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孤高の王と陽だまりの花嫁が最幸の夫婦になるまで【長編版】  作者: 小鳥遊真


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第17話 sideウィルフレッド

 ウィンザー王国千年の歴史を紐解いてみても、国王をよりにもよってトイレ掃除係扱いした者は空前絶後であろう。

 いるわけがない。いたらまずその場で即刻処刑されている。

 それが国王というものだ。


 ウィルフレッドが周囲に目を向けると、当然とも言うべきか、アリシア付きの女官たちも顔を真っ青にしてあわあわおろおろしている。

 そんな彼女らにかまわず、


「陛下は知らないかもしれませんが、掃除ってのはけっこう大変なんです! 特にトイレ掃除は!」


 アリシアは大きく声を張り上げる。

 おそらく夢中になるあまり、周りがよく見えていないのだろう。

 普段はけっこう臆病なところもあるのに、時々こういう信じられないような無鉄砲なことをする。

 それがまあ、ウィルフレッドとしては面白く興味深いのだが。


「ええ、あたしも実家では家族の持ち回りで何度かやってましたけど、正直うえってなったものです。凄い臭いし、布越しですら触りたくない! って。ああ、思い返すだけで嫌な気分です。何度、弟妹たちに押し付けたいと思ったことか。というか、実際押し付けてお母さんに怒られたりしたんですけど」


 まくしたてつつ、アリシアはむむぅっと眉間にしわを寄せる。

 トイレ掃除についてここまで熱く語る王妃は、おそらくウインザー王国初であろう。

 熱弁はさらに続く。


「バロワでも、ウインザーでも、宮殿のトイレってすっごく綺麗なんです。窓だって廊下だって調度品だって全部全部(ほこり)一つないぐらいです。食器や衣類なんかも清潔で、そうやって貴族の人たちが快適に過ごせているのは、そういう毎日掃除をしてくれてる人たちのおかげなわけですよ!」

「まあ、その通りだな」


 そこについては、ウィルフレッドも異論はない。

 宮殿と言えど、家であることには変わりはない。

 家というものは、使えば使っただけ、いや使わなくても、どんどんと汚れていくものだ。

 それが綺麗であるということは、そうしてくれる存在がいるということである。


「なのに貴族の人たちときたら、そういう人たちをまるで汚いものでも見るような目を向けてるんです!」

「ふむ」


 言われてみると、ウィルフレッドもそういう光景を何度も目にしたことがあった。

 そういう掃除をする者たちを下賤の者だと見下すような目で見る貴族は少なくない。

 自分たちの視界にすら入るな、と厳命する者さえいる。


「でも、これってすっごくおかしいことだって思うんですよ! だって自分の代わりに嫌で面倒なことをしてくれているんですよ? 変な目で見ず、感謝するのが筋ってものじゃないですか!?」


 グッと拳を握り、アリシアは力説する。

 そんな新妻に、ウィルフレッドは若干目をぱちくりさせつつ問う。


「君の言っていることはいちいちもっともだとは思うが、それが俺とどういう関係があるんだ?」

「え? わかりません?」


 今度はアリシアのほうがキョトンとする番だった。


「ああ、正直、話が飛びすぎてよくわからん」


 苦笑とともにウィルフレッドは肩をすくめる。

 粛清の話をしていたはずなのに、気が付けば貴族は掃除夫に感謝が足りないという話になっている。

 ウィルフレッドからすればミステリー以外の何物でもなかった。


「むぅ。だから、陛下はこの国の(・・・・)掃除夫さんみたいだなって思ったんです」

「ああ」


 なるほど、そこにつながるわけかと、ようやくウィルフレッドにも彼女の言いたいことがわかってくる。

 トイレ掃除というワードがあまりに強烈すぎて、いまいちつながらなかったのだ。


「あたしは馬鹿だから、政治のこととかよくわからないですけど、やっぱり国っていろいろいっぱいの問題が起きてるって思うんです。悪い人たちってやっぱりいっぱいいるし、外から攻めてくる人たちだっているし」

「ふむ」

「国のみんなが幸せに安心して暮らすには、誰かがそういう悪い人たちをなんとかしないといけないと思うんです。でもそれは凄く面倒で難しくて、誰もやりたがらないことなんだろうなって」

「……まあ、そうだな」


 国の制度や仕組みは、どんどん古くなるし、贅肉も増えていくが、それを刷新しようとすると、既得権益層が騒ぎ出す。

 下手に断行しても、憎まれ恨まれ、果ては命の危険にまで晒される。

 そんな面倒な事をするぐらいならば、自分も既得権益の温床に浸かって、ぬくぬくと過ごすほうが、個人としてみれば平和で幸せで賢い生き方ではあろう。

 その先延ばし先延ばしのツケが、今の生ごみが腐乱して悪臭漂うゴミ屋敷と化したウィンザー王国なのだろうが。


「陛下は誰もが嫌がる面倒くさいことを率先してやっておられる方だと思います。それもけっこうトイレ掃除の類の!」


 ビシッとウィルフレッドを指さし、アリシアは力強く断言する。

 その様子にまたアリシア付きの女官たちが顔色を変えるのが、また面白い。

 思わず笑いがこぼれるほどに。


「くくくっ、そうだな。確かに俺の仕事はまさしくトイレ掃除の類だな!」

「はい、トイレ掃除なんだから、きっと綺麗事では済まないんだろうなってことぐらいは、わたしにだってわかります」

「時には人を殺めることも、か?」


 口にしてから、ウィルフレッドは少しだけ後悔する。

 労わってくれてる相手にこれは、意地悪な返しだったかもしれない。

 ただなんとなく、試してみたくなったのだ。


「……はい、そうせざるを得ないことも、きっとあるのだろう、と」


 アリシアは顔を強張らせながらも、しっかりと頷く。

 この数日でもわかる。

 アリシアは、温かい家族の下で平和に育っている子だ。

 人を殺すなどとは無縁の人間だ。

 相当怖いに違いない。抵抗があるに違いない。


(それでも目を逸らさず、まっすぐに俺を見据えてくる、か)


 目の前にいるのは、数万人を殺した悪鬼羅刹の類だというのに、だ。

 まったくわけがわからなかった。


「わたしのお母さんって、怒るとめちゃくちゃ怖いんですよ」

「んん?」


 またなにやらいきなり話が飛んだ気がした。

 まあ、彼女にはよくあることではある。


「でもこれをしたらすごい怒られる! って思えたから、そういうことしないようになったなって。陛下がなさっていることも、要はそういうことでしょう?」

「……まあ、そういう側面はあるな」


 頷きつつも、思わずウィルフレッドは目をみはる。

 確かに、ウィルフレッドの行っている一連の粛清には、そういう意図がある。


 人という生き物は、楽な方向へ楽な方向へと流れてしまうものだ。

 それはもうどうしようもない人のサガというものである。

 だから、その弛みまくった綱紀を正すためには、怖い存在も必要不可欠というのがウィルフレッドの考えだった。


「そんな皆のために嫌な役をやってるひとが、嫌われて変な目で見られているのは、やっぱり納得いかないです!」


 唇を尖らせ頬を膨らませ、不満を表明するアリシア。

 彼女にしてみれば全くの他人事のはずなのに、本気で怒っている。

 つくづくお人好しと言うべきか、珍妙な娘だと思う。


「納得いかない、か」


 つぶやき、ウィルフレッドの口から思わず笑みがこぼれる。

 それはいつもの皮肉げな冷笑ではなく、口元がほころぶような笑みである。


(なんなんだろうな、これは?)


 今回だけではない。

 彼女と話していると時々、不思議な感覚に陥るのだ。


 正直、彼女の言うことは絵空事で、くすぐったくて、居心地も悪くて仕方がないが、なぜか不快ではなかった。

 それどころか、胸がちょっとだけポカポカする。

 今まで生きてきて、感じた事のない感覚である。

 これはいったい……?


「っ!?」


 未知の感覚を分析しようとした矢先のことだった。

 突如生じた殺気に、全てが吹き飛んだ。


 気が付くと、反射的にその場から飛び退っていた。

 視界の片隅に、飛来する矢が見えた。


「ちぃっ!」


 忌々しげな呻きとともに、ウィルフレッドは慌てて矢の方へと駆け出す。

 油断していた。

 狙われているのは自分だろう、と。


「えっ!?」


 アリシアが向かってくるウィルフレッドに、驚いたように目を見開く。

 そのすぐ後ろに、矢が迫っていた。

 ウィルフレッドは彼女に飛びつき――


「ぐっ!」


 左肩に、鋭い痛みが疾る。

 そのままゴロゴロと芝生を転がると、ザシュ! ザシュ! と二人を追うように地面に矢が突き刺さっていく。

 四阿の柱の物陰に身をひそめたところで、ようやく攻撃の手が止んだ。


「へ、陛下!?」


 腕の中で、アリシアが慌てたような声をあげる。

 声の調子からして、何が起きているのかまだよく把握していないらしい。

 それが彼女の無事を教えてくれる。

 ほうっと安堵の吐息をこぼす。


 ――が、そこまでだった。

 心臓が、苦しい。

 呼吸が、できない。

 視界がグニャグニャと歪み出し、意識が遠のき始める。

 どうやら用意周到にも、毒まで塗ってあったらしい。


「ちっ」


 舌打ちとともに、ウィルフレッドの意識は白濁の中に呑まれていく。

 アリシアが自分を呼んでいる気が、それももうはっきりとしない。


(俺もここまで、か)


 だが、ここで終わるのも悪くないと思った。

 少なくとも、彼女は守れはしたのだから。


 もし自分が死んだ時、彼女が自分を責めたりしないだろうか。

 ただそれだけが気がかりだった。

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