第12話 sideウィルフレッド
その数日後、ウィルフレッドが寝室で家臣からの意見書を読んでいた時である。
何やら楽し気な鼻歌とともに、いい匂いが漂ってくる。
いったいなんだと振り返ると、アリシアが鍋を抱えて部屋に入ってくるところだった。
「なんだ、それは?」
「え? ああ、ポトフです。宮廷のお料理って美味しいんですけど、あたしにはちょっと豪勢すぎて、なんか舌に馴染んだものが食べたくなっちゃいまして」
ウィルフレッドが問うと、アリシアはぺろっと悪戯っぽく舌を出して答える。
ポトフはウィルフレッドも知っている。
ウインザー王国ではごくごく一般的な庶民料理の一つであるし、ウィルフレッドも戦場では度々食したものだ。
作り手によって随分と味が変わるが、だいたい美味かった記憶もある。
「こんな夜中に、まだ料理人が残っていたのか」
「え? これはわたしが作ったんですよ。後宮の台所お借りして。埃被ってたから掃除大変でしたけど」
「ああ、まあ、俺の代になってから誰も使ってなかったからな」
地味に後宮というものは、維持費に莫大な金がかかる。
平均して毎年、その年の税収の一〇%~一五%程度。
好きものの王の時には二〇%を超える時もあると聞く。
王族にとって子孫を残すことが大事とは言え、いくら何でも使いすぎである。
ただでさえ今は、国家財政が火の車なのだ。
それだけの資金があるのならば、もっと別のとこに回すことにしたのである。
「しかし、君は料理ができるのか」
ウィルフレッドの知る女性というのは、だいたいが宮仕えの者たちで、そういう者たちは料理などというものは、下女がやるもの、という認識だった。
変な意図はなく、ただそれだけだったのだが、
「ちょっ、それわたしを馬鹿にしてます? これでも、お母さんに家事はみっちり仕込まれてるんですから。このポトフなんかお母さん直伝でめちゃうまなんですからね!」
「ほう?」
先程から匂いに刺激されたこともあり、若干小腹も空いてきていたことである。
めちゃうまとまで言われると、俄然興味が湧いた。
「では、ご相伴にあずからせてもらっていいだろうか?」
「ええ、どうぞどうぞ。食事なんてものは誰かと一緒に食べたほうが美味しいですしね」
言って、アリシアはすでに部屋に持ち込んできていた小皿によそって差し出してくる。
基本、王たるものは、毒見を済ませたものしか食せないのだが、これはアリシアが自分の為に作った料理である。
毒など入れようはずもない。
ウィルフレッドも安心してそれを受け取りまずスープをすすり――
「っ!?」
口の中に衝撃が疾る。
繰り返すが、ウィルフレッドもポトフは食べたことはある。
そのどれよりも突き抜けて美味かったのだ。
言ってしまえばポトフとは、ぶつ切りにした野菜や肉を放り込んで煮込んだだけの粗野な料理でもある。
特に戦場だとその色合いが濃い。
だが、アリシアの作ったそれは、いくつかの調味料と素材から漏れ出た出汁が複雑に、しかし絶妙なハーモニーを奏でていた。
「美味い」
「でしょう? お母さんのレシピは最強なのです」
アリシアは「どーだ!」とばかりに自慢気に胸を反らしてふふんっと鼻を鳴らす。
だが、この味なら納得である。
そして、あくまで自分ではなく、母の手柄だというあたりが、素直な彼女らしいと思った。
「具材にも味がいい感じに染みてるな」
「火を止めてから二〇分ほど放置するのがコツなのです」
「なるほど、だからか」
熱すぎず冷たすぎない、食べやすい丁度いい温度なのだ。
そしてジャガイモのほくほく具合が特に絶品だった。
パクパクパクパクとウィルフレッドは一気にポトフを平らげ、
「ごちそうさま。本当に美味しかった」
「ふふっ、お粗末様でした」
「正直、宮廷で出されるスープもあれはあれでうまいが、毎日となると、俺はこっちがいいな」
世辞抜きで、そう思った。
色々な調味料を入れ味を複雑にすれば美味しくなるが、それは「よそ行きの味」になる。
よそ行きの味は、美味しいが、毎日は食べたくならない。
なんというか、飽きるのだ。
だがこのポトフは、複雑な味わいながらも、毎日でも食べたくなるような穏やかで素朴な優しい味わいとなっている。
それが凄いところだと思う。
「こんなのでよければ、いつでもお作りしますよ」
「ほう、ならお願いしようか。これなら冷めても美味そうだしな。夜食に丁度いい」
「ああ、そういえば陛下、毎日、夜遅くまでお仕事していらっしゃいますものね」
「俺としては君といる間ぐらいは休みたいのが本音なんだがな」
ウィルフレッドは苦笑いとともに、ポンポンっと机に積まれた書簡の山を叩く。
とりあえず今日やらねばならない分である。
それを見て、アリシアも同情する顔になる。
「お疲れ様です。ですが、あまり根詰めすぎるとお体を壊しますよ」
「そうでもしないと溜まっていく一方なんだ。サボれるものなら俺もサボりたい」
「あの、どなたかに任せることはできないのですか?」
「官吏にあまり使える奴がいなくてな」
現在、宮廷に出仕している官吏の大半は、爵位貴族の次男三男ばかりである。
それも能力で選ばれたのではなく、完全な縁故採用だ。
はっきり言って、みんな使えない奴ばかりなのである。
そしてセドリックをはじめ、優秀なやつにはすでに目いっぱい仕事を回しているが、仕事量に対してあまりに人材が足りない。
「現在はちゃんとした試験制度を作り、優秀な新人を採用し始めているが、それでもそいつらが一人前になって仕事を任せられるようになるまでもう少しかかるだろう。後一年はこの調子だな」
それまでの辛抱だ、とウィルフレッドは肩をすくめる。
まあ、改革の大鉈を振るったのだ。
こうなることは織り込み済みである。
が、アリシアの感想は違ったらしい。
「一年!? そんなに長くこんな調子でお仕事されてたら、絶対お体を悪くしますよ!」
「そうは言っても、俺がやらねば、全てが滞る。時間は待ってくれん」
「では、陛下がお倒れになったらどうするんです?」
「むっ」
これは痛いところを突かれた、とウィルフレッドは言葉に詰まる。
誰か一人に依存するシステムというのは、極めて危険であることは、彼も重々承知しているところだった。
「陛下がお強いことも、優秀なことも存じております。が、それでも人間です。どこかにきっと限界はあります」
「……ふむ」
少しだけ驚いたように、ウィルフレッドは目を瞠る。
いつもいつも周りからは化け物扱い、超人扱いされてきただけに、人間扱いされたことに軽く違和感があったのだ。
だが、彼女の言う通りである。
ウィルフレッドも人間であることに変わりはなく、限界はあるのだ。
「お母さんも言っていました。働きづめより、時々休みを入れたほうが結局、効率はいいんだって。毎日はむしろ効率を落としてしまうって」
「確かにな」
働きづめの兵は弱い。
適度に休息を取らせねば、いざという時に力を発揮してくれない。
戦場で、身をもって痛感していたことである。
それでも、ついついやらねばならないことの山に急かされて、四の五の言わずやるしかないと思い込んでいた。
(ねばならない、しかない、はまず最初に疑うべき。そう、わかっていたのだがな)
そんなことにも気づけずにいたあたり、やはり少々根詰めすぎて視野が狭まっていたと言うべきだろう。
「はい。せめて一週間に一日ぐらいは、お休みを取ったほうがいいと思います」
「そうだな。そうしよう。差し当たっては今夜から休むとするか」
ウィルフレッドは椅子の背もたれに身体を預け、ふうっと息を吐く。
途端、ずしっと身体が鉛のように重くなる。
今さらながらに、気づく。
どうやら相当自分は無理をして、疲労が溜まっていたらしい、と。
(危なかったな)
今のウインザー王国の安定は、ウィルフレッドの力と恐怖によって、なんとか抑えられている、そんな薄氷の上にある状態だ。
そのウィルフレッドが万が一にも倒れようものなら、誇張抜きで国が乱れかねない。
そうなったらこれまでの努力も水の泡、本末転倒もいいところである。
「あふ」
ウィルフレッドの口から小さなあくびが漏れる。
先程の食事でいい感じに満腹になったのと、身体が温まったからだろうか、猛烈な眠気を催してくる。
蓄積した疲労もあってか、さすがのウィルフレッドも抗うことができなかった。




