鉄音.1
いつも、そうしてきた。
洞窟を抜けると、霧がかった森が一時間ほどぶりに二人の前に姿を現した。
生き物の気配を微塵も感じられない静けさに緊張感が漂うものの、プリシラが、エキドナが地面を這って先へと進んでしまった痕跡を指差したことで、それも解けた。
蛇腹の轍は森の奥へと続いている。太陽の位置からして、村に近づく方角へ逃げたことは間違いない。
あちらにも巣があるのか、それとも…。
「姫様と深白さんを待ちますか、オフィール」
「いや、さっさと追おうぜ。逃げられちまったら、元も子もねぇ」
「ですが…」
「大丈夫だよ。どうやらあいつは、お前の毒を随分とお気に入りらしい。至近距離で食らわしてやれば、酒に酔ったろくでなし共みたいになって、私でも一太刀入れられるはずだ」
オフィールがニヒルに笑ってそう言ってやれば、プリシラはしばし迷う様子を見せた。だが、すぐに頷いてキャスケットを被りなおすと、「なら、行くのです」と相棒の提案を受け入れた。
濃霧のせいで、前方10mほどしか見えない道が続いた。奇襲されると対応が厳しいだろうが、今までの経験と持ち前の感覚の鋭さから気配には敏感なオフィールは、周囲に敵がいないことを確信していた。
洞窟を出て、数分ほど林道を進んでいると、そのうち林を切り拓いてできたらしい広場へと出た。
広場の真ん中には、ぽつん、と大きな二階建ての山小屋が立っていた。蛇腹の痕はそこまで続いている。
「見つけたぜ、あそこだ」素早く身を潜ませた物陰から、オフィールが言う。「ぺちゃくちゃとくっちゃべって、すぐに私の腕を切り落とさなかったこと…後悔させてやるぜ」
腰に括り付けたショートソードの柄に手を添える。
プリシラよりも付き合いのある一振り。ずっと昔に用心棒をしていた頃、与えられた手に馴染んだ剣だ。
闘争の臭いに血がたぎる。
さっさと突入したい、と中腰になって気を逸らせていると、それを制止するようにプリシラが片手を出した。
「待つのです、オフィール。人が、人がいるのですよ」
「あぁ?んなわけ…」
ないだろ、とプリシラの視線を追う。すると、驚いたことに確かに男が二人、山小屋の周りで薪の準備をしていた。
慌てて身を屈め、気配を消す。
そうしながら、どうしてこんなところに村の人間が…と不審な眼差しで男たちを観察していれば、すぐに彼らが武装していることが分かった。
「おい、なんであの蛇女が消えた建物に人間がいんだよ」
「武装していますから、村人じゃなさそうなのです」
武装していて、村人ではない人間。そんなもの、一つしか心当たりはなかった。
「だったら決まってる。お前の尻を触った連中だ」
尻、という単語にプリシラは顔をしかめたが、すぐに深刻な顔つきに戻ると、口元に手を当てて考え込む仕草を取った。
「どうして、彼らのところにエキドナが…」
「知るか、どうでもいいぜ。私はあいつらが蛇野郎の餌になるのを待ってから突入してもいいと思ってるくらいだよ」
「襲われている、のですか?いや、それにしては随分と落ち着いているのです…」
「んなもん、気づいてないんじゃねえか」
「お馬鹿」とじっとりとした目つきでプリシラがこちらを睨む。
下から上目遣いで自分を見る相棒は、状況を抜きにして考えれば、ちょっぴり可愛らしい…が、生意気なことに変わりはないので、トレードマークであるクリーム色のキャスケットを取り上げる。
目くじらを立てるプリシラを無視して、ぼすん、と自分の頭に乗せれば、彼女の良い香りが鼻孔をくすぐった。
「…よく見るのですよ。あんなにくっきり蛇腹の痕が残っているのに、気づかないわけがないのです。それに、痕は一つや二つではないのですよ。古いものがいくつか残っているのです」
「なるほどな。つまり、あそこは蛇の寄り合い所ってわけだ」
「デニーロの部下もいますから、あいつらのアジトなのかもです。…となると、魔族に村を襲わせて、そこに用心棒という形で介入して金稼ぎしていたのかもしれないのです」
ふん、とオフィールは鼻を鳴らした。その表情は、抑えきれない不快感を露わにしていた。
「マッチポンプか。ろくでなしがよくやる手法だ」
「…姫様の逆鱗に触れるのですよ。あいつら」
「へっ、アリア様が出るまでもねぇ。行くぞ、プリシラ。蛇野郎とこうもり野郎の棲家に殴り込みだ」
すでにべっとりと赤い血で濡れた剣を携え、こんこん、とオフィールが扉を叩く。表情は楽しげで、鼻歌なんかも歌っている。
よくも悪くもいつものオフィールだ。
戦いの狼煙の臭いを嗅げば、こうして彼女は初めて出会った頃に戻る。
違法組織の優秀な兵隊の一人として生きていた、やくざ者の頃の彼女に。
ノックしたって、返事などない。あるのは長い沈黙。
ふっ、と隣でオフィールが笑った。楽しくてしょうがない、といった感じの彼女が次に何をするのか予測できたプリシラは耳を塞いで屈み込んだ。
直後、オフィールが扉を蹴破った。凄まじい音で弾け飛んだ扉は、近くまで来ていたらしい男を巻き込んで、その辺りの床に散らばった。
「野蛮人なのです…」
「へ、リフォームしてやったんだよ」
ガタッ、と中にいた連中が腰を上げる。武器を手にした穏やかではない様子だったが、なおもオフィールは楽しそうだ。
「おいおい、居留守はよくねぇぞ?お兄さんがた。せっかく美女二人がお邪魔しようってんだからよぅ」
「自分で言うなです」とオフィールの陰に隠れたまま呟く。
無法な侵入者に、男たちは次々と罵倒する声を上げた。そのなかには、この間、オフィールが酒場で暴れた際にその場にいた者も混ざっていた。
『ただで済むと思うなよ』とオフィールの不遜な行いに腹を立てた相手が、ドスドスと足音を過剰に大きく立てて近寄ってくる。
酒場での一件を知っている男が声を上げて、それを制止したが、一歩手遅れ。
オフィールは、自分の肩に触れようとした指先をバックラーの一撃でへし折り、情けのない悲鳴を上げた男を部屋の隅に蹴り飛ばした。
「…雑魚はすっこんでろ」
普段の彼女からは想像できないほど、冷徹で無機質な声音。しかし、直後に出したハイトーンは、実に彼女らしい荒々しさが感じられるものだった。
「いやがるんだろう!?蛇女!この際、雑魚どものボスでもいい、さっさと出て来い!ぶった斬ってやるからよぉ!」
…反応はない。あるのは、侮辱されたごろつきたちの怒りの罵詈雑言。一番多いのは、「殺せ」という物騒な響きだ。そうではない、下劣な言葉もあったが。
「…そうか。私は好きなものは最初に食っちまうタイプなんだがよ…いいぜ、相手をしてやる」
プリシラに合図をして、建物の外で待つよう伝える。この人数では自分は邪魔になると判断し、大人しく建物の影に移動した。
オフィールは、真っ直ぐ、一人、二人と間隔を空けて飛び込んでくる敵を順番に処理する。
手入れの行き届いていない両刃剣を構えてやってくる相手に、先制で袈裟斬りを浴びせかける。
ぐらり、と倒れ込んだ男の陰から、別の男が飛び出してくる。血走った目は気の弱いプリシラからすると絶叫ものだが、オフィールは何の躊躇もなく踏み込み、懐に入られて不覚を取った相手の腸を削ぎ取った。
ぞっとするほどの出血と、驚くほど長い腸に吐き気を催しつつ、プリシラはぐっとこらえて事態を見守った。
(相変わらず、オフィールはすごいのです…。どうしたら、あんなふうに体が動くのですかね…)
一人、二人と絶えず相棒に飛びかかる。だが、彼女にとっては有象無象に過ぎず、ひらりひらりと花びらの如く舞い、その度に血の花を咲かせている。
無駄死に、という言葉が相応しい骸の数々。
オフィールの見た目に騙され、たかが小娘一人と見積もり違えた代償はあまりに重い。
ようやくそれを思い知ったデニーロの部下たちが、じりじりとオフィールとの間合いを引け腰で測っていると、彼女が待ちかねていた声が二階から聞こえてきた。
「随分なご挨拶だな、ご客人」
2mほどの身の丈で、眼鏡をかけた大男――デニーロだ。
「てめぇがデニーロか。悪ぃな、ドアが随分とボロ臭かったもんでよ、リフォームしてやろうと思ったんだが、余計なお世話だったか?」
挑発的な口調。きっと、彼女の頭のなかは今、荒れ狂う暴風を抑え込むので必死なことだろう。人と戦い始めると特にこうだ。
「私が言ったのは、お前が殺めた部下たちのことだ」
デニーロは物言わぬ骸と化した部下たちを一瞥すると、素早く十字を切った。半目で開けた瞳の奥には、明らかな悲しみが感じられた。
「へぇ、こいつは意外だ。チンピラ如きがお祈りかぁ?熊みたいなガタイしてやがるくせに、お優しいことだな」
「部下の死を嘆く。それの何がおかしい」
じろり、とデニーロがオフィールを睨みつけた。視線だけで人を殺せそうだった。
対するオフィールも、相手の視線に怯えるようなことはなく、たぎる激動を瞳に宿して相手を見返す。
「おかしいね。魔族と協力してやがるような奴が十字切るなんてな」
オフィールの言葉を受けて、デニーロの顔がぴくりと歪む。
「…何のことかな?」
「今更とぼけんな。エキドナとかいう蛇女に聞いてんだろ。蛇革にしてやるから、そいつも出せ」
彼は言葉を発さず、何かを考えているようだった。だが、そのうち天井のほうから、長い体躯を梁にがんじがらめにしたエキドナが降りてきたことで、デニーロはため息を吐いて肩を竦めてみせた。
「私が出て来ても構わないというまで、そこにいる約束だったと思うがな、エキドナ」
辟易とした口調だ。苦労人という単語が浮かんだが、ならず者たちの頭領としてはあまりに相応しくはないだろう。
エキドナは視線をオフィールではなく、その周りに向けていた。
何を探しているのか、とプリシラが扉の枠から少し身を乗り出して覗いた途端、エキドナと目が合ってしまう。
「あぁ、もう。あいつよ、デニーロ。あの帽子を被った娘がいると、恐ろしくて地を這うこともできないわ」
迂闊だった。蛇は、舌先で獲物を探知するという。隠れるなら徹底的に隠れるべきだった。
プリシラは、ばれてしまっては仕方がない、とその場にいる人々の視線を一身に受けながら、オフィールの一歩手前の位置まで移動し、気合を入れて敵を見返した。
「だったら、ずっとそこに隠れているといいのですよ、臆病者」
「ふふ、怖がっているのは貴方ではなくて?足、震えているわ」
「うるさいのですっ!武者ぶるいなのですよ!」
「あら、そうなの?」エキドナはくすくすと笑うや否や、素早く天井に戻り、「貴方たちは数で勝っているのだから、さっさと殺してしまってちょうだい」と物騒なことを依頼した。
きっと、昔は宿屋か何かだったらしいこの建物は、今では床が抜けているところもあちこちにある。戦いが始まったら、きちんと足場に注意しなければならない。
エキドナから頼まれたデニーロだったが、彼は何か思案げに目を細めて直立不動を続けていた。
頭の良さに気をつけろ、と深白は言っていた。確かに頭の回るタイプに見えるが、今のところ、小狡さは感じられない。むしろ、その逆で、威風堂々としているではないか。
「どうしたの、デニーロ。お姫様と、死神みたいな女が来る前に、その帽子の子だけでもやってちょうだい。そっちの子はたいして強くないわ」
「あぁ?」
力量を軽んじられたオフィールが、怒りをむき出しにしてエキドナを睨む。だが、彼女は依然としてオフィールを馬鹿にしたままで、目が合うとくすくすと鈴の音みたいな声で笑った。
今にも相棒の堪忍袋が切れそうだ、というとき、ようやくデニーロが口を開く。
「黙っていろ、エキドナ」
デニーロが片手を上げる。すると、どこから現れたのか、二十人ほどの彼の部下が二人の四方を囲んだ。
「私の勘が言っている。この女は侮れん」
「…いいねぇ、いい勘だ」
オフィールが、くるり、とショートソードを手元で回転させる。デニーロの部下の血で濡れた剣が、飛沫を飛ばした。
「私は魔物相手の経験は浅いが、人間相手なら、まぁまぁ長い。――つまり、人間相手のほうが私は得意ってこった、蛇女」
「そう。それで、魔物はその子が担当ってことね」とエキドナが目を細めて見つめてくる。
恐ろしい赤い瞳に睨まれて、つい、オフィールの腕を掴みそうになるが、ぐっとこらえ、静かに対人間用の催涙ガスが入ったフラスコ瓶に手を伸ばす。
一触即発の空気だった。デニーロも高みの見物をするつもりはないらしく、ゆっくりと階段を降りてきていた。
さすがのオフィールも、彼の相手をしながら他の人間の相手もすることは不可能だ。あまりに負担が大きい。とはいえ、自分は魔物を相手取るのは得意だが、人間相手はどうも苦手だ。半々で請け負うことすらできないだろう。
(…ならば、やることは一つなのです)
プリシラは、トン、とオフィールと背中合わせになると、自分たちを取り囲むならず者たちを精一杯睨みつけた。
「プリシラ」
「分かっているのです」
自分の名を呼ぶ声に、間髪入れずに応じる。
相棒の考えは手に取るように分かった。
いつも、そうしてきた。
二人で生きていくことを選ぶよりも前から…こうして、背中を預けあってきた。
「さぁ、見せてやるのですよ、オフィール!」
そう言うと、プリシラは高くフラスコ瓶を投げた。
きらきら光る液体を、誰もが目で追った。天井近いエキドナに至っては、一目散に建物の奥へと逃げ出すほどだった。
しかし、それは彼女を払うための薬品ではない。
「私たちの――やり方を!」
刹那、激しい閃光が爆ぜた。
プリシラが投げたものは、お手製の閃光玉だった。
後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。
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