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姫騎士は、異世界人の少女と血の約束を交わす  作者: null
四章 貴方が欲しくて

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貴方が欲しくて.4

そうしたら、もっと違う言葉が出せるはずだった。

「深白…?」


 バリッ、とせっかく巻いた止血帯を無理やり引き剥がされる。痺れるような痛みの後、たらりと血が肩口を這う感覚があった。


「っ…ど、どうしたんだ、深白、せっかく治療してもらったのに――」


 直後、信じられないことが起こった。


 深白の愛らしい唇の隙間から伸びた赤い舌が、傷口から垂れた血をべろり、と舐め取ったのだ。


 絶句し、唖然とした表情で至近距離の深白を見つめる。夢でも見ているのかと思ったが、そうではないことを、二度目に舐め上げられた肌の感覚から悟る。


 鋭い痛みと同時に走る、得も言われぬぞわりとした感覚。


(き、傷口を舐めている?消毒のつもりか…いや、そんなはずはない。消毒なら止血帯を巻く前に十分やったぞ…!?)


 痛みで顔をしかめながらも、深白が何を考えているのか探ろうとする。しかし、首筋に顔を埋めて肩の傷を舐める彼女の面持ちはここからでは見えない。


 わけの分からぬ状況と痛みに、とうとうアリアが相手を押し返そうとしたとき、不意に、深白がそのままの姿勢で口を開いた。


「アリア様は何でもお持ちですね。他人に分け与えられるだけの富も、信頼のおける仲間も、住む場所も、食べるものも、人々からの信頼も、美しい容姿も、力も、高潔な魂も…」


 依然として、アリアは深白の意図が理解できなかった。称賛の言葉を浴びていることは理解できるが、相手の話の主旨がそこではないことも分かっていた。


「だったら」と深白がそこで言葉を区切った。


 不気味な沈黙が広がる。この暗闇すらも飲み込み、一体化しようとしているみたいな静けさだった。


 どれくらいのとき、そうしていただろうか。時間の感覚も曖昧になる、この閉ざされた地の底で、深白としばらく抱き合うような形でじっとしていた。見た目だけであれば、不器用な抱擁に見えないこともなかっただろう。


 そのうち、深白がゆっくりと顔を上げた。


 彼女の口の周りは、化粧でも失敗したみたいに真っ赤になっていた。


 その赤は、自分の血とは到底信じられないくらいに色鮮やかだった。


「――血ぐらい、私に下さいよ」


 深白が、にこり、と童女のように笑う。その笑みは、今まで彼女が見せていた儚げなそれとはまるで違うものであった。


 深白、という言葉は、口のなかだけで咲いて、傷口にねじこまれた彼女の舌に押し込まれるようにしてそのまま散った。


 ずん、と背筋を通り、脳髄にまで届くような痛みが生じる。


「あっ、ゔ…!」


 溺れるような痛みだ。息がうまくできない。


 再び頭を首筋に埋めた深白の甘い香りで、くらくらするような感覚を覚える一方、鮮烈な痛みがずっとすぐそばにある。


 快、不快がミックスされた頭の奥で、危険信号が鳴り響く。


 ――襲われている。


 獣が獲物の血肉を貪るように、深白は今、確かに自分の生き血をすすっている。


 意図は分からないが、これ以上はまずい。怪我が悪化する恐れだってあるし、何かが壊れてしまいそうだ。


 アリアは、今度こそ、強く深白を押し返そうとした。


 しかし…。


 ぴたり、と冷たい刃が自分の喉元に触れる感覚で、アリアは動きを止めた。


「動かないで下さいね、アリア様」顔を上げた深白が、ぺろり、と口の周りの血を舐め取って続ける。「手元が狂うと、深い傷になっちゃいますから」


 そう言うと、深白はアリアの喉元に静かに短剣の切っ先を押し付けた。


 ぷくり、と浮き上がる水の泡沫。


「ああ…っ!」


 頭を起こし、ルビーのようなそれを耽溺した眼差しで見つめた深白は、困惑とわずかな恐怖と羞恥とで複雑な顔色をしているアリアへと視線を移すと、今度は艶やかに笑った。


「うふふ、想像通りです、アリア様。貴方の中に流れている血は、その美しさに違わず耽美で、濃密で、そのあたりの宝石店で売っているルビーやガーネットなんかよりも、ずっと爛々と輝いてる…!」

「何を言っている、深白…!いい加減、どういうことか説明してくれ、どうして、私の血などをすする!?」


 困惑のなか、遅れて芽生えてきた怒りが、アリアの口調を強くする。だが、深白はそれを聞いても相変わらず嬉しそうにするばかり。こちらの問いかけに返事もせず、喉元に浮いた血の雫を、音を立ててすすり始めた。


 じゅる、じゅると、不気味で卑猥な音が洞窟に反響する。


 こんな音を深白が、自分の喉元で、しかも、自分の血で鳴らしているなんて、アリアにはとても信じられなかった。


 今の深白は、さながら、蜜をすする黒い蝶だ。


 剣を抜くか、とも思った。だが、今までの彼女のことを思うと、それも憚られた。


 アリアは、大切な物語を紡ぐみたいに、深白と言葉を重ねたいと本気で考えていた。


 抜刀は、その願いを切り裂く行為だ。すでに、深白がそれと等しい行為をしているとしても、彼女自身にはできなかった。


 そうして、アリアはしばらく我慢してじっとしていた。


 深白の真紅の舌が傷を、喉を、顎を、肩を、いやらしくなぞる度に、今までに感じたことのない、筆舌尽くしがたい律動が体の奥底で鳴った。


「んっ…!」


 じゅるり、と吸い付かれれば、自分の意思に反して体は跳ねるし、痛みのせいともしれないうめき声が自分の口からは漏れた。


 数分経って、深白がごくりと喉を鳴らしたのを機に、ようやく彼女はアリアの血を飲むことをやめた。


 舌なめずりしながら口元を拭い、身を離す深白。


 そこには、先ほどまで百面相しながら我が身の血を貪り続けた少女の姿は一切なかった。


 深白がふらり、と一歩、二歩、後退する。そのうち、バツの悪い表情でアリアを見つめていたかと思うと、ため息を吐きながらまた近寄ってきた。


 今度は、つい反射的に剣の柄に手を添えた。外の空気を欲していた刃が、松明の光を反射して深白の顔を映していた。


 深白はほんの少し悲しそうな顔をしたかと思うと、斬られても構わないとでもいうふうに無警戒に近寄り、アリアの肩口の傷を再び治療し始めた。


 体が一瞬硬直したアリアだったものの、最初と同じように黙々と治療をこなす彼女を見て、脱力する。


「申し訳、ありません。アリア様」


 静寂を破り、ぽつりと深白が呟く。


「…理由を話せ。このままじゃ理解できないことが多すぎて、怒る気にもなれん」



「アリア様もご存知でしたよね、私が病気だってこと」


 松明の炎を光源にして、アリアと深白は並んで地面に座っていた。


 膝を抱えて、鬱々とした様子を隠さない深白に、表情はいつもどおり氷のように冷たいが、頭の中はぼんやりと混乱したままのアリア。


 二人は恋人のように寄り添い、その片方の話を聞いていた。


「ああ。まさか、それが関係しているのか?」

「はい」


 横目で覗いた深白の横顔は、ただ燃え上がる松明を一点に見つめていた。


 無論、彼女は松明の炎を眺めているわけではないだろう。その思考の焦点は己の頭の中に向けられているはずだ。


「――私、定期的に人の血を飲まないと死ぬ病気にかかってるんです。しかも、処女の生き血を」

「し、処女の生き血をすすらないと死ぬ病気、だと…?」


 なんとなく、それに近い想像はしていた。だが、実際に相手の口からそれを聞くと、馬鹿な、という気持ちがあふれた。


「そんな病気、聞いたこともないぞ」

「そうですね。どこに行っても、誰に言っても、同じように返されます」


 自嘲するような笑い。時折、彼女が覗かせていた諦観に触れた気がして、アリアはきゅっと唇をつぐむ。


「…そう返さないのは、私に病気をうつしたお母様だけ」

「なに?その病気は、深白の母親から遺伝したものなのか?」

「遺伝じゃありませんよ、アリア様。言ったでしょう?『うつされた』んです」


 深白が、うつされた、というのを強調するのには理由があった。彼女はそれを語るべく、静かに口を開く。


「お母様は、私の本当の母親ではありません。お母様は、私が旅行先で捨てられていたところを拾って育ててくれたんです。いや、攫われたのかな…まぁ、別にどうでもいいです」

「どうでもいい…?そんな、どうでもいいなんてことは…」


「いやぁ、これが本当にどうでもいいんです。実の親の顔なんて覚えてませんし、たいした思い出もない。それに、戻らないものに想いを馳せることは、ナンセンスですから」


 アリアは、家族の縁を断ち切られたことについてさえ、ナンセンスだと言い切ってしまえる深白のことがますます分からなくなった。反面、彼女の話に耳を傾けることは、今後の関係性を考慮しても、とても重要だとも思った。


「やっぱり、異常ですか?」

「…言っただろ、『異常か正常か』の基準は自分の中にしかないと。…続けてくれ、深白」


 深白は、「それ、本気で言ってたんですね」と軽くおどけてから、話を再開した。


「お母様も同じ病気でしたから、人の血を吸って生きていました。吸う、とは言っても、そんなたいした量はいらないんですけどね。でも、定期的に…そうですね、一週間に一度は血を飲んでいないと、喉が渇いて仕方なくなります。どれだけ水を飲んでも、ずっと喉が渇くんですよ。あはは、結構、苦しいんです、これ。…酷くなると、後先考えない行動に出るくらいには」


 なるほど、とアリアは顎を引いた。


「今のが、その『後先考えない行動』か」

「…そうなります。すみません、あまりにも、その…」


 言い淀む深白に、「今更、遠慮するな」と告げれば、彼女は軽く頷いてみせる。


「その、あまりにもアリア様が美味しそうで…」

「お、美味しそう…?」

「あ、はい」

「なんだ、それはどういう基準だ?…し、処女臭い奴だと思ったんじゃないだろうな…」

「え、違いますよ。匂いとか、色とか…甘くて、綺麗で…もう、見てると無性に腹が立つくらい、お腹が空いちゃったんです」

「ど、どう受け取ればいいかは分からないが…とにかく、そういうものか…」


 果たして、本当にそんな吸血鬼じみた病気が存在するのかは分からないが、意味もなく血を吸ったのだというほうが、とてもではないが信じられない。


 アリアは一先ず深白の話を信じることにした。そして、その過程で、二つの疑問が生じた。


「二つ、聞いていいか?」

「はい。もうバレましたから、隠すことはありませんよ」

「1つ目だが、その病気は吸血されることでうつるのか?」

「ご心配なく。その答えなら、『NO』です。違います」


 となると、自分に感染したということはないか。


「では、どうして君は母親に病気をうつされた?」


 一瞬だけ、深白は動きを止めた。躊躇するような唇の動きを訝しがっていると、ややあって、彼女は平然と答えた。


「粘膜感染です」

「粘膜?いや、だが、それは…」

「そういうことです。…あまり、ここには踏み入らないでもらえると嬉しいですね」


 自分の汚い想像が的中しているらしい反応に、途端にアリアは腸が煮えくり返るような気分に駆られた。


 もしも、深白の母が彼女を連れ去って自分の娘にしたというなら、その後、よっぽど狂った行為を重ねたことになる。


 許されざる、悪鬼羅刹の所業。


 一人の人間の人生を歪めた、輪郭も覚束ない相手に、アリアは歯ぎしりして憤りをたぎらせる。


 そのうち、アリアの反応に苦笑した深白が、「二つ目はなんですか?」と促したことで、アリアは我に返る。


「どうやって、今まで暮らしてきた?『生き血をすすって生きてきました』と口にするのは簡単だが、実際に人の生き血を得ることは容易いことじゃないはずだ」

「霧の村で暮らしているときは、子どもたちが遊んで怪我をしたときに、包帯とか、服とかからこっそり。この間は、アリア様の血を肌着から頂きました」


「どうりで、妙なことで気を遣ってくると思ったんだ」

「あはは、ご馳走様でした。薄味でしたけど、何もないよりマシでしたよ」

「…話を続けてくれ」


「はい。――お母様と一緒の頃は、お母様が攫って来た子どもの血を飲んでいました。そのうち、お母様が忙しいときは、自分でも」

「自分でも?」

「はい」

「自分がかつてされたように、子どもを攫ったのか?」

「はい」

「…忌むべき罪過の螺旋だな」

「あはは、そうですね。でも、生きるためだったので、しょうがなく」

「そうして血を飲むために連れ去られた子どもたちは、どうなる」

「しばらくは、お世話しながら一緒に行動します。…ただ、貧血気味になって動けなくなってからは、証拠の隠滅も含めて、私が――」

「もういい」


 胸の辺りがぐちゃぐちゃにかきまわされたような気持ちになりつつ、アリアは深白の言葉を遮った。


「もういい」とうわごとのように繰り返してから立ち上がり、鎧を身にまとう。


 自分が生きるために、他人から糧を搾取する。


 この世界の摂理だ。その辺りの獣でもやっているし、子どもも大人も日々、メビウスの輪に囚われたみたいにやっている。


 だというのに…到底、受け入れられない話だった。


 一人の人間としても、王女としても。


 たとえ、その儚さゆえに、自分を魅了する黒耀の蝶の物語だったとしても。


「あの、私、捕まりますかね?」


 深白が先へ進もうとしているアリアの背中に問いかける。


「沙汰は追って下す」


 アリアは、深白の顔を振り返ることができず、拳を固く握りしめる。


「…私に近づいたのは、血を吸うためだったのか」


 願わくば、違うと断言してほしかった。


 そうしたら、もっと違う言葉が出せるはずだった。


 だが、アリアの願い虚しく、深白は何も答えなかった。


 それを肯定と受け取った彼女は、深くため息を吐くと、珍しく分かりやすく表情に落胆を示した。


「…残念だ、深白」

本日は午前と午後の両方で更新します!

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