第18話 sideウィルフレッド
目を見開くと、見覚えのある天井があった。
すっかり見慣れた、自分の寝室である。
「……どうやらまだ生きてはいるらしいな」
どこか他人事のように、ウィルフレッドはつぶやく。
こういう時、普通の人はやはり生きていることに心から歓喜するのだろう。
だが、特にそういうものはない。
何も心に去来するものがない。
自分はやはり壊れているんだなと、改めて実感する。
「っ! 陛下! 目が覚められたのですね!?」
ばっと眼前にアリシアの嬉しそうな顔が飛び込んでくる。
その顔を見ると、とりあえず生きていて良かったと思う。
彼女に妙な罪悪感を植え付けるのは、さすがに忍びない。
「ああ、なんとかな」
返しつつ、ウィルフレッドはむくりと身体を起こす。
「あっ、ま、まだ寝ていたほうが……」
「問題ない」
グーパーと拳を握って開いてを繰り返しながら、ウィルフレッドは言う。
毒の影響か、若干身体が重く力も入りにくいが、それだけだ。
これならすぐに執務に戻れそうである。
なんて考えていたウィルフレッドであったが、
「う、ううっ……」
「っ!?」
嗚咽がしてアリシアに視線を向け、思わずギョッとする。
アリシアの双眸から、ポロポロと涙がこぼれ、
「うああああああん!!」
瞬く間に堰を切ったような大泣きへと変わる。
「ど、どうした!?」
珍しく、ウィルフレッドが狼狽えつつ問う。
実のところ、彼はこういう事態に遭遇するのが初めてである。
基本、戦場には女性などまずいないし、貴族の女性というものは人前でこんなボロ泣きはまずしない。家の恥になるからだ。
まったくの初めての状況、しかも女性の扱いなどという不得手なウィルフレッドには、どう対処すればいいのかわからなかったのである。
「うううっ、良がったぁ……本当に良かっだぁっ……!」
「…………」
アリシアの口から漏れた言葉に、ウィルフレッドはこれまた珍しく、目をぱちくりさせる。
実に今さらながらではあるが、この言葉でようやく、彼はアリシアが自分の安否を相当に心配してくれていたということに思い至ったのだ。
いくら夫とは言え仮初の契約夫婦、しかも一週間ちょっとの付き合いで、そこまで大泣きできるなど、彼には想像の埒外すぎたのである。
よく見れば、アリシアの目の下には、隈が濃い。
もしかすると徹夜で看病をしてくれていたのかもしれない。
「随分と心配をかけたようだ。すまない」
ウィルフレッドは素直に頭を下げる。
申し訳ないと思うと同時に、泣いてくれているのが少しだけ嬉しかった。
(……嬉しい?)
自分で自分の感情に戸惑う。
他人に心配をかけ泣かせておいて、いったい何が嬉しいのか。
意味がわからない。
どうにもこの少女と接していると、調子が狂う。
「えぐっ、えぐっ、あ、謝らないでください。むしろあたしのせいでこんな……」
「君が気にすることではない。俺がミスっただけだ」
実際、反射的に自分が狙いだと判断したせいで、初動が遅れたのが怪我をした原因だった。
そのロスさえなければ、無傷で切り抜けられた場面だったのだ。
全く自分も、戦場を離れて鈍ったものである。
「いえ、陛下のせいじゃないです! あたしがトロいから……」
「訓練を受けていない君が反応できないのは当然だ。君に責はない」
「じゃあ陛下にだってないですよ! むしろ感謝しかないです。陛下が助けてくださらなかったら、あたしは今頃……」
思い出したように、アリシアが両腕で自らの身体を抱き、ガタガタと震え出す。
幼少のあれこれから毒に抵抗があるウィルフレッドですら、昏倒するような毒だ。
もし自分ではなくアリシアが矢を受けいていたら?
亡くなっていた可能性は極めて高い。
少しだけ、胸がザワついた。
(……ふむ、思ったより俺は、アリシアの事を気に入っているらしい)
他人事のように、ウィルフレッドは思う。
これではアリシアの事を笑えない。
だが少なくとも、彼女には笑顔でいてほしいし、悲しんだり怖がったりする顔は見たくなかった。
グッとウィルフレッドは拳を握り締める。
「安心しろ。犯人は速攻で捕まえる。黒幕まで含めて」
これまで自分に敵対した連中には、残らず対価を支払わせてきた。
あまりにも割に合わない、と。
今回もただそれをやるのみである。
「君に手を出したらどうなるか、他の奴らにも思い知らせてやる。徹底的に、な」
その声には、ただならぬ剣呑な雰囲気が漂っていた。
その場にいたアリシアや、メイドたちが思わずゾクッとしてたじろぐほどに。
ウィルフレッドには自覚はなかったが、彼は静かに怒っていた。




