ヒイロと空の旅
「お、おいおい。そりゃあ無茶だって。山を越えられるくらいの高度で飛べる高位の魔法使いなんかどこに……」
そこまで言ったところで、リブラは『あっ』と声に出す。彼を見つめる私の視線は、きっと雨に濡れた子犬みたいになっているはずだ。バツが悪い。
「もしかして……お前……」
やっぱりこういう反応になるよなあ。怒られるかなあ。私は不安を覚えながら、おずおずと頷く。
「うん。あの。私はいける。なんなら、2人を抱えて飛んでも、大丈夫。……ごめん。話に出なかったからそもそも選択肢にないのかな……って……」
この後の反応を私は想像していた。ここまで来るのに、決して少なくはない時間とお金がかかっているのだから。それらが全部無為だったことが分かれば、きっと2人とも怒るはずで──。
「ってことは明日には着くってことか。うわあ……。マジか……山道を行く間に腹を括ろうって思ってたのに……」
「まだ覚悟できてなかったの?だっさ……」
「うるせえよお。相手魔王軍の幹部だぞ?」
「噂でしょ。う・わ・さ」
顔を上げて2人の表情を見つめる。リブラとファイは口喧嘩をしているだけで、私に怒っている様子はない。
「え?怒ってないの?」
そう尋ねると二人はきょとんとした表情で私を見つめる。
「怒る理由なんかないだろ。早くに目的地に行けるなら、それに越したことは無いさ」
「そうそう。むしろ感謝しているくらいよ。早く仕事が済むならね」
「い、いや。でも。私だって無駄に山を登らせたわけで……」
するとリブラは笑みを浮かべて答える。
「無駄じゃないんじゃない?この登山も楽しかったしさ。多分これがなきゃあ、俺はファイのことをいけ好かない一匹狼としか思ってなかったし」
「私だってアンタのことをロクデナシの無能としか思ってなかったって」
「……いけ好かないのは事実だった」
「なっ!」
ファイがリブラの頭をぽかぽかと殴る。リブラはそれに対して『やめろっ!』と抵抗をする。そんな2人を見て、私は思わずくすっと笑ってしまっていた。
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「……ん」
陽の光で目を覚ます。掛布団代わりの上着を放りだして、身体を起こした。眠い目をぱちぱちさせて、隣に眠るファイに目を落とす。リュックサックをぎゅっと抱きしめてぐっすり眠っていた。そんなに大事なものが入っているのか、と昨晩尋ねたが、単なる癖らしい。自宅ではネコのぬいぐるみでも抱きしめて寝ているのかもしれない。
ぐっと背伸びをする。と、どこからか漂ってくるいい匂いと、リブラが寝床にいないことに気付いた。もしやと思って、昨晩彼が調理をしていた場所に向かう。
「あっ。おはよう」
「おはよ。それ朝ごはん?」
「うん。昨日のスープを少し薄めて、暖めなおしただけだけどな」
「いいじゃん。リブラのスープ美味しいから好き」
「簡単な野菜のスープだよ」
照れくさそうに言いながらリブラは味見をする。一言だけ『美味い』と呟いた。その言葉は小声だったが確かな自信を感じられて、一層楽しみになった。
「こんなもんだろ。さあて、ファイも起こしに行くかな」
リブラは眠っているファイの元へと向かっていった。私はというとリブラのスープが美味しそうで楽しみで、湯気の上がる鍋をじっと見つめる。
「うぎゃあっ!」
「えっ!?リブラ!?」
突然の悲鳴。私は慌ててリブラの元へと向かう。行くと彼はファイのすぐ横で尻もちをついていた。
「どうしたの!?ま、まさか魔物……!?」
「いや……。コイツ寝相悪すぎ……」
「え?」
「起こしてみれば分かるよ」
なんのこっちゃ。私は首を傾げながらファイの身体を軽く揺する。と、ファイは不機嫌そうな声を上げながら右手をこっちに向けて、青色をした雷の魔法を撃ってきた。バリバリと音を立てて電撃が私の身体を突き抜けていく。
「うわあ。本当だ。寝相悪いねえ」
「なんか大したことなさそうだな……」
「あはは……まあ私はね?っていうかファイってば魔法使えたんだ」
ちょっとビックリしたけれど、それだけだ。私はいっそのこと、とファイの身体を無理やり起こしてみた。果たして電撃は受けたが、代わりに彼女も目を覚ます。
「おはよう。ファイ」
「……おはよ」
「朝ごはんできてるぞ。今日は迷宮に潜るわけだし……食べるだろ?」
「……ん」
それだけ言ってファイは首肯し、眠そうな目を擦りながら立ち上がり、顔を洗いに行く。私とリブラはそんな彼女を見送ったのちに顔を見合わせる。
「もしかしてアイツが仲間と疎遠になったのってあの寝相のせいじゃないのか」
「なんかそんな気がしてきた」
--------------〇--------------
朝ごはんを食べ終えた私たちは、予定通り空路を使ってザーダの町へと行くことになった。
「よしっ!それじゃあ行くよ!」
「なあ……本当にこれ以外ないの?」
「ない!」
「マジかあ……」
リブラは不安そうに呟く。ファイの方は緊張しているのか無言を貫いたままこくりと唾を飲み込んだ。そんな二人を私は小脇に抱えている。リブラはともかくとして小柄なファイは本当にちょっとした荷物みたいだ。二人の持っていた荷物はというと、どちらも私が背負っている。
「なんか……思ってたのと違うんだよね。三人に飛行の魔法をかけてくれるのかな、って……。なあ?ファイ?」
「ふ、ふんっ。情けないねリブラ。こういうものでしょ。多分……」
「そうかなあ……なんかイヤな予感が……。つっても、これ以外ないのか……」
「準備はいい?じゃあ飛ぶね!」
「ちなみにお前どうやって飛……」
「ほっ!」
足と地面の間。青色の炎の魔法を炸裂させる。同時に思い切り地面を蹴った。炎と脚力、ダブルの推進力で、私は数十メートル以上の高さを一気にジャンプをする。
「ええっ!?」
「からの~!とうっ!」
右足が落ちる前に左足を前に。同時に、先ほどと同じ要領で靴の裏で破裂させた炎の魔法で高度を上げていく。これが私の空中浮遊。師匠は『どっちかって言うと空中歩行だね』とか言っていたが、これは浮遊だ。
一歩進む毎に山肌が遠くなって、小さくなっていく。一つまた一つと木の高さを超えていき、やがては木の生えない高さに至る。
「おっおいっ!ヒイッヒイロ!?」
「んー?なに?」
「これはなんだ!?」
「飛んでるんだけど」
「これは飛ぶとは言わん!」
「えー……」
師匠みたいなことを言うリブラだ。結果的に飛べているのに。静かにしているファイを見習ってほしい。
「……と思ったら寝ちゃってるね。まだ眠いのかな」
「気絶だろ!?」
「まっさかー。よおし。そろそろ山頂だ!」
一際大きな炎で跳躍する。山の頂を私は一気に跳び越えた。
「おおっ!?……ん。え?まった。ってことはこっから先は!?」
「よし。あとは調節しながら落ちて行けば……」
「やっぱり落ちるのかあああっ!?」
リブラの悲鳴が空の上で響き渡る。暴れる彼を抑えるのが大変だ。
「だ、大丈夫だって……。暴れたら落ちちゃうから!落ち着いてって!」
「お、おいっ!前!前!」
「ん?ああ。なるほどね」
リブラから視線を離して前方に目を向ける。大型の赤い鳥の姿をした魔物の群れが、私の傍にまで迫ってきていた。
「レッドウイング!」
「そういう名前なんだ」
レッドウイングたちの住処である上空に侵入してきた私たちに対して敵意むき出しの目を向けている。そういう意味で言うのであれば私たちが悪い。だが、こっちにも事情がある。
「はっ!」
「わっ!?」
靴の下に炎を炸裂させて、空中でジャンプをする。前に進んでいた相手が突然真上に移動したことでレッドウイングは混乱している。状況の変化に追いつけずに戸惑っていた。私はそんな彼らの姿を真上から見下す。
「……よしっ」
そうして再び前方、ザーダの町に向かって駆けだす。避けられる戦いならば避けた方がいい。出来る限り消耗はしたくない。万全の状態で、ザーダの町に入りたかった。
「……レッドウイングが叫んでる。追いかけてきてるぞ」
「えー……。仕方ない。スピードを上げるか」
「えっ」
「暴れないでねリブラ!危ないからさっ!」
先ほどよりも強力な青色の炎。それで私はレッドウイングとの距離を広げていく。そしてその度のザーダの町が近付いていくのだ。
「よしっ!あとちょっとで振り切れるよ!リブラ!」
「ああああああああ!」
リブラの返事は意味を為さないものになっていた。それだけこの空の旅が恐ろしいのだろうけれど、これに関しては我慢してもらうより他ない。