放浪の少女.3
だが――その理屈はお前を裁かないための免罪符にはならない
知りたいのだと言って、結局、自分は深白を傷つけたのではないか。
孤児院へと至る道中、少し前を歩く深白の背中を眺めながら、アリアはずっと後ろめたい思いに苛まれていた。
一部の村人がここを去っている影響か、それとも、魔物による被害で人が減っているのか、表通りだというのに人通りは少ない。
二人は孤児院の敷地に入ると、すぐにシスター・ノームがいるだろう部屋へと向かった。しかし、途中、子どもたちが庭の隅でまとまって何やらひそひそ話をしているのが見えて、行く先を変えた。
子どもたちは近づいてきたアリアに気づくと、びくっ、と肩を竦めた。何もしていないのに心外だったが、どうやら怖がられているらしい。
「お前たち、ここで何をやっているんだ?」
できるだけ優しく問いかけたつもりだが、むしろ、子どもたちは身を寄せ合い、さらに怯えてしまった。
大きな子でも10歳かそこら、小さな子だと6歳ぐらいの幼児もいる。孤児にとって、自分のようなよそ者は不安の対象なのだろう。
「みんな、どうしたの?」
事態を見かねてか、深白が低くしゃがんで尋ねた。目線を合わせる姿に、なるほど、そうするのかと得心するも、自分がやったところで効果はないのだろうなと思い直した。
孤児たちは深白を見ると安心したふうに口を開いた。
「あのね、あのね…また、あのおじさん、来てるの」
「…そう」一瞬、深白の雰囲気が鋭くなったのをアリアは見落とさなかった。「じゃあ、シスターの邪魔にならないようにみんなはお外にいてね」
子どもたちの中でも年長者であろう子の頭を軽く撫でた深白は、「頼んだよ」と小さく囁き、再びアリアの元へと戻ってきた。
「あの『おじさん』、とは誰のことだ」
子どもたちから十分に離れたあたりで、そう尋ねる。
「シスターが時々雇われる用心棒の、リーダーの方です」
「用心棒――先日、オフィールがズタボロにしたごろつきか」
「はい」
「適正価格の倍以上の報酬をふっかけていると聞いた。深白も知っていたのか」
「多少は、ですけれど…。シスターも、あの男と子どもたちを関わらせたくないみたいで、こういうときは奥の部屋か庭にでもいるように言いつけられているんです」
シスターの立場を考えれば当然の気配りか、と頷く。
「私は構わずお邪魔させてもらうが…深白はどうする?子どもたちと一緒にいてもいいぞ」
アリアは、いざというときは、武力行使も辞さないつもりだった。むしろ、追及され、都合が悪くなれば武力に訴えるタイプであったほうが話は早い。
深白はというと、自分もアリアと共に行くということであった。偶然を装って、男の顔を見られるまたとない機会だと、感情の読めない微笑を浮かべて言った。
そうして、二人は孤児院の一番奥にあるシスターの部屋まで足を運んだ。
ノックもせず扉を開ければ、すぐにシスター・ノームと例の男がこちらを振り返った。
屈強な肉体をした大男だ。そのくせ、かけた黒縁メガネの奥は大胆不敵な知性が光っていて、ひと目見て油断ならない相手だとアリアは直感する。
「邪魔をする、シスター」
腰回りに巻いた青いコートをふわり、と揺らしながら、アリアは真っ直ぐ二人の元へと直進する。その後ろからは、一礼した深白が追従していた。
「あ、貴方たち、魔物はどうされたの?」
予定より早い帰還に、シスターが目を丸くして尋ねる。アリアは、「親玉はまだだが、雑魚なら十匹程度は葬った」と事もなげに報告した。
「そ、そうなの…。深白、貴方もよくぞ無事で」
「みなさんがお強くて。この調子なら、魔物の被害も少なくなりそうですよ」
シスターの労いの言葉を受け、深白は一礼しながらそう言った。オニキスの瞳は、常に男の姿を捉えている。
「失礼、シスター・ノーム。この貴婦人はどなたですかな?」
男が地の底から響くような声を出して言った。ならず者どもの長とは思えないくらい、知的で落ちついた口調だった。
シスターが、「この方がアリア・リル・ローレライ様です」と答えれば、男はわずかに眉を上げ、値踏みするようにこちらを眺めた。
神経が逆立つ視線だ。本国では毎日のように自分にまとわりついている視線。こんな遠方にまで来て味合うとは思ってもいなかった。
「ほう、それは失礼しました。自分はデニーロと申します、姫様」
デニーロは身の丈2mはあるのではないかというほどの大男で、筋骨隆々とした男だった。
そんな彼が両手を太腿の辺りに添え、深く礼をしてみせる姿には、ならず者というよりかは紳士然とした印象さえ受ける。
しかし、目は口ほどに物を言う。彼の眼の奥に宿る野心は彼の体同様、ちょっとやそっとでは隠せないようだった。
「お前が、酒場にいたならず者たちのリーダーか」
アリアは、敵意を隠すことなくデニーロを睨んだ。
「はは、彼らをそう呼ぶ者たちもいます。ですが、誤解が多いだけで、見かけによらず気の良い奴らですよ」
「気の良い奴ら、か」デニーロの朗らかな様子とは対極に、アリアは表情一つ変えずに続ける。「確かに、随分と悪戯好きで陽気な奴らのようだ」
アリアは目の前の男の部下が、自分の友でもあり部下でもあるプリシラを辱めたことを改めて思い出し、静かな憤りを覚えた。
その感情を鋭い刃のような視線へと変えて突き刺せば、デニーロは再び恭しく頭を下げてみせた。
安い頭だ。そんなものを上下しただけで、謝罪したつもりになれるとは。
「お怒りの件であれば、聞き及んでおります。厳しく叱りつけましたし、しばらくは起き上がることもできないでしょうから、何卒、ご容赦下さい」
「そうか、殊勝なことだな」
「はい」
「だが、気をつけることだ、デニーロ。次にやったら、私か命じずとも、私の友であり部下でもある者が、気の良い奴らの手を切り落とすことだろうからな」
「肝に銘じておきます」
「用心棒の件もだ。どうやら、村人の足元を見ているようだな」
「…そのようなことは」
「適正価格から大きくずれていると聞いた。今、私の部下に村の帳簿を確認させているからな…すぐに事実無根かどうかは分かるぞ」
アリアも、このような脅しが通じる相手とは思っていない。実際、デニーロは平然とした顔つきのまま頭を下げていて、むしろ、シスターのほうが怯えているようだった。
「お言葉ですが、姫様。我々も命をかけて魔物と戦っているのです。自分は…自分の可愛い部下の命に安い値段をつけたくはないだけなのですよ。結果として、適正価格から大きくはみ出たとしても、それは人情によるもの。お許し頂きたい」
「詭弁だな。あまり、私を怒らせるなよ」
淡々としたアリアの言葉に、デニーロは顔を上げた。
「他者の不安や恐怖を利用し、利益を吸い上げることなど、私が許さん。特にそれが貧しき民であれば、なおさらだ」
そのまま長剣を抜き放ってしまいそうな勢いだったが、意外なことにデニーロは、アリアの発言の揚げ足を取るような発言をした。
「ですが、本国で豊かな暮らしをしている商売人たちの多くが、そうして他の民から利益を吸い上げているのではないですか?だからこそ、高い土地代が払えるし、贅沢な生活を送れる」
それは確かに、彼の言う通りだった。
裕福な暮らしをしているもので、他者を踏み台にしていない者など限りなく少ない。それが市場だと言えばそこまでだが、問題はそうしたことを国が容認していることにあるのだ。
デニーロは押し黙ったアリアを見て攻め時だと思ったのか、さらに言葉を重ねた。
「我々は傭兵という命を賭けた商売で利益を得ている。我々のやり方が悪だと言うのであれば、それよりも先に裁くべき相手が、姫様のお近くにおられるのではありませんかな?」
無論、アリアに裁くことなどできない。そのような権力は彼女にはなく、本国の政治家たちは、綺麗事を並べて魔物退治に勤しむ小娘よりも、確かな利権を生んでくれる商売人を大事にするものだ。
それは、アリアの『望むべき生き方』から外れてしまった現実だった。利権については何度となく苦言を呈してきたが、彼女は何も変えられなかった。
(情けないな…このようなごろつき風情にまで揶揄されるとは)
目をゆっくりとつむり、波立つ心を落ち着かせていると、シスターが口を開いた。
「デニーロさん、アリア様は本国で甘い汁だけをすすって生きている者たちとは違うのです。言葉を慎んで下さい」
少しばかり強い発言に驚いた。デニーロに対しての強気さもそうだが、本国の連中を揶揄したことのほうがびっくりである。
非難されたデニーロは薄ら笑いを浮かべたまま頭を下げると、「出過ぎた発言をしました。お許しください」とアリアに言ってのけた。
この場にオフィールがいれば、おそらくは待てと命じても無視して剣を抜き、飛び掛かったことだろうし、プリシラは彼が去った後に必死で不正の証拠を探し回るだろう。
それほどまでに傲岸不遜な男であった。しかし一方、沈着で、相手の打ち負かし方を知っている男でもあった。
「とはいえ、これだけ姫様に叱られては、そろそろ潮時かもしれませんな、シスター」
シスターは何も答えずに、ただ俯いた。そこにどんな感情があるのかは、見て取ることはできない。
やがてデニーロは、「そろそろお暇しますかな」と胸を張ると、木の床を軋ませながらアリアの横を通り過ぎ、部屋から出て行こうとした。
デニーロの足取りには勝者の自信がみなぎっていた。このまま小娘を打ち負かした勝利の余韻に浸りながら部下たちの元へと凱旋し、彼らの前で、『ケツの青い小娘だった』とでもアリアを侮辱しそうな感じがあった。
しかし、アリアはそんなデニーロとすれ違う様に、彼からそうした勝利の余韻を奪う一言をぼそりと告げた。
「お前の言うことは肝に銘じておこう。だが――その理屈はお前を裁かないための免罪符にはならない」
ぴたり、と大きな体が止まった。アリアとの身長差は30センチほどあったが、それを感じさせない気迫が彼女からは放たれていた。
「もう一度言おう、デニーロ。あまり、私を怒らせるな。帳簿を確認次第、裁くべきは裁きにお前の元へ訪れる。せいぜい、今のうちに美味いものでも食べておけ。気の良い奴らとな」
剣を抜き放つように言葉を放ってから振り向けば、デニーロも同じようにして彼女を振り向いていた。
真っ直ぐとぶつかる視線。目に見えない閃光が爆ぜ、互いが互いを『敵』として認識したことを自然と見る者に分からせる対峙の仕方だった。
やがて、ふっ、と空気が抜けるような薄ら笑いを残し、デニーロは消えた。
アリアは深白が後ろから自分をずっと見つめていたことに気付くと、軽く頷いてから消沈した様子のシスターに意識を戻すのだった。
アリアはシスターに報告を済ませると、宿屋で帳簿の確認をしている二人の元へと向かった。
そろそろ日も暮れ始めているので、休憩がてらに夕食を取ろうと考え、深白もどうかと誘ったところ、孤児たちの食事の準備の後で良ければという返事が貰えた。
過去のことを詮索した挙句、ならず者に揶揄された手前、断られるのではないかと思っていたが、どうやら杞憂だったらしい。
宿屋の入り口から中に入り、受付に片手で挨拶してから二階へと上がる。部屋数の少ない宿屋なので廊下も狭く短かったのだが、階段を上がってすぐにもオフィールとプリシラが揉めている声が聞こえてきた。
「間違いないのです!絶対に、いつもと違うのです!」
「ちっ、しつけえなぁ…気のせいだっつってんだろ。あの人に限って、そんなロマンスありえねぇーって」
外まで丸聞こえではないか、と表面には出さずにアリアは辟易とする。
女三人揃うと姦しい、という言葉はあるが、オフィールとプリシラは二人揃っただけでやかましくなる。
他の客に迷惑をかけるようなことはあってはならない。そう考えたアリアはノックもせず扉を開けると、一つのベッドにかけて言い合いをしている二人を睨みつけた。
「おい、静かにしろ。ここは親衛隊の休憩室ではないんだぞ」
二人の友人兼部下は、自分の顔を見るなり、ぎょっとした様子で目を丸くしていた。それからややあって互いに顔を横目で見合わせると、声を揃えて謝罪した。
「わざわざ同じベッドに腰掛けているのに、口喧嘩とは…。お前たちは本当に…仲が良いのか悪いのか分からないな」
アリアの指摘を受けた二人は、また互いの顔を横目で確認し合ったかと思えば、弾かれるようにベッドの隅と隅へと移動した。頬は赤らんでいるが、怒っているわけではなさそうである。
借りた部屋は、姫が寝泊まりする部屋としてはあまりに質素だが、絢爛さに興味のない旅や出征を繰り返しているアリアは何も気にすることなく自分のベッドへと腰を下ろした。
ガシャリ、と鎧が音を立てる。ディープブルーの装甲には古傷がいくつも残っている。
黄昏の光が、木枠の窓の向こうから部屋に差し込んでくる。
美しいな、と目を細めつつ、肩甲骨あたりまで伸ばしている髪に触れた。その行為により、自分の髪を深白が褒めてくれたことを思い出し、ふと、口元が綻ぶ。
(昼間は失礼をしてしまったから、夕食は深白の好きなものにしよう…。オフィールは好き嫌いしないし、プリシラは偏食だが、矯正するのにちょうど良い)
修道服の裏側に隠された細い体つきを想像し、『肉は好きではないのかもしれない。いや、だが、あの暗器術は相当しなやかで瞬発力の高い筋肉ではないとできないはずだ…。鶏肉が好きなのだろうか…』などと勝手に色々と考えた。
すると、プリシラとオフィールが何やらまた小声で言い合いを始めた。
「ほら、やっぱりおかしいのです」
「何がだよ。いつもどおりのアリア様だろ」
「オフィールの目は節穴なのですか?見て下さいです、窓の外なんてぼぅっと眺めてしまって…」
自分の名前が出たことで、アリアは二人のほうへと顔を向けた。急に主と目が合ったプリシラは、ぱっと背けるように顔を背けてしまったのだが、それがアリアの気を引くことになった。
「なんだ、プリシラ、さっきから。私がどうかしたのか」
「うっ、あ、いえ…」
バツが悪そうにするプリシラに、アリアは怪訝な表情をしてみせる。
「煮え切らない物言いだな…。まさかとは思うが、さっき二人でしていたのも私の噂か?」
「ど、どうしてそのように思われるのやら、私にはさっぱりなのです…!」
アリアは相手の反応を見て図星だと判断すると、「私のいないところで、私の文句でも口にしているのか?」と冗談めかして言った。とはいえ、表情の変化に乏しいアリアがすると、冗談とは分かりづらい。
「そんなことはないのです、姫様!た、ただ…」
「ただ?」
「そ、そのぅ…」
いよいよ妙だと不審な目でプリシラを眺めていると、事態を見かねてオフィールが代わりに口を開いた。
「くっだらねぇ話ですよ、アリア様」
「あ、オフィール!」
プリシラは口の軽い相棒を止めようと手を伸ばしたが、時すでに遅し。
「プリシラの奴、アリア様が深白のことをやたらと気にかけてるもんだから、お姫様が村娘に恋でもしたんじゃねーかって、心配してるんですよ?ほんと、お伽噺かっての」
笑っちまいますよね、と付け足された最後の言葉は、当然ながらアリアの頭には入ってこなかった。
みなさん、お疲れさまです。
みなさんのちょっとした楽しみになれればと、執筆しておりますが、
一ミリくらいはそうなれているでしょうか?
何はともあれ、ご覧になって頂きありがとうございました!