ヒイロと王国騎士
「し、死ぬかと思った……」
「失敬だなあ。私だってそれくらいは気をつけてるよ」
「そうよリブラ。臆病ね」
「気絶していたヤツがよく言うわ……」
と。軽口を叩き合ったあと、『さてと』と改めてザーダの町の様子に目を向ける。視界にいれた瞬間に。全身を包む寒さが一層強くなったように感じた。
「壊滅状態と聞いていたが……こうなってるとはね」
リブラが一人の町民の元へと歩いていき、とんとんと軽く肩を叩く。が、町民の反応はない。表情も姿勢も、何一つとして一ミリ単位の変化もない。彼は凍ってしまっているのだ。凍っているのは彼だけではない。他の人も家も草木も何もかもが、紫色の氷に囚われている。
「生きてはいる。地図ではそういう反応になってる。でも生きてるだけだ」
「しかも紫色の氷って……相当な使い手よ?」
ファイが氷に触れながら言った。魔法にはそれぞれ色があり、色はその魔法のランクを示している。白が一番弱く、赤、緑、青、紫と続いて黒が最も強い魔法になる。使用者の練度によっては赤色の魔法で青色の魔法に打ち勝つこともあると師匠は言っていたけど。
とにかく彼女の言うとおりだ。紫色の魔法が使えるということは少なくともそれだけの力を持った魔物だという事である。魔王軍の元幹部というのもあながち本当かもしれない。
「ヒイロ。お前の炎でこの氷溶かせないのか?」
「ううん……溶かせるには溶かせるけど。危ないかなあ。中の人に怪我させちゃうかも。術者の魔物を仕留める方が確実だと思う」
「そうか……」
リブラが俯いた。これはつまり、ザーダの町の近くにある迷宮化された洞窟に潜むという魔物を退治するしかなさそうである。
「……ええい仕方ない!俺も男だ!」
「足震えてるけど」
「寒さのせいだ!」
やけくそ気味に言いながら地図を開く。地図を見ると街を出て北西の方角に進んだ先にある森の奥に洞窟があった。他に洞窟らしいものはない。目的地はきっとここだ。
「よ、よし!みんな行くぞ!」
そう言って。寒さのせいで震えるという足を前へ前へと進めながら、一歩一歩洞窟に近付いていくのであった。
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森の中にも魔物の影響が出ていた。季節外れの雪が降り積もっている。森の道は雪化粧によって隠されていて、どのように進めば洞窟に辿り着くのか、俺の地図が無ければ釈然としない。
雪に足を取られながら進む。靴が濡れて重くなり、一歩歩くたびにぐしゃぐしゃと音がして気持ちが悪い。
「ううん……」
それでも進み続け、洞窟まであと少しというところで、困ったことになった。先頭を進む俺はぴたっと足を止める。どうかしたの?とヒイロが後ろから問いかけてきた。
「ああ……見てくれよこれを」
そう言って地図を指差すと、ファイと二人で後ろから地図を覗き込んでくる。俺たちを示している青い三角形の周囲を取り囲むように赤い三角形が配置されていた。
「これって……」
「魔物」
「えっ」
「けど気付かれたわけじゃあないみたいだ。偶々囲まれただけだろう」
「なんでそんなことが分かるのよ」
「気付いているならそれらしい反応がある」
この三角形が赤色に点滅していれば恐らく気付かれたということになる。しかし地図上ではただ赤い三角形が動いているだけだ。その方向もばらばらでこちらに近付いてくるものはいない。偶然この配置になったとしか思えない。
「でもこの三角はただそこに在るだけだ。気付いているとは思えない」
「……聞けば聞くほどインチキじみた地図ね」
「これだけが取り柄だからね。で、だ。ここからどうするかだけど……」
「やり過ごすべきね。こんなところで無駄に消費をしていられないわ。それにこのうちのどれかにに気付かれたら、本当に囲まれる可能性がある」
「なるほどね。で、ヒイロはどう思う?」
「うーん……」
少し悩んでから、ヒイロはおずおずと口を開いた。
「ここから仕留めればいいんじゃないかな?」
「ここから?無茶言うなよ?地図だと近くに見えるけど、まだ魔物の姿も見えないんだぜ?」
「いや、せっかくこの先には魔物しかいないんだからさ。こうやってさ」
言いながらヒイロは手を前にかざす。手が赤く光り出す。そうして。
「こうすれば」
収束された赤い熱線が放たれる。次の瞬間、地図上の赤い三角が一つ、音もなく消滅した。
「これで倒したんじゃないかな?」
「……みたいね」
赤色の魔法でこんなあっさり魔物を倒してしまうなんて。ヒイロが強いのは知っていたが、思っていた以上に規格外だ。隣に立つファイなんてあんぐりと大口を開けて言葉を失っている。
「……まあ。これで進めるし。行くか」
「うんっ」
「……ん?これは……」
「なに?また魔物?」
「いや……」
洞窟の前にある反応は、青色だった。
「これは、人だな」
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「おや?」
洞窟の前には長髪をした男の人が立っていた。さらさらで綺麗な金髪が、冷たい風に揺らいでいる。見た目は中性的で、ともすれば女性のようにも見える顔立ちだ。一方で声は低く、それのアンバランスさが一層印象に残った。
「どうも。シルフの町で依頼を請けてきました。リブラと言います」
「ああ……ギルドの会員さんですか。お仕事ご苦労様です。私はドライと申します。どうぞよろしく」
ドライはぺこりと頭を下げた。腰の低い人に思える。
「あの……アンタもギルドで依頼を請けて?」
「ああ、いや……」
ドライは鎧の内側から首飾りを取り出した。銀色の丸い首飾りには、二本の剣が×印を描いている紋様が刻まれている。流石に私でも、この意味は知っていた。
「私は……王国騎士団の者です」
「えっ!?」
「王国騎士団?忙しいから対応できないって聞きましたけど……」
リブラの問いにドライはバツが悪そうな顔で頬を掻いた。
「ええまあ……。ですから本隊は来ていません。今回は現地調査のようなものです。流石に町一つ凍らせる、紫色の魔法の使い手と分かった以上は、本隊に来てもらうしかないのですが……」
ドライは困ったような顔で洞窟の入り口を見つめた。意図がよく分からない。私は首を傾げるばかりだったが、ファイにはその意図が分かったらしい。
「小さいですね」
「ええ。よくお気づきで……。これだと同時に二人くらいしか入れない」
「ああなるほど」
そこで私もようやく話の流れが分かった。入り口が小さい洞窟。その奥に件の魔物がいる。当然洞窟に入っていかなければいけないわけだが、この狭さでは騎士団は何列かに並んで入らないといけない。敵を取り囲んで攻めたり、多人数で敵を攪乱しながら攻撃することはしにくくなる。
「こうなると本隊を呼んでもあまり効果はないですからね。少数精鋭……勇者様をお呼び立てした方がいいかなと」
「……そんな余裕があるんでしょうか……」
ファイが不安げに言った。
「ザーダの人は氷漬けです。今はまだ生きているみたいだけど……急がないと手遅れになるかもしれません」
「それは……同感です。ザーダの人たちを助けようと思ったら、急いでこの奥の魔物を倒さないと。ですがどうやって?」
「俺たちが行きますよ」
リブラが言った。ドライがリブラにぎょっとしたような視線を向ける。
「だ、大丈夫ですか?恐らくこの迷宮を作った魔物は、手段を選びませんよ?だいたいは己の力を誇示するために巨大な迷宮を作るのに、コイツはこんな小規模な迷宮に留めている。中に入った人間に思うように戦わせないためとしか思えません」
「……」
リブラが無言で私を見つめる。その意図は察することが出来た。
「大丈夫ですよ」
それを言えるのは、私しかいない。
「この奥の魔物。私たちがやっつけます。勇者様に負けないくらいには、私たちも少数精鋭ですので!」




