貴方が欲しくて.3
覗いていたのは、私のほう。
「おい、アリア様たちの姿が見えないぞ」
そんなふうにオフィールから報告を受けたことで、ようやくプリシラは我に返った。
「え?あ、本当なのです…」
しまった、考え事に没頭しすぎて主たるアリアの位置を確認することを失念していた。
親衛隊としてあるまじき失態にほぞを噛んでいると、それをオフィールが明るくフォローした。
「ま、深白も一緒にいるから大丈夫だろ。アリア様も怪我をしてたみたいだから、どっか安全なところで止血でもしてんじゃねえか?」
「だといいのですが…」
プリシラは不安げに背後の闇を見つめた。
そう、正直なところ自分も、『深白さんがいるから大丈夫だろう』と考えてしまっていた。
深白…可憐で弱々しいシスター、という皮を被った少女。
類まれ無い暗器術に、魔族相手でも動じない肝の座りよう――いや、あれは修羅場をくぐり抜けた者特有の落ち着きだ。
アリアが彼女に特別な感情を抱いているのは明白。オフィールの言ったように、友として…ならばまだいいのだが、自分にはそうは思えなかった。
アリアが深白に向ける眼差し…そこには、自分がオフィールを盗み見るときと同じものが含まれているのではないか。
「外の風が吹き込んできてるな…。プリシラ、外に出たら戦いが始まるかもしれねぇ、その前に、一応痛み止めを貰ってもいいか?」
「あ、はい。そうなのです、腕…痛むのですか?」
その辺りにある手頃な石にオフィールを座らせ、問いかける。彼女のブロンドが外から入り込んでくる風でわずかに揺れる。
「別にどうってことねぇ――って言いたいところだが…そうだな、千切れなくて良かったぜと言いたいくらいには、今も痛むな」
手早く軽鎧を脱いだことで、オフィールの真っ白な肌がさらされる。およそ、奥ゆかしさとは程遠い彼女だが、意外と体つきは女性らしい。
オフィールの右腕の上腕の辺りに、痛々しい青痣ができている。それを見ているだけでも、あのエキドナとかいう蛇女が忌々しくて仕方がなくなってくる。
幸い、腕は牙と牙の間に綺麗に挟まっていたらしく、圧迫されたこと以外大きな傷はない。ただ、その圧迫する力が尋常ではなかったようで、骨に異常がないか危ぶまれるところではあった。
腰に下げているホルダーから試験管を取り出し、また別の液体と混ぜる。
王国周辺で採れる薬草から抽出した成分だが、違う薬草と混ぜることで痛み止めや止血剤になる一方、魔物の体液と混ぜることで、抽出先の魔物に対し、筋弛緩薬として使える毒薬にもなる便利なものだった。
「…なぁ、プリシラ」
薬品の調合をしていると、おもむろにオフィールが口を開いた。
「どうしたのです?しおらしい声を出して」
「付き合ってくれて、ありがとな」
普段の苛烈さも、不遜さもどこ吹く風。彼女の声はとても淑やかだった。
「お前のことだからな…アリア様の命令に背くなんて、本当は嫌だったんだろ?」
「私は…」
図星を突かれ、思わず手が止まる。そうして考えている間に、オフィールが言葉を重ねた。
「悪いことじゃねえよ。私はむしろ…その、私と一緒に勝ち目のない戦いに出てくれたことのほうが、ずっと嬉しい」
その言葉に、ハッとプリシラは顔を上げる。
そうだ。自分は選んだ。死するに値する選択――相棒の、オフィールの隣に最後までいることを。
怖くなかったわけがない。魔族と聞いただけで身が竦んだし、ただの魔物とは違う絶対的な迫力に喉がカラカラになるほど緊張した。
だからこそ、今のオフィールの言葉はプリシラの心に歓喜の衝動をもたらした。
(…臆病者の私なりに、頑張って勇気を出したのです。それが、オフィールに伝わったのなら…その甲斐があったというものですよ)
嬉しくなって頬が緩む。相手もそんな自分の顔を見て色々と察してくれたのだろう、いたずらっぽく笑って応じてくれた。
オフィールは、子どもっぽい言い分だったり、輩なのかと思われそうな言動をしたりする人間だったが、その一方でこうした懐の広さを見せることがあった。
プリシラは、彼女のこういうギャップが好きでたまらなかった。
「当たり前なのです。同じ親衛隊として、お馬鹿な相棒を見捨てるわけにはいかないのです」
「…てめぇ、人が素直にお礼を言っているってのによぉ」
ムッとしたいつもの表情。これに対して憎まれ口を叩けば、きっといつもの会話に戻れるだろう。
だけど…それは今、少しもったいない気がした。
「それに…」とプリシラは少し俯いた。
不思議そうに言葉を待つオフィールの表情が脳裏に浮かぶ。ほんの少し、上目遣いでそれを確認すれば、頭に思い描いていたものと全く同じ顔がそこにはあった。
「約束が、あるのです」
オフィールは、この解答にきょとんとした顔を一瞬だけ見せた。それから、ややあって、穏やかな表情を浮かべると、「おう」と小さく返事をした。
村が焼き払われ、どうにか生き延びた二人がその夜に交わした約束。それは、確かに彼女たちを強くつなぎ留めていた。
「私たちは、姫様がいなければ、一緒に死ぬはずだった二人…。『死ぬ時は一緒』…です。勝手に一抜けはさせないのですよ、オフィール」
「分かってるよ。…へ、お前もな、勝手には死なせてやんねえぞ、プリシラ」
こくり、と頷けば、そこから先、二人はしばらく沈黙していた。
薬の調合を終え、それを傷口に塗り込んでやれば、一瞬は顔をしかめたオフィールも次第にいつもの余裕のある顔に戻っていった。
オフィールは、薬が効き始めると立ち上がり、ぐるぐると肩を回した。そして、痛みがないことを確認すると軽鎧を着直し、バックラーを手にはめ、剣を腰の鞘に収めた。
「うしっ、これでしばらくはやれるな」
心底嬉しそうなオフィールに、「無理は禁物なのですよ」と苦言を呈すると、ふと、目の前に立った彼女に対してプリシラは違和感を覚えた。
「どうした?」
「…オフィール、まさかとは思うのですが、また身長が伸びたのではないですか?」
「あ?あぁ…言われてみれば、そうかもな」
それを聞き、プリシラは酷く残念な気持ちになった。
「むぅ、どうして、オフィールばかり身長が伸びるのですか。私は、もうとっくに止まっているのですよ…」
「んだよ、そんな細けえこと気にすんなよ」
日頃から、チビ、チビと揶揄する人間の言葉とは思えない発言だった。
じろり、と睨みあげれば、こちらが言いたいことを察したのだろう、乾いた笑いを上げて彼女は視線を逸らした。
オフィールと自分の身長差は、すでに約10センチはある。このまま彼女の身長が伸び続ければ、その差は自ずと広がっていくことだろう。
相棒として、そして、一人の女として、オフィールが遠ざかっていくように感じてしまうのは、何よりも耐え難かった。
「オフィールにとってはどうか知らないですが、私にとっては、細かいことじゃないのです」
「あー…すまん、すまん」
分かっているのか、分かっていないのかといった相槌を打つオフィール。
「まあ、でも、ほら、あれだ。剣を振るう以上、身長があるほうが得物の選択肢は増えるからな。私が強くなりゃ、プリシラも心配しなくて済むだろ?いいじゃねえか」
…やっぱり、何も分かっていない。そういう問題ではないのだ。
「身長差が増えると、オフィールが遠くなったように感じて嫌なのですよ」
苛立ちを覚えて、つい本音を口にする。そうしてから、とんでもなく恥ずかしいことを言ってしまったと気付き、プリシラは顔を真っ赤に紅潮させた。
「それって…」
オフィールもどことなく、プリシラの言葉の意味を理解したのだろう。徐々に頬を赤くすると、照れたように自分の頭の後ろを撫でた。
プリシラはいても立ってもいられなくなり、弾かれるようにしてオフィールに背を向ける。そして、「い、今のはすぐに忘れるのです」と告げ、先を急ぐように歩き始めた。
そうして、羞恥を振り切るように出した一歩だったが、その歩みはすぐにオフィールによって止められてしまう。
ぎゅっと後ろから抱きとめられたプリシラは、一瞬、何が起こったのか分からず目を白黒させた。しかし、ハッとして見上げた先にオフィールの顔があったため、すぐに事態を察した。
気の強そうな切れ長の瞳。左目の脇にそっと乗った黒子が、とても色っぽかった。
「すねんなよ、プリシラ」
「お、お、オフィ…」
声を裏返しながら相手を見上げていると、そのうち、自分を抱きしめている両腕の力が少しだけ強くなり、しかも、オフィールが首を曲げて顔を近づけてきた。
(こ、これって、もしかして、もしかするのですか…!?)
破裂しそうな心臓の鼓動に背を押されるようにして、瞳を閉じたプリシラだったが、彼女の期待に反して、こつん、と当たったのは互いの額であった。
「…こうすりゃ、距離も近くなる。だから、離れちまったって思ったら言え、すぐにこうして縮めてやるから」
吐息混じりのオフィールの言葉を至近距離で耳にして、プリシラの肌が背中からぞわりと粟立った。
それはそれで心臓が持たない気がする、と混乱した脳で考えていると、不意にオフィールが両腕を離し、「行くぞ」と言って前を歩き出した。
プリシラは、相棒の意図がまるで分からなかったぶん、期待しすぎた自分が愚かだったかもしれない、と落胆していた。だが、こちらを振り向いたオフィールの顔が羞恥で赤らんでいることに気づいて、晴れやかな、でも確かに強くドキドキした気持ちで相棒の後を追うのだった。
深白の手際は見事なものだった。その辺りの石に腰掛け、ものの数分でアリアの傷は一応の手当を終えそうだった。
止血帯などどこから出したのか分からないが、あれだけ様々な種類のナイフが異次元から引きずり出されるみたいに出てくるよりは不思議ではない。
主から一時引き剥がされた深い青の鎧が、松明の炎を浴びて幻想的な光を放っている。今思えば、一日の大半は鎧を着ている気がする。
肌着一枚になった状態から、ほんの少し襟口を伸ばして肩の傷の治療を受けていたアリアは、無表情で無駄なく作業をこなす深白の顔を盗み見ていた。
「手際がいいな」
ぽいっと、闇にたゆたう静寂に石を投げ入れる。しかし、投げ込まれた石に対する反応はまるでない。
「こういうのはプリシラに任せきりになりがちだからな…私はあまり得意ではない」
もう一石。これも駄目だ。深白は口を開こうとしない。まるで底なし沼だ。
何か怒らせただろうかと不安に思っていると、止血帯の調節を終えた深白がようやく口を開いた。
「終わりました、アリア様。加減はいかがですか?」
事務的な口調だ。やはり、何か怒っているのだろう。先ほどのやり取りが尾を引いているのかもしれない。聞き分けの悪い人間だと判断されたのではないかと考えれば、後悔が湧いた。
「ああ、問題ない。戦える」腕を軽く回して具合を確かめてから、頷いてみせる。「そうですか、良かったです」
さらりと流すように応じられて、アリアはますます不安を強くした。
もしかすると、本気で嫌われたのかもしれない。
深白の黒曜石が二度と自分を映さないかもしれないと思うと、総毛立つ思いに駆られてしまい、アリアは沈黙を厭うように言葉を続ける。
「深白には色々と迷惑をかけてしまっているな。すまない」
「…いえ」
「この件が片付いたら、きちんとしたお礼をしよう。鼻つまみ者の王女だが、それなりの報酬は出せる。もちろん、相応のものしか出せないがな」
「お礼…」とここにきて、初めて深白と目が合った。珍しく、彼女は視線を右往左往させて動揺を示していた。
「ああ。生々しい話で申し訳ないとは思うが、結局、私にできるのはそれくらいしかない」
アリアの中にはほんの少し、『しめた』という気持ちがあった。
彼女はこの一件を終えることを自らの責務と思っていた。しかし、一方で、霧の村に平和を取り戻してしまえば、深白と自分の接点がなくなることも察していた。
深白はずっと霧の村に残るのだろうか?いや、そうは思えない。彼女はずっと世界を放浪してきたのだから、理由もなくひとところに留まることはしないのではないだろうか?
「よければ、ローレライ本国に招待しよう。ローレライの王女としてではなく、ただのゆ、友人として、君を――」
「アリア様」突然、深白がアリアの言葉を遮った。「お礼するなんて、軽々しく言うものじゃないですよ?特に、アリア様みたいに本当に持ってる人は。…そういうの、つけ込む輩もいますから」
「心配無用だ。深白はそれだけのことをしている。つけ込むというなら、そうすればいいさ」
冗談っぽい口調だったが、深白には、心の底から遠慮などしないでお礼を受け取ってほしいと思っていた。
その言葉が、深白を抑え込んでいる枷を解くとも知らずに。
「…私は、別に…」と深白が背を向ける。
ここで追わねば、彼女とのつながりが断たれるのではと早口になって声をかける。
「深白」
ぴたり、と深白が動きを止める。そして、ゆっくりと肩越しにこちらを振り返った。
ヘッドドレスから解放された髪が瞳を覆う。
そのわずかな隙間からこちらを射抜く、無限の銀河を思わせる眼差しに不覚にもドキリとしつつも、アリアは深白に近寄り、その頬に勇気をもって触れた。
「欲しい物があるなら、遠慮なく言うといい。私が与えられるものは、この恩義に報いるために施したいんだ」
こういうときくらい、王女の立場を利用してもバチは当たらないはずだ。それに、深白は実際に褒美に値する仕事をしているのだから。
ややあって、深白は自分の頬に当てられた手のひらを見つめ、そして、上を向いた。
揺れる影が投影された石壁を、まるで星空でも見上げるみたいにして仰いでいる様は、明らかに異様だった。
「…深白?」
やがて、深白がこちらを振り返った。
深い闇が虚を覗いていた。
いや、違う。
覗いていたのは、私のほう。
深白が瞳に飼っている虚の如き闇を、私が覗いていたのだ。
そして…虚のほうも私をはっきりと捉えていた。
次の瞬間には、アリアの体は硬い岩壁に押し付けられていた。
「貴方が、悪いんですよ?アリア様」
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