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姫騎士は、異世界人の少女と血の約束を交わす  作者: null
五章 鉄音

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鉄音.3

俺たちの敗北は、納得いかんと、頭を下げるつもりはないと決めた相手に、尻尾を振っちまったときに始まるんだよ。

 アリアは、右に左にと長剣を振るって、己の身に降りかかる刃と命を尽く薙ぎ払っていた。


 同時に振り下ろされる剣撃を霞の構えで受け止める。そして、渾身の力を込めて弾き返すと、得物のリーチの長さを活かして、一歩遠い間合いから袈裟斬り、逆袈裟斬りと叩き込み、敵を仕留める。


 骸の数が重なれば重なるほど、段々と息が荒くなってくる。当然といえば当然だが、想像していた以上にデニーロの部下の勢いは激しかった。


(どれだけ仲間がやられても、気勢が削がれない…っ!不退転の覚悟か、見せてくれる…!)


 命がかかっているからか、武芸者として明らかに格下の相手でさえ、ひやりとするシーンがあった。


 一つ一つベターな返しをしていれば、予期せぬ致命傷は受けないだろうが、そうすると深白の元へと辿り着くのが遅くなる。そのため、アリアは少し焦っていた。


 無理をしてでも、急ぐべきか。いくら有利な武器を持っているとはいえ、エキドナも警戒している以上、簡単に仕留められはするまい。


 焦燥に駆られ、深く敵陣に踏み込む。


 四方から刃が迫る。


 長物は間合いが近くなればなるほど、熟練の技量を要するが、アリアは十分にそれを有していた。


 …しかし、それを遺憾なく発揮できる精神状態ではなかったことが彼女の誤算だった。


 焦りは、色んなものを覆す。相当の技量差であっても、時に例外ではない。


 背後からの一撃を振り返りざまに弾き、斬り伏せた後、正面から迫る切っ先への反応が遅れてしまう。


「ちっ…!」


 避けられない。


 せめて、致命傷を――。


 腕を盾にして刺突の威力を和らげようとしていた刹那、正面の男の真横から何かが飛んできて、まとめて部屋の隅に弾け飛んだ。


 己の幸運を喜ぶ暇もなく、アリアは自分を救ったモノの正体に目を見張った。


「オフィール!」


 ゆらり、とデニーロの部下を下敷きにしたオフィールが立ち上がる。


 彼女は、右胸から左脇腹にかけて、浅くはない傷を受けていた。だが、血が滴り落ちているにも関わらず、オフィールの目は爛々と鈍く輝いており、燃え上がった闘志が消えていないことを示していた。


「あぁ…アリア様。ご無事で」

「私は無事だ。オフィール、お前は――」

「プリシラは?」


 オフィールが、据わった目のまま相棒の名を口にする。


「外で深白と一緒にエキドナと戦っている」

「そうですか…」オフィールは聞いているのか聞いていないのか分からない声を発すると、続けて、「アリア様、そいつらは任せていいですか?」と残ったデニーロの部下を一瞥した。


 当然だ、と頷く。そうすれば、オフィールはくいっと口元をニヒルに曲げた。


「ありがとうございます。なにぶん、あのおっさん、なかなかのもんで」


 オフィールが相手を褒めるのは珍しい。それだけ、『楽しい』のだろう。


 彼女はそういう人間だ。自分とは全く違う意味で、武芸に興味があり、そして、荒事を好む。


 それに見合った強さを持っているオフィールにそこまで言わしめるデニーロは、やはり強敵らしいな、と考えていると、ちょうど二階のほうから彼が降りてきた。


「デニーロ、約束通り、裁くべきを裁きに来たぞ」

「それは、それは…ご丁寧に。姫様、改めて…汚いところで申し訳ない」


 以前顔を合わせたときは、紳士然としていたデニーロも、ああも全身傷だらけになってしまっては型無しだ。眼鏡はひび割れ、オフィールに相当苦戦しているのが一目瞭然である。


「気にするな。私の部下が散らかしたようだからな。こちらこそ世話になっている」


 皮肉で返せば、彼は辺りに散らばった自分の部下の骸を眺め、ふっと、静かにため息を吐いて応じる。


「私の部下も、随分と世話になったようで」


 すると、デニーロは救いを待つ子どものように自分を見上げてくる部下たちへ、さっとハンドサインを送った。


 それを受けた部下たちが酷く動揺し、「お頭…」と口々にぼやいたところ、彼は今まで聞いたことがない激しい口調で、「さっさと行け!」と命じた。


 彼の部下は一時困惑し、どう動くべきか迷っているようだったが、そのうち、こちらの様子を窺いながら背を向けて、アリアたちが入ってきた扉とは、逆のほうの扉へと駆け、逃げ出していった。


 律儀に部下を逃したか、と無言でデニーロの顔色を確認すると、相手も同じようにこちらの顔色を観察していた。


「追わないでくれたこと、感謝しよう。姫様」

「勝手に感謝しないでもらいたいな。私には、敵を背中から斬る趣味がないだけだ」


 見たところ、彼自身は逃げるつもりはないらしい。オフィールの血がうっすらとついている大きな戦斧は、デニーロの図体に実に相応しい。


 アリアは、無駄だと分かっていながらも、デニーロに選択の余地を与える。


「これで一対二。私は、数で勝ろうと向かってくる敵に容赦はしない。…それでも、まだやるか」


 オフィールが何かを言いたげにこちらを見つめた。いや、睨んだという言葉のほうが正しい。数年の付き合いしかないが、十分、彼女の言いたいところは分かっていたので、とりあえず落ち着けと視線だけで訴える。それで伝わったのか、オフィールはブロンドを額から後ろへとかき上げ、腕を組んだ。


 アリアの問いかけと、オフィールの反応にデニーロは薄く笑った。嫌味な感じではない。どこか満足そうは微笑だった。


 彼は何の返事もしないまま、ボロボロになったカウンターの後ろへと回ると、引き出しから葉巻を取り出し、「吸っても?」と尋ねてきた。


「好きにしろ」とアリアが返せば、デニーロは短く感謝の言葉を口にしてから、ぼっと、いつから持っていたのか、ライターを使って火を点けた。


 深い吐息と共に、天井へ向かって煙が吐き出される。


 煙は、ぼろぼろになった壁や梁をつたい、外から入り込んできている霧と同化していった。


 冗談みたいな静謐に満ちたひとときだったが、一分と経たないうちにデニーロが口を開いたことで、その凪いだ時間は終わる。


「…俺たちにとって、死ぬことは敗北ではない」


 俺たち、というのがデニーロと誰を差しているのか、想像できなかった。しかし、ふっと、笑ったオフィールは違ったのかもしれないと思った。


 彼はゆっくりとまた煙を吐き出すと、じろり、とアリアを見下ろした。それから、火が点いたままの葉巻を床の上に放ると、気品まとうアリアを侮蔑するように人差し指を向け、言葉を吐き捨てる。


「俺たちの敗北は、納得いかんと、頭を下げるつもりはないと決めた相手に、尻尾を振っちまったときに始まるんだよ。分かるかな、お嬢さん?いや、分からんだろう――お前のような、何不自由ない暮らしができる、持って生まれた人間には」


 侮辱の言葉だった。それなのに、アリアの胸は憤ることなく、ただ静かに、水底のほうで揺れていた。


(…深白にも似たようなことを言われたな)


 ――『アリア様は何でもお持ちですね。他人に分け与えられるだけの余裕がある富も、信頼のおける仲間も、住む場所も、食べるものも、人々からの信頼も、力も、高潔な魂も…』


 あれは、血を貰うための方便だったのかもしれない。だが、アリアにはどうしても、その先に続くはずだった別の言葉が分かってしまう気がしたのだ。


 深白も、『貴方には分からないでしょうね』と言いたかったのではないのか。


 無表情を維持したまま、アリアは自らの生まれについて深く考えを巡らせていた。すると、それを何か勘違いしたのか、オフィールがそばへと寄って、軽く背中を叩いた。


「ごろつきの言うことだ。あんたは聞かなくていい」


 あんた、という呼び方も、背中を叩くという行為も、普通の親衛隊ならありえないことだ。だが、そういうオフィールがアリアは好きだった。


「…ありがとう、オフィール」


 一歩、二歩とデニーロへ近づいていくオフィール。彼女は相手の間合いの数歩手前で止まると、主に背中を向けたまま待機した。


 指示を待っている、とアリアは直感する。オフィールのような人間にとっては、本来なら、必要のない指示だ。


 それを律儀に待っているのは、彼女なりのケジメなのだろう。上下関係には疎くても、『道具の使い方、使われ方』は熟知しているのがオフィールという人間だ。


 アリアは誰に向けるでもなく頷いた。そして、初めからそうさせるつもりだったことを、改めて部下に命じた。


「ここは任せるぞ、オフィール。情け躊躇なく、奴を叩き伏せろ。…私は二人と共にエキドナを討つ」


 ふっと、オフィールが微笑んだのがここからでも分かった。いつもみたいにニヒルに笑っているのかと思ったが、振り返った彼女の顔があまりに子どもっぽかったため、アリアは、こいつのことも分からないな、と肩を竦めて反転するのだった。



 想像以上のすばしっこさをもって、エキドナは土の上を縦横無尽に行ったり来たりしていた。


 エキドナの注意のほとんどが、プリシラに向けられている。こちらのナイフはたいして警戒されておらず、二、三本その青い表皮を穿ったとしても、徹底して無視されている。


 青い顔をして逃げ回るプリシラが、なんとか隙を見て明後日の方向に投げる毒瓶をさっきのように利用しようかとは試みていた。しかし、何度も同じ手にはかからないらしい。エキドナはその度に盾代わりの尾で弾き返していた。


 エキドナがぶん、と音を立て、尾を振るう。巨大な壁が迫ってくるみたいな一撃を、ふわりと後方宙返りをしてかわすも、どうやら読まれていたらしく、尾は宙を翔けるように軌道を変えた。


 驚くほどに機敏な軌道変更。


(…全く、ぞっとするね)


 深白は頭を下に向け、空中で地面に対して垂直に体をねじると、紙一重で尻尾の一撃を避けた。


 チリッ、と黒い髪が数本、消し飛ぶ。


 死のサーカス、という言葉が頭の中に浮かんだ。


 我ながら、くそみたいなワードセンス。笑いしか起こらない。


「深白さんっ!?」


 プリシラの位置からは、自分が尻尾に叩き殺されたふうに見えたのだろう。とんでもない悲鳴と共に名前を叫ばれた。


「大げさだなぁ」と苦笑しつつ、地面に着地する。


 このままでは、心配したプリシラが相手の間合いに飛び込んでしまいそうだ。


 深白は縦横無尽にうねる尾から距離を取りつつ、少しだけ声を張り上げて自分の安全を証明する。


「私は大丈夫だよ、プリシラさん!だから、不用意に距離を詰めないで」

「あ、え?わ、分かりま――」


 ぶん、とエキドナがプリシラ目掛けて尾を叩きつける。


 手前すぎる間合いだ。魔族でも、自分の弱点を執拗に突いてくる相手には人間みたいな焦燥が生まれるものらしい。


「ぴぃっ!?」

「この、いい加減に潰れなさい、貴方!」


 とはいえ、相手の気迫に押されてしまえば、二手目、三手目が避けられない。深白は自分があまり狙われていないことを逆手に取り、大胆にもエキドナの尾の根本へと飛び乗った。


 パッと振り向いたエキドナと目が合う。その赤い瞳に、アリアの喉元に浮いた血の水泡を思い出してしまう。


 ルビー、ガーネット、ルベライト、コーラル…。


 どんな宝石だって、あれには敵わない。


 時を止められた輝きでは、生命そのものと称しても過言ではない血の赤には、敵いはしないのだ。


 しかも…あんな身も心も美しい人間のものであれば、なおさら。


 深白は自分を振り落とそうとする数々の攻撃をくぐり抜けながら、ゼロ距離で吸ったアリアの甘い匂い、切なげな吐息、跳ねる律動をリフレインさせた。


「――…可愛かったな、アリア様」


 思わず、独り言が漏れる。


 どうでもいいことだった。


 必要に迫られて飲む血ではあるものの、美味しいかどうかだって大事だ。だが、その持ち主の反応など、味には関係のないことなのだ。


 それにも関わらず…身悶えするような反応と、唇を離した直後、刹那的に見せてくれたアリアの顔を何度も思い返してしまう。


「不気味な小娘が、邪魔よっ!」


 エキドナが何か言っている。


「貴方のおもちゃみたいなナイフなんて、鬱陶しいだけと分からないのかしら!?」


 どうでもいいことだ。


 そう…どうでもいい…。


 あの濃密で鮮烈な血と、その持ち主のことに比べたら、死ぬほどどうでもいいことだった。


 とはいえ、血の対価は払うと約束した。


(甲斐甲斐しく約束を守れば、アリア様も…もしかすると…)


 夢みたいなことを考えていた。


 ひとところに留まれない人生を歩むしかない自分にとって、夢よりも儚く、脆い――いわば、散る寸前の花の、最後のひとひらみたいな望みを。


 肉薄した状態でナイフを何本か構える。


 回避は間に合わない距離。


「だから、無駄だと――」エキドナの声。考え事の邪魔だった。


「ごちゃごちゃうるさいよ」


 銀の刃を連続で投擲する。フードみたいな蛇の頭部に阻まれたが、やはり、どうでもいい。


「私は、時間だけ稼げばいいんだからさ」


 気配を感じていた。


 アリア・リル・ローラライの、清冽な気配を。

ご覧いただき、ありがとうございます。


拙い作品ですが、ご覧いただいている方が少しでもいらっしゃるおかげで、

書き続けることができています。


物語はすでに中盤を越えていますので、どなたかお付き合いいただけると幸いです。


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