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ヒイロとアン

「ヨモギさん!草むしり終わったよー!」

「ああ。ああ。ありがとうヒイロちゃん。この年になると、しゃがむのも辛くてねえ」

「きゅう!」

「そうねえ。キュウちゃんも頑張ったねえ。ありがとう」


 ヨモギさんのしわくちゃの手がキュウの頭を撫でた。ほわほわの黒い毛並みはヨモギさんの手が行ったり来たりするのに合わせて、立ったり倒れたりを繰り返す。キュウは気持ちよさそうにしながらその手を受け入れて、一度鳴いた。


「ヒイロちゃん。また上がっていくかい?アンタが来るかもと思ってね。クッキーを焼いておいたんだ」

「やったっ!ヨモギさんのクッキー大好き!」

「晩御飯も食べていくといいわ。さあさあ」


 私は、キュウと一緒にヨモギさんの後ろをついていって、彼女が住む古風な煉瓦造りの家に入った。


「っつ……。へ?」


 扉を開けた先は煉獄だった。ヨモギさんの家は炎に包まれて、彼女が孫からもらったのだと自慢をしていた似顔絵も、彼女が焼いてくれたクッキーも、何もかもが燃えていた。

 どさっと音を立てて、私の目の前に真っ黒な何かが転がってくる。小柄な、腰の曲がった老婆と同じくらいの大きさのそれが私の目に映った。


「ヴェハハアハハ!手に入れた手に入れた!」


 不愉快な笑い声に顔をあげる。業火の中で悠然と立つ人影がそこにあった。


「ラヴァルト……!」

「手に入れたぞエクスドラ!これで私が!私の時代が来る!」


 ラヴァルトの手は乱暴にキュウの首を握りしめていて。キュウは苦しそうな声で鳴いていて。それを見て、あの男は下種な笑い声を上げていた。


「ラヴァルトー!」


 私は、そんなアイツに向かって、きゅっと握った拳を振り上げて、走り出していた。


--------------〇--------------


「あっ……」


 目が覚めると、私は泣いていた。目の前には知らない模様と柄の天井が広がっていて、私はそこに向かって拳を突き出していた。


「ゆめ……?」


 呟いた瞬間に現実が頭の中で走り出す。町はどうなったのか。みんなはどうしたのか。キュウは、本当に死んでしまったのか。

 じわりと涙が浮かんだ。力なく腕を下ろすと、握りこぶしが何か柔らかいものにぶつかる。


「え……?」

「ううん……寒ぅ……」

「え?」


 真横で。女の人が眠っていた。全裸で。彼女は自分の胸の上にある私の手をどかすと、突き上げた私の腕のせいで位置がずれた掛け布団を、寝ぼけたままで直して、安堵した表情ですうすうと寝息をたてる。


「え?え?だ、え?誰?……という。ここ……」


 と、身体を起こすと。


「きゃっ!?えっ、服ぅ!?」


 私まで全裸だった。咄嗟に隣で眠っている女性と共有していた掛け布団をひったくって、身体を隠すように包まる。


「んう……寒いって……」


 彼女は寝ぼけながら言って、薄く目を開けた。私と目が合うと彼女はにこりと微笑む。


「あっ……。おはよー。起きたんだね……。んー……。いい加減私も起きるかァ……」


 女性は身体を起こして、大きく欠伸をしながら伸びをした。全裸で。知らないヒトが隣で裸で寝ているのは怖い。同性だとしても怖い。私も裸なのが一層怖い。

 そんな私の気持ちを分かっているのかいないのか、女性は笑顔のまま口を開いた。


「おはよ」

「あ、わわ……」

「キミ、三日も寝てたのよ?大丈夫」

「あの……と、取り敢えず……」

「取り敢えず?ああ、そうね。取り敢えず自己紹介よね?」

「取り敢えず服を着て下さい!」


--------------〇--------------


「いいじゃあないか別に。女同士なんだしさ」


 そう言いながら、名も知らぬ女性は自分の服を着始める。その様子を見て私は初めて分かったのだけれど、彼女はとても、綺麗なヒトだった。すらっと長い脚に引き締まった腰回り。胸は女の自分でも思わず見てしまうような大きさだ。背は成人女性の平均身長よりも明らかに高い、と思う。少なくとも私の住んでいた村の中であれば、身長が高めの男の人と同じくらいの背丈である。顔立ちは整っていて、私史上初めて見たというような美女である。

 そして。落ち着いたから分かったことがもう一つ。この部屋は酷く散らかっている。物やごみが雑然としていて、服やら下着やらがそこらへんに放り投げられている。彼女が手にしているのもそれらのうちの一つだった。こんな綺麗な人なのに。


「……ん?どうかした?私の顔にゴミでもついてる?」

「あっ。い、いえ……」


 いつの間にか私は彼女の顔をまじまじと見つめていたらしい。


「っていうか。私の服は……」

「服?ないよ」

「ない?」

「私が見つけた時には君も裸だったからね。炎で燃えちゃったんじゃないかな」

「う、うそ……」


 恥ずかしさで私はうな垂れた。ほっぺたが熱い。自分では分からないが、きっと今私の顔はりんごみたいに真っ赤なのかもしれない。


「……ふっ。仕方ない。私の服を貸してあげるよ。サイズが合うかどうか分からないけどね」

「あ、ありがとうございます」

「待っててねー。えーっと」


 タンスを開けて適当に下着やらなんやらをぽいぽいと投げ飛ばしてくる。私は咄嗟にそれらをキャッチして、身に着けた。彼女の言うとおり、明らかに大きい。特に胸のサイズが。すかすか。ブラジャーが意味をなしていない。とはいえ今はこれを着るしかないので、結果的に私は子どもが大人の服を着ているみたいになった。


「あはは。ごめんね。大きいのしかなくてさ。あとでサイズの合う服を用意してあげるから」

「い、いえ。そんな……」

「さて。自己紹介といこうかな?今度こそ、ね。私はアン。魔物狩りを生業にしている」

「よ、よろしくお願いします。私は、ヒイロと言います。い、一応ドラゴンテイマーです」


 なんちゃってドラゴンテイマーだけど。


「うん。よろしくね、ヒイロちゃん。昨日は仕事の途中でね。町が燃えてるって話を聞いて駆けつけたんだ。そこで、キミを見つけた」

「町……あの。町の人は、その……」


 彼女は一瞬だけ目を伏せて、困ったような笑みを浮かべて、躊躇いつつも口を開く。


「私が見つけた生存者は、キミだけ」

「──!」


 私だけ。その言葉だけが頭の中に残る。目の前の彼女はなおも何かを説明しているけれど、内容が入ってこなかった。代わりに涙が溢れてきて、手をきゅっと握りしめる。胸の奥が熱い。


「あれをやったと思われるラヴァルトは──」

「──ラヴァルトッ!」

「っ!?」


 彼女は突然に後方へ飛び下がった。一瞬後、私の周囲にある小物やごみが跳ね上がって、砕けて、蒸発する。


「えっ!?な、なにっ!?」

「ふう。この程度で落ち着いたか。やっぱりキミがラヴァルトを仕留めたみたいだね」

「あの……」

「竜将ラヴァルト。竜族を率いる魔王軍の幹部だよ」

「へ……?」


 私はさっきからずっと困惑し続けている。アンは更に続けた。


「魔王に次ぐ力と頭脳。勇者も相当てこずったんだろうね。結局取り逃してるんだからさ」

「そ、そんなに強い魔物、私なんかが倒せるわけ……」

「ふうん。キミ自身はそういう認識なんだね?」


 アンはにこりとして私の傍に寄ってくる。


「さっきのパワーが使えるのなら、魔王軍最強の幹部と戦えても不思議はない。けれどキミは、自分にそういう力があるって自覚がない。どういうことかな?」

「……ええと」


 私は、ラヴァルトと戦った時のことを思い出しながら、アンに話した。

 相棒である黒猫のような竜、キュウのこと。人間に化けたラヴァルトがキュウを奪おうとしたこと。私は死にかけだったが、突然に傷が治り、同時にすごい力が湧いてきて、そのままラヴァルトをやっつけたこと。


「ラヴァルトは、その力はキュウが命と引き換えに私にくれたんだって言ってました」

「……ラヴァルトはその、キュウくんを『エクスドラ』って呼んでなかった?」

「ああ……そういえばそんなようなことを言ってたような」

「なるほどね」


 アンは合点がいったとでもいうように何度か頷く。そうして私の顔をじっと見つめた。


「あの……」

「エクスドラは、ちょっと特殊な魔物なんだ。魔物たちは彼らを経験値素材って呼んでる」

「経験値素材?」

「ふつう強くなろうと思ったら、色んな相手と戦ったり、鍛えたりっていう経験を積み重ねる必要がある。けど、エクスドラを使えば、そういうことをしなくても強くなれるんだ」


 エクスドラはため込んでいる力を他者に与えられる生き物だとアンは言った。魔物たちはエクスドラから力を貰うことで、苦労せずに強くなれるらしい。


「でも、キュウはそんなすごい力を持っている子じゃないですよ。草むしりのお手伝いくらいしかできないし……」

「エクスドラは自分で自分の力を使えないんだ。彼らの力は他者に渡すためだけのものなんだよ。己の命ごと力を他者に捧げるために存在している。おかしな話だけど、そういう生き物なんだ」

「はあ……」

「と、言っても。ある程度まで強くなったらエクスドラが持っている力じゃあ全然足りない。ラヴァルトくらいの竜だと、そこらのエクスドラを何百匹使っても強くはなれない。……黒いエクスドラは、例外なのかもな」

「キュウが……?どういうことですか?」

「黒いエクスドラなんて私は聞いたことがない。持っている力の量のケタが違う、魔王軍幹部級でも欲しがるくらいの希少種なのかもね。ラヴァルトがそんな力を手に入れていたら、新しい魔王になっていたかもね」

「……そんな力が、私の中に?」

「うん。多分」


 私は自分の手をじっと見つめて、握って開いてと繰り返してみる。実感がないのだけれど、町の誰もが手も足も出なかったラヴァルトをやっつけた時のことを思い出してみると、少しだけ腑に落ちた。


「じゃあ。キュウはもう。いないんですね」

「……そうだね」

「キュウ……」


 また涙が溢れてくる。私はキュウに助けてもらったのに。キュウがいたから今まで生きてこられたのに。結局私はキュウに何も返してあげられなかった。最後まで助けてもらってばかりだった。

 いつの間にか私は『ごめんね』を繰り返していた。もういないキュウに、もう届かない言葉を。

 そうしていると、私の頭の上に、ぽんと暖かい手が置かれる。そうして、アンが優しく私を撫でた。


「大事な相棒だったんだね。キュウくんは」

「きゅ、キュウは。初めて会った時にはすごく弱ってて。あ、あの子を、あの子を守りたいって思ったから、私はきょ、うまで生きてこられたんです」

「そっか」

「あの子の、お、おかげなのに。結局、私……貰ってばかりで」

「ヒイロちゃん」

「う、うう。う……」

「エクスドラは、基本的に魔物にしか力を与えない。目の前に力を欲しがっている魔物がいたら、本能的に、ソイツに力を与えるはずだ」

「……え」


 本当ならばラヴァルトが手にしていたはずの力だった。それが今、私の中にある。


「キュウくんがキミに力をあげたのは、きっと本能を超えるくらいの強い気持ちがあったからじゃないかな。愛とか絆とか、そういうものだと思うよ」

「うう……」

「私はキュウくんの気持ちは分からないけど。でも貰ってばかりってことはないんじゃないかな。沢山のものを、キミがキュウくんにあげてきたはず。だから、キュウくんもキミに全部をあげたんじゃないかな」

「うわあああああっ!」


 私はアンに抱きついて、声をあげて泣いた。キュウはもういない。受けとめることはまだできないけれど、アンの言葉がほんの少しだけ、私の心を軽くしてくれる。


「うんうん。思い切り泣くといいさ」


 アンは私の背をぽんぽんと励ますように叩いてくれる。頭を撫でてくれる。その優しさに甘えるように、私は彼女に、一層強く抱きつく。


「う、うん。ヒイロちゃん?ちょっとつよ、痛いよ?痛っ、痛いって。おいっ!ちょ、痛い!痛い強い痛い!」

「うわあああああん!キュウうううう!」

「うわあああああん!痛いよおおおお!」


--------------〇--------------


「うん。取り敢えず、力を制御できるようにならないとね」

「ごめんなさい……」


 気絶から回復したアンの言葉に私は同意した。キュウから貰った力は強すぎる。普段は隠れているそれは、悲しみや怒りといった感情が昂ると表に出てくる。そんな気はないのに、相手をただ抱きしめただけで気絶させてしまったり、その気になれば魔王軍の幹部でさえ一方的に倒すことが出来る。下手に使えば人を傷つける危険な力だ。


「そこでだ。提案なんだけど」

「提案?」

「私が教えてあげるよ。力の制御の仕方」

「え?ええっと……でも」

「私はキミの本気の鯖折りを受けても気絶で済んだんだ」

「さ、鯖折りをしたつもりでは……」

「とにかく。頑丈さには自信がある。さっきは油断してたけど、それなりに強いって自負もあるさ。キミに力の使い方を教えてあげられるのは私しかいない。なんたってこう見えて私は……」


 と、言ってからアンは黙った。三秒ほど続く無言の間。まるで何というべきか考えているかのよう。


「あの……」

「待って」

「はい」

「あっ。そうだ。そう!なんたって私は、勇者の師匠だからね!」

「……はあ」

「あれ?あんまり驚いてない?」

「まあ。はい……」


 あんなに長々考えたうえで出てきた文句では驚きようがないもの。白けた目を向ける私に、自称『勇者の師匠』であるというアンは慌てながら取り繕って。


「と、とにかく決定!いいから私の弟子になりなさい!」


 などと言って私のことを強引に弟子にしようとする。一方で私はというと、もう行くところも着る服もないので。そして何より、キュウのくれた力を、ちゃんと使えるようになりたいので、アンの提案に従うことにしたのだった。

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