ヒイロとリブラ①
「よし。破門。出ていきなさいヒイロ」
「は?」
アン師匠に弟子入りしてから二年。部屋の掃除をしている私に向かって、彼女は突然に言った。
「どうしたんですか師匠。急に」
白けた目を向けると師匠はバツが悪そうに目を逸らす。この人と二年暮らして分かったことがある。彼女は突然こういう反応に困る冗談を言うのだ。最初のころは驚いたけれど、二年も経つと最早なんとも思わない。
「いや。ちょっと言ってみたくて。ごめん。破門はウソ。でもそろそろ出ていくべき時だと言うのは私の素直な気持ちだ」
「え……?」
「もうヒイロは十分、力の制御が出来るようになった。これ以上私が教えることはないし、私との約束を守っていれば、力の使い方を間違えることもないでしょう」
「えっ。いや。あの。本気ですか?」
「本気だよ。免許皆伝ってヤツさ。そろそろ私も放置していた仕事を片付けないといけないし……。明日にはこの家も引き払うつもりだよ」
師匠はそう言って、私の頭に手を載せてわしわしと撫でてくる。
「わわっ。やめてくださいよ、師匠。せっかく髪の毛綺麗にしたのに」
「はははっ。ヒイロはお行儀よくしてるよりくせ毛でどこか跳ねてるくらいが可愛いよ」
そうやって笑って。そして師匠はジッと私を見つめる。
「二年の間に随分背が伸びたもんだ。私よりちょーっと小さいくらいかな」
「師匠……」
「大丈夫。ヒイロならちゃんと一人で生きていけるよ。私は信じているからさ」
二年この人と一緒に暮らしてきた。たった二年だけれど、それだけでも分かることが沢山ある。師匠が好きな食べ物。嫌いなこと。眠る時だけ裸になるということ。だらしない性格で貯金と片付けが苦手だということ。その代わりに料理が得意だということ。歌を歌うのと悪戯が好きだということ。そして今の言葉のは嘘は無いということ。
「……師匠。最後に聞いていいですか?」
「うん。なんでもどうぞ?」
「あの。結局、師匠って何なんです?勇者様の師匠って嘘ですよね?」
「……うん。仕方ない。教えておこうか。実はね。魔王を倒した勇者って私なんだよ」
「……勇者様って男性ですよね」
「……うん。そうなんだけどさ。そうなんだけど」
結局師匠は、最後まで自分の素性について語ってはくれなかった。けれど師匠が私に力の使い方を教えてくれたのは本当のことなので、師匠の正体なんて、気にしないことにする。
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「うわあ。久々だなあこの感じ……」
師匠の元から独り立ちすることとなった私は、師匠の家のあった森から一番近くにある町──シルフのギルドに来ていた。
『働かざるもの食ってはいけず。これから一人になるんだから、ちゃんと仕事をしないとダメだよ?』
別れ際の師匠の言葉を思い出す。おかげさまで力をある程度制御できるようになった私は、師匠お墨付きの強さを手に入れていた。けれども手に入れたのは力だけ。お金は雀の涙ほども持っていない。こういう時は師匠が選別に幾らか用意してくれてもいいんじゃないか。けちな師匠だ。
それはともかくとして、無一文の私は今日を生きるためのお金を稼ぐ必要があった。
私の故郷とは違って、町自体が大きいため、ギルドもそれ相応の規模となっている。大勢の会員たちでギルドは賑わっている。仲間と次の仕事を相談したり、仕事が上手くいったのかお酒を飲んで騒いだり、あまり見たくはないことだけれど、活躍できなかった人を恫喝しているところもあった。
他がどれだけ楽しそうでも、一つ人が怒っている場面を見るだけで、私の心は少し暗くなる。なんだか自分が怒られているみたいだ。久しぶりのギルドの雰囲気だが、それを懐かしむ気持ちは最早私の中にはなくて、一刻も早く仕事を請けて出ていきたいという気持ちでいっぱいになった。
駆け足で掲示板に向かい、『薬草集め』というDランクの仕事を引っぺがして受付のお兄さんのところに持っていく。
「お願いします。これ……」
「あいよ。薬草ね……ん?お姉さん見ない顔だね」
「え。あ。はい」
「ギルドの会員証はある?」
「会員証?ええっと、私、以前ベルゼの町のギルドの会員だったんですけど……」
「ベルゼ?二年前に魔物に燃やされた町か……。その後他の町で仕事とかしてないの?」
「あ、はい。色々あって……」
「あ、そうなんだ……」
困った顔で受付のお兄さんは後頭部を掻いた。
「それじゃあ、今日は仕事は回せないよ」
「え?」
「ベルゼのことの少しあとだったかな。規約が変わってね。会員になるには簡単な試験を受けて、会員証を発行してもらった人じゃないと仕事を受注できなくなったんだ」
「ええっ!?」
初耳である。どうしてそんなことになっているのか、私は受付のお兄さんに尋ねた。
全ての原因は二年前に魔王が倒されたことらしい。
魔王軍が衰退したことで強くて高い知能を持つ高位の魔物は人里にあまり出て来なくなった。ギルド会員の仕事がやりやすい環境になったのである。これによって新規のギルド会員が増えた。
魔王が倒されても弱い魔物は依然としてあちらこちらにいる。魔物退治以外の仕事も減ったりはしていない。そういうわけで需要に対してギルド会員数という供給が多くなった。とはいえ新たな会員がみんな優秀かと言われるとそうではない。中には魔法が使えないのに魔法使いを名乗ったり、剣もろくに振れないくせに戦士のフリをしたりする、詐欺師のような会員もいたという。
「当時は本当にモラルがなくてねー。酷いもんだったよ。これは噂だけどさ。ペットの仔竜を連れてるだけでドラゴンテイマー名乗ってた子供を会員にしてたギルドもあるらしいの。ありえないでしょ、流石に」
「へ、へえー……。そうなんですねー……。アハハハハ……」
どこかで聞いたような話はスルーする。私がキュウと一緒にドラゴンテイマーやってたのはギルドの質が落ちる前からだからきっと関係はないはずだし。身の丈に合った私でも出来る仕事しかしてないからクレームになったこともないし。多分私のことではない筈だ。
とにかくそういうモグリが何人もいたら仕事の質が落ち、信頼を損なうので、ギルドは会員証制度を導入した。試験をパスして会員証をもらった人にしか仕事を受注できないことにしたのである。
「それじゃあ試験はいつ受けられるんですか……?」
「試験は週末にしかやってないからね。明後日だよ。会員証が発行されるのは週明け。それまでは仕事を出せないね」
「そんなあ……」
「まあ……どうしてもって言うなら、他の会員さんにお願いして、お手伝いとして──」
「テメーはクビだーっ!」
「うわっ、びっくりした!?」
突然聞こえてきた怒号に私は思わず声のした方に目を向けた。先ほどしこたま怒鳴られていた男が一人取り残されたテーブルで頭を抱えている。
「ん。ああ……リブラくんか」
受付さんは呆れた調子で言う。
「あの人一体……」
「アイツ有名人なんだよ。悪い意味で。地図を書くことしかできないってことで有名な足手まといさ。戦いには役に立たない。アイツと一緒に受けた仕事は失敗続き。そのせいでパーティの空気は最悪。クビ切られるのも俺の知る限りじゃあこれでもう七回目だよ。というかよく七回目があったなって話だ」
「……あの人は会員証持ってるんですか?」
「ん。ああ。勿論。持ってるよ。あんなのでも」
「よしっ」
「……え?まさか」
「はいっ」
だって手段は選んでいられない。仕事を受けるためには会員証を持った仲間が必要。だけど私みたいに実績のない子どもと組んでくれる人なんかいるわけがない。可能性がありそうなのは、今まさに仲間から解雇されて途方にくれている人だけだ。私は二回深呼吸をして、相変わらず項垂れて落ち込んでいるリブラという男性に歩み寄っていく。
「あの。リブラさんですか」
「はい?」
黒い短髪をした男が、泣き腫らした一重瞼の瞳で私を見つめる。
「私、お金がなくて仕事が欲しいんです。でも会員証がなくて……。だから、一緒に仕事をしてくれませんか?」