドはとにかく、悪運だけはあるのだ。
「さすがに今回ばかりはもうダメかと覚悟しましたよ」
「そうなのか?」
「ええ、侍医によれば、矢に塗られていたのはザハクの毒だったそうです」
「ほう、少量で大型の獣すら絶命させるというあれか?」
「です。よくもまあそんなものからご生還なされましたよ。さすがは陛下です」
「ふっ、ガキの頃の暗殺者たちのおかげかもな」
ウィルフレッドは小さく笑みをこぼす。
幼少の頃の毒殺未遂の経験が、毒への抵抗力を上げたと言う可能性はありそうである。
「まったく笑い事ではございませんけどね」
セドリックは呆れとも疲れとも取れる嘆息をする。
見解の相違はいかんともしがたいようだ。
「そうか? 十分笑い事だろう? 間抜けにもザハクなんぞを使ってくれたんだからな」
ニッとウィルフレッドは口の端をあくどく吊り上げる。
ザハクとは、バロワ王国にのみ棲息する稀少な大蛇の名前である。それゆえウインザー王国では入手は非常に困難だ。
すなわち入手経路は極めて限定され、特定しやすいのだ。
「先日死んだアランとかいう名の密売人がいたよな? 確か押収した品の中にザハクがあったという報告があったのを覚えている」
例の世間の噂ではイケメン罪で処刑したということになっているらしい男である。
勿論、実際にそんな理由ではない。
表向きこそ御用商人として、また下町の面倒見のいい顔役として評判の男であったが、裏では麻薬などの禁制の品の密輸や人身売買などに手を染めていた極悪人だった。
一介の商人ごときがここまで大掛かりなことをするとは考えにくい。
おそらくバックにかなりの大物がいるはずだ。
是非ともそいつの名を吐かせたかったのだが、アランは捕まえた翌朝には身体が冷たくなっていた。
病死か毒殺かまでは判然としなかったが、おそらくは余計なことをしゃべる前に消されたのだろう。
ウィルフレッドとしては黒幕への手がかりが途絶えたと忸怩たるものがあったのだが、意外なところからまたつながったものである。
「ええ、私もそれを思い出し、ガーデンに調査を進めてさせております。あんなものを密輸する人間など、他にいるとも思いませんでしたからね」
「さすがだ。仕事が早い」
思わずニッとウィルフレッドは口元をほころばす。
「この程度の事ぐらい出来ねば、あなたの側近は務まりませんよ」
一方のセドリックはと言えば、自慢するでもなくさも当然とばかりに流す。
まったく頼りになる有能な副官である。
ちなみに、ガーデンとはウィルフレッドが極秘に設立した諜報機関の名である。
ウインザー王国自体にもシスという名の諜報機関があるにはあるのだが、国内の貴族連中の息がかかっている者も少なからず在籍しており、正直こういう時にはあまり使えないのだ。
「アランの不審死も、ザハクによるものと思うか?」
「おそらくは……」
ウィルフレッドの推測に、セドリックも同意を示す。
ザハクの毒は症状としては心臓麻痺に似ており、内服すると病死なのか毒殺なのか非常に判別がしにくいのだ。
実に辻褄が合う。
「自分が仕入れたもので殺されるとは、なんとも間抜けな話だな」
「悪党には似合いの末路かと」
「それこそ笑えんな」
ウィルフレッドは自嘲気味に肩をすくめる。
悪党と言うならば、自分こそが世紀の大悪党であるという自覚がある。
ちょっと運が良かっただけで、ザハクによる毒殺が自分の末路だったとしても、なんらおかしくはなかったのだ。
コンコン。
不意に、ドアをノックする音が響く。
「なんだ?」
「失礼します」
挨拶とともに、おさげ髪のメイドが入ってくる。
年は二〇前後といったところか、顔立ち自体は整っているのだが、どこか地味でパッとしない印象である。
まあ、化粧でそう作っているだけなのだが。
「侍医の先生より薬をお持ちするように、と」
「そうか。ではそれを置いて下がれ。陛下と私は今、大事な話の最中だ」
「は、はい」
セドリックの言葉に、メイドはビクッと身体を震わせ、茶器を机に置いてそそくさと部屋から出ていく。
ドアが閉まるのを確認してから、セドリックがつかつかと机に近づき、茶器の隣に置かれた薬包を手に取り、「どうぞ」と恭しくウィルフレッドに手渡す。
だが、肝心の白湯の入った茶器は放置のままである。
そして、ウィルフレッドもそれを指摘することなくおもむろに薬包を開く。
そんなことをすれば、本来なら中の薬がこぼれるところだが、何も落ちてこなかった。
当然だ。最初からそんなものは中に入っていないのだから。
中に入っていたのは、別のものである。
薬包の紙の裏側にびっしり書かれた文字、すなわち情報だ。
あのメイドは、諜報部の手の者なのだ。
「……っ!?」
そこに書かれた内容は、ウィルフレッドをして思わず目を疑う内容だった。
そうであって欲しくないと、心から願っていた。
一方で、やはりという思いもある。
「つくづく俺はこういう星の下に生まれついてしまったらしい」
ウィルフレッドは皮肉げに力なく笑い、紙片をセドリックに渡す。
「なっ!? ま、まさか……」
セドリックも驚きを露わにしている。
その紙片には、今回のアリシア暗殺未遂事件の首謀者の名が記されていた。
ウィルフレッドもセドリックもよく知る人物の名である。
リチャード=アキテーヌ=ウインザー。
ウインザー王国の王位継承権第一位にある者であり、この世に残されたウィルフレッドの唯一の肉親の名であった。
 




