第8話 sideアリシア
「改めて、我が妻アリシアだ」
「ア、アリシアです。よ、よろしくお願いいたちましゅっ!」
……。
…………。
何とも言えない沈黙が、その場を支配していた。
相手もまた、なんと返していいものかわからず困惑した様子である。
今日はウィンザー王国の主要人物との顔合わせだった。
国王が不在の時、重要案件の決済は王子が成人しているなら王子が、王子がいない時は正妃がするというのが、ウィンザー王国の古くからの習わしである。
もちろん、政治のことなど右も左もわからないアリシアに判断までさせるはずもない。
ただハンコを押すだけの簡単なお仕事なのだが、挨拶してお互い面通しぐらいはしておこうということだったのだが、
(のっけからいきなりまたやらかしたーっ!)
なんとか表情は引き攣った笑みを浮かべつつも、心の中で絶叫するアリシア。
なんで! 自分は! 大事な時に限ってポカをするのか!?
顔がとにかく熱い。
穴があったら入りたいとはこのことだった。
「……主席秘書官のセドリックです。こちらこそよろしくお願いいたします。以後、お見知りおきを」
数拍か遅れて、金髪の美青年がペコリと頭を下げる。
正妃という立場を慮ってどうやらスルーしてくれたようだが、やはり気まずい。
死ぬほど気まずい。
(っていうかセレモニーの時も思ったけど、男の人にいう言葉じゃないけど、すっごい美人!)
背の高さにだけ目をつむれば、女と言っても通りそうである。
ウィルフレッドも野性味あふれる美形なので、こうして並んでいる姿を見ると、物語のワンシーンかというぐらい絵になる二人だった。
「こいつは俺の右腕だ。何か困った時にはこいつに相談するといい」
ウィルフレッドが、何事もなかったかのように淡々と話を進めてくれる。
なかったことにしてくれたのは心底から有難かった。
この二人のフォローをむげにするわけにはいかない。
気持ちを立て直し、にっこりと微笑みながら、
「セドリック様、御高名は耳にしておりましゅ」
また噛んだ。
「…………」
「…………」
再び、なんとも言えない、アリシアにとっては永遠とも思えるような沈黙が訪れ、
「……ぷっ、くくくっ」
たまりかねたようにウィルフレッドが吹き出し、
「ちょっ、陛下。笑っては……ぷふぅっ」
注意しようとしたセドリックも、我慢できなかったようで吹き出す。
「くくっ、やはりアリシアは面白いな」
「うううっ」
アリシアはもう涙目である。
恥ずかしさに身の置き場がない。
正直、今すぐ回れ右をしてこの場から逃げ去りたいぐらいである。
もちろん、そんなことできるわけもないのだが。
「君と出会ってから笑うことが増えた気がする」
「すみませんね! ドジな嫁で!」
「謝ることはない。むしろ褒めている。笑いの絶えない家庭というのに憧れていたんだ」
「今のところ一方的にあたしが笑われてるだけですけどね!?」
「君といると、退屈しなくて済みそうだ」
「くううううっ!」
呻きとともに、アリシアは恨みがましい目でウィルフレッドを睨む。
わかっている。わかっているのだ。
明らかに今回のはアリシアの自爆である。
こんなの、自分だって絶対笑う。
それでも、それでもせめて夫ぐらいは笑わずに耐えていてほしかったというのは贅沢な願いだろうか。
……どう考えても贅沢だと思った。
(って、そういえば!)
思い出したように、アリシアはセドリックたちのほうを振り返る。
自爆トラブルで、すっかり彼らとはほとんど初対面であったことを忘れていた。
そんな状況でなに夫とアホな言い合いをしているのか。
半分以上はからかってきた夫のせいだと思いたいが、超がつくほどの失態である。
「…………」
(ああああ、やっぱり呆れられてるぅぅっ!)
目を見開きポカンとしているセドリックに、アリシアは心の中で悶絶する。
人間、初対面で印象の八割が決まるというのに、自分はいったい何をやらかしているのか。
もう一度やり直したい!
っていうか、人生をもう一度やり直したい!
輿入れのセレモニーの時にも思ったけど!
「……二人とも、一日で随分と打ち解けられましたね」
なんとかそれだけ、セドリックが口にする。
(ううっ、ごめんなさい。また気を遣わせてしまって……)
なんて申し訳なく思うアリシアであったが、実のところ、セドリックは心底から打ち解けたことに驚いていたりする。
彼はウィルフレッドとは物心付く前からの付き合いであり、ウィルフレッドが女性と、いやそもそも他人と短期間でここまで気安い会話をしていたのはついぞ記憶になかったのだ。
だが、そんなことにアリシアはもちろん気づかない。
(めちゃくちゃ優しくていい人だ!)
ただただ感謝感激雨あられであった。
「うむ、嬉しい誤算だった。多分に彼女の人徳のおかげだな」
「もうそういう煽りには乗りませんから」
一方、まだからかってくる夫には、ツンと冷ややかに応対する。
これ以上付き合って恥を晒すのはごめんである。
だが、当の夫はキョトンとした顔で、
「煽り? 何のことだ?」
「とぼけても無駄です。人をからかって。陛下は意地悪です」
「? だから何のことだ? からかった覚えなどまったくないぞ。むしろ心から褒めていたんだが」
この言葉はウィルフレッドの嘘偽りない本心であったのだが、
「あー、はいはい」
なおもいじってくるとしか思えなかったアリシアは、ぞんざいに受け流す。
国王に対する態度としては少々問題な気がしないでもなかったが、仕掛けてきたのはあちらのほうである。
それにもう、一応形の上では夫婦だ。
これぐらいの応対は許されるだろう。
なんだかんだ彼は許してくれる人だと、アリシアにはわかっていたから。
そんな二人を、セドリックはまた呆然と見つめていた。




