ヒイロとリブラ②
「いいの?俺で?自分で言うのもなんだけど、俺なにも出来ないよ?」
そう語るのは私の代わりに薬草集めの仕事を受けてくれた地図士のリブラ。歳は二十歳。地図を書くのは得意だけれどそれ以外は苦手と受付のお兄さんは言っていた。
「いいんです。これも何かの縁って言うか。むしろありがとうございます。リブラさん。無茶なお願いを聞いてくれて」
「リブラでいいよ。俺に『さん』づけなんて……。まあいいかあ……薬草拾うだけだしなあ……」
「あ、えっと。じゃあよろしく。リブラ」
「ああよろしくヒイロ。ははははは……」
私たちの会話は弾まない。重苦しい空気の中で、私たちは森に入った。今朝森から出てきて、お昼にはまた森に入ってきている。別の森ではあるけれどなんだかヘンテコな気分だ。
「と、取り敢えず頑張ろう!お婆ちゃん待ってるし!」
依頼人は町に住むイーマというお婆さん。薬や食料品を販売する道具屋さんを経営している。今までは自分で森に入って薬草を採って、薬を作って販売していたらしい。
だが、足腰が弱くなったのとここ最近魔物の数が増えたことでなかなか森に入れなくなったということだ。
薬の在庫も少なくなってきたので、ギルドに依頼を出したらしい。
依頼品である薬草はこの森の奥にある大木の根本に生えているという。先行するリブラが森の地図を広げた。私はそれを後ろからのぞき込む。
「わっ……。かわいい……」
『危険!魔物出没地帯』とか『スープに使える美味しいキノコ群生』などの情報がイラスト付きで書かれた地図である。
「すごいですねこれ。分かりやすいや」
「だ、だろっ?地図作りだけは得意なんだ、俺」
リブラが照れ臭そうに言った。その後に何故か落ち込んで、『まあそれ以外特技はないんだけど』と呟く。途端に雰囲気が重苦しくなったので、私は話題を変えようと地図に書かれた大きな木のイラストを指さした。
「え、えっと。これが目的の大木?」
「あーっと、そうだね。樹齢千年って話だ。いい薬草を育てる霊験あらたかな力を秘めていても不思議はないよ」
「千年かあ」
魔物がいなかったら観光地になっていたかもしれない。千年も生きている木というのは、それだけで希少で、それだけで何かパワーを貰えそうな気がする。
「なるべく魔物に出会わないルートで行こう。俺についてきてくれ」
リブラの持ってきた地図が優秀なのか、彼の進む方向には確かに魔物の気配はない。時々鳥や獣の声がするくらいだ。森の奥へ進んでいってもそれは変わらない。私たちの間にも会話はないままで、草を踏みしめる音だけが響いていた。
「そう言えば」
そんな無言の間が耐えがたかったのか、リブラが口を開く。
「は、はい」
「ヒイロはなんでこんな仕事を?まだ10代後半くらいだろ?」
「あー……私実は元々会員だったんだよね。四年前に会員になって二年間。会員証はもらってないんだけどね」
「……は?」
リブラは私の顔を、怪訝な表情でまじまじと見つめた。戸惑いながら『なに?』と尋ねる。
「いや。あー……そっか。ごめんね。何でもないよ」
それだけ言うと、リブラはまた正面を向いて歩きだした。気を遣わせてしまったのだと私は気付く。四年前と言ったら今よりももっともっと子どもだ。幼女といってもいいかもしれない。そんな年齢で、ギルドで仕事をしないといけないなんて、何か事情があるに決まっている。実際事情があったのだから。リブラもそれを理解したのだろう。
「えー……っと。リブラ?そんなに気にしなくてもいいよ?そこまで大した話じゃあないし」
「いや。いやいやいや」
「四年前に両親が亡くなって」
「ちょっと?」
「食べるものがなくなったから、やむを得ずペットのドラゴンを連れてドラゴンテイマーを名乗ったのが切っ掛けで」
「やっぱり大したことあるじゃん!?」
リブラの反応に私はけらけらと笑う。彼はそう言うけれど、実際大したことではないのだ。少なくとも私にとっては。
お父さんとお母さんがいなくなったのはもちろん悲しい。けれど私は、二人からはちゃんと大切にしてもらっていた。私の誕生日を祝おうと、頑張って仕事をしてくれていた。
二人が亡くなったあとも、私は色んな人に守られていた。子どもなりに考えて、生きていくために仕事をしようとする私をギルドは受け入れてくれた。
そしてこんな私をベルゼの町の人たちは見守って、支えてくれた。だから私は、両親が亡くなったことも子どもの時から仕事をしていたことも、全部肯定できている。
今でも納得できていないことはラヴァルトが起こした事件だけだ。
「あんまり気にしないで。本当にもう、終わったことだから」
「じゃあ……まあ。そういうことにするけどさ。あっ。着いた」
「おー……これが件の」
リブラが指差した先にある樹齢千年の大木は大木を名乗るだけあって見上げる程に巨大であった。その根元にはイーマさんから頼まれていた薬草が群生している。選り取り見取りだ。
「じゃあ。回収しようか」
「うんっ」
と、木の根元に向かって駆けだそうとした時である。私の耳は声を聞いた。反射的に足が止まる。リブラが不思議そうな顔で私を見つめる。
「どうした、ヒイロ」
「悲鳴が聞こえた」
「はっ?」
リブラが地図を広げる。彼は目を大きく見開いて『嘘だろ』と呟くと、乱暴に折りたたんだ地図を懐にしまい、回れ右をして走り出す。私は彼の後を追いかけた。
「ホントだ。人がいる。……近くに魔物もいる」
「えっ!?」
「多分……魔物狩りの仕事を受けて、森に入ってきて、追い詰められたんだ。このままだと危ないかも」
『あっちだ』というリブラについていく。少しだけ違和感を覚えた。彼は確かに有益な地図を持っているのだろう。魔物の住処も分かっているのかもしれない。
(けど……)
だからといってそこに悲鳴の主がいる保証はない。しかし彼の足取りには確かな確信があった。そこに必ず助けを求める人がいると分かっているみたいに。
「見つけた!」
「あっ!」
辿り着いたのは沼地である。そこにいたのは私と同年代に見えるサイドテールの背の低い女の子だった。握っている細身の剣は折れていた。赤色の鎧は凹んでおり、泥で汚れている。
「クレイマンか!」
沼地から這い出てくる魔物を睨んでリブラが叫ぶ。泥人形のような魔物はクレイマンという種だった。
孔が開いているだけの目鼻と口。足はない。泥で出来た手を獲物に伸ばしている。その数5体。リブラは咄嗟に懐に手を入れた。地図とペンを取り出して何かをしようとしている。
「やあっ!」
けれど。それよりも先に私は走りだしていて、クレイマン5体の首を殆ど同時に蹴り飛ばす。
「……はあ?」
「ふうっ」
首を吹っ飛ばされたクレイマンはかくかくと震えると、やがてただの泥になって崩れ落ちた。同胞の仇を討とうとするかのように、沼から新たなクレイマンが出現する。
「リブラ!あの沼が魔物の巣!?」
「えっ。あ。そう!そこが奴らの巣!」
「分かった!」
言うと私は思い切り地面を蹴って、大きく跳びあがる。森の中のどの木よりも高い景色。リブラもクレイマンもクレイマンにやられていた女の子も、みんなが一様に私を見上げている。
「隙だらけだよ。クレイマン」
その隙が私の狙いだった。師匠から教えてもらった魔法を発動させる。青色の炎が、私の手の中で輝き始めた。
「これで、終わり!」
投げつけた火の玉は沼地にぶつかると同時に巨大な青い火柱に変わる。炎は、一瞬にしてクレイマンごと沼を蒸発させた。
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「ルールを決めておこうか」
「ルール?」
「そう。力を使う時のルール。条件とか……力を使うべき時の定義って言ってもいいね」
「どうしてそんなことを?」
「力を制御するってことは全く使わないってことじゃない。使うべき時をちゃんと理解するってことだ。力そのものに善悪はない。善悪を決めるのはそれを振るう者だよ。ヒイロが力を使うべき時を正しく認識していれば、きっとその力は正しく使われるはずだ」
「よく分からないです……」
「まあまあ。なんとなくでいいからさ。さてヒイロ?キミは相棒からもらったその力を、どうやって使いたい?」
「私は……」
キュウは私のために力を使った。この力は自分以外の誰かのためのものだ。だから私は、キュウからもらった力を、誰かのために使いたいと師匠に言った。
二年経った今でも、『月並みだなあ』と笑う師匠の顔ははっきり思い出せる。