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姫騎士は、異世界人の少女と血の約束を交わす  作者: null
二章 放浪の少女
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放浪の少女.2

深白にとってそれは、息をすることと同じだった。

 水の底から伸びてくる蛇たちの頭を、一つ、一つ丁寧に撃ち落とす。


 深白にとってそれは、息をすることと同じだった。


 日銭を稼ぐために瓶や人の型を射抜くこともよくあったし、生きるために、命を穿つために投擲することも度々あった。


 日々の鍛錬というのは、どこで役に立つか分からないものだなぁ、などと指先の動きや敵の軌道に集中している自分とは違う自分が考える。


 水に潜ったまま、どの程度の距離まで追ってくることができるのか。それを測るために、深白も徐々に後退を始める。


 背を向けて逃亡するようなことはしなかった。当然である。背中はいつだって隙だらけなものだ。


 深白は相手を繰り返し串刺しにするなかで、ふと、感じたものがあった。


(…これ、一つの生き物だ)


 首から上が落ちても、脳のなくなった胴体が水のなかへと引っ込んでいく。偶然かと思って観察していたが、そうではなかった。明らかに統一された意思の元、後退している。


(木の枝みたいに、元を辿れば本体は同じかも。だとしたら、こいつらを倒してもあんまり意味はないかな…)


 つまり、エネルギーの無駄である。無駄は深白が何よりも嫌うものの一つであった。


 相手をする必要などない。さっさと後退して切り上げてしまおう。


 トン、トン、と目に見えない飛び石の上を飛ぶようにして水から距離を離す。


 どこまで追ってくるか、確かめる意味も込めての動作だったが、相手の限界を知るよりも先に、鋭い弧月がそれらを寸断してしまった。


 自分と敵の間に盾の如く立ちふさがったのは、アリアだ。


 アイボリーの髪が美しく、躍動感に満ちて跳ねる。真っ白の頬も、肌着から覗く白い四肢もとても美しく魅惑的だった。


 だというのに、剣撃は豪快かつ、無駄がなくスマート。迷いのない太刀筋というのを目の当たりにして、深白は感嘆させられる。


 アリアに任せるように後退して数秒後、蛇たちは射程の限界に到達したのか、こちらをじっとりと睨みつけた後、暗い水の中に消えていった。


 敵の影一つ見えなくなると、頭をナイフで縫い留められていた蛇たちの体は砂みたいにボロボロになって崩れた。やはり、本体は同じ物だったという仮説は正しかったようだ。


「ふぅ…」と敵の気配が消えたのを察して、アリアが吐息を洩らす。


 アリアは、そのまま血振るいして長剣を器用に鞘へと納めると、ゆっくりこちらを振り返った。


 相変わらず美の彫刻のように整った顔立ちで、なおかつ無表情だが、灰色の瞳の向こうには確かな疑念が込められて自分を貫いていた。


「…どうして、戦えることを黙っていた」


 孤児院や森の中で聞いた声音とは違う。鋭さをまとった声色だ。


 アリアのような人間に疑われることを残念に思いつつも、その原因は自分にあることを認め、深白はナイフを拾い集めるべく足を動かした。


「自分のことをぺらぺら話すのは、嫌いなんです。リスキーなだけで、良いことなんて何もない」

「そうか。悪かったな、ぺらぺら語る人間で」


 今の皮肉には明らかな怒気が含まれていた。彼女がこんなふうに怒るなど、思いもよらなかった。


「不快にさせてしまったのなら、申し訳ありません。ただ、その…生きる上での、私の癖みたいなものなんです」

「生きる上での癖、か…」


 アリアは深白の言葉を受けてもなお、表情一つ変えずに相手を穴が開くほど見つめていた。感情の読めない顔だったが、そのうち、ナイフを拾い集め終えた深白に向かって、アリアは堂々と忠告した。


「事情は分かった。だが、二度と私の友人の背後からナイフなど投げるな。見たところ凄まじい腕だが、絶対に当たらないと我々が信じられるまで、許さない。それが守れなければ、最悪、私はお前を斬らなければならなくなる」

「…承知しました」


 素直に頭を下げつつも、内心では、『絶対に当たらないし、貴方じゃ私は斬れないけどね』と自分の技量への自負を抱いていた。そして、それは深白にとっては評価ではなく、事実でしかなかった。


「こっちに来い、深白」


 抑揚のない命令に従い、岸にいるアリアのほうへと戻る。


 彼女は自分がそばに来たのを確認すると、修道服からはみ出たナイフの類に目を落とし、目を伏せた。


 大きな両目に咲いた長いまつ毛を盗み見ていると、アリアが言った。


「…私の友を助けてくれたこと、礼を言う。ありがとう、深白」

「どういたしまして。役に立てたなら嬉しいです」

「それは信じていいのか?」


 意外と皮肉が好きなのだな、と思っていると、存外、こちらを振り向いた彼女の顔は真剣そのものだった。


 本当に、信じていいのか尋ねている。


「はい」


 真っ直ぐ見返せば、アリアはしばし沈黙した。それから、「そうか」と短く返事をすると、困惑顔の部下たちの元へと深白を連れて行くのだった。



 一行は、一旦霧の村に戻っていた。


 受けた傷はたいしたものではないが、もしも、相手にしているのが『魔物』ではなく『魔族』だったら相応の準備をしておかなければまずいという話になったのだ。


 戦闘を終えても、相手が魔族かどうかはアリア自身未だ半信半疑だった。ところが、深白がなんとなくといった口調で、「あれ、多分、一体だと思います。一つの意思を感じました」と呟いたものだから、大事を取って退却した。


 村へと戻る道中、オフィールは意外にも深白を気に入ったようだった。


 そのナイフ捌きはどこで覚えた技術なのか、暗器というのはどこに隠しているのか…。武芸に関心が深いオフィールらしいとは思った。


 アリアもその手の話題は好むが、どうしてだろうか、深白とはそういう話をしたいとは思わなかった。もっと、他に話すべきことがあるような気がしていた。


 そして、元々疑り深いプリシラは言うまでもなく、警戒心を隠そうとはしなかった。自分の命を助けてくれたことには感謝を示していたが、それだけだ。事件に関係のあること以外、今のところ言葉を交わすつもりはないらしい。


「私は一度孤児院に戻って、シスターに報告しますけど…みなさんはどうなさいますか?」


 村の門を抜けたあたりで、深白がそう尋ねた。


「私も同席する。聞きたいこともあるしな」


 ちゃんと報告するのか疑われていると捉えたのか、深白はもの悲しそうに微笑んだ。儚げな所作に胸がきゅっと痛むものの、だからといって、どうしてあげたらいいのか分からない。


 プリシラには村の帳簿を確認するよう指示した。


 シスターが言うに、ならず者を用心棒代わりに使っていたため村の財政は逼迫しているということだった。それを疑うつもりはないが、どの程度困窮しているのか確認しておくことは大事なことである。王国からの公的扶助に頼るにしても、証拠が要るのが現実だ。


 オフィールは何も言わずともプリシラについて行った。どうせそうさせるつもりだったが、親衛隊という立場にも関わらず、主より相棒を選ぶことは面白い優先順位だと思った。


 彼女のこういうところを見て、大臣たちは礼節も弁えない田舎者だと笑うのだが、アリアはそんなふうには思っていない。


 オフィールは単純だ。


 自分のなかで大事にするべきものがハッキリとしている。その単純さは間違いなく武器になる。なぜなら、単純な構造のもののほうが強いと相場が決まっているからだ。


 それに…同じような生き方しかできない自分からすれば、妙な親近感を覚えるのも事実だ。


「あの」ふと、深白が立ち止まって声を発した。「疑われてますよね、私。アリア様に」

「…何を疑うというんだ」


 アリアが振り返りながらそう答えれば、深い青の鎧が日光を反射して、鈍く輝いた。


「その、怪しい奴だとか。ほら、暗器…使えるのを黙ってましたし」

「怪しい奴だなどとは思っていない。私は…」


 上目遣いでこちらを見上げてくる深白と目が合い、思わず言葉に詰まる。


 昨夜の怒涛のナイフ捌きが嘘のようなしおらしさだ。プリシラには『心を許しては駄目なのですよ』と釘を刺されているが、このような顔をされると、どうしても深白を安心させてあげたいという気持ちに駆られる。


「私はただ、深白がどんな人なのか分からず、どうすればいいか悩んでいるだけだ」

「それは、怪しんでいるのとは違うんですか?」

「違う」


 アリアは間髪入れずに答えた。


「深白のことを知りたいと思っているが、どう聞いたら失礼がないのか、分からずにいる。…いや、そもそも何をどんなふうに知りたいかも…判然としない。全く、自分のことなのにな」


 思うがままに言葉を並べてから、アリアは後悔した。全くまとまっていないと感じたからだ。


 しかし、深白はそんな中からも何かを感じ取ったのか、立ち止まっていた足を動かし、互いの距離を縮めんと小走りでアリアへ駆け寄った。


「あの、答えられることなら、私、答えます。だから、何でも聞いてください」

「…自分のことを語るのはリスキーだと言っていたが、いいのか?」


「はい」深白は恭しく頷くと、井戸のそばにあるベンチを指さし、「せっかくなら、座ってお話しませんか?」と小首を傾げた。

「いや、それは…」


 二人には仕事をさせているのに、自分はサボタージュするようで申し訳ないと渋面を作れば、深白が残念そうに言った。


「あ、お忙しい…ですよね」

「別に、忙しいなんてことは…」


 そんなふうに言われるものだから、とうとうアリアの中の深白への庇護欲というか、甘やかし心とかいうものが刺激されて、結局は深白の提案に乗ることとなった。


 二人の部下には申し訳ないが、これは確かなチャンスだった。何のチャンスなのかは、アリア自身よく分かってはいなかったが。



「さあ、アリア様。何でも聞いてください」


 隣に座った深白が微笑みながら催促する。大人の女性と少女の中間に位置する、アンバランスな存在感に視線が釘付けになりつつ、アリアは最初に浮かんだ質問を投げかけた。


「君はどこから来たんだ?」

「え?えっと…」一瞬だけ目を丸くした彼女は、苦笑しながら視線を逸らす。「遠いところからです」

「おい、いきなりごまかすのか?」

「だ、だって…申し訳ありませんけど、あまり故郷の話はしたくないんです」

「ふむ…」


 確かに、出生のことを根掘り葉掘り聞くのは人としてマナーに反するか、とアリアは食い下がることなく質問を変える。


「ならば、深白はここに来る前はどんな生活をしていたんだ?前にも同じようなことを聞いたが、隠し事の減った今なら、もう少し詳しく教えられるんじゃないのか?」

「ふふ、意地悪な物言いですね」


 深白は苦笑して悩む素振りを見せたが、さすがに今度も答えをごまかすのは良くないと思ったのだろう。どうにか答えられる範囲で今までの生活を説明してくれた。


「先日もお話したかとは思いますが、私は母と世界を転々としながら生きてきました。そのなかで、暗器の技術も学びました。良い小遣い稼ぎにもなりましたし、自分の身を守るのにもちょうど良かったんです」

「確かに、あれなら並大抵の魔物にひけは取るまい」


 次から次へと魔物に降り注いだ、銀閃の驟雨を思い出す。


 ナイフを真っすぐ投擲するだけでもそれなりの鍛錬が必須だと聞いたことがあるから、相当の努力を積んで来たのだということが想像できる。


 だが、優れた技術の会得には師が欠かせない。


「あのナイフ捌きはどこで習ったんだ」

「母に幼い頃から教わっていました。えっと、多分、7、8歳の頃から」

「ふむ…深白の母上はどういった仕事をしている人だったんだ?各地を転々としたり、あのナイフ捌きを子どもに教えることができたり…傭兵か?」


 アリアの質問に、深白はふっと笑った。その表情を見ていると、不思議と、細められたオニキスの向こうに覗く闇が、こちらに向けて手をこまねいているような気がした。


「何をしている人だったんでしょうね?私も知りません」

「深白。それは本心か?ごまかしか?」


 横目で深白を見やると、彼女は微笑みを浮かべたまま目を閉じ、ゆっくりと首を振った。


「本当に知らないんです。ふふ、異常だと思います?」


「…変わってはいるな。だが、世の中に『普通』などというものはない。誰しも自分のなかにそれぞれの基準を持ち、それぞれの生き方をしているものだ」


 王族として生まれてきた自分だって、『普通』ではない。だが、それでも自分を取り巻く日々の日常は変わらず、『普通』に続いている。良い意味でも、悪い意味でも。


「誰もが『異常』で、誰もが『正常』だ。そんな世界で生きているのだから…何を『普通』とするか、悩むのは無意味だと私は考えている」


 深白はアリアの受け答えが意外だったのか、きょとんとした顔で相手を見つめていた。それからややあって、どことなく嬉しそうに口元を曲げると、「変な人」と独り言みたいに言った。


「聞こえているぞ」

「あ、え?ああ、すみません」

「…まぁ、自覚はある」


 ふうっと、ため息を吐きながらアリアは大空を仰ぎ見た。空は青色のペンキをぶちまけたみたいに青一色だった。


「おかげで本国でも鼻つまみ者だ。私をお姫様扱いする人間は、プリシラぐらいのものだよ」

「そうなんですか?こんなに可愛らしいのに」

「そ、そういう問題ではなくて、振る舞いの話だ」


 心臓がきゅっとする発言に慌てて返せば、深白は、「あぁ、そうですよね」とあっさり相槌を打った。


 見た目はお姫様らしいと言われているようで、とてもむず痒かった。


 周囲にはそんなお世辞が通る人間ではないと思われているからか、そもそも自分に取り入っても無意味だと知っているからか、アリアはそうした褒められ方をされた経験があまりなかった。だからこそ、どんな顔をしていればいいのか分からなかった。


 そわそわする心地のために、アリアはとにかく話題を変えようと早口で言葉を紡いだ。


「それで、深白はどうして一人でこの村にいるんだ?」


 口にしてから、しまったと思った。


 深白は母親に捨てられて、ここへ来たのだ。


 聞き方を変えようと口を開きかけるも、それより早く深白は答えた。


「私、お母様に捨てられたんです」

「…そうか、すまない」

「何を謝るんですか?」

「いや、言いたくないことを口にさせた」

「ふふ、大丈夫です。私、別に何も気にしていませんよ」


 普通なら、強がりを言っていると思われる台詞だったが、深白の儚くもどこか清々しささえ感じられる微笑みを目の当たりにして、アリアは彼女の真意が分からなくなった。


「元々、そういう関係だったんです。私とお母様はきっと」


 そういう関係とは、どういう関係なのか、とか。


 本当に、深白の魂は傷つかなかったのか、とか。


 無理をして笑っていないのか、とか。


 言いたいことはたくさんあった。


 だが、それを口にするにはあまりに深白の態度は平然としすぎていた。


 口を閉じたり、開いたりして発言を躊躇しているアリアをどう捉えたのか、深白は少しだけ意地悪く目を細め、下から覗き込むように相手を見つめて告げた。


「異常ですか?私」


 口調は丁寧なのに、やたらと挑発的に見える態度だ。もしかすると、深白の本来の姿はこちらで、存外意地の悪いタイプなのかもしれない。


 アリアはその問いには答えず、あえて踏み込んだ質問を投げ返した。どうせ聞くなら今だと思ったのだ。


「シスター・ノームに君は病気だと聞いたが、本当か?」


 ぴくっ、と深白の体と表情が硬直する。初めて、彼女の動揺が手に取るように分かった。


 ややあって、彼女は口の両端を持ち上げた。歪な桜色の三日月に、アリアは何か薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。


「はい、本当です。どんな病気かまでは、シスターにも伝えていませんけれど」

「ならばあえて聞くが、どんな病気なんだ?命に関わるのか?」


 長い沈黙が横たわった。解答の躊躇によるものではない。解答などする気はないと、深白の諦観に黒く染まった瞳が言っていた。


 嫌な沈黙が、尾を引く彗星のように過ぎ去ったかと思うと、やおら深白が立ち上がり、修道服のスカートをパンパン、と叩き埃を落とした。


「そろそろ行きましょう、アリア様」


 上体を前に倒し、上目遣いになった深白は、そのうち有無を言わさず歩き出した。プリシラがいれば、不遜な態度だと彼女を叱責したことだろう。


 だが、アリアの胸にあったのはそんな傲慢な感情ではない。


 このまま深白を行かせてしまえば、何かが戻らないような、そんな説明が難しい感情だった。


「深白は、これからどこへ行く?」


 くるり、と深白が振り返る。同心円状に広がるスカートの裾が美しい黒の傘を模した。


「もちろん、孤児院ですよ。アリア様」

「そういう意味じゃない。分かるだろう」


 早口になって、何かに急き立てられるみたいに問いかけると、深白はこの二日間、アリアに見せたことのない表情を見せて答えた。


「――さぁ?どこでもいいですよ。私が生きられる場所なら、どこでも」


 沼の底に溜まった泥のような、何の感情も読めない虚無がそこにはあった。

後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。


拙い作品をご覧になって頂いてありがとうございます。


さらにご意見・ご感想、ブックマークや評価をして頂けている方、

いっそうの感謝を申し上げます!


今後とも、よろしくお願い致します!


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