ヒイロと夢
馬が恋しい。脚が痛い。ひいひい言いながら重い鎧をがちゃがちゃ鳴らせて山道を進んでいく。
「リブラ―。大丈夫ー?」
「体力ないなあ……」
「無茶言うなよお……」
仲間からクビを切られてきた原因の一つとして、そもそも俺という人間が貧弱であるということが挙げられる。それは戦闘だけではなくて、こういった移動の時にも仲間を困らせてきた。俺が遅いせいでパーティ全体の進行まで遅延し、依頼人の指定した時間に間に合わなかったこともしばしばある。
これはまた見限られるかな。内心で思っていると、ヒイロが軽い足取り俺のところに戻ってくる。
「え?なに?」
「リブラが地図係なんだから一番前じゃないと」
「前ったって……」
「びっくりしないでね?」
「は?」
ヒイロは俺の後ろに回る。と、思うと突然に俺の身体が浮き上がる。
「わっ!?」
「よしっ。行こう」
下から声がする。顔を声のする方に向けると、ヒイロの黒い髪がそこにあった。肩車をされているのだ。
「お、重くないの?」
「全然?」
「うっそお……」
大量の食糧品を詰めたリュックに鋼の鎧、それから人間一人分の重さをヒイロはものともせずに、軽快な足取りで進んでいく。すれ違いざまのファイが唖然としていた。
「あっ。ファイも私が運んであげようか?」
「い、いや。いい」
「そう?あっ。リブラ。この先どう行けば近道?」
「お、おう。そう……だな」
地図を取り出して道を確認する。
「……このまま道なりでいいと思う。魔物もいないし、安全だよ」
「了解!行こう、ファイ?」
「え、ええ……」
女子2人が山道を進んでいく。酷い坂道。重い荷物。それらをものともせずに談笑しながら進んでいく。楽をしているのは俺だけ。女の子に肩車されて、情けない。降りようにもヒイロが俺の脚をがっちり握って全く動かないので、降りられない。
「……いっそ殺せえ」
そんな俺の呟きが、山に溶けていくのだった。
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「日が落ちてきたな。この登り道を超えたら広い所に出るみたいだから……今日はそこで野宿しよう」
「分かった」
肩車をし始めて数十分のうちは『いっそ殺せ』とか『死にたい』とかぶつぶつ言っていたリブラだったけれど、1時間もすれば吹っ切れたようである。だけど私のくせ毛を弄るのはやめてほしい。そういうことのために肩車してあげているわけではないのだ。
リブラの言うとおり、登り道を超えると開けた場所に出た。3人で寝泊まりしたり食事をとることも十分に可能である。
「はあ……はあ……」
「大丈夫?ファイ?」
「だ、大丈夫……」
発言とは裏腹に、ファイは汗だくで明らかに疲れが見えていた。彼女の様子から見ても、今日はこれ以上進むのはやめた方が良さそうだ。
「じゃあ、メシは俺が作るよ。2人とも疲れたろ?な?」
何か気まずくなったのか、リブラはリュックの中から鍋やら包丁やら食糧やらを次々に出して調理を開始する。そんな彼の様子に目も向けず、ファイは持ってきた水筒の水をごくごくと飲む。
「はー……。疲れたあ……」
「あっ。やっぱり疲れてたんだ」
「……すごいねヒイロは。ここまでの道中も全然平気で」
「あははは……。体力には自信があるからね!」
キュウのおかげで私の身体は人智を超えた性能を有している。この程度の山を縦走するくらいはわけない。
(というかそもそも……)
「羨ましいな……。私もそれくらい強くなりたかった……」
「うーん……。あはは……」
なんと答えたらいいのか私には分からなかった。だって、私はこの力よりも、キュウが傍にいてくれる方がずっと嬉しいから。こんな力なんていらないから、キュウに生きていて欲しかった。
けれど、そんなことをファイに言ってどうなるというのか。彼女の口調は真剣だった。他意はなく、ただ強くなりたいと思っているのだ。そもそも私は私の事情を話していない。なのに、気を遣えという方が無理な話である。だから、私にできることは愛想笑いを浮かべることだけだった。
「俺は別に強くなくてもいいけどなあ。食うに困らず貯金ができればそれで」
「そのせいで7回クビ切られてるヤツがよく言うわ」
「うるせえ。本当のことを言うな」
そう言いながらリブラは切った野菜や肉を鍋の中に突っ込んでいく。そうして木の枝を集めて、火を起こす用意をした。
「あ。しまった。火を付ける道具がないぞ……。おーい、ヒイロ。悪いけど」
「あい」
指先に発生させた小さな赤い炎の玉。それをデコピンで飛ばして木の枝にぶつける。ぼうっという音と共に火がついて、鍋を熱し始める。
「サンキュー」
塩を沢山鍋に振りかける。中の具材が熱されていい匂いが漂ってきた。鼻唄を歌いながら楽しそうに料理を続けるリブラを私たちはジッと見つめる。
「あとはー。俺様特性スパイスでー。味をつけてー」
「アイツノッてくると歌うんだ。知らなかったわ」
「ノッた時の一人称俺様なんだ。知らなかった」
「ほいっ。完成、っと。ん?どうかした?」
「別に」
「なんだよ」
笑いをこらえている私たちを、リブラは不思議そうな顔で交互に見つめた。
彼から受け取ったお皿からは鼻をくすぐるスパイスの香りが漂ってきている。その奥からは甘い野菜の匂いもしてきて食欲をそそる。
「いただきますっ」
黄金色に透明なスープを一口、スプーンですくって口の中へ。
「……わっ。美味し……!」
「……へえ」
「ヒイロにはちょっとしょっぱいかもな。でもファイがめっちゃ汗をかいてたしなあ。ちょっと塩分が多いくらいが丁度いいと思ってさ」
「全然しょっぱくないよ!美味しい!」
「そう?あーよかった」
言いながらリブラもスープを口へ運ぶ。満足そうに頷いて『美味い』としみじみ言う。
「ねえリブラ」
「ん?」
「こんなに料理が出来るのに、なんでアンタギルドの仕事なんかしてるの?」
「え」
鳩が豆鉄砲くらったような顔のリブラに、ファイは追撃を仕掛ける。手元のお皿を指差して、『どう考えてもこっちの方が向いてるわ』と。
リブラは困ったような顔でパンをちぎり、スープに漬けてむしゃりと食べる。美味しそうなので私も真似をした。思った通りというか、思った以上に美味しい。
「まあ。元々コックだったんだけど。料理もまあまあ好評だったけど。俺そのうち辞める予定だったからさ。あんまり流行っちゃうと辞めにくくなるし。後腐れないようにさっさと辞めて、やりやすそうなギルドの仕事をしてんだよ」
「だから……。なんで?」
「……ったくもう。秘密にずけずけ突っ込んでいくやつだなあ」
渋々と言った様子でリブラは懐から折りたたんだ地図を取り出す。それを広げて、彼は私にしたのと同じ説明をした。
「誰にも言うなよ?爺ちゃんの形見で、貴重なもんなんだから」
「分かった分かった。で?コレとアナタが料理人を辞めたのとなんの関係が?」
「それはな」
リブラが地図を2回、人差し指で叩く。地図が光り出した。描かれている内容が、変化する。私はそれをじっと見つめて、彼に尋ねた。
「これなに?」
「……これ世界地図よ」
「そ。世界地図。でもただの地図じゃあない。ほら。色んなところに黒いバッテンが付いてるだろ?」
言いながらリブラは×印を指差していく。北部の大陸。地図中心にある小島。南部の山岳地帯。北西にある森。東の果ての湖。
「これはきっと、宝の地図だ。気が付いたのは3年前。俺はコイツを1個でもいいから手に入れてみたいんだ」
「へえ……」
夢を語るリブラは照れくさそうだったけれど、それ以上にきらきら輝いて見えた。
「実は2年前まではもう1個バッテンがあったんだ。シルフの町のすぐ近くだよ。でも俺が着く前になくなった。きっと誰かが先に取っちゃったんだな」
残念そうな口調でリブラは続ける。シルフに着いた頃には旅の資金も無くなったそうで、結局町に残ってお金を貯めているらしい。
「レストランで仕事してもいつかは辞めないといけない。人気になっちまったら辞めるに辞められなくなる。客に悪いからな。だからそうなる前に辞めたんだ」
「ふうん。そうだったんだ……」
「まあ7回もクビになってるし?半分諦めてたんですけど?」
リブラは自虐しつつも笑顔で言う。ファイはそんな彼を見つめて、少し躊躇いつつも口を開く。
「私もさ。やりたいことがあるんだよね」
「ファイのやりたいこと?」
「おいおい。別に夢を語る会なんかしなくていいぞ」
「アンタが語っちゃうのが悪い。いいから聞きなよ」
ファイは二度深呼吸をして、意を決したように『やりたいこと』を語る。
「王国騎士団に入りたいんだ」
「え。お前マジか」
「魔物に家族を殺されてね。私もやられそうになったんだけど……騎士様たちが助けてくれたの。私もあんな風になって人を救えたらって」
「……」
「大変だぞ。それ。第一王国騎士って言ったらそれなりの家柄じゃないと……」
「うん。だから、どんな家柄にも負けない実績がいる。優秀な実績を幾つもあげれば、きっと向こうから声がかかる」
彼女の功名心はそこから来ていたのだ。無茶をしてでもコトを成し遂げようとするのは夢を叶えるため。
リブラやファイを見て、私はなんだか、羨ましく感じた。私には夢なんてないから。のんびり生きていければいいやと思っているだけだ。家を買おうと言うのもリブラが何か目標を持った方がいいと言ったからである。
けど。
「じゃあ。私も一つ言いたいことがあるんだけど」
こうなると何も言わずに終わるのはなんだか収まりが悪い。
「いや。だからいいって別に」
「そうそう。言った私が言うのもなんだけど」
「あはは。まあ私別に夢とかないからさ。代わりにちょっと思ってたことを言おうかなって」
リブラとファイは不思議そうな表情を浮かべる。
「あのさ。この山って。脚で登って降りて行かないと、ダメなの?」
「……どういうこと?」
「ほら……。魔法で空を飛んで行けばいいのになーって……」
2人ともぽかんとしている。やっぱり言わなければよかったかな。私はそう思った。