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姫騎士は、異世界人の少女と血の約束を交わす  作者: null
一章 寡黙な姫騎士
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寡黙な姫騎士.3

どこまでも透き通った、美しい水だった。

穢すには、あまりに惜しいと思うほどに。

 時すでに遅しか、と酒場に到着したアリアは肩を竦めて額に手を当てた。加えて、深いため息も添える。


 散乱した木片や木椅子、テーブル、怯えた人々のひそひそ声、奥から担架で運ばれていくぐったりした男。


 すれちがいざまに男を見やったが、あまりに凄惨なやられようだった。生きているようだが、あれではしばらくは動けまい。


 アリアは奥のほうでシスター・ノームと親衛隊の二人を見つけた。オフィールのほうはシスターに説教を受けているようだが、まるで反省している様子はなく、鬱陶しそうに話を聞いていた。


「全く、オフィールは…」とため息を吐きつつ、彼女は一行のほうへと近づく。


 理由もなく人を痛めつける人間では断じてないと分かっているが、いかんせん、いつもやりすぎる。彼女が王城でどれだけ揉めごとを起こし、医務室送りにしたことか…。


「あら、アリア様」


 最初に気づいたシスター・ノームが皺の入った顔を柔和に綻ばせてみせる。


「元気そうだな、シスター」シスターに応じると、すぐにバツが悪そうにしている部下をひと睨みして、顔を戻す。「私の部下が迷惑をかけたようで、すまないな」

「いいのよ、いつかこういうことになるだろうと思ってたから」

「…それは、どういう意味だ?」


 シスターの発言が意味深だったから、そうアリアは問い返した。しかし、その問いかけはすぐにオフィールの懸命な弁明に阻まれてしまい、とにかく一度、孤児院のほうへと戻ってから話をしようということになった。


 酒場は村の入り口にあるから、村の最奥にある孤児院までは五分程度の距離がある。道中、村で買ったミストマリアをシスターとプリシラ、そして自分だけ頬張って歩けば、オフィールはとてもしょぼくれた様子で肩を落としていた。


 少女の失意に心が痛んだが、さすがに甘やかすわけにはいかない、と心を鬼にして無視する。…もう一人の部下が、こっそり自分の果実を分け与えていることも無視して先に進む。


 孤児院に戻れば、入り口近くに置いてあるブランコで孤児たちが遊んでいた。そこには、深白も一緒だった。


 深白は自分たちに気づくと、スカートの裾を持って恭しく頭を下げた。貴族令嬢がするような仕草は修道女とは縁遠いものに感じたが、可愛らしさが勝って、アリアは思わず手を振った。


「知り合いなのですか?」とプリシラが尋ねる。

「ああ、さっき一人で孤児院を訪れたときに少しな」

「ふむ…」


 物言いたげな様子でアリアに身を寄せたプリシラは、身長差ゆえに届かない主の耳を引き寄せるべく、ぐいぐいとアリアの腕を引っ張った。


「なんだ」

「見たことのない顔なのです。もしや、彼女は…」


 流れ人かもしれない、と言いたいのだろうが、アリアには到底それは信じられないことだった。


「ふっ、そんな馬鹿な」


 何を言い出すんだと一笑したアリアだったが、深白のこの世ならざる純黒に瞳を奪われてから、まさか、と思い直して襟を正した。


「深白は一応、シスター・ノームの遠い親戚だと言っていたが、本当かどうかも怪しい。確かめる余地はあるな」


 こくり、とプリシラが頷く。


 彼女のほうはオフィールと違って自制が効くし、そもそも争いを好まない。頭もよく回る人間だから、こういうときには頼りになる…たまに、オフィールと一緒に暴走するが…。


「私がどうかされましたか?」


 こちらの視線に気づいたのだろう、深白は少し前かがみになって下から覗き込むようにして尋ねてきた。


 そのあざとい角度に息を飲みつつ、アリアは、「何でもない」とごまかす。


 深白は少し不思議そうにしていたが、それ以上の言及はなく、シスター・ノームに促されるようにして孤児院の中へと入っていった。



「…そうですか」


 シスター・ノームから、この霧の村に差し迫った現状を耳にしたとき、アリアはいっそ頭を床にこすりつけて、為政者として謝罪するべきだという気持ちに駆られた。


 そうしなかったのは、王族としての誇りなどではなく、そんなことをしてもここにいる誰も得をせずに困るだけで、状況は何も改善しないことを知っていたからだ。


 満たされるのは、ほんのわずかなエゴだけだろう。


 とはいえ、顔が俯くのを止められるわけではない。


「本当に、シスターたちには不自由と不安を強いている。すまない」

「いえね、貴方が謝ることではないのよ」

「シスターはそう言うが…魔物による村の被害を抑えるために、野党紛いの連中を雇い入れなければならないような状況に追いやったのは、やはり、我々本国の人間だ」


 オフィールによって私刑に処された男の顔を思い出す。紫に腫れた部分しか思い出せない。


 シスターが言うには、今、霧の村では村人が魔物の犠牲になっているそうで、遺体となって見つかった者、見つからない者も合わせて、相当多くの犠牲が出ているらしい。不幸中の幸いで、この孤児院の子どもたちだけは犠牲になっていないということだった。


 そうして拡大する魔物の被害を防ぐため、本国や近隣の騎士団に文を送り続けたそうだが、まともに取り合ってもらえず、『疎開せよ』の一点張り。


 その結果、村人に狼藉を働いたり、適正価格より何倍も上乗せされたような金額を要求したりするような連中の手を借りることが常態化しているとのことだ。


 これは、国の代表としてあまりに耳が痛くなる話である。


「村の資産も潤沢ではありませんからねぇ…もう限界だったといえば、限界だったのよ。オフィールに追い払ってもらって、良かったのかもしれないわ」


 シスターがそうオフィールに笑いかけるも、当の本人は小難しい顔をしたままだった。彼女なりに思うところがあるようだ。


 それから、アリアとプリシラ、シスター・ノームとで村の財政の話が始まった。


 難しい話になったからか、オフィールは目を閉じて聞いているか聞いていないか分からない態度を取っていたが、孤児に手を引かれたことで庭の外へと出て行った。子ども好きな彼女にとって、善い役回りになるだろう。


 十分程度話し合って分かったことは、やはり、この霧の村に余裕はないということだ。このままでは、騎士団の助けがなければ、村の安全を維持することすら困難になるだろう。


 不意に、シスターが疲弊した口調で漏らした。


「――もう、潮時なのかもねぇ。長くお世話になったけど、この村を離れるときが来たのかしら」


 それはとても重い宣告だった。


「シスター…だが、そうしたくないと言って聞かない者もいるのではないか?」


 シスターはアリアの問いに無言をもって答えた。


「疎開するなら、全員でなければならないのです、シスター・ノーム。数人でも残ってしまえば、それは見殺しにすることを意味するのです」

「それは、分かっているけれどねぇ…」


 肩を竦めて厳しい現実を受け止めようとしているシスターだったが、彼女を考え直させる言葉は思わぬところから放たれた。


「あの子たちも――」


 澄んだ響きは、水をカップにくんで持ってきた深白のものだった。どうやら、聞いていたらしい。


「散り散りになってしまうくらいなら、ここに残ると言っていましたよ」

「…そう」


 深白は各人の席に、コトン、とカップを並べて回った。その後、夕食を積んできたカートを移動させると、手際よく配膳しながらこう続けた。


「子どもの心は、本当に綺麗なものですよね。あまりに真っ直ぐで、眩しくて、目を逸らしたくなります」

「ええ、そうね…」

「――…疎開して、一先ずは乗りきったとしても、あの輝きが失われてしまうなら…それこそ、何があの子たちの幸せになるんでしょうね?」


 深白はアリアたちの反応を待つことなく、「口を挟んで、すみません」と頭を下げると、子どもたちを呼びに庭へと去っていった。


 この村に馴染みのない少女がいなくなった後の食堂には、しんとした静けさが残されていた。それこそ、真冬に雪が降り積り、音を何もかも吸い込んでしまっているときのような静寂が。


 深白の言葉には妙な重みがあった。修道服を着ているからそう感じただけではないことぐらい、この場にいる誰でもが理解できたであろう。


「変わった方です」プリシラが冷静に切り込み始めたのを聞いて、アリアは軽く緊張した。「見ない顔ですが、いつからここにおられるのですか?」

「ええ、三ヶ月ほど前から」

「そうですか…」


 ちらり、とプリシラがこちらを一瞥した。一任する、という意味を込めて浅く頷けば、彼女も同じように返して言葉を続けた。


「ところでシスター、『流れ人』の噂はご存知です?」

「…いいえ。そんな噂があるのかしら?」

「はい。この霧の村から移住してきた者たちのなかに、奇妙なよそ者がいる、という話をする者がいたのです」

「まぁ、存じ上げませんね」

「これが本当に不思議な話なのですよ、シスター・ノーム。『発見されたときは瀕死の重傷を負っていたのに、治療の準備をしているうちに傷が塞がっていた』とかなんとかで…」

「…」

「もう一度確認するのです、シスター。何もご存知ではないのですか?」


 早口でまくし立てていたかと思えば、プリシラは最後の確認だけはやたらと丁寧に、ゆっくりと発音して尋ねていた。自分とは違う情報の引き出し方に、こういうことは彼女に任せるに限ると一人頷く。


 やがて、シスターは沈黙の淵から這い出てきたかと思うと、アリアたちが抱えている疑問に真っ向から臨んできた。


「…もしも、深白のことを疑っておられるのであれば、誤解があると伝えなければならないわ」


 神妙なシスターの口調に、アリアらは固唾を飲んで言葉の続きを待つ。


「深白は――あの子は、母親に捨てられてここに送られてきた、ありふれた孤児の一人です」


 それを聞いて、アリアたちは互いに顔を見合わせた。


「孤児、ですか?あの、言いづらいことなのですが、深白さんは私よりか少しばかり歳上に見えるのです。普通に働いて、一人で生きられる年齢なのでは…」

「ええ、普通の体ならばね」


 それを聞いて、アリアは表情を歪めた。


「病気、なのか」


 シスター・ノームは深々と頷いた。


「詳しいことは私にも話さないけれど、そうね、夜中に青い顔をしてふらふらと裏庭に出たかと思うと、ぼうっと水を飲んでいるときもあるわ」


「…そうか」

「でもね、アリア様。やっぱりそれも『ありふれた話』なのよ。手のかかる子どもを口減らしに孤児院へ一方的に送りつける、なんてことはね」

「…すまない、シスター…今のこの国の貧しさは――」

「おやめなさい、アリア・リル・ローレライ」


 ぴしゃりと言葉を遮られ、アリアは面食らった。普段、穏やかで柔和な態度を崩さないシスター・ノームが、このような凛とした声を出すなどと想像もしていなかったからだ。


「この国に住まう者の誰も、貴方の謝罪を欲する者はいないでしょう。貧しき者も、傷つけられている者も、不安で震えている者も」


 シスターは、丸々と見開かれたアリアの瞳を見返すと、自分を落ち着けるように自分の指を互いに絡め、それをもぞもぞ動かしながら言葉を綴った。


「アリア様。貴方はお優しい。お伽噺の中に出てくる流れ人のような、神格化された存在に頼るのではなく、貴方自身が救世主となれるよう努めて下さいね」


 アリアは、今というときほど、この『救世主』という言葉に現実味を感じなかったことはなかった。


 本国では鼻つまみ者として扱われ、大臣や一部の騎士団員に陰で揶揄されているような人間が、救世主になどなれるはずもないと思ったからだ。


 しかし、それを困窮した民の前で口にすることの無責任さ、脆弱さは実際に行動に移さずとも十分に想像できた。


「シスター・ノーム、その、姫様は――」

「よせ、プリシラ」


 アリアは部下の言葉を遮ると、浅く頷いてから、深白が運んできたカップの水面を見つめた。


 どこまでも透き通った、美しい水だった。


 穢すには、あまりに惜しいと思うほどに。


「シスターの言う通りだ。流れ人のことはもういい。それよりも、今は霧の村が魔物によって受けている被害をどうするか、野盗紛いの連中のことをどうするかを考えるべきだ」


 アリアは口ではそう言いつつも、解決するべき問題に、実際に現場へと赴き向き合い続けるという、いつもと同じことを繰り返しで世界が変えられるとは到底思えなかった。

本日も夕方過ぎに続きを更新します。

ご興味があれば、よろしくお願いします!

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