孤独の沼
どうして、僕は、今、ここにいるのだろうか。
気づけば、いつも自問していた。
僕は、この十年来、長いこと、孤独だった。
孤独の沼におぼれてしまいそうなくらい孤独だった。
この場所は、友達もいない、生まれ育ったわけでもない、ただ、祖父母の実家があるというだけだった。
現在から理由を探ると不可解極まりないことだが、過去の連続の先の終着点として、僕は、確かに、今、ここにいるのだった。
今、僕は、ひとりで旅館を経営している。
地元では、ちょっとした人気店だが、所詮は、地方ローカルである。
前の仕事を辞めて、故郷に戻ってから、あっと言う間に10年が過ぎた。
とっくに資格でもとって、今頃、都会に戻って華々しく過ごしているはずだった。
僕の計画が狂ったのは、お袋と商売を始めてしまってからだ。
僕は、お袋が壊そうとしていた実家の古民家を、民泊で貸したら?と提案したのだった。
当時、民泊ブームだったが、宿泊業というものは、資本集約型のビジネスであり、やればやるほど、僕のわずかしかなかった貯金は、穴の開いたザルからこぼれ出ていくように、すっからかんになった。
せっかく、古民家を改装して、お客さんが入り始めたと思ったら、お客さんが蛇口を壊してしまって、水道業者を呼んで数十万円の請求が届いたり、お客さんがチェックアウトした後に部屋を開けてみると、買ったばかりの液晶テレビの画面にヒビが入っていたりと、散々だった。
清掃の仕事は、意外と重労働でもあり、もともと呼吸器の悪かったお袋は、それで肺を余計に悪くした。
民泊を始めた翌年、お袋は、あの世へと旅立ってしまった。
僕は、自分がお袋に民泊を提案してしまったことをひどく後悔した。
商売を始めて、そう簡単に引き返せることもなく、僕は、ひとりで旅館を切り盛りしなければならなくなった。
そこへ、コロナ禍という長い時間が訪れて、人々は、互いに接触を避けるようになった。
こうして、独身で家族もいなかった僕は、ますます、孤独の沼におぼれていくのであった。