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姫騎士は、異世界人の少女と血の約束を交わす  作者: null
一章 寡黙な姫騎士
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寡黙な姫騎士.4

彼女は、『人として望んだ生き方』と『女性として憧れた理想像』を天秤にかけて、躊躇なく前者を選び取ったのだ。

 村を覆っていた霧は、山間部に入ってもまだ切れ目なく辺りを支配している。まるで、生きている何かがずっとそこにいて、道を迷わそうとしているかのようだった。


 アリアはシスター・ノームから受けた話をまとめると、すぐに魔物の被害を抑えるべく駆逐作戦をプリシラと共に立てた。


 じっとなどしていられなかった。少しでも何かしていないと落ち着かなかった。


 結局は、彼女自身がダムド王子に告げた通りの仕事になったわけだが、アリアの胸には晴れないモヤモヤがカビのようにへばりついていた。


 思っていた以上に大きい魔物の被害、それに伴って生ずる邪悪な人間の持つ欲の被害…。


 行動せずにいるとモヤモヤが強くなるだけだと、アリアは日も暮れそうな中、山間部の魔物を駆除するべく動き出したのだが…。


 ちらり、と視線を真横に向ける。そこには、魔物の被害が大きい区画へと道案内を買って出た深白の姿があった。


 美しい黒髪が、まつ毛の上をこすっている。それでも、彼女は瞬き一つせず行くべき道を真っすぐ見据えていた。


「深白、疲れてはいないか」

「はい、歩き慣れているので大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」


 山中に足を運ぶのに馬はリスクが大きいと、一行は自らの足で山道を刻んでいたのだが、すでに山道を歩き出して一時間程度が経過していた。


 行軍の訓練も積んでいない深白には苦しい道かと思ったが、顔色一つ変わっていない。むしろ、プリシラのほうが顔に疲労を滲ませている。


 深白が罹っている病気とは、一体、どんなものなのだろうか。おそらくだが、単純に体が弱いということではないのだろう。


 アリアは内面を表に出すことなく、平然と呟く。


「そうか、頼もしいな」


 そう告げれば、深白は薄く微笑んだ。


 儚い仕草に息が詰まりそうだった。


 人は自分にはない者を自然と他者に求めると言うが、確かに自分には『儚さ』のひとかけらもない。


 長剣を手に戦い続ける日々は、自分から姫としての儚さと奥ゆかしさ、そして、弱さを奪い去った。


 アリアは自分が陰で大臣らに、『可愛げがない』と揶揄されていることを知っていた。彼らもそれを隠そうとしないし、大臣の影響を強く受けている騎士の中には、面と向かって彼女をからかう者もいたのだ。


 無論、他者が自分に求める理想像などに指の先ほども興味のないアリアはそれらを無視していたのだが、オフィールがそうした相手を殴り飛ばし始めてから状況は変わった。自分である程度釘を刺しておかないと怪我人が出ることを彼女は学んだ。


 物語に出るようなお姫様に憧れがなかったかというと、それは嘘になる。だから、精一杯、髪の毛や肌には気を遣うようなことはしていた。


 ただ、アリアの中の天秤が単純な構造だったことは疑いようもない。


 彼女は、『人として望んだ生き方』と『女性として憧れた理想像』を天秤にかけて、躊躇なく前者を選び取ったのだ。


 だからこそ、深白という薄幸の少女が放つ異様な暗い輝きから、目を逸らせなくなっていた。


「深白は、ここに越してくる前はどんな生活をしていたんだ?」


 踏み込みすぎているだろうかと思いつつ、彼女のことを知りたいという欲求には打ち勝てず、アリアはそう尋ねていた。


 対する深白も、母親に捨てられたというバックグラウンドを感じさせない調子で応じる。


「私は、母の仕事に付き添って色んな国を回っていました」

「色んな国か…」少しでも、この少女とは楽しい話がしたい。アリアは何の裏表もなくそう考えていた。「聞かせてほしいことがあるんだが、いいか、深白」


「はい、私に答えられることなら」

「君が巡った国で、一番美しいと思えたところはどこだった?」

「美しい…?」


 そこで深白はやたらと不思議そうな顔をして、アリアを見返した。そんなに妙なことを聞いただろうかと不安に思っていると、深白はふっと微笑んでから十字架を握った。


「そうですね、水の都も、砂漠のオアシスも、遺跡群が残る霊峰も素敵な場所でしたが…アリア様のような綺麗な人がいる、このローレライ王国が一番美しい場所だと思います」

「き、綺麗だなんて…妙な冗談でからかわないでくれ…」


 明らかなお世辞だと分かっているのに、全身が熱くなる。こんなにも真っ直ぐにぶつけられると、偽りかどうかなど考える暇もなくなるらしい。


「冗談なんかじゃありませんよ」


 すっと、深白の指先がアリアの髪に触れる。そのあまりに自然な動作に、アリア自身はおろか、お付きのオフィールやプリシラですら口を挟むタイミングを失っていた。


「アイボリー色の色素の薄い髪、とてもお綺麗です。けっこう、お手入れ大変なんじゃないですか?」

「ま、まあ…」

「肌も白く細やかで、羨ましいです」

「いや、そんなことは…」


 羞恥からろくに返事もできずにいると、そのまま深白の手のひらがアリアの頬に触れた。


 アリアがドキリとして立ち止まって身を固くしているなか、彼女は続ける。


「やっぱり、私が見てきたモノのなかで、貴方様が何より美しいと思います」

「…っ」


 自分の顔が真っ赤になっていくのが、鏡に映さずともよく分かった。


 恥ずかしい、という感情より先に立つのは、普段は表に出ない喜びの感情。


 アリアは、本国では『無感情な人形』のようだと揶揄されることの多い女だったが、彼女をそうして嘲った者たちであれば、今、こらえきれず、ほんの少し口元を綻ばせて照れているアリアの様子を見た瞬間、腰を抜かしていたかもしれなかった。


「あ、ありがとう――」アリアがお礼を口にしようとした刹那、後ろから二人の間に割り込むようにしてプリシラが身をねじこんできた。


「そう気安く姫様に触れないで下さいなのです!」


 アリアに触れている手を払われた深白は、目を丸くして動きを止めたが、ややあって、「すみません」と呟くと、ぺこりと頭を下げた。


「おい、よすんだ、プリシラ。深白は何も悪くない」

「姫様、そうもいかないのですよ。仮にも貴方は一国の姫なのです。そういう気安さは身を危険にさらすのです」


 プリシラがそう告げたのを聞いてから、アリアはしまったと思った。案の定、深白はアリアのほうを見て、「一国の姫…」と驚愕している様子だった。


「なんですか、アリア様。この人に言ってなかったんですか?」


 少しは元気を取り戻したオフィールが怪訝そうに尋ねるものだから、仕方がなく、アリアは首を縦に振った。


「なんでまた…」とオフィールにさえも呆れられたのだが、彼女自身、どうしてなのかはっきりと分かっていなかったせいで、沈黙をもってそれに応えることとなった。


 そのうち、佇まいを直した深白に深々と謝罪を受けた。


 波が引いていくように出来上がる、自分と深白の心の距離をまざまざと感じたアリアは、なんとなく恨みがましい目で自分の部下を一瞥するのだった。



 深白が、魔物が頻繁に出没するとされる洞窟の付近にアリアたちを案内し終えたのは、もう日暮れになってからだった。


 黄昏の光がおびただしく生える樹木にぶつかり、無数の糸のような影を洞窟の入口そばに投影している。それだけで、どことなく不気味な場所に見えた。


 ぽっかりと空いた虚を覗き込みつつ、自分の足元で魔物の痕跡を調査しているプリシラにぶつからないよう、オフィールが反転してくる。


「けっこう深いですけど、どうします?アリア様。入ります?」

「そうだな…」ちらり、と深白を横目にする。「深白、この洞窟はどれくらい深い?」


 深白はアリアの問いを受けて、自分は入ったことはないが、村の者は相当深いと話していたと説明した。


 洞窟に入ることも見越してそれなりの装備は持ってきているものの、大事を取って、今日は少し離れた場所で野営したほうがよさそうである。本国からの数日がかり長旅の後だ。村でいくらか休憩したとはいえ、三人とも疲労は感じていた。


 オフィールもプリシラも、アリアのその提案に乗った。


 試験管に何か原料を集めていたらしいプリシラは、洞窟の魔物は夜行性でもあるようなので、気をつけて野営を敷こうと勧めてくれた。


 深白に、今なら急げばまだ日没前に霧の村に帰れるだろうことを伝えたところ、彼女はしばし逡巡した後、自分も野営に参加すると答えた。プリシラはあまり歓迎している反応ではなかったが、オフィールの、「一人で帰すのはあんまりだろ」という言葉で渋々承諾した。


 夜更けに魔物に襲われるリスクも考えて、洞窟からは離れた場所に野営を敷く。近くの湖畔が最適だという深白の助言のおかげで、飲み水や体を洗うのに困りそうになかった。


 鎧を脱ぎ、身軽になってから四人で夕食にありつく。


 オフィールとプリシラの仲が良いのか悪いのか分からない、いつものやり取りを脇目にしながら、そっと深白の様子を窺っていたが、彼女は親衛隊の二人を眺めて絶えず微笑み、時に苦笑するばかりだった。


 深白が二人の人間臭いところを気に入ってくれると嬉しい、と自分も会話の輪に混ざりながらアリアはそう願った。


 湖面に青い月が浮かび、星が瞬きを落とす夜。アリアは最初に火の番を名乗り出ると、三人を休ませ、湖に足をそっとつけていた。


 時間は粛々と過ぎていった。魔物の気配もない。ここは見晴らしもよいので、接近されればすぐに気づけそうだ。


 そのうち、オフィールが起きてきた。


「どうした、オフィール。交代には少し早いぞ」

「え、あ、えぇ…その、昼間は勝手をしましたから。その罰ぐらいに思って頂ければ」

「オフィール」短く、ほんの少しの怒気を込めて彼女の名前を呼ぶ。「私は友を罰したりしない」


 どちらかというと説教するぐらいのつもりで言った言葉だったが、それを耳にしたオフィールはむしろ嬉しそうにはにかむと、「分かってますよ。アリア様はそんな人じゃない」とアリアの隣に腰を下ろした。


「ただ、私がけじめをつけたいんです。村の事情を知らなかったとはいえ、暴走気味だった」

「…そうか。まぁ、そう言うならお言葉に甘えて休もう」


 オフィールと少し話そうかとも思ったが、テントの陰からこっそりこちらを覗いているプリシラが視界に入り、その役目は彼女が適任かと立ち上がる。


「すみませんね、いつも」湖のほうを向いたまま、オフィールが言う。

「気にするな。プリシラが絡んでいるときは、いつものことだ」

「はは…」

「お前の腕っぷしは頼りにしている。ただ、そうだな、手綱くらいは相棒に握ってもらっておくといい」


 アリアはそう告げると、プリシラと交代するようにしてテントの中へと戻った。


 それから少しすると、外から二人が会話する声が聞こえてきた。


 やれ、「オフィールだけに任せると、居眠りしかねないのです」だとか、「余計なお世話だよ」だとか、いつもの口喧嘩をしているようだったが、それは彼女らが本題に入るための第一歩なのだ。


 奥で眠っている深白の様子を窺う。急に野営となってしまい眠れているか心配だったが、規則的に胸が上下しているのを見るに、きちんと就寝できているようだった。


 そういえば、母に連れられて世界を周っていたと言っていた。きっと野宿するようなこともあったのだろう。


 できるだけ聞かないようにするか、と毛布をかぶり直す。秋の口とはいえ、夜は肌寒い。


 目をつむれば、すぐに優しいまどろみが迎えに来た。


 そうして、いくらかの間、眠りに落ちて横たわっていたアリアは、甲高い金属音と部下たちの大声で目を覚ました。

次回の更新は火曜日になります。

よろしくお願いします!

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