放浪の少女.1
月明の青さなど比較にならないほど、青く澄んだ刃だった。
「アリア様、魔物だ!」
オフィールのショートソードの音に続き、彼女の切羽詰まった声が夜に轟く。
その声を耳にしたアリアは、むくりと起き上がった深白に、「じっとしていろ」と告げると、鎧も着ずに剣だけを手にテントの外へと出た。
表では、オフィールがプリシラを庇うようにして蛇のような魔物数匹と対峙しており、背にした相棒が戦闘の準備を終えるのを待っていた。
「オフィール、プリシラ!」
二人の名前を呼びながら、魔物へと近づく。
月光をその身に受けた爬虫類の魔物は暗い青の鱗を宿した体をくねらせると、アリアのほうへと半分ほどが向き直った。
(戦力を二分したか。統率された動きに見えないこともないが…)
魔物は本来、あまり高い知性を持たない。もちろん、ある程度の知性を持つ者はいるが、原則としては『知性』とは遠い生き方をしている。
一方で、彼らの上位種である魔族は別だ。人間と同程度の知性を持っているとされる魔族は、魔物を統率し、人里を襲う。
だからこそ、魔物と戦うときはその統率度合いに目を光らせなければいけない。もしも、魔族が近くにいるのであれば、それと少数で戦うのはあまりに危険すぎるからだ。
「…なんにせよ、今取るべき道は決まっている」
鎧よりも優先して手に掴んでいた剣の柄を左手で握りながら、アリアは機械のような無表情さで口を開き続ける。
「こちらは私が引き受ける。――オフィール、今こそ、プリシラに指一本触れさせるな」
アリアは、自分の命令に対し、部下が嬉しそうに返事をするのを聞くと、淀みのない洗練された動作で鞘から細長い両手剣を一気に引き抜いた。
残響する独特な鞘滑りの音が、夜の水面を打つ。
それが収まるよりも速く、彼女は身の丈以上の剣を霞に構えた。
月明の青さなど比較にならないほど、青く澄んだ刃だった。時と場所さえ違えば、その剣は芸術品として賛美を受けていたことだろう。
アリアの放つ殺意の奔流に、蛇たちは空気が抜けるみたいな高い音を立てて警戒を露わにするも、アリア自身は酷く冷めた目つきのままだった。
冷徹な氷の眼差しと表情。
実際の彼女がそうというわけではない。むしろ、アリアの胸の底は熱く、激情家に近い精神性の持ち主だ。ただ、それが分かりづらいというだけで。
特に、こうして刃と共に身を置いているときはそれが顕著だった。
魔物が一匹、また一匹とアリアに身をよじりながら接近する。アリアも鞘を投げると、それに合わせて前進した。
蛇の鋭い二本の牙が、そのシャープな動きと共にアリアへと迫る。
アリアは、自分のことを頭から丸呑みにしようとする一撃に冷酷無比な剣閃で応えるべく、剣を両手で持って袈裟斬りに振り下ろした。
血が舞い散る舞台の上、「ふっ」と息を短く吐くと、迫る二匹目の胴体目掛けて、横一文字に剣を払う。
「統率されている手応えではない。私の勘違いか」
瞬く間に二匹の魔物を葬ったアリアは血振るいしながら、ひとり呟いた。そして、蛇の胴体を跨いで、さらに前進した。
魔物たちは次々と仲間が減っていく現実を目の当たりにしながらも、怯むことなく真っ向から向かってきた。
「いいだろう…!」
その愚鈍さのなかにある種の気高さを見出したアリアは、鋭い眼光を放つと袈裟斬り、逆袈裟斬りと剣を振るい、オフィールと分担していた自分の受け持ちを殲滅してしまった。
アリアが寸分の迷いなく敵を両断していく最中、対するオフィールは苦境を強いられていた。
「意気揚々、『YES』と言ってみたはいいものの…!」
蛇の魔物は、隙間を埋めるみたいにゆっくりと包囲網を狭めてきていた。
「…私は、あんまし『こっち』は得意じゃないんだけどよ」
自分の技量とショートソードでは、これを容易く殲滅することはできないと知っている彼女は、プリシラを下がらせつつ、切り込む機会を待っていた。
「プリシラ、まだか!?」切羽詰まった声音で相棒へ問うも、プリシラは、「急かさないでほしいのです!」と早口で返すばかりだ。
当然、敵はこちらの準備など待ってはくれない。
一匹、二匹、三匹と、波打つように魔物が迫る。
「ちっ!」
このままここにいては、プリシラが巻き込まれる。そう判断したオフィールは多勢に無勢と思いながらも、火中に飛び込んだ。
先頭の一匹目の喉元にショートソードの切っ先を向ける。わずかに逸れたが、使い慣れた刃は血を巻き上げて相手を怯ませることに成功する。
しかし、それを喜ぶ間もなく、オフィールの身に二匹目の蛇の獰猛な牙が襲いかかった。
身を低くしつつ、左手にはめたバックラーで受け止める。クイックな動きから放たれる攻撃は、オフィールの靴を地面にめり込ませるには十分だった。
「ぐっ…蛇のくせに、なかなか――」
減らず口を叩こうと顔を上げれば、三匹目の太い胴体が二匹目の蛇の首の下から迫っていた。
慌てて身を離しつつ、太すぎる鞭のような一撃に目を凝らしタイミングを図る。
自らに到達する数秒手前、オフィールは背面宙返りで虚空を舞った。
うなじまで伸びた金色の糸が蝶の鱗粉のように月光を反射し、きらきらと光る。着地の際に、たらり、といつもは耳にかけている前髪が右目に垂れた。
(人間の攻撃と違って、なぁんか読みづらいんだよなぁ)
そんなことを考えていると、再び三匹が波状攻撃を仕掛けてきた。
だが、もうオフィールは焦ってなどいなかった。
十分な時間だった。何でもテキパキとこなす相棒が、これだけの時間があって未だに呑気に戦闘準備を整えているはずがなかった。
刹那、二メートルほど前にいた蛇の鼻先にフラスコ瓶が投げつけられた。
「間に合ったようですね、オフィール」
破裂した瓶の中からは煙にも似た薬品が散布され、魔物の平衡感覚を狂わせていった。人体には影響がないものの、魔物にとっては毒薬だとオフィールは知っていた。
直接武器で叩くようなやり方は向いていないプリシラが、自分なりに力となるため編み出した戦闘スタイルである。
「さぁ、行くのです!」
後ろにいたプリシラが隣に立ち、魔物共へと指先を向ける。犬にでも命じるみたいだったが、いつもの調子に悪い気はしなかった。
「へっ、分かってるよっ!」
前進しようとしているのか、後退しようともしているのかも分からない蛇たち目掛けて直進する。
反撃するどころか、避けることもままならない蛇たちは、もはや、オフィールにとってはただの的だ。ものの数秒程度で、魔物は肉塊と化した。
「ふぅ…一時はどうなるかと思ったが、随分毒が効くタイプみたいだな、こいつら。ま、私たちの敵じゃねえけどよ」
「ご苦労なのです、オフィール」
オフィールはすまし顔で近寄ってくるプリシラをじっとりとした目で睨みつけると、やおらに彼女の首に腕を回し、軽く締めつけながら小言を吐いた。
「『ご苦労なのですぅ』じゃねえよ!いつでも戦える準備はしとけ、見張り番だったんならな!」
「み、見張り番だったのはオフィールなのです!私は、オフィールが居眠りしないか見ていただけで――というか、私はそんな馬鹿みたいな喋り方はしないのです!」
「してるのですぅ」
「あ!悪意があるのです!やっぱり、馬鹿にしているのです!馬鹿のくせに、私を馬鹿にしているのです!」
「馬鹿じゃぁねえよ、チビ!」
「人の身体的特徴を馬鹿にするのは、インモラルなのですよ!」
「い、イン…?」
「…やっぱり、馬鹿なのです。不道徳な馬鹿なのです、オフィールは」
小言を言わなきゃ気がすまない自分たちの関係に、何か自分でも呆れるような不器用さを覚えつつも、舌を打ってようやくプリシラの首を離す。しかし、彼女は離れていこうとはせず、急に口を閉ざして下からオフィールをじっと見つめた。
「な、何だよ。まだなんかあんのか」
「いえ…」プリシラは返答に窮するように小声になると、そのうち、顔を背けてから、「ま、まぁ、『いつも』ありがとうとは言っておくのです」とぼやいた。
さっと、プリシラの頬に朱が差す。それが伝染するみたいに自分の顔が熱くなるのが分かった。
オフィールは、不意を打つみたいにして素直になるプリシラのことが苦手だった。嫌いなわけではない。ただ、いつも毒舌な彼女に純朴そうな態度をされると調子が大幅に狂ってしまうのだ。
「お、おう…」そのせいで、自分だって普段の物言いができなくなる。「き、気にすんな。私は、アリア様の命令に従ってるだけだ」
今度は指一本触れさせるな、と命令を出されたのは事実だ。嘘ではない。
プリシラのほうを見やると、なぜか彼女は不服そうに目を細めていた。
『何だ、その面は』とでも小言を垂れようとしていると、背後から主の声が聞こえた。
「そっちも無事なようだな」
身の丈以上の長剣を器用に鞘へと納めながら、アリアが近づいてくる。
アイボリーの髪と肌着のせいでよく目立つ白い四肢には、返り血一つついていない。相変わらず、お姫様という地位からは考えもつかない強さだ。
「もちろんですよ、私を誰だと思ってるんですか?」
片手を挙げてそう答えれば、アリアは無表情のままで応じた。
「ふ、分かっているさ。だから、お前の腕っぷしは頼りにしていると――」
すると、唐突にアリアの顔が険しくなった。彼女の体から抜け始めていた殺気が、急速にその身へと還るのが分かった。
「二人とも、水から離れろ!」次は返事をする余裕などなかった。「何か来るぞ!」
湖の水面が隆起していくのを見つめながら、アリアは自分の迂闊さに歯噛みして駆け出した。
敵の気配が完全になくなったか確認もしないうちから、油断してしまっていた。殲滅を確かめずに剣を納めるなど、なんという失態だろう。
自分の声に反応して、プリシラとオフィールが湖のほうを振り返る。
その瞬間、水の中から細長い蛇のようなものが何本も飛び出てきた。
咄嗟にバックラーでガードしたオフィールは良かった。しかし、プリシラのほうはそうもいかない。
「きゃっ!?」
ぐいっ、とプリシラの体が横倒しにされ、湖のほうへと引きずられ始める。その拍子に、彼女のトレードマークであるキャスケットが飛んだ。
「プリシラっ!」
最初から、一瞬の攻防を生業とする剣士であるオフィールはあまり心配していなかった。心配だったのは、後方支援を得意とするプリシラのほうだ。
浅瀬の辺りまで引きずられていたプリシラの手を、疾風のように地を蹴っていたオフィールが自分も倒れ込みながら掴む。
「お、オフィール――」
「じっとしてろ!今、それを叩き斬ってやる!」
気炎を上げたオフィールだったが、そうして剣を振り上げた彼女自身にも再び細長い影が幾重にも迫る。
「くそ、邪魔すんな蛇野郎!」
そちらの迎撃に手を取られている間に、少しずつプリシラの体は深いほうへと引きずられる。
一拍遅れて近づきつつ、アリアはそれが水色の鱗をした小さな蛇であることを確認した。
(まだいたのか…!?いや、これは、まさかっ…)
まるで、先ほどの攻撃がこの奇襲のための布石だったかのような鋭い襲撃。アリアの頭に、『魔族』という単語がちらつく。
しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。二人に近づくアリアにも水の中から蛇が迫ってきていたからだ。
「この、どけっ!」
両手剣を抜き、淀みのない剣閃で邪魔な蛇をバラバラにして彼女らに近づこうとするも、攻撃の執拗さになかなか前進できない。
そうしている間にも、確実にプリシラは死の水底に引き込まれつつある。オフィールがなんとか食い止めているが、このままでは時間の問題だ。
多少の傷は構わない、と無理を承知で足を前に進めれば、肩や脇腹に鋭い痛みが走った。大きな蛇ではないとはいえ、噛まれれば当然、傷は残る。
それでも、アリアは氷のような表情を崩さない。
こういう生き方を選んだのは自分だという誇り、そして、自分の部下も同じように身を傷だらけにして友を守っているのを見ていたからだ。
そんな二人の様子に、プリシラは誰よりも血の気を失って叫ぶ。
「は、離すのです!このままでは三人とも――」
「うるせぇっ!二度とそんなことほざくな、約束を破りやがるつもりか馬鹿野郎っ!」
オフィールの強い叱責を浴びて、プリシラは無意識のうちに相棒の手を握る力を強くする。
「でも、オフィール…」
行動とは裏腹に、プリシラは弱気になって唇を震わせる。自分が死に近づくことよりも、オフィールの体が血だらけになっていくのが耐えられなかったのだ。
やがて、ずるっとプリシラの体が水の中に引きずり込まれた。顔のほとんどが浸かるほどの深みにまで来てしまったのだ。
ごぼっ、と水を飲み、苦しそうな顔をする友の姿にアリアとオフィールがますます無茶な行動を取ろうとした、そのときだった。
沈みかけていたプリシラの体が、再び浅瀬へと戻ってきた。必死に口を開けて酸素を取り入れながら、四つん這いになって自力で岸へと這いずってきたのを見るに、どうやら何かの拍子に拘束が解けたらしい。
「オフィール!」
今すぐプリシラを岸に引き上げるべく名前を呼ぶも、彼女に指示などいらなかった。もうすでに行動に出ている。
すると、自分へと向かって来ていた触手のような蛇たちが、一斉にプリシラのほうへと牙を剥いた。
行かせるものかと刃をきらめかせるが、数匹仕留め損ねる。
間に合わないかもしれない、という情けのない気持ちを蹴飛ばしながら、アリアは体を加速させて、二人の元へ駆けた。
すると、二度、三度と銀閃が虚空に輝いた。
それはプリシラたちに向かっていた蛇の頭を正確な動きで貫くと、浅瀬に標本ピンみたいにして突き刺さった。
――ナイフだ。
アリアは地面に突き刺さったナイフを目にして、足を止めた。その間も、湖の奥から無数の蛇が迫ったが、飛来する銀閃に射止められ、プリシラたちの後退はどうにか成功した。
「少し、下がっていて下さい」
バシャバシャと水を跳ね上げて岸に戻った二人と入れ違うようにして前に出たのは、両手に何本ものナイフを握った深白だった。
次回の更新は木曜日になります。
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