第16話 sideアリシア
その小さな四阿からは、先程の美麗な庭園が一望できる。
テーブルや、自分の前に置かれたティーカップもいかにも高級そうで、庶民育ちのアリシアには、やはり壊したらどうしよう! と落ち着かない。
このティーカップ一つで多分、実家の家族が数ヶ月ぐらいは過ごせそうである(ちなみに実際は余裕で五年は暮らせる額である)。
怖くてとても触れる事さえできず、
「あ、あの、そういえば、お仕事大丈夫なんですか?」
とりあえず、おずおずとアリシアは尋ねる。
ウィルフレッドが極めて多忙な人間であることはこの数日だけでもよくわかっている。
話があるとアリシアのほうから切り出したのだが、今さらながらに自分などに時間を使ってもらうのが申し訳なくなってきた。
「問題ない。働きっぱなしより、休憩を入れたほうが仕事の効率はむしろ上がる。そう君の母君も言っていただろう?」
「では、なおさらわたしなどの相手をするより休まれたほうが……」
「君との会話はいいストレス発散になる。君はエキセントリックだからな。話していて楽しい」
「そ、そうですか……」
少し顔を引き攣らせながら、アリシアは愛想笑いする。
エキセントリック……つまり頭がおかしいということだろうか?
彼としてはむしろ褒めてくれているであろうことはわかるのだが、珍獣扱いされてるようで褒められている気がまるでしない。
「まあ、陛下の息抜きになっているのなら」
とりあえず、そう自分を納得させることにする。
それでもまだちょっと申し訳なさは残ってしまうが。
「だからなると言っている。で、話とはなんだ?」
「あの、お聞きしたいことがあって……」
「ほう? 答えられることは答えよう」
なんでも答えよう、と安請け合いしないあたりが不器用で、この人らしいと思う。
そして、誰に対してもこの人はそうなのだろう。
国王という重責を、独りで抱え込んでいる。
それはとても大変で、とても寂しいと思った。
自分ごときには何もしてあげられないけども……
「では……ほら、以前、宮廷内の噂のこと訊いたじゃないですか?」
「以前? 俺の評判がどうの、というやつか?」
「はい。なんかいいひと論争でうやむやになってしまって結局、真相をお聞きできなかったな、と」
「ああ、そういえばそうだったか」
ウィルフレッドも思い出したように頷く。
「はい、すっかり忘れてたんですけど、思い出すと気になってしまって……本当のところはどうなんです?」
「噂のいちいちまで確認してはいないが、俺が粛清しまくっているという奴なら、単なる事実だ」
実に淡々とウィルフレッドは言う。
「はい、それは……存じております」
アリシアはきゅっと唇を引き締め、硬い表情で小さく頷く。
それは出会った時の雰囲気からもよくよく思い知っている。
ウィルフレッドは決して優しいだけの男ではない。
必要とあらば、眉一つ動かすことなく人を殺せる。
そういう冷徹な怖さも持ち合わせている男だ。
「ほう、最近の君を見ていると少々不安だったが、とりあえずそこは認識してくれていてほっとした」
「むぅ、馬鹿にしないでください! それぐらいわたしだって聞き知っております!」
苦笑いとともに肩をすくめるウィルフレッドに、アリシアは唇を尖らせて不満げに声をあげる。
どうも夫からは、物凄い世間知らずの馬鹿と思われている節がある。
……否定できないのが悔しいが。
「ふむ。では、何が問題なんだ?」
「評判ですよ、評判! なんで陛下が悪者になってるんですか!?」
「は?」
アリシアの返答に、キョトンとするウィルフレッド。
他人から悪く思われたくない、言われたくない。
人間としてごく当たり前の心理なのだが、彼にはよくわからないらしい。
小首を傾げ少し考えてから口を開く。
「粛清などすれば、周囲から恐れられ、嫌われ、陰口を叩かれる。至極当然の事だと思うが?」
その言葉には、感情の揺らぎがまったくない。
本当に彼にとってはどうでもいい些事なのだろう。
それがアリシアには悲しく、そしてムカムカしてくる。
「それは罪もない人たちを粛清した時でしょう!?」
バンッと机に手を突き、アリシアは立ち上がりさま叫ぶ。
その剣幕に、ウィルフレッドが驚いたように目を見開くが、構わずアリシアは続ける。
「今日も、女官たちの噂話を耳にしました。アランという方を処刑したって。いいひとで、陛下はその人がイケメンだったから妬んで殺した、と」
「アラン? ああ、御用商人のか。くくっ、それは傑作だな。世間ではイケメン罪で処刑したことになっているのか」
「茶化さないでください!」
他人事のように笑うウィルフレッドに、アリシアの怒りはさらにボルテージが上がる。
腹が立って腹が立って仕方なかった。
「たった一週間でもわかります! 陛下は決して噂のように、自分の意に沿わないからってだけで見境なしに粛清される方では絶対にありません!」
一息にまくしたて、フーフーとアリシアは山猫のように肩をいからせる。
そして今さらながらに後悔が襲ってくる。
いくら王妃とは言え、国王に仕える身であることには変わりはない。
その主人相手に声を荒げるなど言語道断である。
しかも出会ってまだ一週間かそこら。
馴れ馴れしいにも程があると自分でも思う。
それでも、叫ばずにはいられなかったのだ。
誰かが否定してあげないとだめだと思ったのだ。
「……ふむ、そのキラキラ視界は未だ継続か」
「陛下!」
思わず反射的に、再び声を張り上げるアリシア。
後悔した矢先に同じことをやらかす自分が情けないが、今のはウィルフレッドのほうが酷いと思った。
こっちは心底から心配していたというのに、そんな風に返すなんて。
ウィルフレッドは苦笑いを浮かべて、
「気に障ったのならすまん。別に馬鹿にしたつもりはない」
「どこからどう聞いてもそうとしか聞こえませんけど?」
ブスッと唇を尖らせ、アリシアは非難がましい視線をウィルフレッドに向ける。
不敬だとは思ったが、もう知ったことか! である。
いくら国王でも、人としてしていいことと悪いことがある。
「本当に、そんなつもりではなかったんだ。むしろ羨ましく思ったほどだ」
「羨ましい?」
訝しげにアリシアは眉をひそめる。
キラキラ目線=馬鹿の何が羨ましいというのか?
皮肉か? 皮肉のつもりか!? と臨戦態勢に入りかけ、
「ああ、きっとご両親に愛されて育ったのだろう、とな」
小さくどこか寂しげに笑うウィルフレッドの姿に、しゅ~んっと怒りが霧散する。
セドリックからアリシアが聞いた話によれば、ウィルフレッドは幼少の頃からずっと辺境で過ごしていたと聞く。
当然、王都にいる国王とは会ってはいまい。
母親も彼が幼いうちに心を病み、一〇歳の時には亡くなったとある。
アリシアなどには想像がつかないような苦難があったに違いない。
アリシアも父はなく母一人の家庭で育った頃もあったが、色々つらいことがあったときは母が優しく慰めてくれた。
思い悩んでいた時には、それとなくアドバイスをしてくれた。
見守られている、それだけで不安が消え、勇気がもらえた。
そういうことが、とても自分の助けになったことをアリシアはよく覚えている。
でも、ウィルフレッドには多分、そういうものはなかったのだ。
それを想うだけで、アリシアは胸が締め付けられるような気がした。
「おっと、また脱線するところだったな。まあ君の言う通り、見境なしでないことは確かだ。法に則って、法を破った者のみを処断している。粛々と、な」
わずかに見せた素顔は、国王の仮面にすぐに覆い隠される。
その表情はもう完全にいつも通り、淡々としたものだ。
さらに――
「とは言え、その法を定めたのも俺だ。そういう意味では、俺の意に沿わないから処分している、のだと言えるな」
皮肉げな冷笑とともに、そう付け加える。
「またそういうことを……」
思わず溜め息が漏れた。
だんだんわかってきた。
この人は自らが咎人だと、心の底から思っている。
彼が人を大勢殺していることは確かだし、それは間違いのない事実である。
そしてそれを許されるとも、否、許されたいとも思っていない。
仕方のない当然の事、と思っている。
だからこんな露悪的な物言いになるのだろう。
「……なぜ君がそんな悲しそうな顔をする?」
「陛下が悲しいことを言うからです」
「俺が?」
キョトンとされる。
しばし考え込むも、
「……ふむ、正直、どれが気に障ったのかわからん。セドリックいわく、俺にはデリカシーとやらがないらしいしな。何か傷つけるようなことを言ってしまったのならすまない」
まったく見当違いの答えが返ってくる。
それがまた、アリシアの感情を逆なでる。
「あたしのことはどうだっていいんです! 今は陛下のことです!」
再びバンッ! と机を叩いてアリシアは叫ぶ。
ガチャンッと何か甲高い音がした気がしたが、今はどうでもいい。
「確かに、陛下が大勢の命を奪っていることは、変えようのない事実なのでしょう。その事に強い罪悪感をお持ちなこともお察しいたします」
「いや、別に罪悪感など持っては……」
「シャラップ! 話は最後まで聞いてください!」
「あ、ああ」
アリシアの勢いにウィルフレッドがたじろぐ。
そんな彼にアリシアは人差し指を立て、
「いいですか、陛下! 陛下はいわば掃除夫なのです。それもトイレ掃除係!」
「……は?」
これにはさすがのウィルフレッドも、目が点になった。




